3.モブ令嬢VS王太子殿下
こちらを窺っている、王太子御一行に私は向き直った。
「殿下、貴重なお時間をいただき感謝いたします」
「あぁ……しかしデュフィ侯爵令嬢」
王太子から困惑したような声がかかった。
「なにか?」
「長年の婚約者を、たった2年の不義理で婚約解消とは、いささか浅慮ではないか?」
うわー『浅慮』なんて言葉知ってたんだ! この方。
(そういえば聖女が現れるまでは、『とりあえず合格点殿下』だったっけ)
聖女が現れてからは、権力を誇示したいのか、人目を引きたいのか、やたら大声を出していた印象がある。
(うるさい方だなーって思っていたが、そういえば昔はそんな事なかった)
ロドニー様の事も、以前は思慮深く大人びた方……なーんて思っていた。
(思慮深かったら、今、聖女に心配されてやにさがってないし、結婚するまでは浮気を認めろなんて、大人びたどころかジジイの発想だわ)
婚約者だからと安心して、貴族標準以上に干渉しなかったエレインにも責任はあるかもしれない。
だからと言って、『それは浮気だ』と責めて、『もっと自分を見ろ』と迫るのも違う気がした。
(キャラが違うって奴よね)
いずれにせよ、もう婚約解消は成立したし、ロドニー様とは縁が無かったと諦めてもらうしかない。
「……そうですね、長年の付き合いですが昔から細かい方でしたわね。ここ半年は、挙式や新居の用意にも熱心でした」
「そうだろう! 在学中は何かと忙しく、卒業したら令嬢とゆっくり過ごそうと思っていたのではないだろうか? 在学中の忙しさは、私の責任もあるかもしれないし……」
「滅相もございません! 殿下の責任ではありませんわ」
うん、王太子だけの責任ではない。
「私も最初は、忙しい方ですし仕方がないと思っておりました。ですが違っていたのです、ケリー公爵令息が整えていたのは、私との新生活ではなかったのです」
「は?」
「エレイン! 何を……」
殿下の後ろで、ロドニー様が血の気の失った顔で身を乗り出していた。腕に聖女の手を貼り付けながら。
私はそちらにニッコリと笑った。
(大丈夫ですよ。『恋文』の事は口にしませんわ、ロドニー様)
他にも色々ありますから!
「公爵令息は、月に一度のお茶会で、お互いの親に婚儀や新居の計画を雄弁に語られました。その後、私と一緒に我が家が懇意にしている商会に行って『僕らの新居はすべて君の好きに揃えていいよ』とおっしゃって下さり、私は感動したものです。……ですが、家具や絨毯、食器やその他すべてに公爵令息から支払いはございませんでした。一回もです」
念を押すと、殿下の表情が固まった。
「あ、ケリー公爵家の咎ではありませんわ! 公爵様は無駄な事はお嫌いですが、必要な物の支出は惜しまない方です。公爵様は私におっしゃいました。『新居に必要な経費はすべてロドニーに渡してある。余っても返す必要はない。新生活の足しにしなさい』と……全く素晴らしい御方ですわ」
「後からっ! 後から支払おうとしたんだ!」
何かほざいてますね、そこの横領犯。
さすがの聖女様も、御手を放しましたね。
私は胸の前で手のひらを合わせ、大袈裟に驚いてみせた。
「まぁ、そうでしたの!」
「そ、そうだ! だが、もう婚約が無くなったのだから不要だろう……?」
何かを期待しているような問いに、私は笑顔で頷いてあげた。
「はい。私の分は不要ですわ」
先ほど提出させた『婚約解消届』を合図に、新居予定だった邸宅から、家具その他、動かせる物は全部引き揚げさせている。
「ですがロドニー様、私が受け取っていないドレス、宝飾品類、あとご一緒した覚えのないレストラン他遊興費の支払いは当家では受け付けておりませんので、よろしくお願いします」
