第十一話 其々の苦悩
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ナターシャは王都から姿を消したエリサベータを追って、ヴィーティン領を訪れていた。
「よかったのですか?エリサ」
カーテンも締め切られ暗く沈んだ空気に支配されたエリサベータの部屋で、ベッドに腰をかけてナターシャはエリサベータの彼女の膝の上でぎゅっと握られている両拳に、己の両手を優しく添えながら尋ねた。
普段は気が強く、鋭い眼光はいつも周囲を怯ませているが、しかし、今はその勝ち気な瞳に憐憫の色が見て取れた。
「このままレイマン様と婚約を解消してもいいの?」
俯いていたエリサベータの肩が、ナターシャの言葉にびくりと反応した。
「愛しているのでしょう?」
エリサベータは顔を上げナターシャを見詰めた。その瞳には涙が溜まっており、顔を上げた拍子に流れ落ちた。
「愛して……います……」
彼女の美しい顔も、変わり果てた顔も、悲痛に歪んだ。
「愛しています!でも……この顔ではレイ様のお側にはいられない!」
ナターシャは初めて見る、エリサベータの声を荒げる様に少し驚いた。ナターシャの記憶にある限りでは、気性の穏やかな彼女が怒鳴った事はただの一度もない。
「私は顔の良し悪しなど気にする事に意味などないと思っていたの。人にはもっと大事なものがあるって……でも、いざ己の身が醜くなると人の美醜ばかり気にしてしまう」
エリサベータは必死に苦しみに耐えるかの様に両手で頭を抱えた。
「顔だけではないわ。こんな事を思う私の心も醜い!」
そう嘆くエリサベータに、ナターシャは溜息を吐いた。
「それは違うわエリサ。貴女は美醜を気にしなかったのではない。美醜に価値を見出さなかっただけ。でもレイマン様に恋をして、貴女は初めて美醜の価値を知ったの」
「でも、私は嫉妬して……心配してくれているナターシャの綺麗な顔にまで嫉妬して……私の為に動いてくれたアグネス様にも……」
アグネスはエリサベータへの誹謗中傷に苦言を呈していた。もっとも、公爵家令嬢のアグネスの制止も広まり過ぎた悪意の歯止めには至らなかったが。
ナターシャからその話を聞き、アグネスへの感謝と共に、自分の奥底にアグネスへの羨望と嫉妬が微かにある事に気が付き、エリサベータは愕然としつつ己を嫌悪した。
「アグネス様は貴族の矜持がとても高い方だから、規範となるべく振る舞うのよ。他の貴族の振る舞いに対しても」
「私はそんなアグネス様を妬んだのよ。あの方は誰よりも綺麗で、その心根も素敵で……それに比べて私は……」
「嫉妬や羨望は誰もが持つ感情よ。それは王都の貴族達だけじゃない。私にも、アグネス様にだって……もちろん貴女にもよエリサ」
そう慰めるナターシャの声も、エリサベータの心には届かなかった。エリサベータの目から涙が溢れ、対照的な両頬を流れて落ちる。その光る雫はどちら側も変わらず綺麗だとナターシャは思う。
「レイマン様が好きなのでしょう?」
こくりと頷くエリサベータ。ナターシャはその彼女の両肩を掴む。
「レイマン様を愛しているのでしょう?」
こくりと頷くエリサベータ。ナターシャは掴んだ両肩を揺さぶる。
「レイマン様のお側にいたいのでしょう?」
はっと顔を上げたエリサベータは、しかし直ぐにぐっと何か耐える様な表情になると、ふるふると首を振った。
「私の様に姿も心も汚れた者などレイ様はお嫌になられるわ。それにレイ様はお優しいから受け入れてくださるかもしれないけれど、それでは私はレイ様の栄達の邪魔をしてしまう」
エリサベータの言いたい事は分かる。侯爵の様に高位の貴族夫人となれば顔もまた武器。逆に醜い、それも呪いによるものとなれば各方面からのあたりは強いだろう。政敵からの攻撃材料とされ、レイマンにも被害が及ぶ事は十分に考えられる。
「エリサ……貴女は頭で考え過ぎなのよ。もっとここで感じて動きなさい」
ナターシャはエリサベータの前に立つと、自分の胸に手を当ててエリサベータを諭した。
「だけどレイ様に迷惑がかかったら……」
「貴女はとても賢いわ。それに恤民の心も篤い。相手を思い遣り、自分の身を犠牲にできる素晴らしい女性よ。だけど他人だけじゃない。自分の幸せも考えなさい!」
ナターシャは段々と語気を荒くしていく。そんなナターシャの姿にいつも毅然としていたエリサベータは怯えた瞳で彼女を見上げた。
「ねえエリサベータ。貴女の幸せは何処にあるの?」
「ナターシャ……」
ナターシャは顔だけではなく、その心まで弱く変わってしまった親友を悲痛な目で見詰めた。
「私は……私は貴女が幸せでない事を許せない」
それだけ言い残すとナターシャはエリサベータを置いて部屋を出て行った。ナターシャは部屋を出る時に一度エリサベータを振り返って見たが、彼女はベッドに腰掛け俯いたまま微動だにしなかった。
──レイマン様は何をしているの!
