13の2 静けさのアイス
13の2 静けさのアイス
凛と未希が帰路についたころ、伸子はスマホを手にしていた。「着いたよ」というLINEが届くかもしれないと思いながら。
未希の家までは車で30分ほどなのに、今日はやけに遠く感じられた。久しぶりに会ったからだろうか。さっき庭のバラ、アンジェラの前で撮った写真を見る。続けて動画も流れた。
「スキップ見てみて!」
「炊飯器のごはん、炊けてるぞー!」
部屋の中から、窓ごしにかけられた声も録音されていた。
「凛、大きくなったなあ……」
伸子の心がじんわりと温かくなった。
凛は帰っていった。凛のスキップ。凛と自転車。どたばたで始まった旅の話は、けっきょく今日も話せなかった。
エスコンまでの道のりも、やけに長く感じた。車で行けば、そびえ立つ球場を横目に、家まではせいぜい歌の2コーラス分。しかし凛と一緒に、自転車を押して歩いた道のりは、まるで時代の違うお城を目指しているかのようだった。
行きは温かく感じた風も、帰りにはひんやりと冷たかった。
帰宅して、ふと部屋が寒く感じられる。ストーブをつけようとしたとき、夫がつぶやいた。
「今シーズン、初めてだな。」
カチカチというスイッチ音が響く。オレンジ色に光る煙突式ファンヒーターの中央を、家族みんなで囲んだのは、案外これが初めてかもしれない。
「私にやらせて。スタート、ここでしょ?」
6歳の凛が、自分でやりたいとせがんだ。
買ってきたアイスを冷凍庫にしまい、みんなでストーブの前へ。凛の小さな指がボタンに触れ、カチッと音を立てた。大人三人が、その瞬間を見守る。たかがストーブのスイッチ。でもまるで何かの記念点灯式のようだった。
ここから、冬が始まる。
ストーブの中央がゆっくりとオレンジ色に光り出す。煙突に向かって息を吹き込むように、ストーブが動き始めると、部屋がじわりと暖かくなっていく。
「ストーブさん、息してるみたい。」
凛が歓喜の声をあげた。
未希の家は、中古で買ったとはいえ、全室暖房のオールファーヒーティング。白とベージュで統一された空間には火を感じさせる色がなく、この煙突型のストーブは新鮮だったようだ。しばらくじっと見つめていた凛が、ぽつりと言った。
「めっちゃ、あったかい。」
「ちかづきすぎよ。」
煙突の接合部分から、金属音がかすかに響く。
「ストーブさん、生き物みたいだね。」
凛の言葉に、夫が応える。
「ああ、酸素を吸って、二酸化炭素を吐くから、そうかもな。」
初めてじぶんから、女の園ににはいってくる白髪の増えた顔を見た。
「そーなんだ。」
凛はうなずきながら、また話題を変える。
「この前、めだかでおせんべ焼けたよ。やったよ。」
「あら、懐かしいわね。」
「おせんべ焼けたよ〜♬」
凛の小さな右手が、伸子と未希の手の甲をなぞり、最後に伸子の手で止まった。手をひっくり返し、懐かしさに浸りながら、伸子が話し始めようとしたとき――
「アイス、食べなきゃ!」
凛はくるりと身を返し、冷蔵庫へ向かった。
みんなで食べたのは、栗味の最中アイス。驚くほどおいしかった。さっき焼いたおせんべを触った手で食べるから、余計に美味しく感じたのかもしれない。部屋にほんのり漂うターメリックの香りと、アイスの甘さが意外と合っていた。
そういえば、エスコンフィールドの新球場でアイスを
「おせんべ焼けたよ。あせんべ焼けた。♬」凛の可愛い右手が、伸子と未希の手の甲を一巡して、伸子の手で止まった。手をひっくり返し、ノンスタルジックな気分になって、今度は伸子が「昔のストーブはね、、、」と話し始めたところで、凛はくるりと身を返した。
「アイス、食べなきゃ。」と凛は冷蔵庫に取りに行った。
そして、みんなでアイスを食べる。栗味の最中アイスが、驚くほど美味しい。さっき、焼けたおせんべで触った手で食べるから、なおさら美味しく感じるのかもしれない。部屋に馴染んだターメリックの香りと、アイスの甘さのコラボも意外と合っている。
エスコンフィールドの新球場でアイスを食べよう――
そんな話もあったけれど、今日のコンビニアイスで、むしろ正解だったと思った。
さすが、日本のコンビニアイス。
どれもきっと、何度も会議を重ねて選び抜かれた自信作。
そんな“厳選の美学”が、パッケージの隅にまで息づいている気がする。
「新商品!おいしそうだよ」と、凛が勧めてくれたアイスにも惹かれた。
でも結局、私は自分の気分に素直に、別のものを選んだ。
ふと、手に取った瞬間、ある国のショーウィンドウに並んでいた日本のアイスを思い出した。
見慣れたデザイン。けれど、信じられないような値段。
驚いて、写真の一枚でも撮っておきたかったけれど――やめた。
例の“呪文”が、脳裏に浮かんできたから。
「このプロジェクトで知り得た情報は、いかなるものも外部に漏らさぬこと。
個人のスマホ等で写真を撮る場合、しかるべき承諾を得ること。」
思い出すと 少しだけ、自分のまぶたが、また、重くなる気がする。
リビングに戻ると、明かりをつけずにソファに腰を下ろした。
暗闇が、思いのほかやさしかった。
――そうだ、夫のアイス、まだ冷凍庫に残ってたっけ。
「食べちゃおうかな。」
冷凍庫を開ける。手に取ったとたん、ふっと微笑む。
やっぱり、日本のアイスは世界一だ。
少し早いかもしれないけれど、暖房をつけておいてよかった。
そのぬくもりの中で、響香の言葉がよみがえる。
「北海道に来た当時、真冬にTシャツでアイスを食べてるの、びっくりした~。」
そうだ。きのうのあの笑顔。あの声。
秋の夜。ほんのりあたたかい部屋で食べるアイスは、ちょっとした極楽。
時計を見れば、夜の8時を回っていたけれど――思い切って、LINEを開いた。
凛と一緒に作ったカタール料理の試作品。
その写真を添えて、響香にメッセージを送る。
「響香さん、昨日は本当に楽しかった。
そして、お父様のレシピ、さっそく試してみました。とってもグッドだった!
本当にね、響香さんのお父様、ダンディで素敵。
異国のレシピに、あなたの名前を添えたら、まるでアラビアンナイトみたいですね。」
びっくりするほど早く、返信が届いた。
「とんでもない。
うちの父は、イノシシよ。
ダンディなんて微塵もない、本当に、イノシシみたいな人だったの。」
スマホの画面が、台所の蛍光灯に照らされる。
そこに並んでいたのは――
10頭のイノシシのスタンプだった。。




