出戻り探索者とエルフ司書
ロウガを旧市街地と新市街地側に分ける大河コウリュウが夕日によって彩られる。
河口とは反対側の山脈側に沈んでいく夕日によって、僅かな時間だけだがコウリュウ河口が色鮮やかな黄金色に染まる雄大な景色が広がる。
ロウガ解放戦にも参戦した高名な画家にして上級探索者が描いた大作。
キャンバスの右半分で描かれた大地には数多の龍の死骸、そして無数の勇者達の屍という死臭を強く感じさせる凄惨な光景。
対照的に左半分には静かに流れる水面が鮮やかな黄金色に染まる大河コウリュウ。
【ロウガ解放の日】と銘打たれた絵画のモチーフともなった光景として知られており、ロウガに観光に来たら絶対に見ておけと勧められるスポットの一つだ。
特に今は観光名所としての希少性に、さらに拍車を掛ける存在があった。
建設中のコウリュウ大橋橋脚土台となるためにゴーレム達をくみ上げて生み出されいる人工島に横付けされた小山と見違えるような巨大な人工物。
ほかでもない超大型海上劇場艦【リオラ】
対龍王決戦兵器として設計されながらも、当時の技術や物資など各種問題で結局は建造されなかった幻の船。
用途や細かなデザインは変更されて劇場艦とはなったが、そんな前歴を持つ艦が龍王との決戦の地となったロウガに停泊している。
歴史マニア、英雄譚マニアなら、ロマンを感じる類いの話なのだろう。
渡し船も速度を落としてゆっくりとした船足で、この一瞬の光景を乗客に楽しませようとサービス精神を発揮している。
だがイドラスは、それら雄大かつ浪漫を感じさせる状況や、サービスなんぞどうでも良いから、とっとと対岸に着いてくれと願っていた。
「……通報し……」
「……浚……」
時折こちらを見てはひそひそと交わされる他の乗客から漏れ聞こえる囁きは、不穏が過ぎる。
何を言われているか想像は容易くつくので、わざわざ聞き耳を立てる気もしない。
なにせあきらめ顔のイドラスの外套の裾をつかみながら、恐怖で引きつった青ざめた表情でミルカが横ですすり泣いているのだから、どんな噂が立とうが仕方がなかろう。
ミルカはエルフの中でも長寿かつ老化しづらいウッドエルフの族長血脈。
実年齢は200歳を超えているが、まだ少女といっても通用する幼さがその風貌には残っている。
すすり泣く少女と、流れ者風の中年探索者という組み合わせを、怪しむなというのが無理がありすぎる。
もっとも怪しいのは最初から判っていたのでロウガ支部の使者であることを示すための外套を借り受けてきたのは正解だった。
二人ともその正装を身につけていたのと、とある一言で、ここまでで5回あった職質やら、正義感を発した善意者からの詰問は、全て短時間で無事に切り抜けてこれた。
フォールセン邸にも、後数回の職質を受けるぐらいで、無事にたどり着けるだろうと前向きにとらえるしかない。
普通ならその服装なら職質されることなんてあり得ないという現実を、イドラスは無視することにした。
「あーミルカ。おまえこういうの好きだろ見ないのか?」
「……うぅぅぅぅっ」
気分転換になりそうな光景を指さしてみたが、返ってきたのはすすり泣き。
ロウガ支部にミルカを迎えに行ったまでは良いが、ずっとこの調子だ。
イドラスが説得してもごねてなかなかフォールセン邸に行きたがらないミルカを、強制的に追い出したのは、たまたまロウガ支部に戻ってきていたナイカだ。
ナイカの上級探索者権限で、調査部隊に配属して迷宮をさんざん連れ回されるのと、どちらが良いと鬼の形相をするナイカには、さすがにイドラスも腰が引けたほど。
夜までにはフォールセン邸に戻るというナイカも、どうせなら一緒についてきてくれれば。ロウガで顔も存在も知られているので道中の面倒もなかった。
しかしナイカは支部でいくつかやる事があるからと、結局当初の予定通りミルカと二人でフォールセン邸に向かっていたのだが、この有様だ。
