第十四話 蒼玉の瑕疵
読者が泣かずともエリサベータの為にオレが泣く!
全俺が泣いた(TДT)
まいど誤字報告ありがとうございます!
本当に助かっています(^O^)/
エリサベータは大きな鞄一つ手に持ち、修道院へ向かう為に馬車に乗ろうとしていた。
「エリサ……本当に行くのか?」
父に別れを告げると返ってきた引き留める言葉。
「どうしてエリサがこんな目に……」
母がエリサベータに縋り付き泣き出した。
「お父様、お母様……もう決めた事です」
無理に笑うエリサベータにヴィーティン夫妻は悲痛な顔を浮かべた。
「このままでは皆に迷惑が掛かります。お父様にも、お母様にも、領地の臣民にも、そして……」
──レイ様……
最愛の人を想い浮かべれば心が痛む。
エリサベータはヴィーティン夫妻に、愁顔を向けると深々と頭を下げた。
「お父様、お母様、育てて頂いた御恩をお返しできない不出来な娘をお許し下さい」
「何を言う!お前を助けられなかった不甲斐ない父を許してくれ……」
ヴィーティン子爵は堪らず涙を流した。
彼もまた愛娘を救おうとしたが、国王の権力さえ及ばぬ『冒涜の魔女』に、一地方の領主でしかない子爵如きではどうする事もできなかった。
「エリサ……エリサ……」
ヴィーティン夫人は泣き崩れ、ただひたすらに娘の名前を呼び続けた。
自分の身をこんなにも案じてくれる父と母の姿に、エリサベータの目にも涙が溜まる。これ以上ここに留まっていてはいけないとエリサベータは心を決めた。
「それでは今までお世話になりました……」
──未練は見苦しい……
エリサベータは決心が鈍る前にと、急いで馬車に乗り込もうとした。
その時、エリサベータの耳に彼女の名を呼ぶ声が聞こえた様な気がした。
タタッタタッと馬が疾駆する音が、ヒヒーンと鳴く馬の嗎と共に近づいてきた。
「開門!」
屋敷の門前で馬に跨がり叫ぶ男。
綺麗な白銀の髪に涼やかな青い瞳。王都の令嬢達を騒がせる美貌の貴公子。
レイマン・ファルネブルク・ドゥ・ナーゼルの姿がそこにあった。
「レイ様!」
王都から殆ど休まずに来たのか、馬はもう息も絶え絶えで体力を使い果たしているようだ。その馬を操っていたレイマン自身も草臥れた様子が窺えた。
「エリサ!」
レイマンは自身も体力を使い果たしているだろうに、疲れて伏せた馬から飛び降りてエリサベータへ向かってよろよろと駆け寄った。
「レイ様……」
会いたくて会えなかった最愛の人。その愛しい人が目の前にいる。必死になって自分に近づいて来てくれている。
「本当に……」
エリサベータも覚束ない足取りでレイマンへと歩んだ。
「エリサ……会いたかった」
そのレイマンの言葉にエリサベータの心は喜びで満たされた。レイマンも同じ気持ちでいてくれた。そのことが悲しみと寂しさで張り裂けそうだった胸を、喜びと嬉しさで一杯にしてくれた。
「私もです……私も会いたかった……」
エリサベータは辛抱できず、レイマンの胸に飛び込んだ。レイマンの温もりを感じたくて、包まれたくて。
レイマンは堪えきれず、エリサベータを己の胸に掻き抱いた。エリサベータを失いたくない、離したくない、そう叫ぶように。
「エリサ……ああ、エリサ!君に会えなくて胸が張り裂けそうだった」
「私も……レイ様に会いたくて、会えなくて、寂しくて、切なくて……」
二人はお互いの背に両腕を回し、力一杯抱きしめた。
レイマンの温もりを、匂いを、鼓動を、レイマンの全てを感じたい、レイマンの全てに包まれたい。その想いに突き動かされて、エリサベータはレイマンの胸に顔を埋めた。
「レイ様!レイ様!レイ様!私……レイ様に会いたくて……胸が辛くて、苦しくて……心が壊れてしまいそうで……」
「エリサ!私も君を失ったら思うと気が狂いそうだった……」
側にいたい、声を聞きたい、温もりを感じたい、離れたくない、離したくない、失いたくない……お互いの想いは重なっていた。
重なっていたから、あらん限りの力で抱きしめ合った。
しかし……
──駄目よ離れなきゃ!
