08話『冒険の理由』
「行くぜ行くぜぇぇぇ!」
「ひゃっはー!!」
冒険者たちが我先にと迷宮を駆け抜ける。
いつになくテンションが高い。しかし、その気持ちも分からなくはない。
迷宮は魔物の巣窟だ。勿論、危険はあるが――その分、浪漫もある。
神が生み出したと言われるこの構造物には、時折、人類の手では生み出せない、まさにこの世のものとは思えない未知なる光景があるのだ。
「野蛮な方が多いですわね」
突っ走る冒険者たちを傍目に、フレデリカが呟いた。
「地理的に、王都のギルド出身の方が多いと思ったのですが……どうやら教養は行き届いていないようですわね」
「フレデリカは王都出身じゃないのか?」
「ええ。隣の都市のギルドに所属していますの」
フレデリカの歩幅と、歩く方向に合わせる。
試練は既に始まった。今更、遅いが――魔物と出会う前に伝えておくべきだろう。
「フレデリカ、先にひとつだけ伝えておきたいことがある」
「何ですの?」
「俺は、薄人だ」
フレデリカが僅かに目を見開いた。
しかし、足は止めることなく、動揺を一切見せることなく相槌を打つ。
「では、貴方が戦わずに済むよう、立ち回りを工夫しましょう」
その淡白な返答に、俺は拍子抜けた。
「……薄人と一緒にいて、嫌じゃないのか?」
「冒険者とは、未知の世界を探索する者のことを指します。未知の世界には、常に想定外の事態がつきまとう。故に、冒険者に最も求められる能力は、適応力と言われていますの。……貴方が薄人であるならば、わたくしはそれに適応してみせますわ」
より優れた冒険者を目指すために、彼女はその選択を取ったらしい。
想定外の回答に、俺は思わず目を見開き、暫く硬直した。
「ありがとう。正直、かなり嬉しい」
「……別に、普通のことですわ」
少々、感情を正面から伝えすぎてしまったようだ。
フレデリカが両頬を赤く染め、多分自慢のものであろう縦ロールを指で弄る。
「薄人であることを馬鹿にしなかったことも十分嬉しいけれど。それ以前に……俺、この国の学生だからさ。今まで、本気で冒険者を目指している人と、中々話せなかったんだ。だから嬉しいよ。フレデリカが冒険者のことを真剣に考えてくれて」
「……まあ、確かにローネイル王国では、冒険者は冷遇されていますからね。その制服、レイゼンベルグ王立魔術学院のものですの?」
「ああ」
「成る程、名門校ですわね。冒険者という進路は、中々認められないでしょう」
その通り、と俺は頷いた。
直後、フランシスカが足を止める。
「魔物ですわ」
彼女の碧い瞳が映し出す光景を、俺も少し遅れて視認した。
犬と人間の子供を、足して二で割ったような見た目の魔物が、こちらに迫っている。
「コボルトか」
「数は三体、ですわね。……少し見ていて下さいな」
「あのくらいなら、俺も手伝えるぞ」
「薄人が無理をする必要はありません。それに――わたくしの実力を、今のうちに見せておきますわ」
そう言って、フレデリカが一歩、前に出る。
彼女が腰の帯から取り出したのは、一本の杖だった。太い木の枝を削り取ったような見た目だが、恐らくその素材はただの木ではないのだろう。黒い樹皮には艶があり、先端に埋め込まれた宝石は、まるで内側で炎が燃えているかのように鮮やかな赤色だった。
「掌握――」
フレデリカが、小さく言葉を紡ぐ。
瞬間、彼女の持つ杖を中心に、真紅の魔力が迸った。
「――《紅炎砲》」
フレデリカが魔術の名を唱えると同時、その杖の先端に炎の球体が顕現した。炎の球体は、一瞬だけ膨大に膨れ上がったが、瞬く間に収縮する。高密度の炎が、勢い良く魔物たちに向けて射出された。
瞬間、轟音が響く。
焼けた大気が風に乗って流れ、全身を打ち付けた。
迷宮の床を大きく焦がすその圧倒的な威力に、呆然と立ち尽くす。
当然、魔物など、跡形もなかった。
「まあ、こんな感じですわね」
「……すっげぇ」
最早、馬鹿みたいな感想しか浮かばなかった。
完全にオーバーキル。実力を示すには十分過ぎる威力があった。
「凄いな。学院でも、そんな魔術を使える生徒は殆どいないぞ」
「殆どですか。一応いるんですのね」
