表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
図書館の天秤<ライブラ>  作者: 鈴道例文
第1章 図書館、天秤<ライブラ>に成る
12/16

第1章_12 勇者と姫の決闘

ライブラは、重たいまぶたをわずかに開いた。


視界の端に映ったのは、白銀の雪原——そして、その上に飛び散る鮮烈な赤。


ぼんやりとした意識の中で、彼は気づく。

自分が仰向けに倒れていることに。背中から伝わる冷気よりも、もっと冷たい現実が、目の前には広がっていた。


帝国兵たちが、雪の上に無惨に横たわっている。


剣を握ったまま動かない兵士。

盾ごと槍で貫かれた兵士。

馬に踏みつぶされたかのように、胸部が凹んだ兵士まで。


静かだった。あまりに、静かすぎた。

風の音だけが、生者と死者を分かつ境界を撫でていた。


(……これは……騎馬隊の仕業か……)


断片的な記憶が、頭の奥から浮かび上がってくる。

アマリアの声、アルディスの名、そして……突進の衝撃。


ライブラは身体を起こそうとする。

だがその瞬間、首に何かが絡みつく感触。


いや、違う。

これは「何か」ではない——「誰か」が、自分の首を掴んでいるのだ。


「……ようやく目を覚ましたか。運がいいのか、悪いのかは……さて、どっちだろうな?」


低く、地を這うような声が頭上から降ってきた。


見上げれば、そこには大柄な男がいた。

その巨体で、片手だけでライブラを軽々と持ち上げている。


首を締められ、息が詰まる。喉に鋭い痛みが走った。


男は、雪原の先に立つ少女へと顔を向ける。


「帝国の第三皇女……と見受ける。俺はノースランド王国・第一旅団……いや、今は第二旅団将軍代理のアルディスだ」


アマリアは一歩も退かず、男の名乗りを真正面から受け止めた。


「時間がねぇ。だから単刀直入に言わせてもらう」


アルディスは片手で短剣を抜き、ライブラの首筋にぴたりと当てる。


「この戦いの決着、俺とお前の“決闘”でつけようぜ。——どうだ、第3皇女、アマリア・スピカ」


場の空気が、一気に凍りつく。


周囲には、生き残った帝国兵たちの姿もあったが、その全員が武装を奪われ、地面に押さえつけられていた。

フォン爺の首にも剣が突きつけられている。


「……これ以上、兵を死なせたくはねぇだろ?」


アルディスの挑発に、アマリアの目が細められる。


「……あなた、何か勘違いしているようね」


その声には、氷の刃のような冷たさが宿っていた。


「今この場では確かに優位かもしれない。けれど、戦全体で見ればこちらの兵力が上よ。

数の大小くらい、将軍なら理解しているはずでしょう?」


しかし、アルディスは余裕の笑みを崩さない。


「もちろん理解してるさ。けどな“今この瞬間”, “この場”に限れば……こっちが強い。違うか?それぐらい賢い姫様ならわかっているだろう?」


短剣の刃がさらに喉元を抉り、ライブラの皮膚に薄く血がにじむ。


「この提案を拒めば、こいつは死ぬ。そのあとでお前も殺す。……覚悟しとけ、アマリア・スピカ」


遠く、雪煙の向こうから第3帝国軍の本隊の姿が見え始める。

だが、間に合わない。アマリアはちらりとそれを見やり——再び、アルディスを睨んだ。


「そのあと、私の軍があなたたちを全滅させるでしょうね」


アルディスはまるでそれを望んでいるかのように、嬉々として笑う。


「ああ、それでも構わねぇ。ここで終わるなら、俺はそれでいい。

一緒に死のうぜ、お姫様」


その言葉は、狂気の中に奇妙な誠実さすら感じさせた。


「さあ、決めてくれ。時間がねぇんだ。さあ! さあ!! さあッ!!!」


一瞬。全てが静まり返る。


帝国兵も、王国兵も、誰もが次の一言を待っていた——


アマリアが、静かに雪を踏みしめる。


