25.采配が振られるその前(side:グランツ)
大変おまたせいたしました。
「アダラっ! おにいさん家のクッキーはとってもおいしかったよ!」
子供は部屋にノックなしで入り、満面の笑みを浮かべる。
部屋の主であり、話を聞いた女――アダラ・プワゾンも柔和な笑みを浮かべた。
「そう、相変わらず可愛らしい頭の中身ねぇ、ピュア」
城に入るなり全力疾走を始めた少女を後ろから追って入った男二人は目の前の光景に、絶句する。
勇者ハイラント・ヴァリエンテが白い修道服の下で横たわっていた。
「たス、け」
伸べられた手を見るなり、グランツはピュアの目を塞ぐ。
「おりょ? 暗いよー」
「見ちゃ駄目です、見たらイケナイ世界です!」
彼は、彼女によって踏まれていた。
「ほほほ、世の中が汚いのは常識じゃないですか」
「威張らないでください。そういう如何わしい行為は外でやってください!」
「あら王子、野外プレイが好きだなんて変態ね。変態な上に、ロリコンだなんてドン引きしちゃうわ」
「ろ、ロリ……」
わなわなとグランツは肩を揺らす。
「王子になんてことを!」
「嫌だわ、女運も悪ければいびられてばかりのヘタレが何か意見しようだなんて。ちなみに、今狙っているお嬢さんだけど恋人が居るようよ、残念ですこと。死ぬまで独身貴族ね、あら今、面白いこと言っちゃったわ」
「一生独身……」
騎士団長はずぅんっと、暗い影を背負って床に「の」の字を書く。
「暗いー、暗いー」
「本当に暗いわね、なんなのかしら、この男どもったら」
「お、もい、肋が折れ、る」
「……………」
アダラはハイラントを足蹴にしたまま、胸の前で十字をきり祈る。
「愛しのカミサマ、女性に対しこのような物言いをする彼に天罰をお与えください」
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああっ!」
彼女は体重を掛ける足を片足から、両足へと変える。曰く、これは神からの天罰である。
修道服の下にはどうやって収納したのかと聞きたくなるほどの武具が格納されているので、片足で力を込めていた時よりも全体重を掛けている今の方が重いとだけ加えておく。
「なぜ、ハイラントは踏まれていたのです?」
一同はアダラの私室のテーブルを囲う。もちろん、教育上宜しくないので、ピュアを除いてである。
本音を言うならば聞きたくもないし、囲いたくもなかったグランツだったが渋々面々のまとめ役としてそうせざるをえなかった。ダムはピュアを部屋に送り届けるという名目の下に逃げようとしたが、もちろん一人だけ自由になるなど赦されるはずもなくアダラから一番遠いが目の前に顔が来る正面の席に座らされている。
「なぜかしら? なぜだったのかしら? ねえ、なんで?」
「私が知るかっ! 人を呼び出したかと思えば足を引っ掛けて、踏んだんじゃないかっ!」
彼女は素知らぬ顔で紅茶を啜る。
「あら茶葉をケチったの? これだから、男が紅茶を入れるのって嫌なのよ」
白々しく、アダラは笑みを浮かべる。笑みを浮かべた顔は美人とは言えないが妙に愛嬌がある。本人はまったく気にしないだろうが、世の男が彼女の本性を知れば嘆くに違いないとグランツは思った。
白い修道服はゆったりとした作りなのに、アダラが着ると体のラインがよくわかる。そのせいもあってか、彼女は一部の人々からやたら人気だ。治癒要員に選ばれたのは才だけではなく見目もあるだろうと、面々は踏んでいた。
「仕事は騎士であって、茶汲みではない」
「今時家事のひとつもできないから、振られるのよ。まったくもって、料簡の狭い男はこれだから」
ピシッとダムは固まる。
「ああ、前の恋人はお金目当てだったから家事なんてできなくてもまったくもって関係ないわね。お金で女を今後も釣るといいわ」
アダラが愛しているのは自分の主――神だけであり、人間など彼女は虫けら同然に思っているのである。二年もの間、旅をしたが末恐ろしい以外の感想を今ではもう彼女に抱くことはできない。
性的な何かを彼女にぶつけたら最後、男としての何かが終わってしまうのだと本能で知っていた。
「そう言えば、スペクター伯爵子息は紅茶を入れるのが美味かったので、執事かと思ってしまいました、ははは」
矛先を、ダムから自分へとグランツは向ける。
彼女は治癒魔法は使えるものの、基本的にはあり得ないほどの人間嫌いで神の啓示とやらがなければ本来は人助けすらしたくないらしい。その上、人が知らないような個人の傷口に平気で毒を塗りつけるような、勇者なんて居なくても彼女がその気になれば一人であの魔王ならば、倒せたのではないかと思ってしまえるほどの味方ながら恐ろしい女なのである。否、味方でなくなった時が恐ろしい女なのである。
グランツは地雷を踏んだ気がひしひしとしたが、これ以上の発言は見ていられなかった。
きっとこの調子だと、一番初めの切ない初恋話までいびりそうである。耳を塞ぎたくなるような、騎士団長のそんな過去話など二度と聞きたくなかった。
