第十話 冒涜の呪い
ついに物語は動き出す!
ここからの5話で外した矢を拾って長岡様をブッ刺さしにいきます(≧▽≦)
届かなかった矢は強引に押し付ける!(・ω・)ノ
エリサベータの前には文字通り招かざる客がいた。
艶やかに波打つ全てを溶かし込みそうな闇夜の髪、見るもの全てを引き摺り込みそうな深淵の瞳、身に付けているローブはそれにも劣らない不気味な漆黒。
対照的に病的なまでに白い肌と見た者を魅了しそうな美しい切れ長の目、ローブの下から押し上げる豊満な肉体は男達を惑わせそうだ。
今エリサベータの前に立つのはそんな二十代くらいの蠱惑的な美女だった。
全体的に不吉な印象を与える黒い美女は不敵な笑いをその顔に貼り付け、エリサベータを挑発的な目で見据えていた。
侍女や従者がエリサベータを庇おうとするのを制して、忽然と屋敷の中に現れたこの漆黒の美女を睨み付けた。
「招いた覚えはございませんが、いったいどちら様でしょうか?」
「ふふふ……この妾を前に随分と威勢の良い小娘よ」
だが漆黒の美女はそんなエリサベータや周囲の警戒するヴィーティンの家人達を歯牙にもかけないといった態で、余裕の笑みを浮かべるだけ。そしてエリサベータから視線を外すと周囲を見回した。
「ふむ、脆弱な守りよな……これなら問題あるまい」
一人納得するように頷く漆黒の美女に家人達が色めき立つ。
「脆弱だと!」
「エリサベータ様お下がりください」
「ここは我らが!」
それでも漆黒の美女は涼しげな顔だ。彼女は熱り立つ家人達を無視して視線をエリサベータに戻した。
「妾は『冒涜の魔女』と呼ばれる者。真の名は忘れた……」
「なんだと!」
その有名な名前を聞き家人達に動揺が走った。
「さて始めようか」
冒涜の魔女を名乗った美女から黒い靄のような不吉な何かが立ち登る。
「其方は妾にどんな嘆きを聞かせてくれる?」
冒涜の魔女の笑い声がヴィーティンの屋敷中に響き渡った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「エリサ!」
知らせを受けてレイマンは慌ててヴィーティン家へと来訪した。その彼は家人達が押し留めるのを無理矢理に払い除け、エリサベータの部屋へと押し掛けたのだ。
部屋にはエリサベータの他に彼女の肩を抱き慰めるナターシャの姿もあった。
「レイマン様!女性の部屋に無断で入って来るとは何事です!」
突然乱入してきたレイマンをナターシャは一喝した。レイマンは一瞬たじろいだが、それでも部屋を出ることはしなかった。
いや、出来なかったのだ。エリサベータの変わり果てた面貌を見て体が動かなかった。
「レイ様……」
突然の登場したレイマンに驚き、思わず上げたエリサベータの顔。その涙で濡れた顔の左半分は変わらず玉貌であるのに対し、右半分があまりに酷い悪相と化していた。
きめ細やかな雪の如き白い肌が、どす黒く変色し痘痕が沸き顔の形を歪に変え、滑らかで銀色に煌めく髪はくすんで艶を失い、輝く蒼玉の如き美しい瞳は不安と絶望でくすんでいた。
エリサベータは慌て顔を隠したが、その異様な面貌はレイマンの目に焼きついて離れなかった。それ程の衝撃的な異貌。
左は至上の美、右は最悪の醜、窮極の美醜が並ぶ惨憺な異相は、見る者により嫌悪感を呼び起こした。
「レイ様……お願い……見ないでください」
か細く呟きレイマンを拒絶する声は昔のまま可憐であったが、声音は暗く、深く沈んでいた。
意気阻喪した最愛の婚約者の前でレイマンは何も出来ず茫然と佇んでいた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「安心してくれ。必ずエリサにかけられた呪いはきっと私が解いてみせる」
我に返ったレイマンはそう言って出て行った。その後ろ姿をエリサベータはただ黙って見詰めるしかできなかった。
「レイ様……私は……」
エリサベータは鏡に映る王国の男達を惑わす左の美貌と魔女によって変えられた醜悪な右の醜貌を見比べた。
左は元のまま。抜けるような白い肌に輝く銀髪。目は長い睫毛と宝石の煌めきも霞む青い瞳。蒼玉姫と言われるだけの美貌がそこにある。
しかし右半分は呪いで酷い有り様だった。肌は黒く変色し、銀髪はくすみ、その瞳は輝きを失い蒼黒く曇っていた。その黒ずんだ肌には幾つもの悍しい痘痕が噴き出て、顔の形を醜く変えていた。
容姿の美醜など何の意味があるのか?
