わたしに鉛筆を返しに来てね
»N'oubliez pas de me rendre mon crayon.«
Thomas Mann “Der Zauberberg”
2011年3月11日。
僕はその事故のニュースを黒猫亭で聞いた。
ちょうど大学の春休みで、ミルクティーを僕は飲んでいた。
一緒にいたのは渡辺先輩で、バイト中だったけれど、お客さんが誰もいなかったので、僕のとなりでラジオを聞かせてくれた。
黒猫亭は渡辺先輩のおじさんのお店である。
「大変なことになりましたね」
どこか興奮しながら僕は言った。
「いつかこうなると、俺は思っていたけどね」
そういえば、渡辺先輩は、原発に反対だったよな、と思い出した。
「ただ、思っていたより、ずっと早かった。俺が中年のおじさんになるくらいに起こるものだとばかり思っていた。そういう意味だと、俺もまだ、当事者意識が足りなかったのかもしれないな」
世界は薄い氷の上に乗っているに過ぎないという感覚を持っているつもりだったのにな、と渡辺先輩は言った。
「山本くんは、これから、読書会か?」
「そうです。自主ゼミです」
読書会。
大学には、たまにそういうことを行うグループがある。
社会科学研究会主催の読書会、とか。
政治や宗教の団体の隠れ蓑になっていることもあるのだが、僕が所属しているのは、渡辺先輩が主催した読書会だ。
政治結社――と言っていいのかよくわからないが、政治的な団体のメンバーもいるが、基本的にはノンポリの読書会だ。
金曜倶楽部、というのがこの読書会の名前だった。
もちろん、アガサ・クリスティの火曜倶楽部のオマージュである。
金曜倶楽部の部室――なんてものはなくて、ここ黒猫亭が自主ゼミの会場である。
夜の営業に向けて、いったん店が閉まる時間に学生が集まって、議題となっている本を読んできて、議論する、というのが自主ゼミのやり方である。
要するに、大学の文系学問のゼミを自分たちでやろうという感じだ。
外書講読のゼミもあるように、この金曜倶楽部でも外国語文献を扱うことがあったが、すべての学生が使える言語が英語しかないので、基本的にはサブゼミ的扱いになっていた。
(フランス語やドイツ語の重要文献があるのに、英語ばかり取り上げられるのは不公平なので全員参加の中で行うのははばかられるのだ)
今日は、「時間の比較社会学」の第一章を加藤くんがレジメにまとめて発表して、第一章を読んできたみんなが議論する、という流れだった。
基本的に、金銭的な理由で、このゼミでは文庫本しか扱わない慣例だった。
この大学のどこかでは、言語哲学大全を読む自主ゼミがあると聞いたことがあるが、あまりに骨太なのでびっくりした。さすがに出席者は、ほとんど哲学科の学生らしいが。
「やあ」
一番のりの僕の次に来たのは、吉田だった。
仏教学を専攻していて、ヴィパッサナー瞑想を実践している。
「最近、面白い本読んだ?」
僕の質問に、
「あまり最近は、新しい本を開拓してないな。ラリー・ローゼンバーグの本を読んでる」
「仏教関係?」
「瞑想関係。ただ、やっぱり、現在の日本では、あまり瞑想の本というのがない……読んでもよくわからないというか、自分で実践していることが正しいのかどうかわからない感じだ」
「ほほう」
「インターネットで最近は英語圏の情報を検索しているよ。日本語の情報だけだとどうもね……。来年の三月でぼくたちは卒業だろう? 就職に失敗したら、瞑想修行でもしようかと考えている。実際の師についてね」
「お父さんとお母さんが心配するだろう」
「もう許可は取ったよ」
親の顔が見てみたい。
悪い意味じゃなくて。
「お疲れ様っすー」
小林くんが来た。
彼は一学年下で、西洋史学を専攻している。
僕の第二外国語はドイツ語だが、彼はフランス語だ。
「最近、何か面白い本あった?」
「フェルナン・ブローデルの『地中海』ですかね。あとジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』」
「『銃・病原菌・鉄』は最近流行してるみたいだね」
僕がいうと、
「刊行されたのはもっと前だったはずだけどな」
吉田がつっこみをはさんだ。
「ブローデルって名前は聞いたことある気がするけどその作品知らないな」
「山本先輩、知らないんですか? まあ、史学専攻じゃないですしね」
