第三話「運命の再会」
遠野深雪が失踪してから一週間近く経った。
亜駆斗にはこのことがずっと気がかりでいたが、見つからないものはどうしようもなかった。
一方で初めての漫画制作は苦心の末にネームが完成し、あとは実際に描き出す段階に来ていた。しかし原稿用紙もなければトーンもない。画材を買いに専門店に行かないといけなかった。
なので休日に麗奈と待ち合わせして買いに行くことになった。右も左もわからない亜駆斗にとって漫画部部長の麗奈の存在は心強かった。
「亜駆斗~」
「遅い麗奈、10分遅刻だぞ」
「もう、それくらいいいじゃん。服決めるのに時間かかっちゃって」
新ノ宮駅前の噴水付近で亜駆斗は待っているとようやく麗奈は姿を現した。亜駆斗は相手の格好をじろっと舐め回すように見る。
「で、どう。決まってるでしょ」
「まぁ、いいんじゃないか」
素直にとても可愛いとは言えない亜駆斗だった。
「それで画材屋ってどこにあるんだ?」
「駅からすぐ近くだよ。それじゃ行こっか」
麗奈は赤いリボンを揺らしながら先頭を歩く。亜駆斗は道がわからないのでその後をついていく。
画材屋に入ると麗奈は買い物カゴにB4サイズの原稿用紙とスクリーントーンを幾つか入れていく。
「ペンはつけペンとミリペンがあるけどどっちにする? 亜駆斗はまだ初心者だから0.1ミリと0.5ミリのミリペンでもいいと思うけど」
「じゃあそれにする。俺はなんにもわからんからな」
麗奈は亜駆斗の意見を参考にペンを買い物カゴに入れた。
「しかしそんなに買うのか……俺、金ないぞ」
「大丈夫、ここは私が払って後で部費として生徒会に請求するから」
「ちゃっかりしてんな」
亜駆斗は感心する。麗奈はレジに行って会計を済ませ、買ったものを亜駆斗に渡した。
「これで今日の用は済んだね。で、どうする?」
「ついでにお茶でもしていくか。お礼に奢るよ」
「やったー! 亜駆斗の奢りだー!」
「おいおい、あんまり頼み過ぎるなよ」
二人は浮かれ気分で画材屋を出て、近くの喫茶店に入った。席に座るとウェイターが近づいてくる。
「何にしますか?」
「じゃあ私このスペシャルパフェ!」
「クソ、遠慮なく高い奴を……俺はブレンドコーヒーとホットケーキ」
注文するとしばしの待ち時間ができる。その間に麗奈は尋ねる。
「漫画部はどう? 少しは慣れた?」
「まぁ、そこそこだな。悪くない」
「絵美梨ちゃんも雷矢君もいい人でしょ」
「そうだな……お前は別だが」
「えーなんでー!」
「俺の奢りだとわかった途端スペシャルパフェを頼むような奴だもんな」
「ひどーい! パフェは本当に食べたかったんだから!」
「はいはい」
麗奈のややズレた抗議を亜駆斗は聞き流す。今度は亜駆斗から質問する。
「お前こそ、俺なんかが入部してよかったのかよ」
「えっ何言ってるの? 勿論大歓迎だよ。亜駆斗がいるだけで毎日が楽しいよ」
「そうなのか?」
「うん!」
自信をもって麗奈は答える。その根拠はどこから来るのだろうと亜駆斗は訝しんだ。
そうこう言っているうちに注文したものが届く。パフェを前にして麗奈は目を輝かせる。
「わーすっごい! おいしそー」
「あまりがっつくなよ」
亜駆斗の注意も聞かず、麗奈はガツガツとパフェを食べ始める。自分もコーヒーを口に付けて、ふと溜息をつく亜駆斗。それを見て麗奈は問いかける。
「亜駆斗……もしかして深雪先輩のこと気にしてる?」
「いや、別に!? そんなんじゃないさ……」
「本当のところは?」
なおも追及する麗奈。亜駆斗は観念して答えた。
「ああ、気にしてないと言えば嘘になる……あれから音沙汰もないからな……」
「大丈夫だよ亜駆斗。すぐに見つかるよ。だって亜駆斗と深雪先輩は運命の赤い糸で結ばれているから」
「なんだよそれ」
変なことを言うなと亜駆斗は思う。しかし麗奈はからかい続ける。
「亜駆斗の頭の中は深雪先輩で一杯なんだね~」
「馬鹿、そんなんじゃねぇよ!」
「亜駆斗が私を必要としなくなる日は近いのかもね」
「おい……何言ってんだよ。今日だって画材選ぶの手伝ってもらったじゃないか。俺には麗奈が必要だよ」
そう言ってから恥ずかしい言葉を口にしたと自覚して亜駆斗は顔を赤らめる。だが麗奈はどこか遠くを見つめていた。
「そう、なのかな……」
