断罪ループ中の冤罪皇女は、処刑人に恋している
処刑場に立つのはこれで何回目なのか。
もはや見慣れた場所となってしまったそこは、悪の皇女の断罪せよと声高に叫ぶ民衆にぐるりと取り囲まれている。しかしわたくしは彼らには一切目を向けず、ただ傍の青年を見つめた。
彼は処刑人。元は騎士だったが、生家が落ちぶれたせいで誰もが望まぬ仕事を押し付けられたのだと、幾度めかの世界で言っていた。
彼が握るのは、どれほどわたくしの命を奪ってきたかわからない、抜き身の長剣。
これからわたくしの首を刎ねるくせに、青年はなんだか泣きそうな顔をしていた。
「本当に、これでいいのですか」
これまた聞き飽きた問いだ。
罪をなすりつけられただけ……すなわち冤罪で処刑されてようとしているわたくしを、憐れんでくれているのだ。
けれどもわたくしはわたくしの意思でここに立っている。だから、ただ静かに微笑んだ。
「お気遣いどうも。あなたの名前を、教えてくれるかしら?」
「……職務上、名乗ることは禁止されています。あなたが死刑囚である限り」
「そうなのね。それは残念」
――また、ダメだったわ。
あくまで死刑囚と処刑人という関係でしかないことがたまらなく悲しいのに、彼と言葉を交わせるのは嬉しくて、変な心地になる。
いつまでもこうしていたい。でもそれは許されなかった。
ゴーン、ゴーン、ゴーーーン。
地を揺らすような鐘の音。
処刑時刻を告げる合図だった。
「なぜ貴女は、死を恐れないのです。なぜ貴女は、俺に貴女を救わせてくれないのですか」
声を震わせ、それでも、青年は剣を振り上げる。
彼は知らない。わたくしがとっくに、彼に救われてしまっていることを。
それだからこそ、この時を繰り返しているのだということを。
ごろり、と首が落ちた。
いつも痛みは感じなかった。この無痛の死すらも、きっと彼の優しさなのだろう。
――わたくしを惚れさせた責任、取ってちょうだいね?
そうしてわたくしはまた、時を巻き戻る。
一度目の世界でのこと。
わたくしはまやかしで包まれていた。
誰よりも恵まれていると信じていた。
望めば何でも手に入れられる皇女という地位。何を命じても粛々と従う侍女たち。甘いお菓子や綺麗な人形たちに囲まれて、ひたすら遊ぶだけを許された贅沢な毎日。
自慢のさらさらのブロンドの髪も白い肌も常に手入れされていたし、ドレスはどれも一級品。美しさにおいてわたくしの右に出る者はいない。
社交界ではわたくしの周りに人だかりができるのが常で、わたくしの魅力に引きつけられているのだと思い込んでいた。
贈り物をされると当たり前のような顔で受け取った。美しいわたくしを彩る美しい装飾品はいくつあっても困らないから、と。
彼らが、皇女であるわたくしを利用しようと考えていただけだったなんて、気づきもしなかったのだ。
全てを教えられたのは、知らないうちに反乱の片棒を担がされていた……否、主犯にされて責任をなすりつけられた時。
冤罪だった。「お父上に献上してください」と言われてもらっていた菓子類に毒が仕込まれていた他、わたくしの名を借りて大々的に国を壊そうとしていた一派がいたのだとか。
わたくしに罪があるとすれば、愚かであったことくらい。
庇い立てはしてもらえなかった。この国の長たる皇帝からは「利用価値が失せた」と切り捨てられた。
そういえば皇帝を父と呼んだことはなかった。最初から、わたくしは駒としてしか見られていなかったらしい。
行き着く先は死刑だ。
着せられた罪で、わたくしはたった十八年の生涯に幕を下ろす。
――どうして?
わたくしは何もしていないのに。
――どうして?
誰よりも恵まれた、幸せな皇女。そのだったはずだったのに。
――どうして?
