07話『ガーベラの試練』
この世界には、迷宮と呼ばれる構造物がある。
古来、神が生み出したと言われるその構造物は、かつては恐怖の象徴であり、そして今では資源の宝庫として扱われていた。
迷宮は、内部に巨大な空間がある。この空間の構造は、世界各地に点在する迷宮ごとに大きく異なる。入り組んだ迷路状のものもあれば、ひたすら階段を上る塔型、反対に下り続ける縦穴型など、様々だ。
そして迷宮の内部には、魔物という生物が生息している。
何をもとに生まれており、何を糧に生きているのか、全く分からない化物たちだ。魔物の種類は実に豊富であり、特に動物の姿形を模したものが多い。だが魔物は一点だけ、共通した特徴を持つ。――人類の命を脅かすという点だ。
かつては迷宮からこの魔物が溢れ出していた。このため、迷宮の周辺は大いに荒れていた。しかし、人類が魔術を巧みに扱えるようになり、更に武器や防具などの生産技術を確立したことで、人類は魔物を退けることが可能になった。
外に出て、散り散りに去ってしまった魔物たちを全滅させることは流石に不可能だった。そのため今の時代でも、外を旅すれば魔物と出くわす場合がある。だが、それ以来、魔物は迷宮の外に漏れていない。各国の治安維持を管轄する組織が、定期的に迷宮の内部に攻め入り、中を掃除しているからである。
ローネイル王国において、迷宮内の掃除を任されているのは騎士だ。
魔物が迷宮の外に溢れかえらないよう、彼らは定期的に迷宮を探索している。
「ワーニマの迷宮……初めて来たけど、静かだな……」
王都で馬車に乗り、三十分が経過した頃。
御者に運賃を渡した俺は、目的地を発見し、気を引き締めた。
広大な森の中央に、一本の整備された道があった。ワーニマの迷宮は、ローネイル王国が所持する迷宮の中でも中規模なものだ。都市から離れ、自然豊かな地に足を運ばなければならないため、あまり人気の迷宮ではない。
今となっては、迷宮に恐れを抱く者は少ない。
騎士が魔物を退治してるため、中の脅威が漏れ出ることはないし。それに何と言っても――魔物の素材は資源と成り得る。その皮は服になるし、その爪や牙は武器や防具の素材となる。魔物の巣窟と言っても過言ではない迷宮だが、魔物を容易く狩ることができる者にとっては、金の眠る場所のようなものだった。
迷宮には、魔物の一部となるらしい珍しい鉱石や薬草もある。それらも売れば金になる。
これほど美味しい話があるだろうか――と、いかないところが、残念である。
魔物を容易く狩ることができる人間なんて、極一部だ。
騎士ですら、数人単位で固まって動き、常に精神を磨り減らしながら討伐しているのが現状である。たかが学院の生徒でしかない俺は、当然、緊張していた。
「……久しぶりの迷宮だ。気を引き締めて行こう」
覚悟は十分。まだ緊張しているが、これ以上足踏みしていると、動けそうにない。
時間も場所も、指定通りの筈だ。僅かに期待を抱きつつ歩み出す。
道を進んだ先には両開きの扉があった。
荘厳で、丹精は模様が拵えられている扉だ。どこか神秘性を醸し出すその扉は、常に開いているが、内側の空間は目には見えなかった。空に浮かぶオーロラのように複雑な光が景色を遮っている。
迷宮の実態は、この世界にはない。
この世界にあるのは、その出入り口だけだ。
扉を潜ると、一瞬の浮遊感を覚える。
両足が地面の感触を返した後、俺はゆっくりと目を開いた。
「――え」
目の前の光景に、思わず声を漏らす。
昨日、謎の男に告げられた時間と場所。面と向かってではなく、態々あのような方法で場所と時間を伝えてきたということは、恐らく、選ばれし何人かがその場に集められているのだろう、と俺は推測していた。
だから一応、俺は選ばれたのだろうと思っていた。
しかし、目の前に広がる光景は――。
「めっちゃ人、いるし……」
ワーニマの迷宮、初層。
出入り口と面する、最も手前にあるその空間には、五十人以上の人が集まっていた。
「ガーベラの試練を受ける方は、こちらにお並びくださーい」
おまけに聞き覚えのある声が聞こえる。
そちらへ視線を向けると、以前、ギルドで久々に顔を合わせた受付嬢の姿があった。
「エミリィさん?」
苦笑しながら近づく。相手もこちらの存在に気づいた。
「あ、シオン君。どーもどーも」
「いや、その……え? なんで、ここにいるんですか?」