「そうだよ。いいからパフェ食えよ」
「うん」
再び二人は食事を再開する。言葉なく黙々と食べ終わると、喫茶店を出た。
「それじゃあ帰るよ。今日は付き合ってくれてありがとうな」
「私で良ければいつでも力になるよ」
麗奈は微笑む。亜駆斗はこの幼馴染の顔を曇らせるようなことはけっしてすまいと思った。その為には漫画を描こう――画材の入った袋を握りしめてモチベーションを高める。
麗奈と別れて家に帰った亜駆斗は早速買ってきた原稿用紙に下描きを始めた。
さらに10日経って、漫画部の新刊用冊子が刷り上がった。そこには亜駆斗が初めて描いた漫画も載っていた。
たった4ページの中で地球人が恐怖の大王と出会い、別れ、最後のコマでは地球が真っ二つになって恐怖の大王に世界を滅ぼされたことを示していた。これを読んだ漫画部部員の雷矢は率直な感想を述べた。
「クソ漫画だ……」
「何だって?」
「なんで地球が真っ二つになるオチなんだ? 唐突過ぎる」
亜駆斗にしてみれば恐怖の大王を放置したらそうなるのは自然の道理であり、壮大なサーガを思い描いていた。しかし一般的な読者の雷矢にとっては違った。
「大体恐怖の大王が世界を滅ぼしました、終わり、なんて捻りがない。ドラマ性に欠けている。主人公らしき地球人は何もしてないし」
「初めての漫画なんだからしょうがないだろ! そういう雷矢は面白い漫画が描けるのかよ!」
批判されて亜駆斗はムキになる。雷矢は悪かったと彼を宥める。
「俺は読み専だからな、漫画を描く苦労はわからないさ。ただ一般的な意見を言っただけだよ。あまり気にするな。次の機会もあるし」
「次の機会?」
「夏コミで本を頒布するんだ」
「夏コミ?」
雷矢の言葉がさっぱり理解できない亜駆斗。すると麗奈が会話に割って入った。
「コミックマーケットのことだよ亜駆斗。アマチュア漫画家が本を作って売るイベントの一番規模が大きい奴だよ。漫画部としては夏のコミックマーケット、つまり夏コミに参加して一般の人に活動をアピールしていきたいんだ。実績を作れば生徒会からより部費を調達できるしね」
「へー。でも夏って、7月には人類が滅んでいるんじゃ……」
「ああ、ノストラダムスの大予言? きっと大丈夫だよ。大昔の予言だからちょっとくらい誤差が出るよ」
麗奈の妙な訳知り顔に根拠はないと亜駆斗は感じていたが、漫画制作はこれで終わりではないという事実にプレッシャーを受けていた。
「また、漫画を描くのか……」
「まぁまだ先のことだから、のんびり構想を練ってればいいよ。それより亜駆斗、初めてにしては上手に描けてるよ。この調子で頑張ってね」
一応部長の麗奈は亜駆斗の漫画を褒めた。だが亜駆斗は冊子に載っている麗奈の漫画を読んで、比べ物にならないほどの作画の緻密さやストーリーの面白さをわからされていた。多少いいように言ってくれたとしても到底敵わないのだ。亜駆斗は少し落ち込んだ。
麗奈は新歓用の冊子の束を手に取って生徒に配ってくると言い、雷矢を連れて校門の方へ向かった。亜駆斗は絵美梨と共に留守番として部室に残された。すると絵美梨は冊子の中身をまじまじと見ながら恐る恐る亜駆斗に声を掛けた。
「あの……崎山さん……崎山さんの漫画のことなんですが……」
「ああ、つまんなかったろ」
「いえ、大変興味深かったです!」
「えっ?」
意外な口ぶりに亜駆斗は驚く。絵美梨は冊子を読む限り一番漫画を描くのが上手い作家だ。そんな彼女から関心を持たれるなんて思いもしなかった。
「一体どのような考えでこの漫画を描いたのでしょう……私気になります」
「そんな、たいしたもんじゃないよ……実際あったことをモデルにしただけだし」
「実際あったこととは?」
そうつっこまれてしまったと亜駆斗は思った。この流れだと遠野深雪のことを説明しなくてはならない。彼女のことは秘密にしておきたかったが、折角自分の漫画に興味を抱かれているのだから、話してしまおうとも考えた。
「これは俺と光神さんとの秘密にしてほしいんだけどいいかな?」
「いいですよ」
「実は……恐怖の大王を名乗る人に会ったんだ。一人で怪我してるところを見つけて家に泊めたんだけど、翌日には行方をくらましてしまって……」
「その人とは、まさか遠野深雪先輩ですか?」
「えっ、なんでわかるんだ!?」