「……その命、そんなに軽くていいのかしら、勇者様?」


風よりも鋭く、大地よりも重い声だった。


「決闘、受け——」


その瞬間だった。


「待て、アマリア!!」


掴まれた喉に痛みを感じながらも、ライブラはかすれ声で叫んだ。


彼の瞳には、確かな意思が宿っていた。

死を目前にしてもなお、思考は冷静だった。


「……その決闘、条件を加えさせてくれ」


アルディスが目を細める。口元には笑み。


「ほう? 人質がよく喋るな。だが今は姫様と話してるんだ。割り込むってことは、それなりの覚悟あるんだろうな?」


「軍師ってのは、戦場で命を預かる立場なんだ。決闘だって戦だ。なら、口を出す権利があるはずだ!」


アマリアは、わずかに視線を動かす。

その先にあったのは——信頼。


ライブラは、もう一歩も退かずに言った。


「三つ、条件を出す」


アルディスは顎をしゃくって、続きを促す。


「聞いてやろうじゃねぇか。お前の小賢しい策ってやつを」


ライブラは呼吸を整え、言葉を紡ぐ。


「第一。決闘には“介添え人”を立てる。そいつが『ギブアップ』を宣言した時点で、決闘は即終了とする。相手が意識を保っていようと関係ない」


「……甘い条件だな。けど、わからなくもない。次」


「第二。介添え人は、それぞれの陣営で“最も位の高い者”とする。

帝国側はこの俺。そして王国側は——“テイノー将軍”が妥当だろうな」


アルディスの眉がぴくりと動く。


「……自分の姫の命を見極める軍師と、自分の将の命を見極める配下か。……お前、性格悪すぎるだろ」


ライブラは返さない。ただ睨み返す。それが軍師の矜持だった。


「第三。決闘は今すぐではなく、“五分後”に開始。理由は簡単だ。姫様の状態を確認し、準備する時間を設けるためだ」


風が剣と甲冑の隙間を鳴らしながら通り抜けていく。


アマリアは、静かに頷いた。


「その三条件、私は受け入れるわ。ライブラ……私の命、託す」


ライブラは、首筋に刃を当てられたままでも、静かに頷き返した。


アルディスは短く鼻を鳴らすと、ナイフを引いた。

血の一滴が雪を赤く染める。


「ったく……盛り上がってきたとこなのに、妙に冷めちまったじゃねぇか、姫様よ」


そして背中の剣を取り、雪へと突き立てた。


「けどまあ、それも悪くない。ルールがある方が、殺し甲斐もある」


その笑みは獣のようだった。


「条件、全部呑んでやるよ。

五分後——ここで終わらせようぜ、アマリア・スピカ」


雪が、音もなく降り始める。


交わるべき運命を背負ったふたりの影が、雪原に刻まれていた。


刃が交わるその時まで、残された時間は——あと五分。


五分――戦場においては、ほんの一瞬にも等しい短さだ。

だが、わずかなその猶予でも、人は変われる。未来を選びなおすことすら、できる。


アマリアは即席の幕を張って、その中で鎧の着替えを済ませていた。

決闘用に調整された軽装鎧。その音がかすかに布越しに響いていた。


その外で待っていたライブラが、声をかける。


「……今のうちに、これを鎧の左脇に仕込んでおけ」


そう言って、彼は懐からまあまあの大きさのものを取り出し、布越しに差し出した。


アマリアは不思議そうな顔をしながら受け取ってすぐに眉をひそめる。


「……はあ? 本? なに考えてんのよ、あんた! 今、決闘前よ!? 本なんかで勝てるはずないでしょ!?」


そのまま、地面に本を叩きつけようとする――が、ライブラはあくまで静かに言った。


「お守りだよ」


アマリアは布の隙間からちらりと彼の表情を見た。

どこか、誇らしげで、自信に満ちた顔をしていた。


彼女はため息をつく。


「……あんたって、本当に変なやつ」


「よく言われる」


ライブラはすぐに身振りで動きを示し始める。

