15.ちょっとずつ
『……、……?』
顔に当たる陽の光に、目を開ける。
「寒っ……」
毛布を手繰り寄せようとして、床の上でそのまま寝たのだと気付く。
(……あー今、何時だろ?)
軋む体を伸ばす。それから時計があるところまで絨毯の上をゴロゴロと転がる。
「時計、と、けい……うげぇ、まだ、五時かぁ」
机から必死にとった時計の時間に呻く。早い、早すぎる。いつもなら六時半に起きてから準備を開始し、七時半に家を出るのに、この時間はいただけない。
(次寝たら確実に起きれない。けど、早く行ったからといってあのグータラなドルークさんが起きているわけもない)
ドルーク・ジャミルの日常。貴族らしく朝は十時までベッドの中で過ごし、遅めの朝食。その後、重役出勤よろしく城の騎士団に顔を出しては継母か姑のように騎士たちをいびり倒すのだから、実に、性格の悪い大人だと言えるだろう。さすが、あの日記を書くだけのことはある人物である。
残念なことに、あの人の愛が向くのは娘と嫁だけなのだ。
騎士団に入ったらルックもあの人にいじめられるのだ、ふへへ、いい気味だぜ。
聞いて驚け、ドルークさんの職業はなんと、ななんと騎士団剣術指南役なのだ!! あと二十若かったら勇者パーティーに居たに違いない。実に、恐ろしいことだ。同じ時代に生まれなくてよかった。
(いいや、親父とも会いたくないし、良く考えたら俺の馬メイリーん家だし早く行くに越したことないな、うん)
ジャミル家に行くには馬で約三十分かかる(モブだけど、貴族だから乗れるのさ! ただし、爽快には駆けられないけども! 汗がキラキラとか幻想ですよ、皆さん!!)。
いつもはパカラ、パカラと愛馬を走らせてジャミル家へ向かい、そのまま馬を預けて研究所には馬車で行く。言っておくが、メイリーが馬に乗れないとかじゃない。俺がかっ飛ばせないだけである。ははは、どこまでもモブな俺を舐めんな。
で、送った後また馬に乗って帰って来るのだが、昨日はルックに会いに行ったので馬はそのままなのだ(街からジャミル家までは三十分程度)。
(歩いて一時間くらいかぁ……朝から重労働とか、モブの仕事じゃないんだけどもー)
抱きしめていた時計のタイマーを止めてから、絨毯から体を起こす。
「よっこぃ……ぎょ、ふっ! か、体が痛いだと……と、歳?」
時計を寝具の上に投げて(動いたら痛いから元の位置に戻せなかった)、そろりそろりとクローゼットへと向う。この痛みは床で寝たせいであって、歳の所為ではないはずだ。
まだ、十八は若いの、うん。なんか、変な汗が出てるんだけど。え、本当に歳じゃないよね?
その後、三回は「びぎゃ」とか「うぎゃ」とか奇声を上げたのは余談である。
はーい、こちら頑張って準備をし、もぐもぐと行儀悪くも朝食を食べながら歩いて来た現場のシャドくんです。なんと、今、不測の事態が起こってます。
体も頬も痛いし、まったくもっていいとこないな俺! 何、殴られてもイケメン? 照れるわん。なんて、はい、小芝居終了。現実、キュー!
「メイリー、今の台詞をワンモア」
「もう、出かけた」
繰り返されたまったく同じ言葉に視線を彷徨わせる。
現在の時刻、七時六分。いつもグースカ寝てるくせに、居ないとかなんなんですか? 喧嘩売ってる? 買わないけど、売ってるよね!?
「知らないけど当分、朝早くから夜遅くまで用事があるって言ってた」
(くそっ、先手を打たれたっ!)
玄関の扉に頭をぶつけそうな勢いで、寄りかかる。
きっと、親父と結託して俺がいけない城へと逃げやがったな。ずっこいぞ! いつもは重役出勤のくせ、に……はっ、待てよ。このままだと俺外堀を埋めて逃げられなくなるんじゃないだろうか。
……。
…………。
いやいや、それは、いかんよ。いけません。メイリーには名も知らぬ人の良さそうなイケメンと結婚させるんですからねっ!
「どんとこい! 俺、頑張る!」
「何を?」
メイリーはわからなくて、いいのだ。俺がわかれば! 問題なし!
