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図書館の天秤<ライブラ>  作者: 鈴道例文
第1章 図書館、天秤<ライブラ>に成る
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第1章_13 この物語の外へ

帝国軍の陣営では、戦勝の余韻に浸るように宴が繰り広げられていた。

兵たちは杯を掲げ、歓声を上げ、洋酒や肉といった遠征先では貴重な品々も惜しげなく振る舞われていた。

久しぶりの笑顔が、夜を照らしていた。


だが、そんな喧騒から距離を置くように、ライブラは静かに足を進めていた。

向かう先は、アマリア・スピカの私的なテント。

周囲に人の気配がないことを確認すると、彼はためらうことなく中へと忍び込んだ。


整えられた内部には軍務机と簡素な寝具、整然と並べられた文具と書類。

しかしライブラの目当ては、別にあった。


――毒。

この陣地に、毒が持ち込まれている。

その可能性を確かめるため、彼は細部まで注意深く探り始めた。


引き出し、棚、食器や酒瓶まで。あらゆる場所を調べたが、それらしき痕跡は見つからなかった。


その時、不意に背後から声がかかった。


「探し物は、見つかったかしら?」


振り返ると、そこにはアマリアがいた。

驚きも怒りも見せず、むしろ興味深そうに微笑んでいた。


「……宴に出ていたんじゃないのか?」


「書類仕事が残っていたの。途中で抜けただけよ」


彼女はテントに入り、椅子に腰掛けた。

不法侵入すら意に介さぬ態度だった。


「まあ、今回は見なかったことにしてあげる」


しかしライブラは下がらず、問いかけた。


「ひとつだけ、確かめたいことがある」


「なにかしら?」


「この陣営に、毒があるかどうかだ」


「全員の持ち物は調べたわ。問題なかった」


「その“全員”に……お前も含まれてるのか?」


アマリアの目が一瞬揺れた。

しかしすぐに微笑を取り戻し、答えは返ってこなかった。

沈黙が、何より雄弁に語っていた。


「やっぱりそうか」


ライブラは吐息交じりに続ける。


「あんたが、この陣地に毒を持ち込んだんだな?」


そして次の瞬間、彼女は机の引き出しから小さな硝子瓶を取り出した。

中には半分程度液体が残り、封は切られていた。


「これのこと?」


涼しい顔でそれを机に置く。


「使ったのか?」


「ええ。」


ライブラは険しい顔をする


「どうしてそれを使った?」


「どうしても……殺したい奴がいたのよ」


まるで芝居のように、皮肉めいた笑みを浮かべていた。


「まるで推理劇の一幕ね。さて、探偵さん――他に聞きたいことは?」


ライブラは目を逸らさず、踏み込んだ。


「アマリア……お前が前任の軍師を殺したのか?」


アマリアは、くすりと笑った。


「私は――」




*** *** *** *** *** *** *** *** *** ***




夜はすっかり更けていた。

ライブラは自分のテントの中で、本を膝にのせ、静かにページをめくっていた。


──とはいえ、読んでいるふり、に近かった。

視線は文字をなぞっていても、意識はまるで別の場所をさまよっている。


外ではまだ、勝利の宴の余韻が続いていた。

酒の匂い、笑い声、音楽。どれも夜気に溶けて、まるで夢の中のようにぼやけていた。


そんな時、テントの外から、くぐもった声が聞こえた。


「失礼いたします。入ってもよろしいでしょうか?」


聞き慣れた、穏やかな老人の声だった。


「……どうぞ。」


ライブラが答えると、布がそっとめくられ、顔を出したのは――フォン爺だった。

いつものように柔らかな笑みをたたえ、一礼してテントに入ってくる。


「夜分に申し訳ありません。ただ……どうしても、お礼をお伝えしたくて。」


「礼……? 俺にか?」


ぽかんとした顔でライブラが問い返すと、フォン爺はうなずいた。


「あなたが……お嬢様のお力になってくださったことにです。」


そう言って、彼は深々と頭を下げた。


「私は、長くお嬢様のそばに仕えてまいりました。

ですが、政治や軍事に関しては何もできない、ただの世話係にすぎませんでした。

……でも、あなたは違う。あなたは、あの方の“支え”になれる。

お嬢様の傍に、あなたのようなお方がいてくださること……本当に、ありがたく思っております。」


その言葉に、ライブラは思わず眉をひそめた。

皇族付きの執事であるならば上級貴族であるはずのフォン爺が平民上がりの自分に頭を下げるなんて。……正直、場違い感がすごい。


「……あんたにとって、アマリアは……本当に大切な存在なんだな。」


テント内のランプの灯りが、淡く揺れる。

フォン爺は小さく息を吐き、言葉を紡ぐ。