「なんでと言われても。普通に頼まれたからだよ。ガーベラの人たちが、今日ここで試練を行うから、その準備を手伝って欲しいって」
え、これ、そんなフランクな感じなんですか。
遺書を用意しとけと言われた手前、正直、かなり緊張したし、ここに来る直前まで鼓動も激しかったのだが、途端に気が抜ける。
「あ、その顔。もしかして『自分はガーベラに選ばれた、特別な人間だ!』って考えてたでしょ」
「……いや、別に。全然、そんなこと、ありませんし」
「誤魔化すのが下手だなぁ、シオン君は。うりうり~」
「止めてください……止めてください」
図星を突かれて若干落ち込んだ俺は、エミリィさんに指で突かれても、それを振り払う力が出なかった。
「多分、その認識は間違ってないよ」
エミリィさんが、辺りを見渡して言う。
「ここに集まっているの、うちのギルドの冒険者だけじゃないみたいだし。態々、海を越えてまで来ている人もいるみたい。ガーベラはかなり広い範囲で仲間を募集しているみたいだね。それで集まっているのが五十人くらいなんだから、シオン君も、紛れもなく選ばれた一人だと思うよ」
「エミリィさん……」
「だから自信持って! 試練はここからなんだから!」
そうだ。エミリィさんの言う通りだ。
こんな、まだ何も始まっていない段階で、一喜一憂する暇などない。
「それで、ガーベラの試練というのは……」
エミリィさんに問いかけようとした、その時。
大きな、手を打ち鳴らす音がした。
「これより、ガーベラの試練を行う」
集められた冒険者たちの前に現われたのは、先日、ギルドに現われた灰色の外套を纏った男――『死の銀灰』だった。男は良く通る声で、冒険者たちに告げる。
「試練の内容は単純。本日の午後一時までに、ワーニマの迷宮、第十層へ到達することだ。探索の方式は各々、自由にしていい。誰かと手を組んでもいいし、一人で挑むのも構わない。但し、他人の妨害行為だけは禁止する。――以上だ。何か質問はあるか」
冒険者たちからは声が上がらなかった。
確かに、試練の内容は単純だ。その点に関しての疑問はない。
「質問はないようだな。では、今から十分後に合図をしたら、試練開始だ」
「お、おい、待て!」
今にも立ち去ろうとした『死の銀灰』に、冒険者の男が声を発す。
「その試練に合格すれば、ガーベラの仲間になれるってことか?」
「そうだ」
即答する『死の銀灰』に、冒険者たちはどよめいた。
そこかしこから喧噪が聞こえる中、また別の冒険者が声を発す。
「俺も、ひとつ訊きたいことがあるぜ」
そう言って、冒険者の男は『死の銀灰』を睨んだ。
「てめぇは、本当にガーベラの人間か?」
「……ほう」
威勢の良い冒険者の発言に、先程までの喧噪が瞬く間に静まった。
どこか感心した素振りを見せる『死の銀灰』は、問いを繰り出した冒険者に対し、掌を向ける。そして、素早く手首を切り返した。
次の瞬間――冒険者は、膝から崩れ落ちた。
「その質問は至極真っ当なものだ。だが態度は改めた方がいい。……質問の答えは、各々、自己判断に委ねるとしよう」
冒険者たちの判断は一致していた。
一瞬の、それこそ何をしたかも分からないまま、問いを発した冒険者は意識を刈り取られていた。「本物だ」「ガーベラだ」といった声があちこちから聞こえる。
「他に質問はないな? なら、残り十分の間、好きに準備するといい」
そう言って『死の銀灰』は踵を返し、どこかへと去る。
同時に、冒険者たちのどよめきは大きくなった。
「おい、ワーニマの迷宮って、全部で何層だった」
「三十層だろ、確か」
「じゃあ十層って言ったら、三分の一じゃねぇか……」
聞こえてくる声に、顔を顰める。
迷宮に出現する魔物は、奥に行けば行くほど強くなる。また、浅い層は騎士や冒険者たちが魔物を処理していることも多いが、奥の方へ行くと、暫く手つかずの状態であるスペースも多い。当然、その分、魔物の数も多くなる。
「……簡単ではないな」
騎士が定期的に迷宮内を掃除するのは、大体、全体の五分の一までの層だと言う。ワーニマの迷宮は三十層あるため、恐らく六層前後までしか掃除されていない。ワーニマの迷宮は、資源の種類や各都市からのアクセスの悪さで、冒険者たちもあまり足を運ばない迷宮だ。奥の方は魔物が跋扈している可能性が高い。
――一人じゃ無理だ。
