『翠の』
木々が騒めく風がすさぶこの森で、今まさに私は因縁の勝負に決着を付けようとしていた。
目の前にいるのは、翠に透ける様な毛皮を持つ熊。黄色の瞳は敵意剥き出しで、私を見下ろしている。
「む……っ」
じり、と間合いを詰める。
手にするは月光樹の木刀、『月芽』。
16歳という私の人生の、その大半を共にした愛刀に力を込めて、いざ一閃―――
「―――たぁあっ!!」
ガキン、と鈍い金属音をたてて、私の身体は仰け反った。
……腕で弾かれた!?
そう思った私の鼻先を、宝石みたいな色した尖った爪が掠めた。
「……あっ……ぶなぁ、……いッ!?」
そう思ったのもつかの間、続けて二連続、三連続目の斬撃が空を切った。
後ろ向きに必死になって躱した私は、そのまま一回転して跳び、距離を取る。
「ガフウゥゥ……ッ」
「っふーぅ……!何、『翠』の。今日はそっちも、気合十分だって?」
直接通じるわけじゃないけど、今なら何となく翠の言いたいことが分かる気がした。
たぶん、『負けるわけにはいかない』、だ。
……月芽の切っ先を前に構えて、私は再び翠に突っ込んだ。
「ガアァ!」
手刀が飛んでくるのは思った通り。寸手で避けた。
しかし、こちらが狙った目元は掠り、そのまま毛皮に沿って流れるように逸れた。
いけない。距離が、近すぎ。
その判断はちょっと遅くて、続けての翠の手刀を避けきれずに受ける事になった。
だが、どうせ受けるならばと、身を横に捻じり、横一文字に月芽を薙ぎ払った。
「ぐ、っ……」
「……グギャァッ!?」
今度こそ狙い通り。翠の両の目を斬りつける事の出来た私は、その流れのまま蹴りを入れて、身体を跳ねっ返す。
利き手の腕の辺りの服が破けて、赤い血の筋を走らせていた。……これくらい、なんだ。
ちょっと右手の力が弱まっちゃったけど、それなら両手で持って叩きつければ良い。
「……フゥー、フウゥッ!!」
視界をやられて殺気立っているのか、翠の動きが精彩を欠いた滅茶苦茶な動きになっていた。
全方位に対して、全力での斬撃。あんなの放っておけばいつか体力が切れて、楽に仕留められるのが見え見えだ。
……だが、そうはいかなかった。
『狩人たるもの、獲物に苦痛の暇を与えるな』。
お父さんから受け継いだ、心得。
私は月芽を両腕で前に構えてありったけの『力』を込めると、その刀身を淡く琥珀色に輝かせて。
そして走り出した後、岩を足掛かりにして高く跳躍し、翠の脳天に目掛けて―――
「―――のおぉりゃああぁッ!!」
渾身の一撃を、叩き込んだ。
翠の頭がグワン、と縦に揺れた。私はその揺れ戻しに身を任せ、体ごと弾き返される。
「……っ、どう……!?」
そのまま着地した後、翠の様子を確かめる。
血みどろになった二つの紅い目が、こちらを見ていた。
まだ駄目か、と飛び散った自分の腕の血を拭って、もう一度力を込めた。
と……その時だった。
翠の体が横に大きく傾いた。
「あ……」
ぐら、ぐら……と数歩歩いたかと思うと、その大きな体は……
「ガ……フ……」
……それに見合うような大きな地響きをたて、崩れ落ちた。
私はその体に近づきながら、自分の身を震わせる。
ざわり、と毛が逆立つ感覚に身を任せて、私は自身に『変化』を掛けた。
金色の狐にその姿を変え、翠の巨体を前にすると……何だか、実感が湧いてくるような気がした。
やった。勝った。勝ったんだ。
こんな時、お母さんみたいに吠える事が出来たら気持ちが良いだろうな、って思う。
でも、私には獣の言葉は分からないから。
だから狐のままの姿で、こう叫んだ。
「……ぃやっ、たあぁぁあっ!!」