第二話「遠野深雪」
新しい朝を迎え、リビングのソファに寝ていた亜駆斗は起き上がった。寝ぼけ眼でいつもと違う景色を眺める。彼は思い出す――そうだ、自分のベッドは客人に貸しているんだった。
亜駆斗は自分の部屋に行ってベッドの上で横になっている白髪のアルビノの少女の姿を確認する。その赤い双眸は見開かれていない。なんだ、まだ寝ているのか。でも起こすのも悪い気がするし……と亜駆斗はそっとしておくことにした。
再びリビングに戻って朝食の準備をする亜駆斗。食パンをポップアップトースターに入れて焼き、取り出してマーガリンを塗る。一方で電気ケトルでお湯を沸かして紅茶のティーバッグを入れたカップに注ぐ。ティーバッグを捨て、代わりに牛乳を足してミルクティーにする。それから冷蔵庫からヨーグルトとハムを取り出し、付け合わせで食べた。
亜駆斗は例の少女の分も用意しておこうとリビングの机の上に朝食一式並べて、書き置きを残した。自分の分を食べ終わるとまた自室に戻って学生服に着替える。やはりというか、少女は起きてこなかった。
このまま彼女を一人にして学校へ行っていいものか、亜駆斗は迷う。自分のことを恐怖の大王だと言い出すような女を野放しにして。そう思うと後ろ髪を引かれるが、学校をサボるわけにもいかない。
あの傷ではじっとしているだろう。そう希望的観測をもとに亜駆斗は一人登校することにした。
授業中も恐怖の大王のことが気がかりで落ち着かない亜駆斗だった。一日の授業が終わり、早々に帰ろうとする。しかし隣のクラスの麗奈にまた呼び止められた。
「亜駆斗、部活の時間だよ! 来て」
「いや、今日はちょっと家に帰ってやることが……」
「もう、漫画部に入ったからには部活を優先してくれなきゃ嫌だよ。私泣いちゃうんだから」
そういう言い方をされると断りづらくて、渋々亜駆斗は漫画部の部室へと足を運ぶ。対して麗奈は彼がついてきたものだから上機嫌だった。
「ほらほら亜駆斗、遠慮しないで上がって」
「お邪魔しまーす」
「あ、こんにちは崎山さん」
「よっす亜駆斗。待ってたぜ」
部室には光神絵美梨と轟雷矢の二人も先に来て座っていた。雷矢は今日もジャンプを読んでいたが、絵美梨は何やら原稿用紙に書き物をしていた。
亜駆斗は部室に入ったが今日はこの二人から特に何々を読めと言われなかった。なので自発的に読む漫画を本棚から探す。すると昨日は気付かなかった写真立ての存在に気付いた。
「この写真、集合写真か?」
「そうだよー去年部設立時に撮ったんだ」
写真には4人写っていた。麗奈、絵美梨、雷矢、そして見覚えのある白髪赤眼の少女。亜駆斗は驚く。間違いない、あの恐怖の大王を自称するアルビノの少女以外の誰でもない。どうして彼女が漫画部に?
「この白髪の人は誰だ? 麗奈」
「遠野深雪先輩。本当の漫画部部長。でも半年前から休学していて、私が代わりに部長を務めているんだけどね」
「遠野、深雪……」
あの謎の少女の素性が意外な形で明らかになった。亜駆斗はその名前を記憶に刻み付ける。
「遠野先輩が気になりますか?」
そう言ったのは絵美梨だ。
「いや、なんでもないよ」
亜駆斗はなるべく平静を装う。遠野深雪が家にいると知られるのはなんとなくまずい気がしたのだから。
「それより亜駆斗、新歓用の冊子を作るけど漫画を描いてみない?」
「えっ、俺が漫画を?」
いきなりの麗奈の提案に亜駆斗は困惑する。だが彼女はグイグイ来る。
「最初は4ページとか短いのでいいから。なんなら4コマ漫画でもいいよ。何でもいいからチャレンジしてみない? 折角漫画部に入ったんだからさ」
「そうは言うがド素人だぞ。絵なんて美術の授業でしか……」
「わ、私が教えます……!」
絵美梨が挙手する。
「そうだね絵美梨ちゃんは亜駆斗の為にプレゼントも用意してきてるみたいだし」
「部長! それはその、たいしたものではありませんがこれを……」
絵美梨は自分の鞄を漁り、一冊の本を手に取って亜駆斗に渡してきた。
「やさしい人物画……?」
「デッサン本です。人体の構造を理解しておけばどんなポーズも無理なく描けますから。まずは模写から始めてデッサンを学ぶといいでしょう」
「よくわかんないけど、ありがとう光神さん」
「私に出来ることはこれくらいですから……では早速作画の練習をしてみましょうか」
サラの原稿用紙を絵美梨は渡し、亜駆斗は自分の鞄から筆箱を取り出す。絵美梨はやさしい人物画のページを指定し、亜駆斗はその通り開き、シャーペン片手に模写を始める。見れば彼女は同じ本を持っている。わざわざ二冊買ったのだ。その厚意に甘えて亜駆斗はめいいっぱい放課後を絵の練習に使った。
「自分は全然描けないと思ってたけどちょっと上手くなった気がするな……光神さんのおかげだよ」
「そんな……お役に立てて光栄です」
「二人ともそろそろいいかな、続きは明日ってことで。亜駆斗、ちゃんと新歓用の漫画考えてきてよ」
「はいはいわかってますよ部長さん」
外も薄暗くなってきたので今日の漫画部はお開きとなった。亜駆斗は荷物をまとめて帰ろうとする。と麗奈が声を掛けた。
「今日こそ一緒に帰ろうよ亜~駆斗!」
