03話『幼馴染みと薄人』
「よぉ、負け犬」
目が覚めた俺に、聞き慣れた声が降りた。
「……グレンか」
「正解。また、こっぴどくやられたみたいだな」
「まぁな」
全身の痛みに顔を顰めながら、上体を起こす。
幾度となく経験していることだった。だから、気がつけば自分が保健室にいることも、そのベッドで眠っていたことも、大して驚きではない。
気絶に慣れてしまっているせいか、記憶の欠損も全く無かった。
模擬戦で敗れ、気を失い、そして暫くの間、ここで寝ていた。
窓の外を見る。外はまだ明るい。眠っていたのは、精々、一時間程度のことだろう。
「……で、何しに来たんだよ」
そう言って、俺は隣に佇む男、グレンを睨む。
派手な赤髪をしたその男は、小さく笑みを浮かべて答えた。
「なにって、大事な幼馴染みが保健室に運ばれたって聞いたから、慌てて駆けつけたんだろうが」
「嘘をつくな。どうせ、授業をサボる口実が欲しかっただけだろ」
「バレたか」
不真面目な自分を一切隠そうとしないグレンに溜息を吐く。
「なんで負けるんだろうな。これでも努力してるんだけどな」
つい、口から弱音がこぼれ落ちた。
努力は――している。はっきりと、そう告げてもいいくらいには確実にしている。
「日課、まだ続けてんのか?」
「……ああ。ちゃんと毎朝走ってるし、放課後はずっと剣を振り回してるよ」
問いに答える。
グレンは複雑な表情を浮かべた。
「前も言ったが、あまり薄人が、無茶をするもんじゃねぇぞ」
薄人。それはこの世界における、最大級の蔑称と言っても過言ではない。
人は誰しも魔術を使う素養がある。努力や血統によって素養に優劣が生じることはあるが、魔術を使うための最低限の条件――即ち、「体内に魔力を取り込めること」と「その魔力を用いて魔術を練り上げられること」の、二つを満たしていない人間は存在しない。
但し、世の中には魔術が発動できても、それを使いこなせない人種がいる。
魔術には火や水といった属性という概念がある。これは魔術を体系化した際に発覚した概念であり、人が魔術を使う場合は、こうした自然界に存在する要素・性質の枠に嵌めた現象を目的とすることで、更に強大な効果を期待できるのだ。
ところが、この魔術に属性を与えるという行為が、出来ない人間がいた。
それが――薄人。生来の魔術的劣等種である。
薄人は属性を用いた魔術が一切使えない。属性のない魔術とは簡単に言ってしまうと、練り上げた魔力を投げたり、蹴飛ばしたり、或いは握り締めながら殴りつけたりすることである。薄人ではない属性魔術を生得的に会得している人間から言わせてみると、「それは魔術ではない」らしい。黙れ死ね。
薄人は生まれつきの症状であり、治療法も存在しない。
故に人に見下され、馬鹿にされ、蔑まれるのは当然のことだった。特に魔術学院のような、魔術の腕前と地位が直結する環境では、尚のことである。
――俺は本来なら、魔術学院に通うべきではない。
薄人も多少の魔術は使える。だが、通常の人間と比べると圧倒的に会得できる種類が少ないし、何より手間と労力が恐ろしく掛かる。俺自身、まだ魔術を使用できる域には達していないのだ。
属性魔術が使えない薄人にとって、魔術による戦闘行為は何より不得意とするところである。だから先程の実習で、セシリア先生は俺に気を遣ったのだ。薄人がそうでない人間と戦って勝てるわけがない。それは常識だ。子供ですら理解している根強い固定観念である。
俺は何故、学院に通っているのだろう?