エリサベータの冷静な部分がレイマンとの別れろと告げる。それが、最愛の人を守るたった一つの手段だから。
──離したくない!離れたくない!ずっとお側にいたい!レイ様の胸の中にずっと!ずっと!ずっと!だけど……
エリサベータは両手でレイマンの胸を押し退けると、二、三歩距離を取った。
「最後にお会いできて良かった」
「最後?」
エリサベータは無理矢理に笑顔を作った。
「私はこれから国外れの修道院へ向かいます」
「エリサ!!!」
これ以上レイマンの顔を見ていては決心が鈍る。エリサベータは視線を外す様にレイマンに背を向けた。
レイマンは彼女のその拒絶に大きな衝撃を受け、動く事ができなかった。エリサベータの心はもう自分には向いていないのではないかと、弱気になりそうだった。
「お帰り……ください……うっ、うう……」
突き放そうとしたが、堪らずエリサベータは嗚咽を漏らす。
その微かに聞こえる泣き声と、僅かに覗く頬に流れる雫に、レイマンは失いかけた勇気をもう一度呼び起こした。
「エリサは私の事が嫌いか?」
レイマンの問いに背中を見せたまま、エリサベータはふるふると首を振る。
「エリサは私と別れたいのか?」
その問いにエリサベータは、はっとレイマンに顔を向けてしまった。ぼろぼろと涙を流す顔を見せてはいけないと思っても、レイマンから視線を外すことができなかった。
左右の造形が変わった顔。
見るものに嫌悪感を催させる異相。
エリサベータの変わり果てた容貌に、しかし、レイマンは瞳の輝きだけは変わらないと確信した。
「エリサに話がある」
「お話?」
レイマンは頷いた。
「ここへ来る前にハプスリンゲ嬢の訪問を受けた。彼女は一つ提案を持ってきた」
レイマンはそう言うと小さな木箱を取り出してエリサベータに見せた。
「ハプスリンゲ公爵家は『エルフの秘薬』を家宝として所持している」
「『エルフの秘薬』!?」
あらゆる病を治癒し、あらゆる呪いを解くと言われた伝説の万能薬。エリサベータもその存在は知っていた。
この忌わしい呪いを解くことができるかもしれない、エリサベータにとって希望の薬。
──それではこの箱の中は!?
「『エルフの秘薬』を譲り渡す事はできないが、私がハプスリンゲの継嗣となれば君に渡してもよい。それが彼女の提案だ」
「それは!」
つまりエリサベータの呪いを解くには、レイマンがアグネスと結婚するということ。
エリサベータの呪いが解けても、彼女の隣にレイマンが立つことがないということ。
嫌!嫌!絶対に嫌!
エリサベータの心は拒絶の叫び声を上げた。
──レイ様が隣にいないなら、呪いが解けても何の意味も無い!
いっその事、このまま修道院へ入った方がまだましだ。そうすれば少なくともレイマンが誰と結婚しても近くで見ることはないのだから。
この時になって、エリサベータはデビュタントでのアグネスの言葉の意味を、その気持ちを理解した。
彼女は言った。私達の望みは全て、レイマンの為だと。レイマンの想いを得られなければ、この美貌には何の意味もないのだと。
──アグネス様の悲しみも、苦しみも……そのお気持ちを全く理解していなかった。私はなんと浅はかなの。
暗い想念がエリサベータの心を支配する。
こんな醜悪な自分よりも、アグネスの方がレイマンには相応しいのではないか?
あの美しく気高い、貴族として瑕瑾の無い素晴らしい令嬢の方が……
エリサベータの心は絶望と悲嘆で塗りつぶされた。
「アグネス様と……ご婚約されたの……ですか?」
「私が愛しているのはエリサだけだ。君だけを幸せにしたい」
レイマンはエリサベータに愛を告げると、小さな木箱の蓋に手を掛けた。
「これを受け取って欲しい」
──嫌!そんな薬いらない!!!