「目玉は何のために付いているんです? 貴族と執事を間違うなんて、脳みそに皺があるんですの? あと、別に、そこの勇者が好きな女なんてどうでもよろしいって言ったじゃありませんか。関連する話なんて、別にどうでもいいですわ。もしかして、馬に蹴られたいんですか? ぐしゃぐしゃになって鹿に食べられたいのですか?」
絶対零度。凍えそうになるほど低い温度が世界を覆う。
「そうですね、はい、すみませんでした」
一応の目的は達したので、すごすごと引き下がる。
「その神とて、隣人を愛せと言っているじゃないか」
背中を労わるように椅子に座っていた、ハイラントがきつくアダラを睨む。グランツはタイミングの悪い発言に天井の模様を数えだす、空気になりたくて堪らない彼だった。
「意味がわかりません、誰の言葉ですか? 隣人を愛してどうするのですか? カミサマを皆が崇め、奉れば世界も平和になります。一人の主導者に傾倒するこそが世界平和です」
飲み干されていく、紅茶。カップを受け皿に彼女は戻す。
「……そうでした、思い出しました。紅茶のあまりの不味さに、今思い出しました。振られているのに、女々しいことこの上ないこれが人に手を出したのです」
「失礼な、お前に手を出すくらいなら死んだ方がマシだ!!」
ハイラントは首がもげそうなほど首を振る。
「失礼なのはどちらですか、死にたいんですか? 治癒魔法は使い方によっては人を殺せるということを忘れないでくださいね。言っておきますが、気は長い方ではありませんよ」
穏やかな笑みがアダラの顔から消える。それを見て、全員が背筋を震わせる。
「そんなことをして無事でいられるわけがないじゃないですか、カミサマの領分に手を出したことを怒っているのです。聞きましたよ、シャド・スペクターに決闘を申し込んだそうではないですか。弱い者いじめはカミサマが赦しません」
決闘。確かに、勇者が一般人に申し込むのは反則だろう。
けれど、ハイラントがメイリー・ジャミルに手を出すにあたりシャド・スペクターに何かしてはいけないとは言われていない。
「……仲間なのだから、もう少し我々に協力すべきだ。一般人と言っても貴族であり、軍人の家庭に生まれたのだぞ。それが剣も持たずにいるほうが悪いではないか」
「唐変木は黙りなさいな、発言は許可していません。いいですか、魔王は玉座にもう居ません、よって協力する義理がありません。義務も感じません。協力し合ったのはカミサマの導きあればこそと言うものです」
右手をアダラは、自分の唇に押し付ける。
「忠告します、今の生活を続けたいなら貴方はもっと慎みなさい。王子もそうです、人の身よりも我が身を心配することです。唐変木は唐変木らしく痛い目に合っていなさい。口は軽いつもりはありませんが貴方達がしたことを世間に公表しない義理もないのだと理解していただきたいものです」
優しく目が細められる。
「共犯の片棒を担がされたとは言え、バレて困るのは貴方達だけ。カミサマが何か言えば裏切ります、それが存在意義なのですからね」
「それは困りますね。あの事はもう終わったことなのに。なら、せめて、ダムの古傷を抉るのをやめてあげてください」
「ほほほ、あの事に関しては、心がけ次第。唐変木をいびるのは止めません、一番腹が立ちます。偽善者と自己中なお馬鹿さんは腐った豆の入ったお鍋に顔を突っ込んで窒息死がお似合いですわ」
ダムもハイラントもアダラから視線を外す。
グランツだけが穏やかなその顔を今だ見続けていた。
「けれど、この決闘をどうしてもやめないと言うのならば、決闘内容はカミサマに決めていただきましょう」
「「「は?」」」
男三人の声が揃う。
「カミサマも刺激がそろそろ欲しいでしょうし、良い機会ですもの。一旦、お持ち帰りします」
「私の決闘なのに、なぜ神が……」
「ならば、全力で邪魔します。いろいろと裏で奔走します」
鳶色の瞳が深く淀んだのを見て、誰も二の句を言えなくなった。
神に一言言うことができたならば、グランツは「彼女を魔王にしないでくれてありがとうございます。ですが、できれば無駄に力を与えないで欲しかった」と感謝と愚痴を述べるだろう。
「彼女相変わらず、怖いね」
人と会う約束があるとかで、三人は部屋から追い出された。安堵の気持ちも大きいが、今後の不安も大きい。
「私の決闘なのに、なんだ、あれは!」
「フェアではないのは確かだし、いいんじゃないかなと思うよ」
神が決めたことならば。相手も納得せずにはいられないだろう。
「こちらとしては、飛び火しなければもうそれでいい。決闘のことは決まっても何も知らせないでくれ」
(卑屈。……さて、僕はもうだいぶいろいろしたし、そろそろ傍観するかな)
「おーうじー、お腹すいたー、ごはーん」
遠くからパタパタと足音をさせて走って来る、ピュア。
「ピュア、女の子はお淑やかに歩かないと駄目ですよ」
神様の采配が、誰にとって吉となるか。と、王子は心の中で嗤う。