06話『遺書の行方』
翌朝、午前四時。
まだ朝早いというのに、頭は冴えていた。
緊張している、というのもあるのだろう。学院の寮で目を覚した俺は、食堂がまだ開いていないため、昨夜の内に用意していた簡単な朝食を部屋で取った。パン数枚を咀嚼し、水で咽喉を潤した後、着替える。
「目立ちそうだが、これしかないな」
レイゼンベルグ魔術学院の学生服は、防護性に優れている。伊達に騎士の進路を勧めているわけではない。いざという時、例え学院の生徒であろうと、騎士のような活躍が出来るようにと装備品にも配慮されている。今まではその有り難みを全く感じていなかったが、今日でその認識を改める。
壁に立てかけている二本の剣の内、あまり汚れていない左側の方を腰に佩いた。
学院で使う、刃引きされた方ではない。外でも使える、真剣の方だ。
「あとは、こいつだな」
机の上に置いた遺書を手に取る。
昨晩の内に認めたものだ。遺書なんてこれまで読んだことはないし、勿論、作ったこともないので、かなり苦労したが、どうにか纏めることが出来た。
――問題は、誰に預ければいいかという点である。
別に机の上にでも置いていたら良いのではと思うが、昨日、すれ違いざまに声を掛けてきた男は、遺書を人に預けるよう告げていた。確かに、人に預けた方が迅速な対応が可能だ。それに偽造の疑惑も弱まるだろう。
「テッドとケイルは……絶対、本気にしないだろうし。となると、やっぱりグレンか」
落ちこぼれ三人衆の他二人を候補から外す。
あまり気は進まないが、グレンに渡すことにした。ラクシャは色々と怖いので最初から候補ではない。
態々、会って渡す必要はない。まだ午前四時だ。グレンも起きていないだろう。寮の部屋番号は知っているので、遺書は扉の下にでも滑り込ませればいい。
部屋を出て、寮の階段を降りる。
その寸前、俺の前に、一人の人物が立ち塞がった。
「何処に行くんだ」
真っ赤な髪をした少年が、眠気を感じさせない、鋭い目つきで俺を睨む。
「……グレンか」
動揺を押し殺してその名を呼んだ。
内心、とても驚いている。まるで待ち伏せしていたかのようだ。
グレンは視線を下から上へと巡らせ、俺の格好を確認した。実習で使う動きやすい靴に、刃引きしていない剣。どう見ても、散歩に出る姿ではない。だがグレンは、一切質問することなく、踵を返した。
「外、出るんだろ? 歩きながらでいいから、ちょっと話せよ」
グレンの態度に首を傾げながらも、俺は言う通りにした。
共に学生寮を出る。肌寒い風が吹き抜けた後、グレンは小さな声で尋ねてきた。
「なあシオン。俺を恨んでいるか?」
「……なんだよ急に」
「お前にこの学院を勧めたのは、俺とラクシャだからな」
もう何年も前の話だ。
俺とグレンとラクシャの三人は、王都とは離れた、小さな田舎町で育った。だが、途中でグレンとラクシャの提案により、三人揃って王都のレイゼンベルグ魔術学院に通うことにしたのだ。
入学したのは初等部の後半からだ。もう五年近く前になる。
「別に恨んではいない。少なくとも、あの時の俺は、二人の提案が正しいと思っていた」
本心を告げる。
俺は続けて、あの時のことを思い出しながら言った。
「『サイハテに行くには仲間がいる。その仲間を集めるために、魔術学院は有効だ。ここなら、強い奴や、知識を持つ人も沢山いるだろうから』……グレンとラクシャの、その提案を聞いて、俺がこの学院に入学したのは確かだ。だからまあ、判断を失敗したのは俺の責任だろ」
「……失敗か」
「失敗だ。ここに俺の求めているものは何一つ無かった。仲間も知識も手に入らない。ここで手に入るものは、慎ましく生きるための術ばかりだ」
右側に見える学院校舎を一瞥した。
伊達に王立ではない。豪勢で見栄えのいい校舎だ。
しかし、その中に、俺の欲しいものは何もなかった。
「おまけに、絶対に裏切らないと思っていた幼馴染みたちにも、あっさり裏切られるしな」
自嘲気味に告げる。
