第35話 叡智の沼地
沼地は地面がベチャベチャで歩きにくい。道を少し外れると足首まで沈む泥地もあって、精神がすり減る。泥が足にまとわりついてこないのが救いだった。
現実では虫だらけなのを考えれば楽なエリアとも言える。モンスターとは別のトンボやカメなど、ちょっとした賑やかしに不快感は覚えず気楽に眺めていられた。
あのカニは洞窟にいた貝と同じぐらいの大きさだな、と思っていると急に近づいてくる。警戒心が高まりターゲットするとスピンクラブの名前が表示された。
「トリガー、詠唱」
――シュンッ!
「トリガー、ヒール」
襲われる前にモンスターであることを気づけてよかった。
「行け、キュル助」
「キュル!」
どの程度の強さか準備を済ませて確認だ。
カニのフォルムでどんな攻撃をするか構えていると、どういう原理か回転を始める。風を切る音が聞こえるほどの速さで、足元の泥を弾き飛ばしてきた。
「っ!」
泥は周囲に勢いよく散らばり離れていた自分にも当たる。単純な嫌がらせに終わらずダメージを受けたが大した威力ではなかった。
しかし、近くにいたキュル助はいくつもの泥が当たったのか体力が危険域だ。
「トリガー、ヒール!」
慌てて回復する。次に備えようとするがスピンクラブは回転を止めて引っくり返り、足をばたつかせていた。
「キュルル!」
そこへチャンスとばかりにキュル助が攻撃する。一方的な展開で反撃が来る前に倒し切ることができた。
≪泥臭いカニの身を入手しました≫
≪脆いカニの甲羅を入手しました≫
やはり先のエリアになると手ごわさが増す。より一層、集団に気を付けながら進む必要があった。
ただ、沼地を抜けたエリアが目標の岩場でも強さがまたワンランク上がるはず。火薬を落とすモンスターがいたとして倒せるかどうかは未知数だ。
コヨミさんが煙玉に興味を持ってくれたらパーティに誘う方法もあるが、誘い方が新たな問題になる。いくつものシミュレーションを要するミッションだった。
そもそも煙玉の存在を知っていたり関心が今一つな可能性もある。素材用に火薬を探しているなど気を遣わせる発言は慎みたい。
「キュル?」
あれこれ考えているとキュル助がこちらを見て首を傾げた。戦闘で役に立ち愛嬌も振りまいてくれる。以前より反応が多いし内部ステータスに友好度の設定があるのだろうか。
何か面白いものがないかゲーム的な楽しみを求めているとボロボロの服を着た血色の悪い人を見かける。明らかにプレイヤーではなく、NPCにしても不自然だ。ターゲットができてゾンビというモンスターなのが分かった。
「ウウウゥ……」
呻き声も相まって、不気味さでは今まで遭遇した中で一番か。回復魔法をストック後に仕掛けることにした。
「行け、キュル助」
「キュル!」
スピンクラブに続いて早々に実力を調べる。
相手の移動速度は遅く先制攻撃が決まった。このパターンは特殊な攻撃がありそうで注意深く動向を追っていると、ゾンビがキュル助に緑色のゲロを吐いた。
ペットの画面で状態を見ていたが体力は減っていない、と思ったら1ずつ時間経過で減っていく。キュル助の身体に緑色の薄い靄がかかっており毒に侵されていると判明した。
急いでキュアポイズンをかけようとしたが、魔導書にストックされているのはヒール。再詠唱の間に反撃がくるのは怖いし、毒を癒さずにいるのもまずい。
一度距離を取って体勢を立て直すべきか迷うが、洞窟で乱獲した雫石の使いどころだと気づいた。
急いで雫石を手にして投げる。キュル助の足元から薄い霧が漂い、毒で受けるダメージが上手く相殺された。
「ウウウゥ……!」
そこでゾンビの呻き声が激しくなったように聞こえた。また妙な攻撃がくる前兆……?
「……」
回復の準備をするが特に変化は訪れない。
「もしかして……?」
よく観察するとゾンビの体力が時間経過でジリジリ減っていた。おそらく雫石が発する霧の中にいるのが原因だ。
この世ならざるもの、ゾンビもその枠に入っているらしい。眠りにいざなうの文言は単純に倒すことができると言い換えれば納得だった。
前のエリアで拾えるアイテムが次のエリアで役に立つのは、他の場所でもあり得る流れだ。知識として覚えておきたい。
毒さえ対策すればゾンビは怖くないモンスターで、キュル助が無事に倒し切ってくれた。
≪腐り玉を入手しました≫
名称から臭そうなアイテムに眉をひそめてしまう。
【腐り玉】
『種類』攻撃アイテム
『説明』ぶつけた対象を毒状態にする
臭気を放つ泥の塊
投げるには勇気が必要だ
毒の状態異常を与えるのは結構だが、投げるのに勇気が必要とは嫌なアイテムだ。投擲用に集めておくのはほどほどにしよう。
「キュル助、カモフラージュ」
「キュル!」
近くにゾンビの集団が歩いていたので透明になる。叡智の沼地は広くて苦労するエリアな気がした。
「ん……?」
歩いている途中、巨大な何かが泥の上で蠢くのが目に入る。半球の形でしばらく様子を窺うと正体が分かった。大量のゾンビが群がり塊になっていたのだ。