昔は少し由来や逸話を尋ねただけで、年長者面して嬉々として関連した英雄話や、蘊蓄の長話につきあわせた癖にと、心の中で愚痴をこぼすが、さすがにそれを口外はできない。
出会った頃、共に始まりの宮に挑んだのはすでに二十年以上前。
大英雄の血を引く後継者としての重圧に負け出奔し、悪ぶった探索者志望の不良を演じる世間知らずなお坊ちゃん。
大英雄パーティに九死に一生を助けられ、英雄好きで英雄にあこがれ、恐がりのくせにお姉さんぶるエルフ少女。
そんな微笑ましい関係は、探索者を目指す仲間達とパーティを組んで始まりの宮に挑み、二人して……いや二人だけが探索者となったことでズレはじめ、イド・ラスティではなく、イドラス・レディアスとして生きることを決めたときに、決定的に変わった。
齢40を超え年相応の風貌に、傭兵のまねごとやら裏仕事で修羅場や迷宮踏破を続けたことで、力量とそれなりの威圧感を自然と身につけたイドラス。
一方で出会った頃と外見は変わらない少女のままだが、迷宮を、そして迷宮モンスターへの恐れを強め、それでも英雄への憧れを捨てきれず、彼らの情報を管理する管理協会ロウガ支部資料保管庫司書となったミルカ。
通信魔術越しや手紙のやりとりはあったが、直接に顔を合わせたのは数年ぶりだというのに積もった話の一つもまともにできない。
ただしその方向性は、イドラスの想像とは大きく違った。
いろいろとあった男女の再会という重苦しくどろどろしたそんな複雑な感情でミルカは泣くのではない。
ひとえに恐怖からだ。
無論その対象はアレだ。理不尽を通り越した理解不能思考生物。
剣を渡しに行くぐらいなら迷宮を連れ回される方がまだましだよと、珍しくナイカに言い返したぐらいに、ミルカに根深く残る迷宮やモンスターへの恐怖をぶっちぎった恐怖の美少女風化け物だ。
「だから大丈夫だ。ちゃんと伝えれば斬られないように……なると思う」
絶対と言いかけたが、あの姪っ子に関しては、絶対ということは絶対にあり得ないという、基本情報を思い出してイドラスは言いよどむ。
うん何せアレだ。アレの思考を完全に理解できる存在なんて、この世には存在しないだろうと思うほどアレだ。
「ほら! 断言できないじゃん! 信じられないよぉ……気配が怖いもん……真面目にお仕事してるのに斬られそうになった事もあるのに……うぅ怖いよぉ。イド君の意地悪。鬼畜。人でなし。なっちゃんの味方して、助けてくれない。裏切り者っ」
ミルカがビービーと泣き出し、周囲の注目を集めてしまい、船上だというのに船員から6回目の職質を受けたのだが、今回も事情説明をしてすぐに理解されたのは幸いだった。
ロウガ支部の依頼でケイスに剣を届けに行く。
その言葉にしばし絶句した船員達は、沈痛な面持ちで同情の目を浮かべ、ご苦労様ですと深々と頭を下げてきた。
ここまでの警備兵や善意で声を掛けてきた者達も似たり寄ったりの反応だった。
ロウガの街は相当広いというのに、どれだけ広範囲で世間様に大迷惑と迷惑をばらまいてきたのか。
報告書を読むよりも、現場で実際の空気を感じた方が物事はよく判るというが、ケイスに関しては、判らないで良いから薄紙一枚でも障壁がある方が良いと、イドラスがしみじみ思っていると、渡し船が西岸の川港へと接岸を始める。
川港から真っ直ぐに伸びる小高い坂になった大通りを見上げれば、その終点には強固な結界を張っているとは思えないほどに静かなフォールセン邸の巨大な門が鎮座する。
その景色が、少年時代に読んだ冒険小説に出てきた魔王城と一瞬被ったのは、間違いなく姪のせいだろう。
船を下りることを嫌がるミルカの説得をあきらめて、最終的に肩に担ぎ上げて運ぶことになったイドラスの姿は、紛れもなく人さらいそのものであった。