これは何度も確認してきた動き。だが、最後の再確認だった。


「踏み込みは浅く。相手の腕をとって、体幹を崩す。力で押すな。重心を奪え。右足を、相手の右足の前に差し入れて、腰を回せ……」


アマリアは静かにうなずいた。

アルディスとの決闘が決まってから、この数分間――この動きを頭に叩き込んでいた。


「そして、倒したら……」


「迷わず、刃を突き立てる」


腰の短剣に手を添え、彼女は言った。

その目は、凍える雪原の中でなお、燃えるように澄んでいた。


「情けは命取り。それが、あんたの教えてくれた“戦術”でしょ?」


ライブラは、その言葉にほんの一瞬、眉を寄せた。

だが、今は感情を抱く時じゃない。

生き残らせる――それが、軍師としての責任だった。


「……そうだ」


そのとき、外から雪を踏む音が聞こえた。


「おいおい、軍師殿。姫様の着替えを手伝うなんて、羨ましい役目だな。まったく、若いってのはいいこった」


アルディスが、のんびりと笑いながら現れる。

その雰囲気とは裏腹に、その眼差しだけは、まるで狩人のように鋭かった。


「何の用だ」

ライブラはぶっきらぼうに返す。


「暇でな。俺の準備はとっくに済んでる。だから軍師殿、ちょっとお喋りに付き合えよ。……まずは名前を聞かせてくれないか?」


ライブラは軽くため息をついて答える。


「ライブラ」


「ライブラ?ああ天秤か。そりゃまた軍師らしい名前だ。バランスをはかるってわけだ」

アルディスは楽しげに笑いながら、顎を撫でた。


「さてはお前さん、考えごとが好きなタイプだろ?」


ライブラは懐から、焦げた本を取り出す。


その表紙には、くすんだ文字でこう書かれていた。

《勇者アルディスの冒険》


「この本……モデルが実在するって話は知ってた。で、今わかったよ。あんたがそのモデル、勇者アルディス……ってわけだな。……挿絵とは、だいぶ顔が違うけどな」


アルディスは腹を揺らして笑った。


「そりゃそうさ、あれは二十年前の話だ。今じゃご覧の通り、ただのくたびれたおっさんだ。夢、壊れたか?」


ライブラは首を振る。


「いいや。子どもの頃に読んだ冒険譚の主人公。その本人に会えるなんて……むしろ、胸がいっぱいだ」


「おいおい、可愛いこと言うじゃねぇか。なあ、姫様! こいつ、俺にくれよ」


布の奥から、アマリアの声が返る。


「あなたには……その天秤の扱い方はわからないわ」


アルディスは豪快に笑った。


「ははっ、図星だ。俺、座学は大嫌いだったからな。いつだって身体で学ぶタイプだった。……なあ姫様、あんたはどうだった?」


幕布がひらりと払いのけられた。


アマリアが姿を現す。

その姿は戦うための女戦士。

決闘の場へと、迷いなく足を踏み出す。


「私も同じよ。……勉強なんて、性に合わなかったわ。身体を動かす方が、好きだった」


「ははっ、そうか。……なるほどな。俺たちは似た者同士ってわけだ」


アルディスの足が、雪を踏みしめる。

彼の唇には笑みが浮かんでいたが、その目には鋭い光が宿っていた。


この男は、ただの“老いた伝説の勇者”ではない。

戦場にこそ生きる、戦鬼だ。


ライブラはそう思った。

そして、アマリアがその戦鬼に挑もうとしている。


あと一分――。


ライブラは、まっすぐにアマリアの背へと声を投げた。


「……アマリア。お前は、きっと勝てる」


アマリアは静かにうなずいた。

その背中は、吹きすさぶ風にも、未来の不安にも、一切揺るがなかった。


そして雪は、静かに、静かに降り積もっていく――。


時は来た。


雪が静かに降り続く中、アマリア・スピカは凛とした気配を纏い、静かに剣を構えた。

対するは、王国の勇者にして戦鬼――アルディス。

彼は悠々と長槍を構え、その刃先が真っすぐにアマリアを射抜いていた。