冷たい牢獄の中で答えの出ない問いを繰り返していたわたくし。
そんなわたくしを元に、一人の青年がやって来た。
美丈夫なんて社交界で呆れるほど見てきたにもかかわらず、彼の青い瞳の中にある憂いの色に惹かれたのをよく覚えている。
「お迎えに上がりました。死刑執行人でございます」
ああ、終わりが来たのか、と思った。
「……そうなのね」
「お嫌ではないのですか?」
「何が、かしら」
淡々とした声音で、青年はわたくしへと問いかける。
「処刑人の責務の一環として、囚われる前の貴女のことを調べました。反乱は、皇女殿下が目論んだわけではないのでしょう」
だから、この世界から貴女が失われる必要はない、と彼は言った。
今は自分しか処刑人がいないから、貴女が望むなら、強く皇帝に訴えることも可能だと。
「まさかあなた、わたくしの死を惜しんでいるの?」
処刑人は答えない。切なそうに表情を歪めただけだった。
それが、初めて向けられた優しさ。
わたくしを利用した連中が向けてきた笑みとは違う、まやかしなどではない本当の優しさなのだと愚かなわたくしでも理解できた。
だってわたくしを騙すつもりなら、言葉を尽くすはずだから。
わたくしの人生はきっと、無価値で無意味だったと思う。
それでも最後にほんの少し意味を得られたような気がして――つぅぅ、と頬にあたたかな滴が伝っていく。
涙を流したことなんて記憶にある中では一度もなかったことだ。
呪いのように繰り返していた自問も憎悪も、いつしか消え去っていた。
わたくしの心は救われた。救われてしまったのである。
「嬉しいわ。でも、いいの」
本当は助かりたい。でも、たとえ他に処刑人がいないとしても、彼の声など皇帝に捻り潰されるだけだろう。
優しいこの人に、わたくしのために辛い思いをさせたくはない。
「明日、よろしくお願いね」
わたくしは処刑場にて、そのまま命を散らすことになる。
冥界への土産として優しさをもらえたのだ。わたくしを利用した連中や、駒としか考えていなかった皇帝への怒りなどどうでも良くなって、思い残すことなく逝ける……と思っていた。
思っていたのだが。
最期の瞬間、わたくしは気づいてしまった。
わたくしに手を差し伸べ、振り払われてもなお躊躇いながらわたくしの首を斬り飛ばした彼の顔を思い出しながら、思う。
彼の名前を聞きそびれてしまったわ――と。
もしも名前を知れたら、その名を呼んで、『ありがとう』と言えたのに。
その未練が引き金だったのかも知れない。
処刑の次の瞬間、目を覚ますとわたくしは頭と胴が繋がった状態でベッドに横たわっていた。
不審に思い、日付を確かめてみれば、死刑執行日から半月も前。
なぜか時を巻き戻り、死刑までの日々を繰り返し過ごさなければならなくなった。
何度も、何度も何度も何度も。
帝国が信仰を捧げている女神様がくださったわたくしへのご温情だろうか。
ご温情にしては過酷なのは、罰も兼ねているからに違いない。
処刑を回避しようと思わなかったわけではなかった。
けれどわたくしがどんな行動をしようが、過去の愚かな行いが邪魔をし、結局は死刑囚にされてしまう。
そして――。
「お迎えに上がりました。死刑執行人でございます」
冷たい牢獄の中で、彼との出会いをやり直す。
「貴女が望むなら皇帝陛下に訴えることも可能です。ですから――」
「いいの。それより、あなたの名前を教えていただきたいわ」
「……職務上、名乗ることは禁止されています。あなたが死刑囚である限り」
彼の誘いを断り、代わりに名前を訊くのだけれど、処刑人からの回答は得られていない。
優しくされる度、わたくしはますます彼を求めた。
もっと声を聞きたい。言葉を交わしたい。
皮肉なことに、死刑囚になってからしか彼との触れ合いは叶わないから、ほんのひとときの夢のようなものである。
永遠に終わらない夢はわたくしの心に未練を多く刻みつけていく。どうしようもなく、わたくしの心を愛しさで満たしていく。
気づいたら恋していた。
泣きたくなるほどに、命をかけてもいいとさえ思えるほどに、好きになっていた。
この想いはきっと、何度繰り返したとて叶うことはない。
叶うことはないけれど……それでもいい。
「大好きよ、名前も知らないあなた」
さようなら。
次の世界で、また会いましょう。
◆◇◆
今回もダメだった。
切り離された胴体はまだ柔らかく、あたたかい。
傍に転がっていた彼女の血にまみれた頭部をそっと手に取った。
「――ああ」
唇を重ねても、何の反応もない。
当然だ。死んでいるのだから。
俺の手で殺してしまったのだから。
「処刑人、何をしている!!」
誰かが叫んだが、どうでもいい。
彼女のいない世界なんて、俺にとっては何もかもが無価値だ。
「あなた、とても強そうな騎士様ね。わたくしの護衛に欲しいわ」
そう言われた日のことを、忘れた時はない。
生家が没落寸前であることを馬鹿にされ、どれだけ頑張っても、身を張っても、騎士として正当に評価されてこなかった。だから、求められて、本当に嬉しかったのだ。
彼女は俺を覚えてもいないだろう。多くいる護衛の一人でしかなかったはずだ。
実際に、落ちぶれて騎士ではなくなった俺と再会しても、過去について口に出さなかった。
忘れられていても構わなかった。
ただ彼女に恩を返せれば、それだけで良かったのに。
彼女は俺に殺されることを受け入れた。
救わせてはくれなかった。
それが許せなくて、信じてもいない女神に初めて心から祈った。
どうか、どうか機会をお与えください――と。
なぜ聞き入れられたのかはわからない。
だが、願いは叶った。
そうして、巻き戻りが始まったのである。
彼女の死を起因とし、何度も、何度も何度も何度も。
けれども、機会を与えられてもなお、彼女は死んだ。
――貴女さえ望んでくれたなら、その手を取ることに何の躊躇いもありはしないのに。
――こんな形ではなく、しっかりと見つめ合い、唇を重ね合わせたいのに。
終わりがやって来る。
昏く、大きな時の渦が。
それをぼんやりと眺めながら俺は、次第に熱を失いつつある亡骸を一層強く抱きしめた。
「愛しています、皇女殿下。……たとえ、貴女を幸せにする資格がないのだとしても」
さようなら。
次の世界で、また会いましょう。
お読みいただきありがとうございました!
作者の性癖を詰め込んだだけの話ですが、ほんの少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。