致死量ギリギリの睡眠薬を、レモンサワーで流し込んで外に出た
致死量ギリギリの睡眠薬を、レモンサワーで流し込んで外に出た。
夏のうだるような熱気も、夜のとばりが下りれば自然と退くらしい。冷たい風が頬をなでる、その感触が心地よい。
昼間はやけにうるさかった蝉も、闇の中では沈黙するようだ。この街には僕の足音だけが響いている。みんな、消えてしまったのかもしれない。
そんなことを考えながら僕は、港沿いをなぞるように徘徊している。いや、正確には“徘徊していた”だ。
視界の端でなにか見慣れぬものが、月光に照らされていた。思わずアスファルトを蹴って、身を乗り出す。
ひとつの女の素体が、ドス黒い海のうえに浮かんでいる。ひどくやつれた四肢、白すぎる肌、病的な香り。顔色は闇にのまれている。髪と海との境界も、ぼやけて視認できない。
僕は駆け寄り、両腕を海につきさした。生ぬるい液体をかき分け、彼女を抱き寄せる。鉛のような重みが腕にじんわりと広がる。下半身に力を入れてみるも、引き揚げられる気配はしない。両腕が、海面に固定されたようだ。いや、むしろ引き込まれる。
浮遊感。足が空を蹴る感覚。潮の匂い。衝撃。鼻を貫く鋭い刺激。重くなる部屋着。闇に閉ざされた視界。
ひとりだけ宇宙に放り出されたような気分だ。それでも、腕の中には彼女がある。指先に感じるなめらかな感触が、そう伝えてくれた。
気のせいか、一瞬彼女と目があった。きれいな黒い瞳だ。くっきりと光沢のある、潤いをおびた瞳だった。
なんとか海面にあがろうと、僕は天を見上げた。歪んだビルの影、星々の瞬き。それらが少しずつぼやけ、白いもやになっていく。
口からこぼれでる気泡だけが、月に向かっていった。