「グレンは……卑怯だ。なんで、俺だけが大口叩きと呼ばれるんだ。……昔は、俺と、お前と、ラクシャ。三人揃って、大口叩きだった筈だ。三人で一緒に冒険者になって、そしてサイハテを目指すって、何度も口にしていただろ」
「俺とラクシャは大人になったんだよ。お前と違ってな」
「あっそ」
微塵も信用できない台詞を吐かれる。
適当に返事をした俺に、グレンは神妙な面持ちで口を開いた。
「なあ、シオン。慎ましく生きるのが嫌なら、騎士にでもなればいいじゃねぇか。騎士の仕事は派手で面白そうだぜ。魔物の討伐や、犯罪者の取り締まり。強さがモノを言う実力主義の世界だ。評判もいいから嫁にも困らない。お前みたいな地味な奴でも、騎士になりさえすれば、あっという間に所帯を持てるぞ」
「余計なお世話だ」
「騎士の何が悪い。俺も、こんな腕をしてなければ、今頃はきっと騎士を目指していたぜ」
「……嘘つけ」
俺には分かる。――他の誰もが気づかなくても、俺だけは気づく。
グレンの言葉は何一つ本心ではない。
その証拠を得るべく、俺はグレンに問いかけた。
「グレン。いい加減に教えてくれよ。お前、中等部の頃、何してたんだ」
押し黙る幼馴染みに、俺は言葉を止めなかった。
「初等部を卒業して、中等部に進学したと同時に、お前は殆ど学院に来なくなった。最長で一年も休むことがあった。俺とラクシャは、その間、気が気でなかったんだぞ。お前に何かあったんじゃないかと思って。それで、漸く帰ってきたと思ったら……お前は、片腕を失っていた」
気がつけば、幼馴染みが隻腕となっていたのだ。
あの時の衝撃は忘れられない。
「なあ、グレン。その腕、何処に置いてきたんだよ。お前は俺の知らないところで、一体、何をしていたんだ」
そこに答えがあると俺は確信していた。
その答えこそがグレンの本心であると信じて疑わなかった。
だからこそ、グレンもまた、頑なに語ろうとしないのだろう。
「シオン。腕を失った俺が、これからどんな人生を歩むか分かるか?」
グレンが言った。
「五体満足でなければ、騎士にはなれねぇ。見た目が悪ぃから、客商売もできねぇ。器用さが求められる物作りにも携われねぇし、力仕事も無理だ。名門と言われるレイゼンベルグ魔術学院を卒業したところで、俺にはもう、限られた未来しか残ってねぇんだ」
言葉の節々に、後悔の念が滲んでいる。
それは、きっと本心なのだろう。
「冒険者になるってことは、そういうことだ。あまり夢ばかり見ていると、現実に嫌われるぞ」
そう言って、グレンは視線を遠くへ向けた。
それが――大人になった、ということなのだろうか。
夢を捨て、現実を見る。多くの者がそれを選択しているのは分かる。
「……それでも俺は、冒険に命を賭けたい」
口からこぼれ落ちた言葉に、グレンは驚かなかった。
グレンは、俺が子供の頃の夢を、追い続けていることを知っている。
「確信があるんだ。俺は、このまま普通に暮らし続けても絶対に満足しない。騎士になれたとしても、お前の勧めてくれた劇作家になれたとしても、多分、ずっと退屈を感じながら、生きる羽目になると思う」
「それはお前だけじゃない。皆、同じだ。皆そうやって生きている」
「でも俺は、それが嫌なんだ。皆と同じじゃないんだ。俺は皆のように、退屈に耐えられない」
言葉を紡ぎながら、己の決意が固まっていくのを感じる。
グレンは俺を引き留めたかったのかもしれない。だが、逆効果だった。
話して、分かった。やはり俺の目指す道は一つしかない。
「現実に嫌われる? ――上等だ。代わりに俺は、永遠に夢を見てやる!」
馬鹿みたいな言葉を告げる。
目を丸めるグレンに、俺はポケットから一枚の封書を取り出した。
「というわけで、グレン。これ持っといてくれ」
「なんだよ、これ」
「今晩までに俺が帰ってこなければ開けてくれ。それまでは絶対に見るなよ」
そう言って、俺は校門の方へ向かった。
「シオン!」
後方から、グレンが大きな声で呼びかける。
「これだけは覚えとけ! 例えお前が現実から嫌われても、お前のことを好きな人間は、何人かいるんだぜ!」
「……そこはせめて、沢山いると言ってくれよ」
どうせ俺は嫌われ者だ。