「まあ、ほんの数人だけだが……」
あまり交友関係が広いわけでは無いので、実際は分からないが、今のフレデリカの真似事が可能な生徒はそういないだろう。レイゼンベルグ王立魔術学院は名門の学院である。その学院の生徒ですら殆どいないのだから、他所ならば尚のこと。
「今の、掌握位階だよな?」
「ええ」
「……本当に凄いな。掌握に到達してるなんて」
フレデリカが肯定したことで、俺は固唾を呑んだ。
魔術には、解放・掌握・昇華の、三つの位階がある。
位階は先へ進むにつれて会得が難しくなり、そして魔術の規模や出力も大きくなる。例えば最初の解放位階は文字通り、魔力を解放するのみの位階である。これは人間ならば生まれつき到達している位階だが、その分、魔術の威力は一般的。先日の模擬戦で、俺と戦ったあの男が使用した魔術《風弾》は、この解放位階の魔術に該当する。あの男は恐らく解放位階に属しているのだろう。俺も解放位階に属しているが、解放位階には属性を使った魔術しか存在しないため、俺は実質、魔術が使えない。
先程、フレデリカが使用した魔術は掌握位階のものだった。
掌握とは、魔力を体外に放出するのみならず、その密度や範囲、軌道などを自意識でコントロール可能なことを示している。つまり、自身の力を掌握可能であることを示す位階だ。これは到達するまでに尋常ではない研鑽が要求され、全体で一割未満の人間が到達できると言われている。
最後に、昇華という位階も存在するが――これは、伝説の位階である。
勇者や英雄。或いは、魔王といった、歴史に名を刻む者のみが扱える位階だ。俺は当然、流石のフレデリカも、この位階には到達していないだろう。
「魔物の素材はどうします?」
フレデリカの問いに、一瞬、迷った。
足下には、原型を留めていないコボルトの素材が落ちている。使える分だけを拾って、後で売れば端金にはなるだろうが――。
「いや、いい。今は試練に集中しよう」
「わたくしもその方針に賛成ですわ。では先へ進みましょう」
フレデリカと共に、部屋の奥にあった階段を降りる。
ワーニマの迷宮は下に延びる構造だ。初層を超え、二層へ到達する。
灰色の階段を降りると同時、視界の片隅に、魔物の影が映ったが――。
「――余裕ですわね」
フレデリカが軽く杖を振るだけで、魔物の姿は燃え尽きた。
素材集めをしない方針で決めたからか、その火力は先程よりも更に高い。魔物を肉片ひとつ残さずに、焼き尽くすものだった。
「シオン、後ろですわ」
「え? ――ッ!?」
フレデリカに言われ、後方へ振り返ると、階段の上からコボルトが一匹迫っていた。
俺たちが階段を下る様を、どこからか影で見ていたのだろう。そして背後からゆっくりと距離を詰めてきた。フレデリカが声を掛けてくれなかったら傷を負っていたかもしれない。
瞬時に腰から剣を引き抜き、コボルトの攻撃に警戒しながら階段を数段降りた。
コボルトも階段を飛び降り、そのまま頭上から爪で薙ぎ払ってくる。
左から払われた爪を刀身でいなし、すかさず半身を翻す。コボルトが着地すると同時、俺は刃を閃かせた。
「はッ!」
コボルトの首を、刀身が滑る。
流石は学院製の剣。服といい武器といい性能がいい。
剣の切れ味に感心していると――隣ではフレデリカもまた、感心した様子を見せていた。
「……貴方、思ったよりも戦い慣れていますわね」
「まあ、このくらいはな」
返事をしながら、剣を鞘に収める。
「俺だって冒険者を目指しているんだ。何もしていないわけじゃない」
「剣は誰かに師事を?」
「いや、我流だ」
「我流でその腕前は素晴らしいですわね。貴方、きっとセンスがありますわ」
「どうも。……これで、後は薄人でさえなければ良かったんだけどな」
いや――寧ろ、薄人だからこそ、俺はここまで剣術を磨くことができたのか。
魔術の腕前が地位を上下する魔術学院において、魔術の使えない俺はとにかく排斥され……暇だった。薄人である俺と競い合う者なんて誰もいない。だから俺は一人でずっと、黙々と魔術以外の、武術の鍛錬に時間を割いてきたのだ。