決闘開始の合図が、空気を凍りつかせる。


「行くぞ――姫様」


低く唸るような声と共に、アルディスの槍が閃いた。

まるで蛇が獲物に食らいつくように、鋭く、しなやかに、次々と突き出される。


「っ……!」


アマリアは剣を掲げ、必死に応じた。

だが槍の間合いも速度も、すべてが剣を凌駕している。

振ることも、踏み込むことすらできない。

まるで押し流される水面のように、彼女は守勢に回るしかなかった。


「どうしたァ、姫様よ。剣が泣いてるぜ――!」


アルディスが嘲るように吠え、渾身の一突きを喉元へ。

ギリギリで避ける。瞬間、彼の体勢が崩れたように見え、アマリアは反射的に踏み込んだ――が、届かない。


「やっぱり戦いはいいな!」


体をひねって放たれた回転の一撃。

その槍の柄がアマリアの顎を打ち上げた。


「そうは思わねえか? 姫様よ?」


顎に衝撃を受けたアマリアは視界が揺れ、距離を取った。

血の味が口に広がる。


「痛くて、それどころじゃないわね……!」


「がはは、そうか。それじゃあ、なんで笑ってやがる?」


その言葉に、アマリアは思わず自分の口元に手を当てた。

――笑っていた。


(私、笑ってる……? どうして……?)


「教えてやろうか?」

アルディスは槍で突きつつ吠える。


「戦ってない時の方が、よっぽど辛いからだ! そうだろ、帝国の第3皇女!!」


突きの速度がさらに上がる。

(こいつの話に耳を傾けるな……)


「戦いから離れりゃ離れるほど、俺達は痛みに苛まれる……

――皇女として生まれた――勇者に成った――俺達は周りから手前らの都合に合わせた幻想をあてがわれる!!」


次々とアマリアの体に傷が増える。

――考えるな!!


「その幻想と現実が違った時、俺達はどうすればいいんだろうな!存在しちゃいけないのかね!!」


「うるさい……そんなことわかってる!!」


そのたびに、アマリアの心に刺さる痛み――


(私は皇女。私は完璧でなきゃいけない。私は皇族であることが名誉であると証明しなきゃいけない、私を見ている誰かの幻想を裏切ってはいけない。……私は、私は……!)


その刹那。


「アマリア――自分も他人も、騙すな!」


ライブラの声が、雪を裂いて響く。


「俺から見れば、お前は完璧なんかじゃねぇ。皇女にも向いてない。帝国だってクソだ。だが――」


アマリアがライブラの方を向く。


「お前は他人の痛みに寄り添える奴だ。

身分を捨てて最前線に立つ。命を賭けて民を守る。

そんなあんたを、俺は……俺は誰よりも強いと、信じてる!」


その言葉が、アマリアの中で何かを変えた。


アルディスの突きを見切る。

槍を弾く。音が、風が変わる。


「その通りよ、勇者アルディス。皇女なんて立場、大嫌いよ。けど……これからは、少しだけ楽になれるかもね。」


アマリアは、自然と笑っていた。


「がはは、こりゃ一本取られたな!お前と俺は同類じゃなくて別物だったらしい!!」


「いいえ、私とあなたはさっきまで同類だったわ、でも今この瞬間私は――別物になったの」


アルディスもアマリアも、どこか楽しげに笑う。

笑い終わった後にお互いの視線が交わる。


「そろそろ決着をつけようぜ?」


アルディスは槍の先端をアマリアに向け構える。


「ええ、望むところよ」


アマリアは迎え撃つため剣を構えた。


アルディスはステップを踏み、連続で刺突を放つが、その全てを的確にアマリアは剣で弾く。

刃が火花を散らし、剣と槍が空間を切り裂く。

弾かれた衝撃がアルディスの手に伝わり、手の力が抜けていく。

アルディスはこのままだとまずいと思い、一歩下がったのち、渾身の突きを放つが

アマリアはそれに合わせて踏み込み剣を捨てた。

肉薄する。密着――組み打ち!