「お断りする」
「まぁまぁそう言わずに」
麗奈が強引に腕を組んできたので、致し方なく亜駆斗は一緒に帰ることを承諾する。
「わかったわかった。だから離れてくれよ」
「ひょっとして腕組み、恥ずかしい?」
「言わせるなよ」
照れる亜駆斗を尻目に麗奈はニヤニヤ笑う。だがちゃんと言われた通り離れた。二人は並んで校門を出て下校する。
道中亜駆斗はふと自分が抱える問題について、気まぐれに麗奈の意見を聞いてみることにした。
「なぁ麗奈、もし目の前に恐怖の大王が現れたらどうする?」
「恐怖の大王?」
「ほら、ノストラダムスの大予言の、人類を滅ぼすって奴。どうするよ」
「あはは」
麗奈は笑い転げる。聞くんじゃなかったと亜駆斗は後悔するが遅い。
「おかしなこと言うね亜駆斗は」
「やっぱり信じてないか、恐怖の大王なんて」
「ううん、恐怖の大王はいるよ。でも普通恐怖の大王は自分が恐怖の大王だってバレないようにするから、そんなシチュエーションは起こらないよ」
亜駆斗からすれば麗奈の方がおかしなことを言っているように思えた。そんなことは起こり得ない? 現に恐怖の大王が名乗り出ているのに? しかし客観的に考えればやはり麗奈の意見の方が理に適っていて、自分の方がおかしな状況に巻き込まれているのだとも思える亜駆斗だった。
「あっ、もしかして恐怖の大王を漫画のネタにするとか?」
麗奈が見当違いなことを言った。しかしこの案は参考になると亜駆斗は思った。
「そっか、その手があったか……」
「それじゃ、私家あっちだから」
公園の前まで来て、麗奈は手を振りながら亜駆斗と別れた。時間も遅くなっていたので公園には寄らず亜駆斗もまっすぐ家に帰る。
「ただいま、遠野深雪、いるか?」
玄関で声を掛けるが返事はない。亜駆斗は自分の部屋に向かう。するともぬけの殻であった。ベッドの上の掛布団は綺麗に畳まれている。遠野深雪――恐怖の大王の不在に焦った亜駆斗は家の中を探し回る。
「おい、遠野深雪! いたら返事しろ!」
しかし返事はない。リビングに置いていった朝食は食べられていた。そこで亜駆斗は彼女の書き置きを見つけた。
「お世話になりました。探さないでください。さようなら……だって!」
書き置きを読み上げ、震える亜駆斗。あんな傷だらけの状態でもう外へ出ていってしまうなんて。心配で探すなという方が無理があった。
どうしたらいいのか、軽いパニックになる亜駆斗。クールになれと自分を落ち着かせようとする。昨日までとは違う、もう素性を知っている。それならば「遠野深雪」を知っている人物に声を掛けてみればいい。
亜駆斗は急いで麗奈に電話を掛けた。
「はいもしもし、上原です」
「俺だよ」
「亜駆斗? どうしたの? 漫画のことで何か……」
「いや、遠野深雪のことなんだけど……」
そこで亜駆斗は麗奈に話した。昨日遠野深雪に遭遇して傷だらけの彼女を保護したこと、そして今しがた帰ったらいなくなっていたことを。そして彼女が行きそうなところがどこかを訊いた。
「ごめん、亜駆斗、見当もつかないよ……」
「待てよ、遠野深雪は休学中って言ってたよな。じゃあ普通に家とか……」
「それがね亜駆斗、深雪先輩は本当は休学じゃなくて行方不明になってたの」
「えっ? なんだって!」
「ずっと家にも帰ってなくて、お母さんが捜索届を出してた。でも深雪先輩のお父さんお母さんも後を追うように行方不明になって……全く警察も消息を掴めてなかった」
「そう、なのか……」
「私の推理では深雪先輩は警察以上の大きな組織に捕まっていたんだと思う」
「警察以上の組織、だと? なんだそれ」
「あくまで仮定の話だけど、そこから逃げ出してきたんじゃないかな」
突拍子のない話にクラクラする亜駆斗。だがよくよく考えれば辻褄が合う気がした。本当に遠野深雪が恐怖の大王なら麗奈の言うような巨大組織が放っておかないだろう。そしてそこから逃げ出した時に傷つけられたと考えると自然であった。
麗奈なら遠野深雪の秘密を知っているのか、と亜駆斗は質問してみる。
「なぁ麗奈、そこまでされる深雪先輩って何者なんだ?」
「さぁ、漫画部の部長としてしか知らないよ。でもどこかミステリアスな人だったと思う」
「そうか……わかった、ありがとう」
亜駆斗は遠野深雪が恐怖の大王を名乗っていたことはあくまで伏せておくことにした。
一応遠野深雪の家の住所を聞き出し、他に手掛かりもないので亜駆斗はそこに向かうことにした。
「そこの君!」
亜駆斗は遠野深雪の家に行く途中、突然声を掛けられた。振り返れば闇夜に溶け込むような黒いスーツのスキンヘッドの、筋骨隆々とした男が立っていた。夜で辺りは真っ暗だというのにサングラスをしている。
「何ですか? 俺急いでいるんですが」
「ちょっと尋ねたいことがあるのだが」
黒服の男は胸ポケットから一枚の写真を取り出して、それを亜駆斗に見せた。
「この娘を探しているんだが、見覚えはないか? 君と同い年くらいなのだが」
その写真に写っているのは白髪赤眼の少女だったものだから、亜駆斗は内心ギョッとしていた。
遠野深雪を、どうしてこの怪しげな男が探しているんだ?
