町
「『やったー!』じゃ、ないっ!!」
ごづんっ。
「いっ……たああぁっいっ!!」
家に熊を持ち帰った私の頭を、お父さんは思いっきりぶん殴った。ひどい。
目をチカチカさせたまま、いわれなき折檻に抗議する。
「うぅ……なんで、怒るのよぅ……!」
「ヒスイグマに単身挑むなんて!しかも、木刀で!!」
ごつん。
「~~~っ!!!」
二度目の拳骨には、もう声にならない声しか出せなかった。
「それを聞いただけで、俺たちがどれだけ肝を冷やすと思ってるんだ、このバカ娘!」
「ま……まあまあ、あなた。もう、その辺りで……」
下しか顔を向けられないから声での想像になるが、今、お母さんがお父さんを宥めてくれているのだろう。
「だ……だって……!『一人で熊を狩れたら、一人前だ』って、お父さん言ったじゃない……痛ぅ~……!」
私だって、何の意味もなく熊に戦いを挑んだわけじゃ無い。相応の理由があった。
「だ、だから……もう、村を出ても大丈夫って思われたくて、こうしたのに~……!」
「なっ……!」
「……昏、あなた……」
じわじわと鋭い痛みが鈍い痛みに変わってきて、顔をゆっくりと見上げると、両親が私の事を驚いた目で見ていた。
・・・
私の家族は少し……いや。結構、普通じゃない。
まず、お母さんが……半孤、つまり半分、狐で、半分、人間。
祖母が妖狐だったらしく、祖父が人間なのだが、この人に裏切られた。
祖母と、その時お腹にいたお母さんを、まとめて呪いに掛けたという。
その呪いというのが、家、つまり山の周りから出られないというもの。
お父さんは、ただの人間だったのにも関わらず、そんなお母さんと一緒になった。
そして、私……昏は、産まれた。
・・・
「ねえ、お父さん」
「なんだ?」
……何とかあの後、お母さんが場を収めてくれたおかげで、私は晩御飯抜きの刑には処されなかった。
それでもやっぱり納得できない私は、寝る前になってから改めて、お父さんに聞く。
「やっぱり、外に出ちゃ、ダメ?」
「ダメだ」
布団を被ってそう言われたら、もうどうしようもない事が分かった。
こーゆう時のお父さんはまったく融通がきかなくなるのだ。
「昏、もうその話は」
お母さんが仕方なさげな視線をこちらを向けてくる。
「ああもう、わかったよぉ……おやすみなさーい」
フテって私も布団を被る。頭からつま先まで、すっぽりと。
(なんで怒られなくちゃならないんだろ、二人の事を思ってのことなのに)
「先生、おはよーございまーす!」
次の日の朝、私は早くに山を駆け抜けてシイカ村に下りた。
目的はもちろん、慎先生に剣の稽古をつけてもらうためだ。
「昏か。丁度いい、薪割りを頼めるか?」
外で顔を洗っていた先生に挨拶すると、いつも通りな低い声が響いて。私は直ぐ用意に取り掛かった。
台に薪をどん。
斧で薪をかつん。
とどめに斧で、薪を両断!