プツッと何かが切れた音がしたが気のせいだろう。
「……ドレスを君が受け取っていないとは?」
殿下が怪訝そうに聞く。
「私以外の女性への贈呈品でしょう」
私はハキハキと答えた。
「注文書を見ましたが私とはサイズも違いますし、仮にも公爵子息であるロドニー様が、琥珀色の瞳の令嬢に紅玉を贈るほど趣味が悪いとは思えませんわ」
ルビーが似合うのは、ロドニー様の恋文にあった『触れていたいバラ色の頬』を持つそこの聖女だ。
察しの良い何人かはそちらに視線を向け、彼女の黒髪に燦然と輝く紅い貴石を目に入れた事だろう。
「……な、なるほど」
納得したのか、思い当たる節があったのか、はたまた一緒に散財したであろう遊興費が後ろめたいのか、王太子は尚も言い募る。
「だ、だが君も、今から他に婚約者を探すのは難しいのではないか?」
お前が言うか!――私の心だけでなく、会場全体から声が聞こえた気がする。
「ここは多少の気の迷いに目をつぶっ……」
「ご心配いただけて大変光栄ですがっ! 私は明日にでも隣国リンディアへ行き、当家が経営する商会の支店を立ち上げる予定です」
殿下の世迷いごとをぶった切って宣言すると、『おぉ!』と会場が湧いた。
海運のデュフィ侯爵家の新規事業。
それだけでも経済に興味を持つ者には魅力的な情報だが、しかも今回は隣国を巻き込んだ規模が大きいものだ。
それだけに失敗すれば損害も大きいが、始める前からそれを言っても仕方ない。
「殿下もご存じの通り、隣国では初の女王陛下即位もあって、女性の地位向上に力を入れております。此度も出店する商会の支店長が私である事を知り、興味をもたれ、是非にとお話をいただきました」
(この話がなければ、私も婚約にしがみついたかもしれないわね)
この国の女性は、社会進出はおろか爵位も継げない。
どんな才媛といえども、貴族女性は学園卒業後は結婚し、夫の地位に頼るしかないのだ。
もともと支店長にはエレインの兄である、次期侯爵が就く予定だったが、ちょうど義姉の妊娠が発覚し、長旅に連れて行くわけには行かなくなった。
さりとて責任の重い仕事なので、就任すれば両国を行き来するのも難しい。
兄夫婦も政略結婚だったが、兄は暑苦しいほど義姉を大事にしており、その妻の一大事に傍にいられないのは耐えがたいらしく、苦悩している様子を見て、エレインが『私が行きます、行かせてください!』と手を挙げた。
デュフィ侯爵は、エレインの能力は認めるものの、公爵家との婚約解消は難しいからと消極的だったが、エレインが提示した『婚約解消の書類に、ロドニー自身のサインを入れさせる事』を条件に、隣国との話を進めてくれた。
リンディアの女王陛下には、父や兄と詰めた新規事業の詳細と、現在の私の状況を書き記した手紙を送った。
正直に、大前提である婚約解消はまだという事も書いた。
返書には、
『万難を排し、貴女が私を訪ねて来る日を心より待っております』
とだけあった。
その優雅でありながらも力強い文字を見て、期待されているのを感じ、エレインは奮い立った。
誰かに認められ、求められている――それがどれだけ嬉しい事か。
それは、婚約者に侮られ放置された貴族令嬢と、要らないと言われ続けた就活女性の心が完全に一つに重なった瞬間だった。
殿下や元婚約者に背を向け、くるっと後ろを振り返る。
本日の卒業生が皆目を見開いて、こちらを見ていた。
私は微笑むと息を吸い込んで、大きく口を開いた。
「この場を借りて、当商会より皆様に。私と共にリンディアへ行き、働きたいと思う方々を募集します!」
静まっていた会場は、次の瞬間、大きなざわめきに包まれた。