「大丈夫だ、気にするな。それより、通いのメイドさんたちにちゃんと今日からしばらく昼飯いるって言ったか?」
「言ってない」
言えよ。何やってんだよ、もー。
メイリーん家は俺の家と違って、毎日の夜と朝の飯を作ってくれる通いのメイドさんが二人いるだけだ(ちなみに我が家の手伝いは、メイドさんが三人に、鬼バ、……オカアサマに同行している執事の計四人)。週に二回は掃除もこの人たちがしてくれる。が、彼女たちが来るのはその週の二回を除けば朝に夜の分も飯を作り、温めれば良い状態にして帰ってしまう。
今日は生憎とその日じゃないので、メイリーの昼飯はないということになる。
「んじゃ、髪よりも先に冷蔵庫覗かないとだな。サンドウィッチくらいなら俺も作れるから、パンがあったら昼はそれな」
「シャドが作ってくれるの?」
「はさむだけだ。誰でもできるし、食える」
サンドウィッチぐらい、余裕余裕。パンを薄くスライスして焼いたらマヨネーズかけて、ベーコンとトマトとかはさむだけだもの。何、バター? 重石で押さえる? めんどくさいので、そういう手順は一切省かせていただきます。食えば一緒だもの。パンも焼かなくていいぐらいだと思うんだ!! つっこまれなかったら焼かない体でいこう、そうしよう。手抜き上等でござる。
「ありがとう」
「おーおー、わかったらちゃんとメッセージ飛ばしときなさいね」
曖昧にメイリーは表情を引きつらせ、頷く。メイリーは喜怒哀楽のうち喜と楽の感情があまり上手に出せない。こういう微妙な表情は、たぶん嬉しいのだろう。
(まー、手抜きするき満々なのに喜んじゃって、うい奴、うい奴)
いつもみたいに頭を撫でようとした――気付かれないように腕をそっと、下ろす。
(……こういうのも辞め時、か)
ルックが言うように、俺の生活はメイリー一色に染まり過ぎている。たぶん、今も飯の準備とか普通にしてしまっているが、これもいけないのだろう。いろいろなことを少しずつ辞めなければならないのだ。
長く一緒に居すぎて、皆、俺とメイリーをセットのように扱うことに慣れ過ぎているのだ。
(うおー、少し寂しいとかマジで結婚式とか泣くぞ、コレ)
なんですかね、子離れに泣く母親の気分? 子離れって寂しいのね、くすん。
でも、お母さん頑張ってメイリーに良い子見つけるからね、すんすんすんすんすん。誰か、バスタオルを頂戴! 涙がちょちょぎれるの!!
「シャド、それまだ痛む?」
感傷に浸っていた俺の左頬に指がスッと伸ばされて思わず、仰け反る。
「わ、ちょ、何? 何ですか?」
「ごめんね?」
なぜ疑問形なのか問いたいが、それは一端置いとく。
てか、コイツなんぞ勘違いしているな。
昨日の俺のアンハッピーな出来事であるビンタとグーパンは同じく左頬にやられたので、自分がしたやつだと思っているのだろう。現在、白い湿布を貼っているので確かに目立つ。が、痛い場所を触ろうとするんじゃありません!
「これは、お前にやられたのじゃないから。寝ぼけてベッドから落ちてできたやつだから!」
「メイドの人、治してくれなかったの?」
うっ。咄嗟に吐いた嘘を更に聞き返されるなんて思わなかったぞ。
ちなみに、治すといってもうちのメイドさんたちが凄いのではなく。緑色の魔石(小さいやつ)があるので、この程度の軽傷ならすぐにいつもは治して貰えるのだ!
だけども、だっけどー。
親父が治すなって言ったようで、これは治して貰えてない。人の心の痛みを思い知れってやつ。兄貴贔屓め、横暴だぞ!
「親父にばれて笑われたくないから、早めに出て来たんだよ。あのクソ狸は絶対大笑いするに違いないんだからなっ!」
続く嘘もさらりと、吐く。嘘はばれちゃいけないんですよ、ばれないならば真実じゃなくても事実ですから。ほほほ。
「治癒魔法かける?」
メイリーもルックと同じく簡単な治癒系は使える。かけてもらえば、比較的早く治るだろうし痛みは確実にひくだろう。
「いいよ、いらない」
頼られるのも頼るのも少しずつ減らした方がいいのだろう。
(やん、ほんと寂しぃんだけどもっ!)
バスタオルを誰か本当にください。涙が、涙がこぼれちゃうっ! よよよ!!
「いいの?」
心配そうに顔を覗きこむ、菫色の瞳。睫毛長いな、コイツ。
「人間には治癒能力が備わってるんです! 言っとくけど、頑丈なのだけが取り柄とかじゃないからっ!」
きゃーきゃー、言い訳を言いながらメイリーの様子を窺う。良かった、いつもの呆れ顔だ。
(よし、疑ってる様子はないな。しかし、どうしたらメイリーをイケメンと出会わせられるんだろうか?)
勇者はボツ。あんな気性の激しいのは駄目。もっとシレーナさんみたく穏やかで「ははは」とか歯を輝かせて笑う人を希望する!
(あーあ、すっかり小さなメイリーから大きくなっちゃって)
後ろから付いて来るのは変わらないのに、小さな少女はどこにもいなかった。
『わたし魔臓が五つあるって、すごい?』
笑う少女。
『おー、すげー』
絶望する俺。
守りたかったものなんて、とっくの昔に手の中から滑り落ちていた。
癖になっているのか、撫でたくなる手を必死に抑える。
君より弱い俺。
本作で出て来たサンドウィッチの作り方はクラブハウスサンドの作り方。個人的に、ベーコンはカリカリ派。ついでに、やや最後のところを変更しました。