「なんだ、今日は調子が良いな」
「えへへ、わかる?」
褒められて、とん、かん、とん、かん。と順調に薪を割っていく。
そのうち、自然と先生も作業に加わったところで。私は胸を張りながら、誇らしげに話をし始めた。
「あのね先生、昨日わたし、何があったと思う?」
「ん?夕飯にガマグチでも出たか」
がくっ、と肩をすかす。
「……先生の中のわたしって、何歳児なの」
ふふ、と微笑む先生。
からかわれてる。今に見てろよ~。
「昨日の晩御飯は、熊鍋だったよ」
とん、かん。
「……ほう。豪勢だな」
とん、かん。
「うん、毛皮も手に入ったしね。翠色のきれーいなやつ」
とん、かん。
「……翡翠熊か?良く獲れたな、暁の奴」
とん、かん。
「お父さんが獲ったんじゃないけどね~」
……、かんっ。
薪が運ばれてこない。
「あれ、どうしたの先生?」
ギョッとした先生の眼に、思わずにやけながら訊いてみる。
そうそう、その顔その顔。
「……お前……まさか」
「うん、『翠』のと戦って、勝っちゃった。」
本当はもう少し焦らしたかったんだけど、我慢できずに言ってしまった。
先生がこちらを見て、信じられない、という顔を向けてくる。
わたしの見たかった表情だった。
と思ったら、それはそのまま先生自身の手で隠されてしまう。
「……」
「あれ?先生?」
「……暁には言ったか」
先生はこめかみを押さえつけながら、長く息をついてそう聞いてきた。
「あ、うん。……二回も拳骨されたけど」
「お前が俺の娘なら、その斧で叩いている所だよ」
「う。……えぇ、褒めてくれないのー」
「無謀な戦いを挑むために、剣術と月芽を与えた覚えは無い」
「……ぶー」
確かに。
でも、それとこれとは話が別だ。偉業を褒めてもらいたいのは、弟子としては当然の事で。
そんな私を見かねたのか、先生は割り終わった薪を置き場に戻しながらこう言ってくれた。
「……まあ。強くなったな……とだけは、言っておこう」
「やった!先生、だぁい好きっ!」
私は、やっぱりそんな風に褒めてくれた先生に抱きついた。
薪割りを終えた私は、その流れで先生の家で朝ご飯をごちそうになる事に。
「昏、ご苦労さま。ほら、一杯食べてね?」
「わーい、叔母さん、ありがとっ」
どんぶり一杯にご飯をよそってくれた、陽叔母さん。
私のお父さんの妹に当たる人で、先生の奥さんでもある。
「ねえ昏ちゃん昏ちゃん、今日は何して遊ぶ?」
「あはは、そうだね~。影鬼でもやろっか?」
「えー。やだよ、昏姉ちゃん早いんだもん」
「宋は意気地がないなぁ。何だったら、二対一でも良いよ」
「くっそー、言ったな!……ていっ」
「あ、こら!私のおかず盗るな!」
両脇からわちゃわちゃと騒ぎ立てるのが、長女の穂と弟の宋。10歳と9歳。
この4人家族にお邪魔するのは、数少ない私の楽しみだ。
ご飯を頬張りながら、ふと私は、家の端に畳んで持って来ておいた物を思い出した。
「(もぐもぐ)あ、そうだ。先生にアレ、売って来て欲しいんだけど」
「アレ?……翡翠熊の毛皮か。」
昨日獲ってお父さんに解体してもらったその獲物。
隣り町へと売りに行けば、かなりの額になる。しかし、私には外に出る許可が与えられていなかった。
なので、何か売りたいときには、いつも外に出かけている先生にこうして頼むのだ。
だが、そう聞いた先生は、静かに唸った。
「そうだな……今日はリンゼンにも行くが、その後がな……」
「あれ、何か用事でもあるの?」
「ああ。更に向こうの村に、大きな猪が出たらしくてな。悪いが『アレ』を背負って行く余裕は無いんだ」
「そっか……」
今度は私が唸りこむ。
うーん、どうしよう。
村に居る他の人に頼んでも良いけど、外に出かけるような人は殆どいない。
「あーあ、私が外に出られたらなあ」
ちらり、と先生を見やりながら、そう独り言ちる。
どうせ無駄だとは思うけど、言ってみるだけならタダだ。
……そんな風な感じで思っていたのに。
先生は口元に手を当てて、「ふむ」と少し考え込むと……
「昏。俺と一緒にリンゼンまでついてくるか?」
「……え。」
思わぬ返答に、固まってしまった。
「もうお前も一端の剣士だ、そんじょそこらの獣にやられる事も無いだろう」
「ほ、ホントに?村の外に出ても良いの?一人で?」
私は先生に詰め寄った。
お父さんにはあれだけ「駄目だ」って言われたのに、こんなにあっさり許しが下りるなんて!
