223.5 挿話17【ヤマネコ人族の悲願が叶うとき】
現在のこの城の主である二人の大悪魔の給仕が終わって、ウリサよりさきに、二階の厨房に戻ると、二人分の賄いがおかれておりました。ほかにはアーリマン様にも出していたデザートが一組。
「侍従長もデザート食べますか?」
「いただきたいのですが、この姿になってから甘いものが少し苦手で」
するとシュンスケは真顔でとんでもないことを言う。
「元の姿になれば、食べられますか?」
「……どうでしょう、元の姿など二百年も忘れてます」
「ですが尻尾はもうヤマネコ人族に戻っておられますよ」
確かに。
「三日ほど前のことですけどね」
すると、いまいましいハエが飛んできた。
このハエはアーリマンの使い魔で、何匹かを使役して、悪魔やその他を監視しているのだ。以前ドルジの会話を聞いていた時のように。
シュンスケの顔の前に来たそれを、かれがパッと払うようにするといなくなってしまう。
「逃がしてしまいましたか」
「いえ、ちゃんと捕まえましたよ。ほかにはハエはいないですしこれで安心です」
「なんと」
「こう見えてAランクの冒険者なので。ウリサ兄さんもそうですよ」
「私もAランクでしたが、ずいぶん昔ですしかなり鈍っているでしょう」
コンコンコン ガチャリ
「戻りました」
「お疲れ様です」
「お疲れ様」
ウリサが戻ってきた。
シュンスケはウリサに先に食事をするように言うと、私にもお茶を勧めてきた。
そして、自分も食べながら、話しかけてきた。
「さて、ネヴァ侍従長、いや、ネヴァ フォン プリネイさん」
「どうしてその名前を」
「俺には鑑定のスキルもあるのです」
「なるほど。ということはただの料理人ではないということですね。Aランクですし」
「はい」
シュンスケは願いを祈っていた北極星がもたらした奇跡だったのです。
彼はシュバイツ フォン ロードランダと名乗り、伝説の精霊王のような姿を見せる。緑銀色の髪に東の世界樹のふもとの湖と同じ色だという青みがかった明るい緑色の瞳、透けるような白い肌に尖った耳。そして背中には美しい葉脈が光り輝く八枚の翅。
それを見て私は無意識に席を立ち、彼の前に跪いて右手を額に当てていたのです。
ああ、精霊王よ、風の女神よ、ありがとうございます。
彼は私がとった右手を今度はそのまま握り返し、言われるがまま席に座りなおした後、彼から魔力が流れてきました。
冒険者だった時に体験した怪我の治療時など、他人の魔力というのは、異物を流し込まれるようなもので、抵抗があるのですが、シュバイツ殿下の魔力は、まるで北の国の温泉地で湯に浸かった時のように、全身が柔らかく緩み、体中に浸み込んでいたあの魔王の角の欠片におかされていたおぞましい魔力が跡形もなく洗われていったのです。
ですが、私はもう二百歳を超えています。このまますぐに老化が加速すると思われたのですが、殿下の伯母上様にいただいたというエリクサーを二本もいただくと、すっかりこの城に来る前のヤマネコ人族の姿に戻っていたのです。
足元には、頭に乗っていた重たかったミノタウロスの太くて黒い忌々しい角が転がっていました。
「よかったな侍従長、じゃなくてネヴァ殿下かな」
ウリサの言葉に、なにか返事をしたかったのですが、声が出ないのです。
すると、彼はそっと真っ白なハンカチを渡してくれました。
私は胸がいっぱいになって、それが涙となって流れていたようです。
それでも、なんとか声を出しました。
「ありがとうウリサ、そしてシュバイツ殿下」
「うん、よかった。どうやら俺たちと見た目はそう歳も変わらないみたいだし」
「そうだな」
「友達になってくださいね」
「友達?」
「俺は無理だな」
「なぜですウリサ」
「俺はただの平民だから」
「でも、ウリサ。身分を超えた友情ってあるんだよ」
「それもわかるけどな」
せっかくヤマネコ人族に戻してくれた私を保護するために、シュバイツ殿下の空間魔法で、今日は冒険者ギルドに行くように言われる。
「わかりました」
「後のことは、俺たちに任せて、今日はゆっくり休んでください」
「本当にありがとうございます」
二百年ぶりに、冒険者ギルドの宿舎で朝を迎えた私は、枕もとでかわいらしい声を聴いた。
“けさ、おしろから、まかいのまぞくはいなくなったよ”
“ほかのあくまももとにもどるよ”
“よかったね、ねヴぁ”
“あんしんして、おねぼうして”
“でも、あたしたちのおうじが、おうたうたうって”
“ねんまつだしな”
“ぜんかいのねんまつねんしは、あっちのせかいじゅでやってたけど”
“ことしは、ぷりねいきょうかいだな”
え?教会で?
