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図書館の天秤<ライブラ>  作者: 鈴道例文
第1章 図書館、天秤<ライブラ>に成る
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第1章_11 信じる者、疑う者

朝焼けの空は、雲ひとつない快晴だった。


避難民たちは、静かに雪を踏みしめながら列をなして進んでいく。

補給路線に沿って、一歩ずつ――確かな足取りで。


老いた者も、母と子も、それぞれに荷を抱えて。

それでも、その背に、迷いはなかった。


ライブラとアマリアは、無言でその背中を見送っていた。


太陽の光がまぶしくて、ライブラは手をかざしながらぽつりと呟く。


「……行ったな」


「ええ」


アマリアの返事は短かった。

吐いた息が白く空に溶けていく。


「彼らが歩いた先に……未来があることを、祈りたいわね」


「未来、か……」


ライブラはその言葉を、かみしめるように口の中で転がした。


アマリアは一歩、雪の上に足を踏み出す。


「さて、私たちは私たちの“次”をやりましょう」


「……ああ」


ふたりは肩を並べ、ゆっくりと歩き出す。

雪の冷気が頬を刺し、足音だけが静かに響いていた。


しばらくの沈黙の後、ライブラがふと口を開く。


「なあ、アマリア……前任の軍師って、毒殺されたんだよな?」


アマリアは歩みを止めない。視線も前のまま。


「そうね」


その答えに、ライブラは小さく息を呑んだ。

だが、アマリアの言葉は続く。


「でも、安心しなさい。あんたのことは、私と――爺やと、信頼できる兵士で守るわ」


「……信頼できる、ってことは……」


ライブラは言葉を切ってアマリアの顔をうかがう。


「犯人が、“内側”にいる可能性があるってことか?」


今度、アマリアは立ち止まった。


風が一陣、二人の足元の雪を舞い上げる。


「……否定は、できないわ」


静かな口調だった。


「でも、それを言えば、部隊に“疑心”が広がる。だから私は、まず“信頼”を選ぶの」


「……そんな状況で、信じるのかよ。疑いを消せないのに……」


「信じるしかないからよ」


アマリアは静かに言い切る。


「戦場ではね、誰かを疑ってばかりじゃ前に進めないのよ。

でも、“守る”と決めた相手のためなら、私は迷わず剣を抜く」


その言葉に、ライブラは思わず息を呑む。


アマリアは彼の方を向き、ふっと口元を緩める。


「それに、あんた、“生きる”って決めたんでしょう?

だったら毒なんかで倒れたら、許さないわ。

そんなに不安なら……私が毒見してあげようかしら?」


「……おい」


「冗談よ」


アマリアは笑いながら、また歩き出す。


「さ、急ぎましょう。次の斥候報告までに、陣図を整えておきたいの」


「……わかったよ」


ライブラも苦笑しながら、彼女の背を追った。


だが、その胸の奥で――

確かに微かな“緊張”が、静かに燻り続けていた。


(毒……身内……そして、“白い外套の女”)