興奮する私に、先生は首を横に振りながら言った。
「行きは俺と一緒だ。帰りは一人になるが……しっかり道を覚えないといけないぞ」
「大丈夫、大丈夫!やった!」
嬉しすぎて、ご飯を食べるのもやめて拳を握りしめる。
「良かったね、昏。……でも、兄さんと義姉さんに言わなくて良いの、あなた?」
「ああ、許可は貰ってる。『実力が伴うようなら、連れ出してやってくれ』とな」
「……え、お父さんが?」
信じられない、という私の言葉に、先生は頷いて答えた。
「お前の前ではつい過保護になるから、とも言っていた。本当はお前の事、よく考えているんだよ」
「……そっか……」
「昨日は殴られたとか言っていたが、暁の気持ちも察してやれ」
「……うん、わかった」
・・・
無邪気な従妹たちの引き留めに合いながらも、私と先生は隣り町へ出掛ける事にした。
道中の広大な草原に声を上げたりもしたが、そんな中、なだらかに続く片道を覚えるのは簡単だった。
「うわあ……!」
そうして着いた町、リンゼンにはいままで見たこともないほどの人が沢山集まっていた。
商店街と呼ばれる程に立ち並んだ店には、食べ物はもちろんの事、家具から装飾品まで様々なものが売っている。
「すごいね先生、人が一杯だ……!」
「うろちょろするな、迷子になるぞ」
「うん……」
それらの光景に口を開けっ広げながらも、毛皮をしっかりと持ち直した私は先生の後ろについていく。
ひしめく客たちの間をすり抜けるたびに、活気のある叫び声が飛び交っていた。
これは安い、あれが高い、これをまとめて買うからどうのこうのといった、そんな轟音。
そんな町中を通り過ぎていくと、先生がいきなり立ち止まってある方向を指さした。
「あそこだ」
先には、色んな獣の毛皮が軒先に立て掛けられている店があった。
その様子を見て目当ての買取所であることが分かり、私は先生に毛皮を渡した。
「はい、先生。頑張って高い値で売って来てね」
「昏が行かないのか?」
「え。無理ムリ、私、商談なんてした事無いよ!」
「そうか……それなら横で見ておけ。いずれ一人で売り買いが出来る様にならないと駄目だからな」
「ん~……そっか、わかった!」
先生が買取所へ行くのについていこうとした私だったが、その時気になる声が広場の方から聞こえてきた。
「控えろ、者ども!我らは都からの使者である!」
「うん……?」
なんだろう、とそっちの方を覗くと、何人かの男たちが列を作って道の真ん中を歩いていた。
服装を見るに、役人の類である事が分かった。
そのいかにも偉そうにしている中の一人が、道端にいる少女をいきなり蹴っ飛ばした。
「邪魔だ、どけ!」
「きゃっ……!」
「あ……!」
びゅん、と風を切り、一瞬の変化を重ねながら少女の下へ走る。
間一髪、彼女の頭は店の軒先にぶつけることなく、私の腕に収まった。
「大丈夫?」
「あ……うん、ありがとうおねえちゃん」
その子を地面に下ろすと、びっ、とその団体に指差した。
「ちょっと!何してるのよ、あなた達!」
「何だ、お前は?」
「子どもを虐めるなんて、もっと役人らしい振舞いをしなさいよ!」
「我々は税の徴収という重大な任を任されているのだ、そんなガキなど知った事か!」
「なにぃい」
あまりの言い草に、私は歯をぎりぎりと鳴らした。
「邪魔立てするというのなら、たとえ女でも容赦せんぞ」
中の一人が、剣を抜く。
上等だ。私の腰元には、肌身離さぬ月芽がある。