斥候と盾役。それから接近戦に長けている者と遠距離戦に長けている者。できれば四人欲しい。この際だ、尻込みしている余裕はない。手当たり次第、声を掛けてみようと思ったところ――。
「そこの貴方。宜しければ、わたくしと組んで下さらない?」
妙な口調をした少女に声を掛けられた。
どうして今まで気づかなかったのだろうと思うほど、その少女の風貌は目立つものだった。縦に巻いた金髪に、湖の水面の如く透き通るような碧眼。真っ直ぐな鼻梁と艶のある朱唇は上品で、白磁のように白い肌が丹精な目鼻立ちを強調する。容貌には僅かなあどけなさがあり、恐らくは同い年ほどだろうと推測する。纏う衣服は真紅の装束。街では見かけることのない、令嬢が舞踏会に赴く時のような、豪奢なものだ。
どう見ても、上流階級の人間。
それが何故、冒険者の中に混じっているのか。
それがどうして、俺に声を掛けているのか。
「ちょっと、呆けていないで、返事をして下さいまし」
「あ、ああ。悪い……」
少女の言葉に、固まっていた頭を働かせる。
疑問は多いが――これは、好都合だ。元より、薄人である俺は仲間の募集に苦労すると覚悟していた。それが向こうから声を掛けてきたのだから、これ以上の好都合はない。
「その、頼んでいいか」
「勿論。わたくしがそう望んだのですから」
そう言って、少女は片手を差し出してくる。
「フレデリカですわ」
「シオンだ」
何故かやたらと好意的な姿勢を取る少女と、握手を交わす。
――何かしらの方法で利用するつもりか?
だが何のために? 俺に利用価値などない。
まあ、いい。仲間が出来ることは俺にとっても大きな利点がある。利害関係の一致と考えれば、疑念も薄まる。
「お、坊主じゃねぇか!」
後方から、またしても聞き覚えのある声がした。
振り返ると、そこには先日、ギルドで会った、土色の短髪をした男が立っていた。
「……あんたか」
「俺ぁキースだ。そういうてめぇは、シオンって言うんだろ?」
「なんでそれを」
「こいつに教えて貰った」
そう言って、キースが隣の男を指さす。
「って、ギルドマスター!?」
驚きのあまり、大きな声を上げてしまう。
何故、ギルドマスターがここにいるのか。そして何故、キースの隣にいるのか。
「ど、どうしてここに?」
「どうしてと言われても。僕だってギルドマスターである以前に一人の冒険者だよ。ちなみに、こちらのキースとは昔馴染みでね。折角だから組むことにしたんだ」
「けっ、デスクワークばかりやってる男が、足を引っ張んなきゃいいけどな」
「そういう君こそ、腕っ節で僕に負けたら取り柄がなくなるよ。流石に、頭も力も弱い男は連れていきたくない」
「言うじゃねぇか……」
殺伐とした会話を繰り広げているが、その雰囲気は穏やかなものだった。気心が知れている仲なのだろう。昔馴染みというのも事実のようだ。
「しかし、なんだ。組む相手がいねぇなら誘ってやろうと思ったのに。手が早ぇじゃねぇか」
キースが、俺の隣に経つフレデリカの方を見て言った。
「失せなさい肉達磨。生憎、人手は足りていましてよ」
「……随分と口の悪ぃ仲間を引き当てたな」
フレデリカが目を吊り上げ、キースを睨み付ける。
流石に驚いた様子で、キースは苦笑した。
「邪魔したな。ま、お互い頑張ろうぜ」
キースが踵を返して言う。
つい先日まで、あの男は俺のことを馬鹿にしていた筈だ。急に柔らかくなったキースの態度に、疑問を抱く。そしてすぐに、自分たちの抱えている課題を思い出した。
「ま、待て。フレデリカ。もう一人か二人、仲間は必要じゃないか?」
「心配いりませんわ。わたくし、こう見えて迷宮探索には自信がありますの。わたくしとしては、このまま二人で試練に挑みたいのですが――不服ですか?」
自信に満ちた表情でフレデリカが告げた。
嘘を言っているようには見えない。
それに――。
「……いや、いい」
承諾する俺に、フレデリカは微笑する。
これ以上、仲間を集めようとすれば、その度に話し合う必要がある。
もし、その話し合いで俺が戦力外であることが大きく取り上げられた場合、フレデリカの気が変わってしまうかもしれない。
我ながら打算的である。
だが、感情論で動けるのは余裕のある人間だけだ。
長らく学院で燻り続けた俺に、突如訪れた、最初で最後のチャンス。
何としても掴み取りたい。
「十分が経過した。それでは、これより――試練を開始する」
『死の銀灰』が告げると同時、冒険者たちは、動き出した。