剣を選んだのは、冒険において、刃物は何かと役に立つからだ。
肉を切って調理したり、樹皮や枝を切って即席の住処や衣服を用意したりと、刃物の使い道は多い。そこに付け加えて、理由を述べるとしたら――魔術の使えない俺には、戦闘における決定打がない。その点、刃物は優秀だった。首を切れば確実に致命傷を取れる。
「騎士ならば、剣術の腕前だけでもなれるという話ですわよ。騎士は魔術のみならず、剣の腕も磨いておりますから。剣に長けているなら、そういう進路の方が向いているかもしれませんわね」
「冗談。俺は冒険者になりたいんだ。剣に拘りはない」
冗談交じりのフレデリカの言葉に、軽く笑いながら答える。
「フレデリカは、迷宮の探索に慣れているのか?」
「これでもわたくしは現役の冒険者ですから。当然、探索も何度も行っております。……そういう貴方は、どうですの?」
「俺は学院の生徒だから、冒険者登録はまだしてないし、本格的な探索もしたことがないな。まあガーベラに入ることが出来たら、学院なんて辞めてやるつもりだけど。……王都の近くにクルリの迷宮というのがあるんだけど、あそこには昔、よく友人と一緒に潜っていた」
「クルリの迷宮、ですか。……知りませんわね」
「子供向けの迷宮だからな。プロの冒険者にはあまり需要がないところだと思うぞ」
俺にとっても、あの迷宮は面白くなかった。
クルリの迷宮は王都から最短距離にある初心者向けの迷宮だ。幼少期、俺はグレンとラクシャを巻き込んで、何度もこの迷宮を探索した。出現する魔物はいずれも弱く、魔術が使えない俺ですら、単独で討伐できる程度だった。
だがそれ故に、クルリの迷宮には浪漫がなかった。
どこをどれだけ探索しても何も出てこない。まるでガイドラインに則って旅をしているかのような気分だった。俺がしたいのは冒険だ。観光ではない。
「分不相応だよな。薄人で、経験も浅い俺が、ガーベラの試練を受けるなんて」
弱音が零れる。だがフレデリカは小さく首を傾げた。
「いいえ。微塵もそう思いませんわ」
フレデリカがあっさりと告げる。
「薄人だからこそ経験も浅いのでしょう。それは当然のことですわ。……貴方はきっと、わたくしよりも遙かに選択肢が少ない。だからこそ、この試練に参加しない手はなかったのでしょう? それに、貴方もこの場に集められた五十人の一人です。きっとガーベラも、貴方の中に何かを見たのでしょう」
「……そうだと、嬉しいな」
長い階段を降りる。
階段が終えた後、俺はゆっくりと周囲を見渡した。
「ここが、ワーニマの迷宮、第二層か……」
土の地面に、木と岩肌の壁面。
どうやらワーニマの迷宮の内部構造は、迷路型らしい。狭く入り組んだ通路と、部屋が点在する構造だ。分かれ道が多く、既に目の前には正面を進む道と、右折する道の二つが見える。
「あまり他所の迷宮と比べても、代わり映えしませんわね」
「……いやいや。多分、そんなことは無いぞ」
フレデリカの言葉を否定しながら、傍の壁を手で触れる。
「ほら、この壁。ローネイル王国にある迷宮は、大抵が硬い石造りの床と壁なんだけど、ここの壁には木が混じっている。一説によると、迷宮の床や壁は、そこに生息する魔物に合わせて変化するらしい。でも見たところ、ここの魔物は他所の迷宮の魔物と大して変わらない。ということは、何か別の理由があるのかも……」
無意識に深く考え込む。
それが、この場に相応しい行動ではないと気づいたのは、少ししてからだった。
「……悪い。ちょっと、テンション上がった」
苦笑して謝罪する。フレデリカは、微笑みながら首を横に振った。
「構いませんわ。お詳しいのですね」
「まあ、その。所詮は本で得た知識ばかりだ。俺はフレデリカほど経験豊富なわけじゃない」
「勤勉なのは素晴らしいことですわ。……冒険が好きなのですね」
「……そうだな。というか、冒険が嫌いな冒険者はいないだろ」
そう言うと、フレデリカは少し神妙な面持ちを浮かべた。
「貴方、何故、ガーベラに入りたいんですの?」
不意に、フレデリカが訊く。
「冒険が好きというだけなら、他のチームでも良いと思いますけれど」