(今しかない――!)


重心を奪い、ライブラから教わった動きで背負い投げ!


だが――


「甘い!!」


アルディスは槍を捨て、腰の短剣を引き抜く。

アマリアの脇腹へ――迷いなく突き立てた。


「っ……!」


だが、アマリアは怯まない。


「――まだッ!!」


全身の力を込め、背負い投げを完遂。

アルディスの巨体が、雪を割るように地に叩きつけられた。


即座に馬乗り。

ナイフを握り、首元へ――だが。


アマリアの脳裏に、死んでいった人達の顔がよぎる。


一瞬、手が止まった。


その一瞬を――アルディスは逃さない。


「――人を殺す命令を下せても、人を殺すことはできねえのか」


アルディスが低く笑う。


「そんなことじゃ、人の上には立てねぇぞ、姫様ッ!」


その言葉が、胸を抉る。


(私は……私は……)


「黙れ……私は……! お前を、殺して……!!」


踏ん張る。

膝を雪にめり込ませ、腰を沈め、全身の力を指先に集める。

じりじりと、ナイフがアルディスの首へと近づいていく。


アルディスはそれでも落ち着いていた。

(――見えたぞ。この姫様に俺の命を奪う覚悟はねぇ。)


アルディスの思考は冷静にこれから先の未来を考えていた。

(俺が一瞬だけ力を抜けば、刃は俺の喉元に近づく。だが、その瞬間……また姫様は怯む。その隙に……ナイフを奪い取れば俺の勝ちだ。)