当てられて亜駆斗は驚愕する。絵美梨は得意げな顔をする。
「崎山さん、なんだか遠野先輩のことを気にしていたみたいでしたから……」
「まぁ、その通りだよ。本当に恐怖の大王かどうかなんてわからないけどな」
「遠野先輩が恐怖の大王……」
何やら絵美梨は考え込む。少ししてから言った。
「もし遠野先輩が見つかったら、私に連絡してくれませんか? 私の電話番号を教えますので」
「いいけど、なんで?」
「同じ漫画部の部員ですから……私だって心配してるんです」
そこに疑う余地はなかった。亜駆斗は絵美梨から電話番号のメモを渡される。
それから絵美梨はいつものように読書を始めた。亜駆斗も適当な漫画を見繕って読むことにする。やがて冊子を配り終えた麗奈と雷矢が帰ってきてその日の部活は終わった。
すっかり暗くなっていた外を亜駆斗は歩く。
「次は夏コミか……」
次こそはもっと出来の良い漫画を描いて雷矢の奴をぎゃふんと言わせてやる、などと亜駆斗は考える。そんな風にやる気を出している自分がいることに気付き、あんなに無気力だった自分がと驚く。
漫画部に入ったことは自分にとってプラスだったのかもしれないと亜駆斗には思えた。勿論遠野深雪のことが気がかりでそれを忘れたくて活動にのめり込んでいる部分もあった。
一体遠野深雪はどこへ行ってしまったんだろうか。まさか黒服に捕まってしまったんじゃないだろうか……部活動をやっている時は考えないようにしていたが、下校中ともなると心配になってくる。
亜駆斗はふと家の近くのいつもの公園に寄り道してみることにした。最初に遠野深雪と会ったのはこの公園だ。2週間以上前のことだが鮮明に思い出すことができた。確かブランコに乗っていて、降りた時に――
なんとなくその場所に向かってみると、こんな遅い時間なのに人影があった。ギコギコとブランコの音がする。そいつはブランコを漕いでいた。その目立つ長い白髪は紛れもなく、彼女であった。
「あっ……」
目が合った。白髪赤眼のアルビノの少女はブランコから降りてその場から逃げようとする。亜駆斗は呼び止める。
「待てよ、遠野深雪! 遠野深雪だろ、あんた!」
「崎山亜駆斗君……どうして私の名前を?」
「俺も新ノ宮東高校の漫画部の部員だからだ。深雪先輩」
「漫画部の……へぇ」
深雪は亜駆斗に少し関心を持った風だった。亜駆斗はこの機を逃すまいと畳みかける。
「深雪先輩、あんた行くところないんだろ? 家には黒服が張ってるし……俺ん家に来なよ! うちは両親海外出張でいないから女の子一人泊めても平気だしさ」
「それはできないわ。亜駆斗君、あなたに危険が及ぶわよ」
「外をウロウロしてる方が黒服に見つかるだろ! 俺ん家の中でじっとしてるなら見つからない。深雪先輩にとっても安全なんじゃないか?」
「それはそうだけど……」
深雪は考え込む。少しして周りをキョロキョロ見回してから言った。
「そうね。東亞機関の連中は近くにいないし今のうちにお邪魔させてもらおうかしら」
「東亞機関?」
「あなたが黒服と呼んでいる奴らのことよ」
かつて麗奈が推測していた巨大組織のことだろうかと亜駆斗は推察する。彼は手招きして自分の家に深雪を案内する。
崎山家に到着すると亜駆斗は自分の部屋に深雪を連れ込んだ。一度来たことがあるから深雪も知らない場所ではない。亜駆斗は勉強机の椅子に座り、深雪はベッドに腰かけてくつろぐ。
「ところで本当にあなた、漫画部なの? 何か証拠はないのかしら」
「それなら……」
亜駆斗は鞄から持ち帰った新歓用の冊子を取り出し、深雪に渡す。彼女はページを捲り、彼の描いた漫画を読む。
唾を飲む亜駆斗。漫画部元部長の感想はいかに――
「ふむ、成程。頑張ったわね。絵は発展途上だけどデッサンは意識してるし難しい構図にも挑戦しようとした節がある。それにオチがシュールで秀逸だわ。面白く描けてると思う」
雷矢とは真逆の感想に人によってここまで受け取り方が違うのかと亜駆斗は感心する。
「亜駆斗君、これからも頑張って漫画を描いてね」
「その、ありがとうございます」
「かしこまる必要はないわ」
深雪は冊子を亜駆斗に返す。亜駆斗は思い切って尋ねる。
「深雪先輩はどういう漫画を描くんだ?」
「そうね、常に既存の漫画に対し挑戦的な、そんな野心を持った漫画を描こうと努力しているわ。その試みが上手くいくかどうかは別としてね」
