6 ポンポネッラと慣れないスマホ
6 ポンポネッラと慣れないスマホ
伸子と響香は、ガーデニング教室で出会ってから、もうかれこれ20年が経つ。
伸子が長旅から帰ったという風の便りを聞いたが、半信半疑だった。
響香の庭にも、伸子との出会いのころに植えたポンポネッラというバラが、今、終わる季節を惜しむように咲いている。
ポンポネッラは、アンジェラと同じドイツ育種のバラで、アンジェラが冷戦真っ只中に生まれたバラなら、そのあと、ベルリンの壁が取り払われた後に生まれたバラがポンポネッラと言ってもよかった。
響香が、ころんとした丸いこの秋バラを写真に撮って記録しようところだった。あんなに、こだわっていた一眼レフの写真撮影だったが、このスマホのほうが、きれいにとれると知って、最近はもっぱら、スマホ撮影。
秋の空にポンポネッラの花の写真をとった。その写真に 名前を記入しようと、入力をこころみる。今や、小学生だって、超高齢者だって、スマホを使いこなすという時代。なのに、響香がやる姿はどこかもどかしい。
哲郎には、ネット難民と呼ばれる響香の指のあとに動いたその表示 pんねっら、ポンポコリン ぽんpん ぽんぽねっち となってどうももどかしい。
「もうめんどくさいわ」とまた、どろどろのエプロンのポッケにスマホをいれようとしたときだった。
そのとき、LINEの通知がきた。
伸子からだった。一年半、音信不通の伸子のライン。え、なんにも、、、、。幻とおもったが、既読のマークがともり、薔薇の写真ときれいなステンレスの光る写真の台所。
ふと既読のマークが灯り、時間が動き出した。
そして、ながく長く ふたりは電話した。
電話を切ったあとも、響香は何度も伸子の送ってきた写真を見返した。
アンジェラの花と、光沢のあるステンレスの台所。その真ん中に、ひっそりと活けられた一輪のアンジェラ。
同じように、自分の庭で咲くポンポネッラを花瓶に飾ろうと、響香はハサミを手に取った。
そのバラは、毎年およそ100輪の花をつける。
切ってドライフラワーにしようか、それとも最後まで庭で咲かせてあげようか。
大切に思ってくれそうな人に、花束にして贈るのもいいかもしれない。
そんなふうに思いを巡らせながら庭に立つと、この時期いつも、あっという間に日が暮れてしまう。
夏なら、近所から夕食の香りが漂いはじめる7時過ぎでも、先に夕飯の仕度を済ませてしまえば、哲郎の帰宅まで庭の作業が続けられた。
けれど9月にもなれば、4時にはもう向かいの公園のオレンジの電灯がともる。
暗い庭先に長くいると、不審がられるかもしれない——そんなことも気にしてしまう自分を、「へんちくりんなガーデナー」だと思わずにはいられない。
そして結局、その日も、どの花を花瓶に挿すか決められず、ハサミをポケットにしまうことになった。
「伸子さんのアンジェラ、どうしてるかしら」
ふとつぶやきながら、またLINEで伸子のページを開いた。
寝床に入って目を閉じると、決まって浮かぶのは伸子のあの笑顔。
画面に映る「縣伸子」の名前を見ながら、「厳島響香」という自分の表示を見て、ふと昔の会話がよみがえる。
「字画が多いのよ」
「薔薇のほうがもっと多いわよ」
そんなやりとりから生まれた、架空の人物——「何出茂薔薇子」。
ふたりで夢中になって何出茂薔薇子の人生を深堀した。
伸子も、覚えているだろうか?
花瓶の花が決まった後も、また、LINE画面を見つめていた。
スマホをそっと持ち上げると、
いつの間にか――また、伸子のLINE画面を見つめていた。
その最中、不意に実家から、ぴろりんとLINEが届くことがある。
「例の謎の……」
添えられていたのは、幼い子どもの書いた、たどたどしいひらがな。
その下に並ぶのは、ミミズ、芋虫。
そして――やたら長いしっぽを引きずる、見たことのない虫。
何段にも渡って、列になって、ずるずると行進している。
「これが、例の謎の……」
ひとりごとをつぶやきながら、スマホをいじっていた、そのとき。
手が――すべった。
「あつっ。」
虫たちを人差し指で、連打。
「長押し、って……」
言いながら、また連打。
取り消そうとするほど、指は思うように動かず、
「あ、あ、あ、、、、」
ミミズ、芋虫、そして、長い長いしっぽの虫たちが――
「なんでっ、こうなるの……ばらこ……」
伸子のラインページ、こないだ送信したの薔薇をかかえた、かわいい女の子のスタンプ。
それを、また連打。
その瞬間、画面の中で――
「既読」の文字が、小さく灯る。
「……また、やっちゃった。」
でも、
既読の光に、ふっと口角がゆるむ。
ちょうど、鍋のほうから、ぐつぐつ、いいだした。
カレーの火を止めスマホをふたたび抱きしめた。