「僕だってなんでも知ってるわけじゃないよ」
その時、ドアが開いて、加藤が入ってきた。
文化人類学専攻の男で、おススメの本を聞いたときに、マルクスの資本論を挙げたのが印象に残っている。
「ごめん、発表の俺が一番遅れた。さっそく始める」
かばんからレジメを取り出して、僕たちに配る。
そうして、自主ゼミが始まった。
「なあ、山本くん。『反資本主義自由同盟』には、結局入るのか?」
なんちゃって政治結社というのがこの『反資本主義自由同盟』だ。
自主ゼミが終わって夕食を黒猫亭で小林くんと加藤くんと一緒に取っていると、加藤くんがそう言った。
しばらく前から、僕は同盟に誘われている。
小林と加藤はメンバーなのだ。
「うん、どうしましょうね……といっても、やっていることは今のところ、デモとかじゃなくて、ゼミみたいなやつなんでしょ?」
「まずは知的領域でのヘゲモニーを取るんだよ、グラムシ風に言えばな」
要するに、反資本主義的な本を読む読書会である。
「ま、心が決まったら教えてくれ。春休みが終わるくらいまでには、結論を教えてくれると助かる」
「了解」
この喫茶店のナポリタンはうまい。
なかなか自分で作ってもこの味が出ない。
「おかえり」
佐々木先輩は、僕の部屋のとなりの部屋に住んでいる。
大学院生で、M1で、僕と同じドイツ文学科だ。
今も、扉をあけてこっちを見ていた。
これから出かけるところらしい。
僕が黒猫亭の自主ゼミから帰るのと入れ違いだ。
「ただいま、です」
染めたことがないらしいショートカットの黒髪と、今が夜だからか、細目の目に生気が宿っている。
この人は、朝に弱い。
「生駒先生の明日の演習の準備が終わったとこ。君も一緒に飲む?」
ジーンズのお尻をポーンと叩く。
そこから財布が出ている。
先輩は、お尻の形がとてもいい。
ジーンズをはいているとそれがとてもよくわかる。
そのことを、先輩は、気づいているんだろうか?
たぶん、気づいていないんだろうなあ。
気づいていても、どうでもいいと思っているのかもしれない。
そういうところに財布を入れて不安にならないんだろうか?
「飲みます。つまみ、つくりますよ」
というか、晩御飯作りますよ、ということなのだけれど。
「じゃあ、お酒はわたしが用意するね」
了解です、買ってきたらドアを開けて勝手に入ってきてください、といって、僕は部屋に入る。
部屋には、クックパッドから印刷したレシピが貼ってある。
僕は料理を作り出す。
しばらくして先輩がお酒と一緒に帰ってきたころ、僕はパスタをゆでていた。
すぐにできる料理だ。
ちょっとだけ待ってもらう。
出来上がるころには、先輩は先にちびちび飲んでいた。
「おすすめしておいた魔の山は読んだ?」
「読みましたよ」
「どこまで?」
「全部です」
誇らしげに僕は言った。
僕と先輩は、カルボナーラを食べている。
生クリームを入れるやつだ。
ベーコンを切って油でいためる。ゆでたパスタをそこに入れる。生クリームと卵を三個まぜたものを投入する。軽くいためてできあがりだ。
これがなかなかうまい。
まぐろの刺身とアボカドを切ったものをわさびじょうゆであえたものも一緒に出す。
「あー、このつまみおいしい。れっかー」
レッカー、とはドイツ語でおいしいという意味だ。
「先輩」
僕はグラスをかたむける。
「プロ―スト」
「プロ―スト」
乾杯、のドイツ語は、英語のチアーズよりもずっと心地よく響く。
「っていうか、ショーシャ夫人ってちょっとエロ過ぎませんか?」
僕は話を魔の山へと戻す。
「そうかな?」
「ヴァルプルギスの夜のところらへんが」
「直接的な描写はないじゃない」
「そういうやり方の方がよっぽど」
「だったらヘミングウェイも読めないぜ」
「僕はサリンジャー派なんで」
なるほど確かに彼は、性的な描写は直接的には少なく見えるね、と佐々木先輩は言う。
直接的には、というときに声の速度を落として、強調するように。
返す刃で、
「サリンジャーなら世代が違う」
とつっこみが入った。
確かに、ヘミングウェイとサリンジャーでは世代が違う。
サリンジャーの方が若い。
「じゃあ、フィッツジェラルド派」
「それならよし」
二人は一緒にパリにいたこともある。
文章のタイプは正反対にも思える。読むのはヘミングウェイの方が簡単だ。