ナターシャは傷ついた親友を見て、彼女の婚約者に向かっ腹を立てた。
──ギュンター様がレイマン様を上手く誘ってくれるといいのだけど……
王都の頼れる婚約者の事を想いながら、ナターシャは馬車に乗ってヴィーティンの屋敷を後にした。
屋敷から離れていくその馬車を窓からエリサベータはカーテンの影に隠れて、じっと眺めていた。
ナターシャは美しいだけではなく活発で魅力に溢れた令嬢だ。そんな親友を誇らしくも思い、妬ましくも思う自分がいる。
──私はあさましい。
自分の顔が他者と比べて美しいのは知っていた。
だがエリサベータはその事に無頓着であった。そんなものはレイマンとの関係には影響するものでは無いと思っていた。
だが、顔を歪に変えられて、エリサベータは初めて知った。
他者への嫉妬を……
他者への羨望を……
そして、最愛の人が自分をどの様に見るのか、どの様に感じるのか、憐れむのか、嫌悪するのか……
レイマンへの慕情が募るほど、彼から向けられる負の視線を想像してエリサベータは苦悶する。
怖い、恐い、こわい……
レイマンからの拒絶される事を想念して、エリサベータは胸をぎゅっと握り締めた。
胸が苦しい、痛い……
エリサベータは恐る恐る姿見に目を向けた。
今までの事が全て悪夢で、夢から醒めて元の綺麗な顔に戻っていないか……そんなありもしない一縷の望みを抱いて。
しかし、そこに映るはやはり恐ろしく醜い異貌。
左に残された美貌が一層に醜貌を引き立てエリサベータを苛め、過去の自分を想起させて、悲しみをより深くさせる。
いっそのこと全て醜く変えられていた方が諦めがついた。
だが残された執着を呼び起こす。元の顔への羨望が捨てきれない。
醜い!顔よりも心が醜くなる……
これは私の心なのだろうか?
黒く、暗く、闇へと堕ちる自分の心にエリサベータは悲しみ、慄いた。
「レイ様……会いたい……会いたいの……」
愛しい人の姿を想うと、耐え難い苦しみと寂しさと共に、胸の中で微かに温かく、小さく灯る光をエリサベータは感じた。
だが……
「会えない……会ってはいけない……」
会えばせっかくファルネブルク侯爵家の嫡子になったレイマンの足を引っ張ってしまう。
「それに……」
エリサベータは己の右の顔に手を当てた。
それは醜悪に変わった己の顔。
レイマンがこの顔に嫌悪したら、自分はどれ程に心が痛むだろうか。
レイマンにこの顔を拒絶されたら、自分はどれ程に絶望してしまうだろうか。
愛しい人に嫌われたくない、避けられたくない、疎まれたくない。だからレイマンへの恋慕が強くなるほどに、レイマンに醜顔を見せることへの恐怖もまた強くなった。
「レイ様……大好き……愛してるの……」
エリサベータは最愛の人がいるであろう王都の方角を見詰めた。
「寂しいの……会いたいの……」
エリサベータは悲嘆に暮れ、その場で崩れ落ちて、己を掻き抱きながら涙を流した。
「だけど……私はもう……」
その日エリサベータは全てを捨てて、修道院へ入ることを父母に告げた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ギュンターは王都のファルネブルクの屋敷に戻ったレイマンを訪ねていた。
「このままでいいのかレイ?」
温厚な彼にしては珍しく語気が荒かった。
やっと奔走する親友を捕まえてみれば、彼の元にはヴィーティン家から婚約解消の申し出が来ており、レイマンは茫然とそれを眺めて立ち尽くしていた。ギュンターはそんなレイマンを叱咤し激励しようと思ったのだ。
「このままエリサと婚約を解消してもいいのか?」
親友ギュンターの言葉に、普段は爽やかな目元が険しくなった。
「いいものか!いいわけがない……だけど」
いつになくレイは語気を強めて否定しながらも、最後は言葉も気勢も弱々しくなる。