年末年始のミサをするって?
“おんがくだけだ”
朝食をいただく冒険者ギルドのレストランで、夜から世話をしてくれたラッシュとセグレタに朝の枕もとで聞いた会話を伝えた。
「それは精霊たちですな」
「シュバイツ殿下は精霊の王子でもありますから」
「それに、ウリサ殿も貴重な精霊魔法使いだそうですよ」
「なんと」
本当に悪魔の二人がいなくなったのか、それなら城にいるほかの兵士たちの様子を確認しに行かなければならない。
そんな私の気持ちと同じなのか、ラッシュやセグレタも立ち上がる。
「とりあえず、城に行きましょう」
「はい」
「もちろんです」
冒険者ギルドから城へは目と鼻の先の距離。
居ても立っても居られない三人は小走りで城に入る。すると、そこには離れの宿舎からぼうっとしながらヤマネコ人族が数人出てきていた。
そして、城の隣にある教会の扉や窓が開け放たれていて、そこから音楽が聞こえてきた。
三人は教会にいくと、シュメル山脈の影響で遅い日の出の朝日を浴びて輝くステンドグラスの下で、シュバイツ殿下がチェンバロという楽器を鳴らしていた。
大聖堂の長い椅子や床もピカピカになっていて、その隅ではウリサがモップを動かしていた。
「シュバイツ殿下、こんなに教会を清めていただいてありがとうございます」
「いえいえ。今からこれを弾こうと思ってね」
そうして、この教会でおそらく初めての年末年始のミサが開かれることになった。
私たちは、冒険者ギルドに取って返し、そこに併設されている施療院のシスターたちにシュバイツ殿下の癒しのことを言うと、彼女たちも北から流れてきた冒険者の話を聞いていたのか、半泣きで喜んでいた。
なんでも、手足がなくなっていても、目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったり、はたまた親しい近しいものが亡くなった心の病まで、彼の歌を聞けばたちどころに完治しててしまうのだとか。
以前の私なら信じられなかっただろうが、昨夜実際にあの忌々しい悪魔の呪いからもとに戻していただいた私はシスターの話に頷くしかなかった。
そして、ラッシュやセグレタとともに、ギルドが所有する馬車や、滞在している冒険者が持っている馬車を借りたりして、病人や怪我人を教会に運びながら、待ちゆく人たちにもミサがあるから教会にくるように呼びかけた。
そうして城に戻った私は、ミサにふさわしい正装に着替えるべく、アーリマンやタローマティの部屋の並びにある自室に向かった。
途中一階の兵士の詰め所から出てきたのは、ヤマネコ人族ばかりが、がやがやと教会に向かっていた。
そのうちの数人が、
「もしかしてあなたはネヴァ侍従長?」
「はい」
「やはりヤマネコ人族だったんですね」
「はい」
「元に戻ってよかったなぁ」
「あなた達も」
「でも、俺は帰る家も家族ももういないだろうなぁ」
「そうですね」
「何しろ俺は二千年以上悪魔だったし、悪いこともしていた記憶があるんだ。裁かれてしまうかなぁ」
ああ、私の二百年なんて、この人たちに比べたら短いものだったんだな。
「そんなことはありませんよ」
「うん。そうだといいな」
「とりあえず。ミサに行きましょうね」
「うん。楽しみだ」
「そうですね」
一階とは違って、三階はひっそりとしていました。
夜型の二人なのでいつもこんな感じなのですが、今日はアーリマンの部屋からあの大いびきさえ聞こえてきません。
私はそうっと扉を開けると、そこには何もいませんでした。
さらに、タローマティの部屋も開けると、その部屋はベッドさえありませんでした。
窓にあったプランターが青々とみずみずしい葉を風に揺らしていただけでした。
ほんとうに、悪魔がいなくなっているんだな。
私は再び出てきそうな涙をこらえながら、自室にいき、今は亡き母がいつか使うことがあるかもしれないと用意してくださった、王族や貴族としての衣類のなかから、ミサに向きそうな上品なセットを取り出すと、備え付けの洗面で顔を洗って整え、急いで着替えて本当に久しぶりにじっくりと姿見を見ました。
そこには二百年ぶりの私の姿が写っていました。
“にあってるじゃない”
“やっぱりおうぞくだな”
耳元で朝に聞いたかわいい声がきこえました。
“ネヴァ、はやく”
「みなさんありがとうございます。そうですね急ぎます」