だんだんお酒が入ってきて、先輩が饒舌になる。
「あたしはフェルナン・クノップフが好きなんだよぅ。ルノワールとかべたじゃん、べたべた!」
「べたでいいじゃないですか。世の中きたないものが多いので、きれいなものを描きたい、みたいなことを言った人でしょう。共感できます」
ルノワールのその信条には共感する。
「別に悪いとは言ってないけどさ。象徴主義が好きなの、あたしは」
「僕も嫌いとは言ってませんよ」
クノップフもけっこう好きだ。
人柄的にはピサロが好きだが。
僕たち二人は、けっこう絵が好きだ。
でも、先輩は美術部で、僕はなんのサークルにも入っていない。
昔、入っていたサークルはあったけれど、やめてしまった。
サークルではなくて、大学公認の部にいる先輩を、なんだか僕はたまにまぶしく思う。
夜もふけて、何度かトイレに行ったあと、先輩は帰る用意をしだす。
明日の夜に待ってるよ、と言って、先輩は鉛筆を渡した。
「わたしの鉛筆をわたしに返すのを忘れないでね」
ニュースによれば、安全基準が引き上げられたようだ。
それは、僕には恣意的なものに感じられたし、なんだかとっても気がめいる話だった。
僕は、この世界を良い方向に向かわせたいと思っていたし、そのために何かしたいと思っていた。
正確に言うなら、何かしているという感覚が欲しいと思っていたのかもしれない。
「こんにちは。山田さん」
山田さんは、サリンジャーのナインストーリーズを読んでいた。
対エスキモー戦争の前夜だった。
「僕、その話がその本の中では一番好きです」
「そうか。私はバナナフィッシュにうってつけの日が一番好きだ」
「吉田って知ってますか? 瞑想修行に外国に行きたいって言ってるやつですけど。やつはテディが一番好きだそうですよ」
「輪廻転生を扱っているように見える話だからかな?」
「たぶん」
「加藤は小舟のほとりで、が好きらしい」
「なんででしょうね」
「社会問題に関心があるからかもしれない」
「僕も関心がありますけど」
「正確な理由は私にもわからんよ。私だって、自分がバナナフィッシュにうってつけの日がこの作品で一番好きな理由をちゃんとは答えられない」
「ところで山田さん」
「なんだい」
「同盟に入りたいんですが」
そうか、と言って、山田さんは大月書店の資本論を手渡した。
「今やっているテキストはこれだよ。マルクスも言っているように、読みにくかったら労働時間の章から読んでもいいんじゃないか」
それだけで、あっさりと僕は入会した。
僕は就職をして、それでも同盟との読書会は継続している。
佐々木先輩とは付き合うことになった。
彼女が学者になるのか、修士号を得たあと就職するのか、それはわからないが、修士号を得たらプロポーズしたいと思っている。
黒猫亭での読書会は、あまり行っていない。
新しい世代には新しい世代の振動数があり、僕が行くことでそれが乱れるのをおそれているからだ。
サブゼミでドイツ語の文献があるときには、積極的に顔を出すようにしている。
この知識が薄れていくのはもったいない。
四年間、磨きをかけたドイツ語が、さびついていくのは耐えられない。
だんだんドイツ文献サブゼミのリーダーみたいになってきているが、気にしないでおこう。自分で勉強しなければ、だれかが率いてくれるわけでもないのだし。
小林くんは、今は金曜倶楽部のリーダーという感じらしい。
加藤くんは、海外に留学することになった。理系は客観性を統計などの外部手段によって保証してもらおうとするし、その波は文系学問にも及んできている。でも俺は自己反省的におのが営みを問い直す道を選ぶ、そんな安易な道には走らん!と息巻いていて、そのために英米圏ではなく大陸の方に行くことになったらしい。確かに英米系は質を量に変換することである種の操作可能性や客観性を担保するような道に進んでいるような気はする。デイヴィッドソンやらの言語哲学が専門で今でもいろいろ本を読んでいる渡辺さんとは、もしかしたら相いれない立場かもしれない。その一方で、案外、仲良くやっていきそうな気もする。
部屋のドアを開けると、佐々木先輩がいて、合鍵を僕に渡す。
机の上には、佐々木先輩の鉛筆が置いてある。
そのまま僕の隣を通り過ぎて、隣の自分の部屋に帰りぎわに、耳元でささやく。
「鉛筆を忘れずに返しに来てね」
生存確認のような投稿。