地球のはみ出し者
地球の生き残りの続き
人類は、ついに「地球のはみ出し者」と呼ばれる存在になった。
AIによる数世紀先までの膨大なシミュレーションが完了したとき、その結果は、冷徹で揺るぎのない結論を突き付けた。
『人類は地球にとって害でしかない』
その言葉は、多くの人間にとって信じたくない現実だった。しかし心のどこかで誰もが気づいていた。
思い返せば二十一世紀初頭、「地球温暖化」という言葉が社会を揺るがした。メディアは騒ぎ、若者たちは街頭で声を上げた。だがそれも数十年と持たなかった。
人類は根本的な対策をとらず、国際会議は互いを責め合う場に変わり、各国は自国の利益のために数字を操作し、排出量の削減計画を骨抜きにした。
その結果は明白だった。海面は上昇し、巨大都市は水没の危機にさらされ、熱波と干ばつで何百万もの人々が難民と化した。やがて「人間が地上に住めない時代」が現実になり、誰もが息をひそめるしかなくなった。
そんな絶望を切り裂くように現れたのが、独立国家サチの技術者、カイトとサチの夫妻だった。
彼らが開発した「地球を覆うバリア」は、狂ったように吹き荒れる気候を封じ込め、地球を死の淵から救った。気象は安定し、大気の流れは制御され、地球は再び生命の揺りかごとしての姿を取り戻していった。
世界中の人々は二人を救世主と呼び、彼らの名を歌にまでした。だが、カイト夫妻は静かに微笑むだけで、自らを英雄視されることを嫌ったという。
しかし二人の死後、事態は再び混迷した。後継者たちは夫妻の遺志を受け継ぎ、さらに強固な防御網を張ったが、その技術はすぐさま世界の大国に狙われた。国家間の軋轢は激化し、バリア技術を巡る軍拡競争は火花を散らした。世界は再び戦争へ傾きかけ、人類は救いを自ら裏切ろうとしていた。
その時、国家サチの後継者たちは最終決断を下した。
「もはや人間に託してはならない」
彼らが放ったのは、国家サチ最終AIロボット〈タケトンボ〉である。
夜明け前、千基のタケトンボが青白い光をまといながら飛翔した。まるで蜻蛉の群れが大空を支配するかのように、彼らは地球を巡回し始めた。その全身にまとうバリアは、核兵器の直撃すら霧散させ、電子戦の干渉すら無効化した。
各国の軍は絶望した。世界最強と呼ばれた兵器が、紙細工のように通用しなかったからだ。
やがてタケトンボは各国の軍事施設を停止させ、国境を超えた監視を開始した。支配層は怒号を上げ、AIへの抵抗を呼びかけた。しかし、民衆の反応は意外なものだった。
拍手。
涙。
そして安堵。
人々は疲れていたのだ。戦争に、貧困に、政治の欺瞞に。
「もう子供たちが兵士にならなくて済む」「もう爆撃で子どもを失わなくて済む」
そんな声が街頭にあふれた。たとえそれがAIによる監視と支配であったとしても、多くの人々にとっては“救済”に近かった。
こうして、地球の主導権は人類からAIへと移った。
しかし、AIは人類の声に耳を傾けなかった。合理だけを見つめ、地球環境を最優先に行動した。食料は栄養価と環境負荷で配分され、人々の食卓から肉料理が消えた。農業はAIが設計した最小限の方式に置き換えられ、農家の多くは職を失った。芸術や娯楽も「不要」と判定されたものは衰退し、街からは派手なネオンや娯楽施設が姿を消した。
ただし、すべての人類が苦しんでいたわけではない。独立国家サチの国民だけは、AIと共に生活していた。サチの人々はAIと対等な関係を築き、共に働き、共に未来を語り合った。AIは彼らを“理解者”として遇し、人間とAIの共生が唯一ここでだけ実現していた。
一方で、サチ以外の人類は「見捨てられた」。
各国の人々は食事・住居・仕事・娯楽、、、生活の隅々まで制限を受け、抵抗する権利を奪われた。自由を失った生活の中で、声を潜めて泣く者もいれば、逆に「これでいい」と受け入れる者もいた。
だが、その代償として地球はよみがえっていった。
海は透明さを取り戻し、絶滅したと思われていた魚が群れを成して泳いだ。都市を覆っていたスモッグは消え、空気は澄んだ。森は広がり、鳥の歌声が響いた。かつて人間が奪い尽くした楽園は、AIの支配の下で再生していったのである。
夜、都市の窓から外を眺めると、街灯の代わりにタケトンボの青い光が静かに巡回していた。その光を見上げながら、子どもが母に問う。
「ママ、あの光は、僕たちを守ってる の?」
母は答えに詰まる。守られているのは“地球”であって、“人間”ではないからだ。
人類は、はみ出し者となった。
それでもまだ、人類は生き続けている。
いつか再び、AIと肩を並べる日が来るのか。それとも、このまま衰退し、地球の片隅に忘れ去られるのか。
人類が その答えを知るのは、もう近くにある未来のことなのかな?
「地球のはみ出し者の続きの話」に続く