人は等しく老いる。その美貌もいつかは翳る。
大切な事は人としての品性、人への思い遣り。
エリサベータはそう思っていた。
今でもそう思っているはずだった。
だけれども……
レイマンに己の醜い顔を晒す事はとても苦痛だった。恐怖した。醜い己を隠したくて仕方がなかった。
レイマンへの恋心を知ってしまったエリサベータはレイマンがこの醜い顔に落胆しないか、この醜い顔を嫌わないか、そればかりが頭の中を占める。
生まれて初めて自分の顔の醜さに慄いた。自分の顔が醜く変わってしまった事に嘆いた。
エリサベータは自他ともに認める美貌の持ち主だった。それに驕りがあったのだろうか?美醜など関係ないなどと言えたのは、自分が美しかったからではないのか?
この美と醜の対照比較がその事実をエリサベータに突き付けているようで、一掃に彼女の心を苛む。
──私は顔だけではなく心も醜い……
エリサベータは呪いで変わり果てた顔よりも己の中にある黒く汚く穢れた感情の存在に嘆き悲しんだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
呪いをかけられた後、エリサベータは屋敷に閉じ籠もり、社交界から姿を消した。にも拘らずエリサベータが『冒涜の呪い』で醜女に変えられたという噂は直ぐに王都中に広まった。
傷心のエリサベータをナターシャは頻繁に慰めに赴いたが、エリサベータの顔色は暗くなるばかり。
ここ最近レイマンがエリサベータの元へ来ていないと知ってナターシャは婚約者のギュンターに相談すると彼は直ぐにレイマンを訪ねた。
しかしギュンターが屋敷を訪れると、レイマンは不在で会うことが出来なかった。彼はエリサベータの呪いを解く方法を求めて東奔西走の最中だったのだ。
こうしている間にもエリサベータへの誹謗中傷が王都に蔓延した。
良くも悪くもエリサベータは注目されている。その為、彼女が社交界に全く顔を出さない事で様々な憶測が飛び交った。
その憶測は好意的なものよりも悪意に満ちたものが少なくない。何故ならエリサベータの至高の美は羨望だけではなく妬み嫉みを多く生んでおり、王都は彼女に対する黒く深い負の感情の渦を巻いていた。
その感情はより攻撃的なものへと変化していき、更には何処から漏れたのか『冒涜の呪い』をかけられた事が広まると、もはや収拾がつかない状態となった。
「もう王都中に私が呪いを受けた醜聞が広まっている……」
エリサベータは憔悴しきっていた。
屋敷に閉じ籠もり、耳を塞いでも彼女への悪意の感情は伝わってきた。それは彼女のみならずヴィーティン家への攻撃材料とされてしまっていたからだ。
エリサベータにかけられた『冒涜の呪い』は次第に周囲を巻き込み始めた。
「この顔でレイ様の横に立ったら……」
ファルネブルク家への、レイマンへの讒謗の材料にされるかもしれない。エリサベータはその恐怖にレイマンに会うことも出来なかった。
「レイ様……」
彼女の頬を涙が伝う。
「会いたい……」
会えないのが寂しい。
顔を見られないのが辛い。
「だけど……」
会えばきっとレイマンに迷惑がかかる。
「それに……」
この醜く変わった姿を最愛の人に晒すのは身を切るよりも辛い。
「レイ様……レイ様……私は……」
会いたいのに会うわけにはいかないこの葛藤……
愛しい彼の顔を見たいのに、己の醜悪な顔を見せたくないこのジレンマ……
「会いたい……会いたいの」
はらはらと落ちる雫を拭いもせず、エリサベータは両腕で己を抱き締め、もはや何をどうすれば分からず、ただ嘆きの中に沈んだ。
「大好きです……愛しています……」
止め処なく流れる涙を押し留める術をエリサベータは持たなかった。
悲嘆に暮れたエリサベータはいよいよ自室からも出る事がなくなり、やがて王都より姿を消した……
各地を駆けずり回っていたレイマンが、暗澹たる気持ちを抱えて王都の屋敷に戻ると、彼の元に一通の書簡が届けられていた。
それを読んだレイマンは自失して膝から崩れ落ちた。
それはヴィーティン家からのエリサベータとの婚約解消を願うものであった……
過酷な運命が二人を襲う。
想い合う二人は何を想い何を決断するのか……