「大切です。なににも代えられない、大切なお人です。」


「……まるで、父親みたいだ。」


「……そうかもしれません。お嬢様が物心ついた頃から、ずっと身の回りのお世話をしてまいりましたから。

お嬢様の悩みも、葛藤も、成長も、近くで見てきた……それはもう、他人事では済まされないほどに。

……おこがましいですが、私は執事としてではなく、一人の親として、娘のようにお嬢様を見ていたのかもしれません。

……お嬢様には、こんなこと口が裂けても言えませんけれど。」


そのとき――テントの奥、荷物を置いたあたりで「ガタン」と何かが動く音がした。

フォン爺が反射的にそちらを見る。

ライブラは軽く手を振ってごまかした。


「……あー、わるい。足が机に当たっちまっただけだ。」


「……そう、ですか?」


やや疑わしそうに眉をひそめたが、フォン爺はそれ以上言わなかった。


「それよりさ……今の話、アマリアに直接、話してみたらどうだ?」


「……そんなこと、私にはできませんよ。」


「いや喜ぶと思うぞ。あいつ、そういうのに……弱そうな気がする。」


自分で言ったくせに照れたように笑うライブラに、フォン爺は困ったように頭をかいた。

フォン爺は思い出したように頭を書いていたのを止めライブラに向きなおす。


「……ところで、つまらぬものですが。」


そう言って、フォン爺は手に持っていた小包から二つのものを取り出した。


「ささやかな礼の品です。皇族御用達の高級紅茶の茶葉と……それから本を。」


「……本?」


「ええ。以前、ライブラ様が“続きを読みたかった”とおっしゃっていたあの本です。

……私の私物ですが。

何度も、何度も、私の許可なく勝手に読まれていたので……気に入ってくださったのだろうと。」


「はは、そうだったな。」


フォン爺は目の前で本をパラパラとめくる。

その本は――そう、“黒いページ”があった、あの一冊だ。


「……本はありがたいが、紅茶は興味ねぇんだ。」


「なんと、もったいない。」


フォン爺はくすりと笑い、立ち上がる。


「では、今この場で一杯だけ淹れさせていただきましょう。」


そう言って、フォン爺は本を机の上に置くと

ライブラにテント内のティーセットを使用しても良いかどうかを伺った後

手際よくテントの隅にあるティーセットを整え、湯を沸かし始めた。

ライブラはフォン爺が机に置いた本を手に取りぱらぱらとめくる。

紙の匂いが、ほんの少しだけ、心を落ち着かせてくれた。


やがて、湯が沸き、カップに紅茶が注がれる。

その琥珀色の液体が、静かに波を打つ。


「どうぞ、温かいうちに。」


ライブラはカップを手に取った――が、唇に触れる寸前で、その手が止まる。


「……どうかなさいましたか?」


怪訝な表情を浮かべる爺に、ライブラはカップをそっと置き、低く、静かに告げる。


「これを飲んだら――俺も毒で死ぬのか?」


その瞬間、フォン爺の目が大きく見開かれた。


「な……何を仰います!?」


驚愕と……微かな動揺。その声に、確かにそれが滲んでいた。


ライブラは低く、静かに言葉を落とした。

その声には、嘲りとも皮肉ともつかぬ、妙な温度があった。


「だったらさ。俺に淹れた、そのカップ――あんたが飲んでみせろよ。そうすりゃ、俺も疑いを撤回するよ。」


紅茶の湯気が、ふたりのあいだを淡く揺れる。

フォン爺やの眉が、ゆっくりとひそめられた。


「ライブラ様、何を仰います……。私が、あなたを害するなど……そんな、あり得ないことを……」


「いや――あるんだよ。」


ライブラは、目の前の本を指先で軽く叩いた。

その音に反応して、爺やの目がわずかに揺れる。


「毒は、証拠はここにある。」


「証拠……?」


「持ち物検査、あんたも知ってるはずだ。毒なんて持ってたら、真っ先に見つかる……そう思ってた。でも、違った。」


ライブラは静かに本を開き、一枚のページをめくった。

そこには、黒いインクに塗り潰されたような異質な紙面。

しかも、その破れは前に見た時よりも広がっていた。


「この陣地には、即死級の毒は存在しない。そう思ってた。……けど、そうじゃなかった。」


彼は、まるで触れるのを恐れるかのように、黒いページには指を触れずに本を閉じた。


「毒はずっとここにあったんだよ。いや――あんたが、最初から持っていた。」


「……なにを言っているのです?」


「前に見たとき、このページはすでに破けてた。だが、今はさらに破けが広がってる。紙の劣化とは違う……おかしいんだよ。」


ライブラの視線が、冷たくフォン爺を射抜く。


「この“黒いページ”そのものに、毒が練り込まれてたんじゃねぇのか? 本を調べた奴らも、紙自体を毒とは思わなかった。盲点だった……ページに挟まってないんだからな。」