あの祈る背中。ユウの母の言葉。

雪に飲まれるその姿が、脳裏をよぎる。


――この戦場には、まだ語られていない“続き”がある。

それを暴き、生きて、守らなければ。


ライブラは、強く唇を引き結んだ。


そのとき――


パン、と乾いた破裂音が、遠くで連なって響いた。


「……今の、銃声か?」


反射的に振り返るライブラ。すぐさま、二発、三発――連なる発砲音。


アマリアも立ち止まり、耳を澄ませる。


風に乗って届いた銃撃音は、断続的で、明らかに単発ではない。

続く音のテンポは、まるで“追撃”のようだった。


「……あの方角、避難民の人達が進んだルートよね?」


ライブラの背に、冷たい汗が伝う。


「まさか……襲撃されたのか?」


アマリアは目を細め、顔をしかめる。

かすかに漂う硝煙の匂いが、現実味を帯びて鼻先を打つ。


「この音数……単独犯じゃない。部隊単位での銃撃……!」


ライブラの拳に力がこもる。


「これはもう、“攻撃”だ。警告でも威嚇でもない。明確な“排除”の意志がある……!」


さらに三発の発砲。一定の間隔。規則的なテンポ。


「避難民を助けに……部隊を出しましょう」


そう言いかけたアマリアを、ライブラが制した。


「待ってくれ」


鋭く空を見上げ、そして言葉を絞り出す。


「……あの方角は、補給路線だ。王国軍が補給を断つために、先に手を打った可能性がある。

もし意図的なら、この銃撃は……“戦術”だ。仕掛けられた“罠”だ」


アマリアの瞳が揺れる。


「じゃあ……避難民は巻き込まれたの?」


「ああ。可能性は高い」


ライブラは息を吐き、すぐさま言葉を継ぐ。


「この状況で選べる手は3つある。

一つ、全軍で救出に向かう。数で勝るが、動きが鈍くなる。

二つ、少数精鋭で機動的に救う。だが、失敗すれば全滅のリスクがある。

三つ、見捨てる。このままここを死守する。……安全は保てるが、彼らの命は保証できない」


風が雪を巻き上げる。


アマリアは静かに問うた。


「ライブラ。……あなたは、どれが最善だと思う?」


ライブラは唇を噛んだ。


「……わからない。記録に、同様の事例がない」


それが、彼の偽りない本音だった。


アマリアは短く息を吐き、言う。


「じゃあ、これは“戦略”の時間じゃない。“判断”の時間よ」


そしてまっすぐに、問いを投げかけた。


「ライブラ。――あなたは、どうしたいの?」


彼の脳裏に、ユウの母が、避難民たちが浮かんだ。

その中心で、ユウが、真っ直ぐこちらを見ていた。


「……俺は、助けたい。あの人たちを、守りたい!」


アマリアの瞳が光る。力強く言い放つ。


「少数部隊を、救出に出す。そのあと、残りの大隊も後から向かわせる。そうすれば――たとえ陣地を失っても、“見捨てた”という記憶は兵たちに残らないわ」


ライブラは目を見開く。

その言葉の重さが、心を突き動かす。


「……ありがとう。少数部隊は、俺がすぐに手配する」


「お願い。保証はないけど――間に合えば、命は救える」


そのときのアマリアの瞳には、迷いの代わりに――

確かな、揺るがぬ意志が宿っていた。


ライブラは深く頷く。


この人となら、この判断は意味を持つ――そう信じて。




*** *** *** *** *** *** *** *** *** ***




第3帝国軍は部隊を分散させ、少数部隊を避難民の救出へと急ぎ進軍していた。

(……頼む。無事でいてくれ)


祈るような想いを胸に、ライブラは雪を踏みしめ、凍える風に身を晒しながら前進する。


そしてたどり着いた先で、予想外の光景が広がっていた。


「……なんだ、これは……?」


避難民たちは自発的に帝国軍陣地の方へと歩みを進めていたため、想定より早く合流できた。

ただおかしなところがあった避難民達は誰一人として、致命的な外傷を負っていない。


ライブラは訝しげに目を細める。


そのとき、一人の兵士が駆け寄ってきた。


「敵兵の姿は確認できません! 代わりに……これを!」


彼の手にあったのは――銃。

しかも、銃には細い紐が括りつけられ、その先には水の入ったバケツ。バケツの底には、まだ雪解けの痕跡が残っていた。


その瞬間、ライブラの脳裏に過去の知識が閃く。


「……重力式・自動引き金作動装置……!」


氷が溶けて水となり、その重みで引き金を引く。つまり――

「この銃声は……偽物か……!?」


周囲に王国兵の姿はない。

これは陽動――銃撃を偽装し、我らの戦力を分散させるための、巧妙な罠だ。


「……まずい!!」


ライブラは声を張り上げ、振り返った。


「部隊を反転させろ! 陣地へ戻る! 急げ!!」


伝令が雪を蹴って駆けていく、その刹那――


「王国軍、背後より接近中!!」


偵察部隊からの緊迫した報告が響いた。


場に緊張が走る。


近くの部隊は即座に転進して迎撃体勢を取ったが、遠く展開していた部隊は出遅れた。


そして――敵の動きは明らかに異常だった。


「正面から来る気はない……これは、奇襲だ……! でも……この動き、テイノーのやり方じゃない!」


ライブラの直感が告げる。何かがおかしい。


「……まさか、指揮官が変わった……!?」


その疑念が確信へと変わるように、王国軍の兵たちは異様な気迫で雪煙を割って迫ってきた。


「勇者アルディスが我らを導く!!」

「我らは勇気ある者なり!!」


その雄叫びとともに、縦列陣形を維持したまま一直線に突撃してくる。


――衝突。


帝国軍は迎撃に出るが、王国軍の突破力は予想を超えていた。


「くっ……陣形に穴が開いた!?」


そして、その裂け目に向かって、王国の騎馬隊が突入してくる。

その騎馬隊の突進の先には指揮官のいる場所――アマリアと、ライブラがいた。


蹄の音が迫る中、ライブラはアマリアに向き直った。


「……完全に、やられた。俺の読みが甘かった……!」


アマリアはその声に振り返り、一瞬だけ彼を見て、すぐに前を向く。


「何を言ってるの。ここまで、あなたはよくやったわ」


その声には、信頼と、静かな決意がこもっていた。


「考え方は、もっとシンプルでいいのよ」


アマリアは剣に手をかけ、スッと抜く。


「相手の主力があの騎馬隊なら――叩き潰せばいい。そうすれば、私達の勝ちよ。ね? 簡単でしょう?」


ライブラは目を見開くが、次の瞬間、アマリアの声が雪原に響く。


「全員、武器を取れ! 構えなさい!! 勝つのは――私たちだ!!」


その声に、帝国兵たちが奮い立つ。

血と雪にまみれた瞳に、再び光が灯る。


だが、次の瞬間。


王国騎馬隊の先頭に立つ男が、高く槍を掲げ、叫んだ。


「ここにいる者を、貫け!!」


「「「勇者アルディスのために!!」」」


その名を耳にした刹那――


「勇者……アルディス……?」


ライブラが反応した。


そして――


「ライブラ!!」


その叫びと同時に、ライブラの視界が揺れる。

脳裏に、かすかな記憶の破片が走る。


(アルディス……?)


――その瞬間。


横合いから、馬の巨体が突っ込んできた。


「ぐっ……!」


宙を舞う。


視界がぐるりと回り、雪が、空が、音が、遠のいていく。


(あ――)


次の瞬間、地面に叩きつけられた。


雪煙が舞い上がる。

世界が、静かに遠のいていく。


ライブラの視界が薄れゆく中、最後に浮かんだのは――


(……敵の指揮官は……勇者アルディス……!?)


そして、瞳が、静かに閉じられた。


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