ヴィーティン家からの婚約解消の申し出。それだけなら問題は無かった。拙いのは、ファルネブルク家の親族からも婚約を取り止めるように圧力が掛かっている事だった。
まだ嫡子であり、正式にファルネブルク侯爵を襲名していないレイマンにとって、親族を敵に回す事は侯爵の座を諦めるに等しい。
そんなレイマンの逡巡する様子にギュンターは小さく嘆息を漏らした。
「だったら何故ここでうじうじしている」
「私はただエリサの呪いを解く方法を探しているだけだ!」
イライラしているレイマンは声を抑えきれず激しやすい。そんなレイマンをギュンターは落ち着いた碧の瞳で静かに見詰めていた。
「エリサの呪いさえ解除できれば全てが解決するんだ」
「解ければな……だがかの『冒涜の魔女』の呪いが、そう簡単に対処できるとは思えんが」
「エルフの秘薬か聖女の力があれば……」
エルフの秘薬。森の奥深く、人の踏み込めない領域に生活しているエルフは、美しい外見だけではなく、高い魔力と計り知れない叡智を持つ種族だ。エルフの持つ秘薬はどんな病も、どんな呪いも治せると言われていた。しかし、昔は交流のあったエルフも、住処に結界を張って人との交流を避けている。今ではこの秘薬は滅多にお目にかかれない。
聖女は人の世に神の代弁者として現れる、神の癒しの御業を行使する者のことだ。その出現に規則性はなく、また何処の国に誕生するかも分からない。また、聖女と認定されれば、その国で厳重に管理されるため、会うのも困難である。今のところ聖女が出現したとの報を受けたことはない。
「確かにそのどちらかがあれば呪いもなんとかできるかもしれんが……」
「今、探しているところだ」
「そうそう見つかるものではあるまい。手遅れになるぞ」
ギュンターは溜息をついた。レイマンは優秀な男だが、肝心な所で臆病になる気質があるとギュンターは見ている。行動するのに準備や理由を必要としてしまうのだ。
「それとも貴様は、エリサベータが醜くなって結婚を躊躇ったか?」
ギュンターは少しレイマンを煽る事にした。
「違う!例え呪いが解けずとも、私の伴侶はエリサ以外には考えられない」
「本当にそうか?」
激しく憤り、強い視線で射抜いてくるレイマンにも、ギュンターは全く動じず冷ややかに対応した。
「ナターシャから聞いたぞ。随分と醜く変えられたとな。その醜悪さに耐えられなくなったのではないか?」
「何を言うか!エリサは美しい女性だ!顔が呪いで醜く変えられようとも彼女の心を穢せるものは何もない!」
レイマンはバンッと机を強く打ち付けると勢いよく立ち上がった。
「どうする気だ?」
「家督をヴェルリッヒに譲る」
「待てレイ!」
部屋を出て行こうとするレイマンの腕をギュンターは咄嗟に握った。
「何故止める。嗾けたのはお前だろ?」
「自棄や勢いだけなら止める。それはお前もエリサベータも不幸にする。真にエリサベータと一緒になりたいのか今一度自問してから決断しろ」
「するまでもない」
レイマンは不敵に笑った。
「レイ……お前」
「ギュンターがせっかく私の為に悪役を買ってくれたのだ。失望はさせんさ」
レイマンにはギュンターが自分を態と煽っている事は分かっていた。全てを捨てる覚悟の後押しをこの親友はしてくれたのだ。
「全くお前は……レイ、お前がファルネブルクを捨てても俺の友情は変わらん。何かあったら必ず力になる」
「ああ、私はギュンターの友情を疑った事はないさ」
それからのレイマンの行動は早かった。
兄を崇拝する弟が家督移譲に猛反対したが、レイマンはそれを説き伏せると、今度は立ち塞がる一族の了承を力尽くで捥ぎ取った。
こうして準備を整えたレイマンが屋敷を飛び出そうとした時、侍従が意外な客の来訪を告げた。
「レイマン様。アグネス・ハプスリンゲ様が重要な用件とのことでお見えです」
心折れ修道院へ行くことを決めたエリサベータ。
ここで登場するアグネス。
彼女の来訪の意味は?
次回「公爵令嬢の提案」
ついにアグネスのターン!