きっと、その答えは惰性だ。
かつては学院に通うことに意義を見出していたのだ。けれど今の俺はその意義を見失っている。……いや、そもそも見間違いだったのだ。最初から俺は学院に通うべきではなかった。
「……薄人だからこそ、無茶をする必要がある」
心情を吐露する。グレンは僅かに目を丸めた。
「薄人が、そうでない人間に勝つためには、通常の何十倍……いや、何百倍も努力をする必要があるだろ」
「そりゃあ、目指す方向性によるだろ。勝つって、お前……そりゃあ戦って勝つって意味か? 止めとけよ。人には向き不向きってのがあるんだ。諦めて、別のことで勝負すりゃあいい。そうだな……劇作家にでもなればどうだ? お前、ロマンチストだろ?」
「ロマンチストじゃない。俺はただ……」
「いずれにせよ、魔術絡みの仕事は、シオンには向いてねぇな」
適切な言葉を絞り出せなかった俺に、グレンがはっきりと告げる。
その時、保健室の扉の向こうから、バタバタと慌ただしい足音が聞こえた。
「もう一人の幼馴染みも来たみたいだぜ」
グレンが言う。同時、部屋の扉が開いた。
「シオン君!」
砥粉色の長髪を揺らしながら、その少女は大声で俺の名を呼んだ。
その円らな瞳が、俺を移す。すると少女は目にも留らぬ速さでこちらに近づいた。
「シオン君! 怪我!? 怪我ない!? 大丈夫っ!?」
両肩を掴まれ、前後に激しく揺らされる。
辛うじて大丈夫だった俺の四肢は、今、再び激痛に襲われた。
「ラクシャ、痛い。痛いから、ちょっと落ち着け……」
「え? ――あっ、ご、ごめんなさい!」
グレンに続く、二人目の幼馴染み――ラクシャ。
同世代の女子と比べると比較的小柄だが、出るところは出ており、そのギャップが良いと一部男子に評判の少女である。ラクシャは普段から優しく、誰にでも分け隔てなく接することができる、いわゆる人気者の立ち位置に君臨している。しかしその面倒見の良さは時に暴走することもあり、特に俺に関しては、昔からのやり取りが起因しているのか、やたらと心配性だった。
「実習で負けただけだろ。別に心配する程じゃねぇって」
「そ、それは、そうなんだけど……」
いつまでもオドオドとするラクシャにグレンが言った。
俺としては、授業中にも関わらず、二人がこうして保健室に足を運んだこと自体がまず飲み込み難い。なので、グレンにしたものと同じ問いをラクシャにも投げかける。
「ラクシャ。一応訊くけど授業はどうした? 今、休み時間じゃないだろ」
「大丈夫。ちゃんと先生に許可取ってきたから」
「……そこまでして、来なくてもいいんだけどなぁ」
「来るよ! だって心配だもん! シオン君、いっつも無茶するし!」
その一線だけは譲らないと言わんばかりに、ラクシャが頬を膨らませて言った。
「そんなに無茶はしていない。……ちょっと幻聴が聞こえたくらいだ」
「幻聴っ!? む、無茶してるよ! それ凄く無茶してるよ! 医者! 医者呼ばなきゃ!」
「冗談だ」
焦るラクシャに、俺は言う。
冗談ではないのだが、医者に掛かる程ではない。
「……でも、珍しいよね。シオン君が実習に参加するなんて」
ラクシャが言う。
暗に、その理由を説明して欲しいと彼女は言っている。だが俺は答えなかった。
「はっ、また大口叩きと馬鹿にされたか?」
「グレン君!」
ラクシャが珍しく、本気で怒った様子を見せる。
本来、怒るべきはラクシャではなく俺だ。実際、ラクシャが何も言わなければ、恐らく俺は、少なからず不機嫌になっていただろう。ラクシャの介入によって怒りの行き場を失った俺は、溜息混じりにグレンに言った。
「されてない。いちいち人の黒歴史を弄るな」
「黒歴史ねぇ……今も更新中じゃなけりゃあいいけど」
「しつこいな。俺もいい加減、大人になったんだよ」
目を合わせることなく告げる。
「そう、だよね。……私たち、もう十五歳だもん。いつまでも、昔と同じことは言わないよね」
ラクシャが、過去を想起しながら言った。
「冒険者なんて……サイハテなんて、馬鹿馬鹿しいよ」
小さな声音で呟きながら、ラクシャは隣に立つ、グレンの半身を一瞥した。
派手で目立つ赤髪に乱暴な口調。大胆不敵で唯我独尊。総じて、雄々しい男という評価が相応しいグレンだが――同時に、今のグレンには、それら全ての要素を覆す程の大きな特徴があった。
グレンには――左腕が無かった。