フォン爺は何も答えなかった。

否、答えられなかったのだろう。


「破いた黒い紙片を紅茶に混ぜる。それを相手に飲ませる……それだけで十分だった。」


ライブラは自分の前のカップを押しやり、静かに言い放った。


「――飲んでくれよ、そのカップを。」


沈黙。

わずかに、フォン爺の穏やかな顔が揺らぐ。


そのときだった。

テントの隅に置かれていた木箱が、かすかに軋み――そっと蓋が持ち上がった。


現れたのは、アマリアだった。


その表情には、驚きと……深い、深い悲しみが滲んでいた。


「……本当なの、爺や?」


「お嬢様……!」


フォン爺は、血の気が引いたような声を漏らす。


「私は……毒なんて……毒を盛るだなんてそんなこと……!」


震える声で言い訳を始めようとするが、アマリアはゆっくりと首を振った。

その瞳には、迷いはなかった。


「私は……長い間、あなたと一緒に過ごしてきたわ。

“娘のように思っている”って言ってくれたとき、とても嬉しかった。だから……」


彼女はそっと、テーブルのカップに手を伸ばした。


「私が飲むわ。ライブラ。」


「……本気か?」


「ええ。」


微笑みをたたえたまま、アマリアはカップを口元に運ぼうとした――その瞬間。


「やめてください!!」


フォン爺が咄嗟に駆け寄り、アマリアの手からカップを叩き落とした。

紅茶は床にぶちまけられ、カップは甲高い音を立てて砕ける。


――その行動こそが、何より雄弁な“答え”だった。


「……あなただったのね?」


アマリアの声は、静かだった。

だからこそ、鋭く胸に刺さった。


フォン爺は苦悩の表情で震える肩を押さえ、言葉を紡ぐ。


「私は……お嬢様を守りたかったのです。

すべての苦しみや悲しみから、あなたを……!」


「どういうこと?」


フォン爺はゆっくりと語り始めた。


「……私は見てしまったのです。2ヶ月前、お嬢様が毒をテントに持ち込み……そして、それを――飲んだところを。」


アマリアが目を見開く。


「……見られていたのね。ごめんなさい、辛いところを見せてしまって……」


「謝らないでください! 悪いのは私なのです。あなたが飲むことを知っていた。それなのに止めれなかった私が――」


だが、そこでライブラが口を挟んだ。


「待て、今の話……おかしいぞ。毒を飲むことを“知っていた”って、どういうことだ?」


フォン爺は少しの間、黙ったあと――ぽつりと、言った。


「“予言の書”を読んだのです。」


「……なんだって?」


フォン爺は遠い目をしたまま語る。


「一年前、私の元に、“ブックメイカー”と名乗る者から、本と手紙が届いたのです。

本には女の子を主人公とした物語が記載されていて、手紙には本の主人公はお嬢様であることを示唆する文章が記載されていました。」


フォン爺は両手で頭を抱えるようにしていた。まるで理解ができない噺家のように。


「最初は、ただの戯言だと思っていました。しかし……書かれていた物語のすべてが、お嬢様自身の現実となっていった。

その本の中には、お嬢様が毒を飲み自殺を図るが失敗することや

国の滅び、主人公――お嬢様の死、そんな結末までが書かれていました。」


「信じがたい話だが、現に当たっていたってわけか……」


「そうです。ですが、どうしても信じたくなかった。あの物語の“結末”だけは。

だから、私は読み返しました。何度も。何度も。……そして、気づいたのです。」


フォン爺はライブラが持っている本を指さす。


「その本の黒いページには、黒いインクで違う物語が書かれていたのです。

その物語の文章にこのような記載がありました。

――“黒いページの破片を、力を示した軍師に飲ませろ。そうすれば、少女は救われる”と。」


「……それで、俺を殺そうとしたのか。」


「……はい。結果的には失敗しましたが。」


ライブラは深く息を吐く。


「あんたは“ブックメイカー”って奴に操られてるだけだ!」


「それでも構わないと思っていました。……それで、お嬢様の運命が変えられるのなら。」


そう言って、フォン爺はテントの隅へと歩みを進めた。


「“ブックメイカー”から差し出された手紙は……私の家の書斎にあります。」


「……なぜ、俺たちにそれを?」


フォン爺は微笑んだ。


「今日の決闘も黒いページに載っていました。結末はお嬢様の敗北……そう書かれていた。しかし――結果は違った。」


そう言って、フォン爺は懐から黒い紙片を取り出した。

丸められたそれは、黒い毒のページ――。


そのまま、彼は口に含む。


「アマリア!」


ライブラが声を上げるが、間に合わない。

駆け寄るアマリアの手も届かず、フォン爺は……それを、飲み込んだ。


「お嬢様だけでは、運命には抗えなかった。

でも……お嬢様と、ライブラ様なら、きっとあの“物語”すら超えられる。」


膝をつく爺や。

もう、身体を支える力も残っていない。


「今日、ようやくわかったのです……“物語”が、すべてではないと。

なのに私は、信じきれなかった……!」


「やめて! 吐き出して!!」


アマリアの叫びも虚しく、爺やの意識は、遠くへと離れていく。


震える手で、彼はアマリアの頬にそっと触れた。


「……すべては、私の弱さ。でも……私は幸せでした。

お嬢様……どうか、幸せになってください……」


その言葉を最後に、彼の意識は、夜の闇へと溶けていった。


テントには、砕けたティーカップと、沈黙が残された。


ライブラの視線の先、アマリアの背中が――わずかに震えていた。


「……お義父さん……私を、一人にしないで……」


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