「さぁ、知りません……」
「そうか。知らないならそれでいいんだ。このことは忘れてくれ。呼び止めてすまなかった」
スキンヘッドの男の不穏な口ぶりからも、ここは嘘をついて正解だったと思う亜駆斗だった。解放されて急ぎ足になる。
一刻も早く遠野深雪を探さないと。あんな怪しい黒服に先に見つけられる前に。
「被検体E-57を発見」
一方新ノ宮市内のどこかの公園で、黒服の男が5人ほど、白髪赤眼の少女を取り囲んでいた。黒服はゴツイ無線機を取り出して更に仲間を呼んでいた。
「被検体E-57、大人しく我々と一緒に来てもらおう」
「断る、と言ったら?」
「その場で処断する」
「処断? フフフ、そんなこと出来るのかしら。この私に」
「ほざけ!」
5人の黒服は一斉に懐から銃を取り出しアルビノの少女に向けた。しかし遠野深雪は笑っていた。
黒服はいきり立って少女に向かって撃った。しかし弾道は不自然に逸れて一発も彼女に当たらなかった。
「クソッ」
「今度はこちらから行くわ」
遠野深雪が宣言すると突然黒服の一人が宙に浮かび、吹っ飛んで遠くの木に叩きつけられ、幹を真っ赤な血で染めた。黒服が独りでに吹っ飛んだのか。否。彼女が目に見えない力を発揮してこうなったのである。
所謂超能力者――ESPの使い手なのである、遠野深雪は。
恐怖に駆られながらも銃を撃とうとする黒服。しかし腕がねじれ、遠野深雪ではなく仲間を撃ち殺してしまう。その間に1人は全身がねじれ、骨が折れて血が噴き出した。更にもう1人は天高く体を持ち上げられ、落とされて絶命した。仲間を撃った男だけが生き残ったが、腕が更にねじくれて自分の頭に銃を突き付けていた状態だった。
その生き残りの前に近づいて、遠野深雪はこの世の者とは思えない魔性の笑みを浮かべる。
「東亞機関が私をもう追わないと約束するなら、あなたの命は助けてあげてもいいわ」
「それはできない……おそらく上が許さないだろう……だが助けてくれ! この場は見逃すから!」
「ダーメ、あなた達、無線で応援を頼んだでしょ」
「彼らにも下がらせるから……頼む!」
「大丈夫、皆殺しにするから。彼らの戦意を少しでも削ぐように惨たらしく死んでね。さよなら」
遠野深雪がそう言うと黒服は己の意思に反して引き金を引き、自殺した。
瞬く間に5人の黒服の男は無惨な死体を野に晒し、その場に息をしているのは白髪の死神だけであった。
遠野深雪は死体から財布を漁ると、当てもなく彷徨うのだった。ふと亜駆斗の顔が浮かんだが、いつ何時黒服に襲われるやもしれぬ身故、頼ることはできないと思っていた。
亜駆斗は遠野深雪の家まで行ったものの、家の前で黒服が2人ほど張り込んでいるのを見て諦めて帰ってきた。彼女は追われる身であるらしいことはわかった。
そうだ、仮に恐怖の大王なら日本政府とかそういうのが放っておかないもんな。亜駆斗はそう考え遠野深雪のことを忘れようと思った。しかしどうにも気がかりで好きなゲームにも熱中できない。
いっそ漫画にしてやろうと亜駆斗は考えた。恐怖の大王と出会い、別れる話を描く。モヤモヤした思いを創作にぶつけることで、気を紛らわそうとした。
次回「運命の再会」