「上手くいかない場合もある?」
「まぁね。でも人は失敗から学んで成長していくのよ」
「成程……ちなみに好きな漫画は?」
「デビルマン。昔から不動明みたいなダークヒーローに憧れていてね……でもまぁどっちかというとサタンの方になっちゃったけど」
深雪は自嘲気味に笑う。その意味を『デビルマン』を読んでいない亜駆斗にはうかがい知れない。
亜駆斗は質問を変える。
「ところで東亞機関……あの黒服達は何者なんだ? 深雪先輩を探していたけど」
「詳細を省くけど、私の敵よ」
「恐怖の大王の敵ってことは、まさか正義の味方?」
「まさか、とんでもない悪党よ。いい、亜駆斗君。世の中悪党しかいないの。戦争も悪と悪が戦ってるだけ。そこに正義は存在しない」
「そういうもん、なのか……?」
「一つ勉強になったわね」
得意げに深雪は言う。対して亜駆斗は煙に巻かれた気分だった。もっと知りたかったがそれ以上は聞き出せない雰囲気だった。
亜駆斗は立ち上がり退室しようとする。また、
「それじゃ、深雪先輩は母さんの部屋で寝てくれ。使えるよう準備するから一緒に来てくれ」
と言って深雪にも退室を促した。内心亜駆斗は最初に深雪を泊めた時も自分のベッドを使わせるんじゃなくてこうすれば良かったと思った。
亜駆斗は深雪を連れて母の部屋に来て、ベッドを使える状態にする。
「それじゃ、寝るか?」
「いや、お腹空いた」
「そっか。晩飯まだだったな。冷凍炒飯でいい?」
「食べられるなら何でも」
亜駆斗は深雪を連れてリビングに行き、冷蔵庫から冷凍炒飯の袋を取り出して中身を皿に盛り、ラップをかけて電子レンジに入れた。温める間、一人なら適当な食事でもいいがこれからは二人分の食事を作ることを念頭に置かないといけないな、と思った。
二人はリビングの座席に座って黙々と炒飯を食べる。亜駆斗はテレビを付けるが面白い番組はやっていなかった。
食べ終わると亜駆斗は深雪の分の食器も洗うと言って、二人分の食器を洗った。その後亜駆斗はテレビの下に置いていたプレイステーションを起動した。
「寝るまでゲームするけど、見ていく?」
「亜駆斗君、ゲーム好きなの?」
「結構ね。最近のゲームは凄いんだ。かなりリアルに出来てるよ」
そう言って亜駆斗がプレイし始めたのはファイナルファンタジーシリーズ最新作のⅧだった。前作のⅦから全編3Dになったが、グラフィックが前作からかなり向上し、より実写に近い表現になっている。すでに亜駆斗は一回クリアしていて、今は二周目だった。
深雪が時折ゲーム内容にツッコミを入れながら、その都度亜駆斗が解説して進めていく。時間はいつの間にか夜の11時になっていた。
「深雪先輩、風呂入る? その服も洗濯した方がいいよ。血の痕が付いたまんまだし」
深雪は最初に会った時と同じ服を着ていた。それに風呂に入る機会も少ないのだろう。少し臭った。
「でも着替えは?」
「俺の服で良ければ貸すよ」
「じゃあお言葉に甘えさせていただくわ」
深雪は風呂場へ向かう。そして服を脱いで浴室に入ったタイミングを見計らって亜駆斗は彼女が来ていた服を確かめた。彼女の一張羅は一枚だけで、下着などはなかった。なんということだろう、今まで下着を身につけていなかったのか。女物の下着を買う必要があるだろうかと思うと少し気恥ずかしくなる亜駆斗だった。
とりあえず着替えを用意する亜駆斗。シャワーの音が聞こえる。あの美しい深雪が裸になっていると想像すると悶々とする少年だった。やがてシャワーの音が止んだので慌てて亜駆斗はその場を後にした。
しばらくして着替えた深雪が現れた。
「流石にちょっと丈が合わないわね」
「仕方ないだろ、それしかなかったんだから。服はすぐ洗濯して返すから。それじゃあ俺も風呂入って寝るよ」
「そう。じゃあおやすみなさい、亜駆斗君」
そう言って深雪は亜駆斗の母の部屋へと引っ込んだ。
亜駆斗はささっと服を脱いで浴室に入り、熱いシャワーを浴びる。
懸念事項であった遠野深雪の身柄を確保して、少しホッとする。と同時に今度は手放さないようにしようと気を引き締めるのだった。
深雪のことを考えると身体が熱くなる。それはシャワーだけのせいではけっしてなかった。
次回「カルト教団対恐怖の大王」