同じく腕を伸ばし、木刀を握る手に力が入る。
それを見た役人たちが、笑い声をあげた。
「そんな玩具で立ち向かうつもりか」
言ってなさい。
そんな舐めた口きいてる相手に、私は負けない。
「……はぁっ!」
私が月芽を抜き払うと、鈍い音と共に相手の剣が吹き飛んだ。
そして数瞬ののち脳天に一発食らわせる。
役人の一人が完全に落ちた。
「……き、貴様ぁ」
「次はだれから?」
「こ、こやつをひっ捕らえろ!」
辺りから町人の波が引き、役人たちに囲まれる。
私は月芽に力を込め、ぼう、と暖かい光を纏わせた。
……翠のに比べれば、こんな奴ら大したことない。
「とりゃあ!!」
「ふんっ」
振り下ろされた剣を月芽で受け止める。
弾き返し、みぞおちに蹴りを入れてやった。
そのまま身を翻し、横に居たもう一人の方に自分から向かう。
「たぁっ!!」
お腹の骨が折れない程度に、剣圧を見舞う。
あっという間に、三人目。
残り、二人。
流石に一筋縄じゃいかないと悟ったのか、目が血走っている。
その眼で示し合わせてか、二人同時に斬りかかって来た。
私は逆に刃の方に向かって身を躱し、背中に突きを入れた。
「ぐあぁっ」
「ぎゃあっ」
予想外の場所に刺突を食らい、崩れる二人。
風を切り、月芽を鞘にしまう。
「どうよ、これに懲りたらあんまり乱暴なことはしない事ね……ん?」
と、思ったら……まだ一人、残ってた。
一人だけ、刀を持って距離を置いているのが。
「くっ……」
「なに?貴方もやるっていうの?」
腰、引けてるけど。
「も、もちろんだ!僕を誰だと思っている!」
「役人でしょ?」
「そうだ!皇の直々の命により、大切な職務を負っている者だ!」
「知らないわよ、そんな事。ほらほら、かかってきなさい」
指先でこいこい、と挑発する。
「このぉ……!」
挑発に乗せられたそいつは、ばか正直に突っ込んできた。
もう一度月芽を鞘走らせようと―――
「……ぐはぁ!」
「え?」
―――した瞬間、つんのめって頭から転んだ。
その姿が余りにみじめで、私の手は止まってしまった。
「く、くっそ……!」
「……大丈夫?」
心配になって声を掛ける。
「うるさい!僕に情けを掛けるな!」
「いや、だって」
砂まみれになった体をほらこうともせず、刀を前に構える。
「僕は皇の孫息子、名を司という!情けなど無用、いざ尋常に勝負!」
「……はぁ、はいはい」
刀を持った相手からの宣戦布告。
普段なら興奮する絵面なんだけど、こうまで明らかに弱そうだと、血が滾らない。
「私の名は昏。いざ」
名乗るだけ名乗って、決闘の格好だけとる。
修は大降りに構えて、突進してきた。
私はそれを横に受けてやる。
ぎぃん、と金属音が耳をつんざき、そのままぎりぎりと刀同士が食い合う。
―――全然ダメ、力足らず。
「ぐ、ぐぐぐ……!」
「……ちゃんと剣の稽古してる?力が無さすぎだよ」
「な、におぅ……!?」
「……はぁ」
もういい。さっさと制圧しよう。
そう思った時、後ろから声が聞こえてきた。
「―――昏!!何をやってる、帰るぞ!!」
「!!」
やばい。先生の声だ!
「てぇいっ!」
「のわっ!?」
急いで刃を押し返し、その場を逃げ出す事に。
「お、おい貴様っ!?」
「悪いね、決闘は無しだよっと」
ぽん、と変化して、走り去る。この際姿を見られるのはしょうがないと思った。
「き、狐ッ!?」
「もうちょっと修業した方が良いよ、じゃあね!」