エリサベータは心の中で絶叫した。
それはエリサベータにとって希望の薬であると同時に絶望そのものでもあった。
レイマンが蓋を取り払う。
その木箱の中には布が敷き詰められており、大切に安置されていたのは……
青色に輝く美しい……
蒼玉だった……
その綺麗な青い石の輝きを見て、エリサベータは驚きで目を見張った。
「これは……この蒼玉はもしかして!」
「約束しただろ。結婚を申し込む時に、この蒼玉を贈ると」
レイマンはエリサベータに瑕疵の無くなった蒼玉を差し出した。
「私と結婚してくれ」
「で、ですが私はこんなに醜く……レイ様に相応しくはありません」
エリサベータはレイマンを直視できず顔を背けた。
「エリサは美しいままだ。例え顔がどんなに変わろうとも君の心は変わらない」
「ですが、この顔では社交に出ること叶いません」
「必要ない」
迷いなく即答するレイマンにエリサベータは困惑した。
「しかし、侯爵の身でそれは……」
「家督ならヴェルリッヒに譲った。私はもはやナーゼルの一領主に過ぎない」
「レイ様!」
レイマンの衝撃的な発言にエリサベータは息を呑んだ。
「エリサは醜くなった自分は私に相応しくないと言ったね。じゃあ、逆に問おう。侯爵を継げなくなった私はエリサに相応しくないかい?」
エリサベータはポロポロ涙を溢しながらふるふると頭を振った。その大粒の涙はどんな真珠よりも輝いていて儚い。
「私は心まで醜い女なのです。この顔になってから、レイ様を奪られたくなくて、失いたくなくて、他人を羨み、妬み……私はレイ様に相応しくない酷い女です」
「それを言うならハプスリンゲ嬢の提案を蹴った私も酷い人間だ。この提案を受ければ君を呪いから解放できたかもしれないのにだ」
レイマンの顔が悲痛に歪む。
「エゴだと分かっている。本当はエリサの呪いを解くべきだと。それが君の為だと分かっている。だけど君の横に私以外の誰かが立つ事に私は耐えられない!」
「私も……私もです!例え呪いが解けても、レイ様が隣に居ないのは嫌です」
「お願いだエリサ。私の側にいてくれ」
「レイ様のお側にいたい!でも、瑕疵あるこの身ではレイ様にご迷惑が……」
エリサベータはもう堪えきれず涙を流した。
「エリサは何も変わっていないよ。傷で蒼玉の輝きが失わないように、エリサも呪いでその輝きを失ってはいない」
レイマンは両手でエリサベータの両頬を包み、少し顔を持ち上げる。彼女の目からは悲しみに満ちた涙がはらはらと流れ落ちていった。
「変わらない。エリサの瞳の奥にある輝きは美しいままだ」
「レイ様……」
レイマンは両手でエリサベータの両頬を包み、エリサベータの変わらぬ青い瞳を見詰めた。
「私にはエリサだけなんだ。エリサが好きだ!」
「私も、私もレイ様だけ。レイ様が全てです……好きです。大好きです!」
二人の視線は熱く絡み合う。
ただ二人だけの時間、ただ二人だけの世界。
「エリサの瑕疵ごと、君の全部が愛おしい」
「レイ様……愛してます。他の誰よりもレイ様を愛しています」
エリサベータの悲しみだけの色に染まっていた涙を愛おしそうに指で拭うと、レイマンは彼女の唇に優しく自分の唇を重ねた。
その唇も半分は艶やかで柔らかく、半分はかさかさに干涸びていたが、エリサベータのものであればレイマンにとっては何でも良かった。
レイマンはエリサベータを欲した。
その激情を抑える事はできなかった。
だから一度離してから再び重ね、エリサベータの唇を貪った。
何度も何度も……
やがて、そっと離れる。
エリサベータの顔は初めての経験にぽーっと上気し、レイマンを潤んだ瞳で見詰めたていた。
その表情は、嬉しさ、喜び、愛しさ……そういったレイマンに対する恋慕で染まっていた。レイマンはその顔を見てエリサベータへの愛おしさを抑えきれず、その衝動を言葉として発した。
「愛している。エリサ結婚してくれ!」
「はい……はい……」
きらめく涙を流しながらこくこくと頷くエリサベータ。
突如、わっと、ヴィーティンの屋敷が喝采で湧いた。
二人が驚き周囲を見回すと、ヴィーティン子爵夫妻を始め、家人達までもが感涙に顔をくしゃくしゃにしながら祝福していた。
二人は皆にずっと見られていた事に少し恥ずかしくなった。
「婚約申し込んだ時の事を思い出したよ」
「ふふふ。私もです」
レイマンとエリサベータは顔を見合わせて笑みを浮かべた。
「エリサ!この蒼玉を受け取ってくれるね?」
「はい!喜んでお受け致します」
皆が優しく見守る中、エリサベータは美しく輝く蒼玉を嬉しそうに受け取った。
ついに結ばれた二人……
そして伝説……じゃなかったエピローグへ




