第二章 亜人の国 「 エージェントと黒猫⑥」
平原を滑走し、一時間くらいが経過した頃だろうか。
馬車の正面、100メートルほど先に何かがいた。
起伏がないので目を凝らすと、黒い点の正体がすぐに判明する。
俺はギクッとした。
あれは···黒猫だ。
「ミーキュア、止めとくれ。」
「え?何かあったの?」
「前にいる黒猫が、俺に用があるのだと思う。」
「黒猫?あっ!?」
ミーキュアも気づいたようだ。
停車した馬車から降りた俺は、ゆっくりと黒猫に近づいて行った。
馬車からは、不審に思ったミン達が顔を覗かせているようだったが、俺は手で待つように合図をした。
視線は黒猫から外さない。
近づくにつれ、黒猫の顔がひきつっていくような気がした。
たぶん、この黒猫は精霊族の仮の姿なのだろう。
俺は黒猫の正面まで近づき、その顔を見つめる。
やはり、昨夜の黒猫だ。
口の端が間違いなくひきつっている。
俺は「ふぅ。」と息を吐き、次の瞬間···土下座した。
「すまない。かわいい猫だと思って、おいたが過ぎた。まさか、精霊族の人が擬態をしているとは思っていなかった。」
沈黙が辺りを包む。
「え?何?」というアレックスの声が聞こえてきたが、すぐに誰かが口をふさいだのか、「むぐ、むぐぐぐぐ~。」という異音に変換された。
黒猫は反応しない。
俺は額を地面につけ、日本古来の作法通りの土下座を続ける。
土下座選手権があれば、間違いなく上位入賞ができる正式な型だ。こんな時に、流行りのスライディング土下座や、スーパーエクストリーム土下座をしてはいけない。
謝罪の意思を、ストレートに表現する。
ああ、美しき日本の伝統。
海外で土下座をすると、社会的地位があり、かつ日本の文化に疎い者は、相手を嘲ることが多い。謝罪をするにしても、そんなポーズを取れることが、プライドのない者である証拠だと思うからだ。
因みに、日本の文化に詳しい者は、逆に自信の現れだと敬ってくれたりする。
エージェントの任務で、暗殺のターゲットとなる者は、前者が圧倒的に多かった。俺はこの習性を利用して、土下座を目の前にして必ずと言っていいほど隙を見せる悪人達を、抹殺しまくったことがある。
この暗殺方法は、"土下座DEATH"と呼ばれ、裏の世界では、マイブームからグローバルブームに発展してしまった。
闇の組織では、その頃、「土下座には気をつけろっ!」が流行語になったほどだ。
当然、メジャーになると警戒をされてしまうので、ある時を境に封印したのは言うまでもない。
数分が経過し、正面にいる黒猫の気配が変わりだした。
顔を上げ、そちらに視線をやると、霞のようなものが黒猫を包んでいる。
一瞬の後、霞が晴れ、そこに立っていたのは、淡く紫がかった銀髪と、大きな紅い瞳を持つ美しい女性だった。