“はしらなくてもいいぞ”
教会にたどり着いたわたしは、そこで天使が祭壇に座っているのをみました。
「あれは?」
「あれがシュバイツだよ」
「ウリサ」
傍らには、この城のものではない侍従服を軽鎧の上に重ねて剣を下げた青年が立っていた。ああ、彼はシュバイツ殿下の護衛なのだ。
「お小さいですね」
「まあな。あいつは確かに二十歳だけど、ハイエルフの息子だからな。成長に三倍かかるんだと。だから変身をすべて解除すると、人間族の六才児の見た目だ」
「そうだったのですね」
昨日初めて見たときに感じた、うっすらと彼をまとっていた光が今日はさらに明るく輝いている。
そして、昨日から続いていた奇跡は止まることなく大聖堂に満ち、果てはこのプリネイ王国の王都に広がっていったのです。
シュバイツ殿下は、どこからともなくやってきた真っ白なペガコーンにまたがると、見たこともない弦楽器をかき鳴らしながら、城の庭やその前のロータリーの方を回りながら歌い続け、キラキラとした光を纏いながら、標高のあるこの地の冬だというのに、枯れ果てていた庭園がよみがえり、木々が育ち、乾いていた空気に柔らかな湿気を感じることができたのです。
「すごいな」
呆然とする私のそばでは、ラッシュがうなるようにつぶやきます。
「はい。素晴らしいです」
「シュバイツ殿下がここまでしてくれたんだ、これからは」
「ええ、この王国が本来の姿を取り戻せるようにがんばらねば」
「ネヴァ殿下。まずは即位ですな」
「うっ……私でいいのでしょうか」
「大丈夫、国民はあなたがこの国のためにずうっと働いていたことを知っております」
「しかし、ラッシュもそうですよね」
「私も、あなたを支えますから」
「お願いします」
シュバイツ殿下が、城門まえのロータリーに降り立った。
真っ白に輝くペガコーンも高位精霊で、それを目にするだけで幸運なのだとか。
「ネヴァさん。悪魔たちはとりあえずいなくなりましたが、魔界の扉がいつどこで開くかはわからないです。
これから、ヤマネコ人族たちの手元にもどったこの国を通常に戻すのは本当に大変でしょうけど、困ったことがあったら、周りの人や冒険者ギルドを通して、みんなに相談してくださいね。なんて、俺みたいに実質二十年しか生きてない者の言うことなんて参考にならないかもしれないけどね」
そういって、小さくなったままの精霊王子は美しくも可愛らしく笑う。
「いいえいいえ、あなた様の御恩は決して忘れることはないでしょう。私どもはあなたのこの悪魔からの解放や、素晴らしい癒しに対して、どうお返しをしていけばいいのか」
「お返しなんていらないですよう」
「しかし……」
「じゃあ、俺、チーズが結構好きなんですよ」
「では、毎年品評会で優勝した製品を、ロードランダにお届けしましょう」
「いや、あっちもチーズ製品はあるんですよ」
「うーむ確かに」
「そのうち、ミルクブールバード河に船を浮かべることができるようになれば、あちらこちらに出荷してください。大昔のようにね。そうすれば、俺はあちらこちらでチーズ料理を食べることができますからね」
「もちろんです」
「俺は食べることが好きで料理をしているのだから」
「わかりました。あの河が復活するにはかなり時間がかかると思いますが、必ず」
「うん。じゃあ、一食しかご馳走できなかったけど、俺は次に行きますね」
「わかりました」
「シュバイツ殿下、次はケティー公国に行くのか?」
今朝から一緒にいてくれているペルジャー王国の王太子が気安く話しかけている。
「いや、その前にガナッシュ殿下に会う約束があって」
「妹に?」
「これを返す約束をしていて」
なにやら王族のエンブレムを見せていらっしゃいます。
「そんなの私が返しておく」
「それは怒られるよ」
「それより、私のエンブレムも預かっておいてくれよ」
「どうして?」
「友人の証としてね」
「なるほど。じゃあ俺のと交換しよう」
二人のやり取りがすごくうらやましい。
私のエンブレムも取り出す。
「シュバイツ殿下、私のも受け取ってください」
「え?本当に名刺交換みたい。まあ年始の挨拶ってこういうのだっけ。ニュースで見たことあるな。
じゃあ、ネヴァ殿下。これからもよろしくね」
そうして、新しいプリネイ王国の年が明けたのだった。