アルディスはわずかに力を抜いた――


その時。


「――ギブアップ!!」


テイノー将軍の声が、戦場に響いた。


「王国軍はギブアップする! 決闘を、ここで終了とする!」


一瞬、場の空気が凍り付く。

アマリアもナイフを持ったまま荒い息を吐き、動きを止めた。

馬乗りのまま、ぐったりと力を抜き、ゆっくりと身体を横にずらす。

アルディスは、静かにアマリアを押し退け、自ら起き上がった。


「……あァ?」


立ち上がると、自らの体についた血や汗をぬぐいながら、まっすぐテイノー将軍へと歩み寄る。

「……何の真似だ、テイノー。あと数秒で俺が勝ってたんだぞ」


テイノー将軍は毅然とした声で言った。


「……あの姫が、あなたを殺す覚悟ができていたら。

あるいは、手が滑っていたら、あなたは今ごろ死んでいた。

だが、そうなってしまえば――王国は滅びてしまう。

あなたは、王国にとって、それだけの象徴なのです。」


静かに、しかし確かな意志を込めて言い切った。


「あなたをここで失うわけにはいかん。それが我ら王国軍全員の総意だ。」


アルディスは苛立ちを隠さずに舌打ちした。

「……くそッ……!」


その様子を見ていたアマリアは、ゆっくりと振り向いた。

疲弊しきった顔で、彼に問いかける。


「……私の、勝ちでいいのよね?」


「……ああ、くそ……そういうこった」


その答えを聞いたライブラは、アマリアに近づく。

その手から短剣をそっと受け取り、優しく声をかけた。


「もう、大丈夫だ。アマリア」


ライブラの手が脇腹に触れたとき、血が滲んでいないことに気づく。

アマリアは苦笑した。


「……私ね、あんたのこと……ずっと“本馬鹿”とか“記録馬鹿”だって思ってたのよ。」


そう言いながら、鎧の下から、一冊の本を取り出す。

脇腹の位置で、刃先を止めたその本は、深く裂けていた。


「でも……私も、本に助けられちゃった。」


ライブラは意地悪そうに笑いかける。


「俺のこと馬鹿にできなくなったな?」


アマリアも微かに笑った。


「……そうね」


ライブラが手を挙げると、すぐに兵士が駆け寄り、担架が運ばれてくる。

アマリアは静かにその上に身を預けた。


担架が運ばれ、陽の光が差し込む中、アマリアは手を目の前に翳して、眩しさを遮った。

そのままライブラに問いかける。


「……ねえ、どう? 私、強いでしょ。」


ライブラは苦笑し、しかし真っすぐに応えた。


「ああ。あんたは強い。……俺が保証する。」


目元は隠れていたが、アマリアの口元は、ほんのわずかに笑っていた。




*** *** *** *** *** *** *** *** *** ***




アルディスはライブラの元へと歩み寄り、その場にどかっと雪を踏み鳴らして腰を下ろした。

冷たい雪も、鍛え抜かれた体には応えないようだった。


「……なあ、ああいう結末になるって、お前……最初から分かってたんじゃねぇのか? どこまでが、お前の策略だったんだ?」


問いかけは重く、だがどこか興味深げでもあった。

ライブラは肩をひょいとすくめる。


「俺がやったのは、三つだけだよ。

“本を懐に入れておけ”って言ったこと。

それと、自分よりでかい相手を投げ飛ばす方法を教えたこと。

あとは……馬乗りになって首に刃物を突きつけろって、アドバイスしただけ。」


「……テイノーの野郎が、ギブアップするまで読み切ってたのか?」


アルディスの目が鋭くなる。

ライブラはその視線に対して、ふっと口角を上げた。


「お前さ、兵士たちから“勇者アルディス”って呼ばれてんだぜ?

今の王国に必要なのは――戦いに勝つだけじゃなく、“象徴”だよ。

そういう意味で、お前は……物語の主人公だ。象徴になれる器だったってわけだ。」


そう言いながら、ライブラは指先で雪をすくい、ぽとりと落とした。


「つまり――俺は、お前自身の自己評価の低さと、周りの他者評価の高さ。その“ギャップ”を使わせてもらったってだけさ。」


しばらく沈黙。

そして。


「……がはははっ!!」


アルディスが突然、豪快に笑い出した。


「お前、ほんっっとに性格悪ぃな!」


ライブラは肩越しにそっけなく言い返す。


「うっせぇよ。」


それきり、ふたりは言葉を交わさなかった。

代わりに、空から静かに降りてくる雪を、ただ、じっと眺めていた。


やがてアルディスが立ち上がる。

その背は屈強で、大地に根を張ったように揺るぎなかった。


「……だが、悪くねぇよ。軍師ライブラ。お前のこと、俺は忘れねぇ。」


その声には、戦士としての純粋な敬意が込められていた。


「勇者アルディスは、ここに宣言する――お前は、俺の“名誉ある敵”だ。」


そう言って、にやりと笑う。

それは獣が牙を見せるような、挑戦の笑みだった。


「次は――その首をもらいに行くぜ。」


ライブラは、面倒そうに雪の上に肘をつきながら返した。


「……首は持ち運びにくいから、できれば他のにしてくれ。」


「がははっ!」


アルディスは腹の底から笑った。

その笑い声が、空気の冷たさを吹き飛ばすように響いた。


「じゃあな。ゆっくり休んで……また、戦場でな。」


そう言い残し、堂々たる背を見せて歩き出す。

その背中には、誰よりも熱くて眩しいものが宿っていた。


ライブラはしばらく、その背を見送っていたが……ふと、ぽつりと呟く。


「……休むのはいいけどよ。

――その前に、もう一仕事だな。」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