「……そう、だな」
フレデリカの言葉に頷く。確かに、その通りだ。
あまり考えるまでもなく、その問いに対する答えは出てくる。
「他のチームなら行けないところも、ガーベラなら、行けるかもしれない。そう思ったから、俺は今ここで試練を受けているんだ。ガーベラなら、より奥深い冒険ができる。それこそ、もしかしたら――サイハテにだって、行けるかもしれない」
「――サイハテ?」
俺の言葉に、フレデリカが反応した。
「……ぷっ、あははは!」
そして彼女は、大きな声で笑う。
「じょ、冗談を言わないで下さいます? サイハテなんて、所詮は伝承上の場所。誰も辿り着けるわけありませんわ」
よほど面白かったのか、目尻の涙を指で拭いながら、フレデリカは言う。
「サイハテは、御伽噺の世界と同じようなものですわ。そこに行きたいと思うのは、誰もが一度は通る道ですけれど、いつまでも本気にするものではありません。子供なら微笑ましく思いますが、貴方ほどの年齢なら、空想と現実の分別くらいつけるべきではなくて?」
「そうだな。……分かってる、冗談だ」
「冗談でなければ困りますわ。流石に正気を失っている人とは一緒に冒険できませんもの」
分かっている。
いい加減、もう理解している。
――最初から、期待などしていない。
ただ確かめたかった。フレデリカの、冒険者としての実力は一流だ。それこそ、騎士にだって容易くなれるくらいには。そんな彼女が、サイハテに行くという目標をどう思うのか、少し気になった。だから、その結果がこのようなものであることに、俺はあまり落胆していない。
彼女ほどの実力を持つ者ですら、サイハテは夢のまた夢だと言う。
ならば、やはり。俺はガーベラに問いかけるしかないのだろう。
――サイハテに行きたいと、思わないか?
サイハテは実在しないのではと疑われつつあるが、不在証明も出来ていない。
俺は、サイハテは実在して欲しいと思っている。実際に存在するかは不明だが――存在した方が、面白いではないか。
ギルドで、ガーベラの男と対峙した時、サイハテの名を口に出来なかったことが悔やまれる。……いや、あの時はあれで良かった。仮にガーベラが、サイハテを目指していたとしても、俺がその仲間にならなければ意味はない。
もし。万が一。億が一。俺がガーベラの仲間になれたら、必ず言おう。
――サイハテに行こう。
俺はきっと、その一言を口にするために、ガーベラを目指している。
「フレデリカは、どうしてガーベラに入りたいんだ」
今度はフレデリカに、同じ問いを投げかけた。
彼女ほどの実力があれば、どこの国や都市であろうと引く手数多な筈だ。それでも彼女は冒険者の道を選んでいる。その理由が気になった。
「わたくしは、ある杖を探していますの」
「杖?」
訊き返す俺に、フレデリカは頷いた。
「神杖。神が生み出したと言われる杖ですわ。その杖は、他のどの道具よりも、魔術の力を高めてくれるものですの。わたくしは、その在処を探しております。ガーベラは、これまでの冒険で世界各国との太いパイプを持っているとのことですわ。わたくしは、それを利用したいのです」
「……成る程」
少し想定外だったが、その面持ちからフレデリカが真剣であることは理解できた。
冒険者を志す理由は必ずしも冒険が中心ではない。世の中には、冒険者にならざるを得なかった者もいれば、冒険者という特殊な働き方自体に価値を感じる者もいる。
「じゃあ、フレデリカはその杖を使って、より強い力を手に入れたいのか?」
「いえ。そんなことありませんわ」
予想に反して、フレデリカは首を横に振った。
「わたくしの目標は、その杖を破壊することですの」
破壊。その物騒な単語を聞いて、俺は少し声音を落として訊いた。
「……何故」
「あれは、人の世に出るべきものではありませんわ。故に、誰かの手に渡るよりも早く、この手で破壊したいのです」
並々ならぬ事情があるのだろう。
フレデリカの、宝石のように美しい碧眼の底に、薄らと黒々しい感情が見えたような気がした。憎悪とも取れるその感情に鼻白んだ俺は、詮索を止める。
迷宮の探索は、順調に続いた。