02話『模擬戦』
かつて、この世界には様々な神秘が存在した。
魔術、魔物、迷宮、古代文明。それらは未曾有の大災害を呼び起こすこともしばしばあり、人類にとって、未知や神秘といった類いは危険因子だった。
そんな未知の世界を積極的に切り拓く者こそが、冒険者と呼ばれる人種だった。彼らは人類が歩みを進めるには危険過ぎるとされる領域を、我先にと勇み足で突き進み、神秘の謎を解き明かしたり、未知の生物の調査を行ったり、失われた文明の残骸を持って帰ってきたりと、人類の文明向上のために貢献してきた。危険を顧みることなく、己の好奇心や野心ひとつで雄々しく活躍する冒険者は、常に尊敬の眼差しを浴びていた。
だが、文明が確立し、技術が向上したことで、人類はやがて未知の領域に踏み込まずとも生きられる日々を手に入れた。まだまだ解明できていない神秘はあるのだろう。まだまだ邂逅していない生物や文明もあるのだろう。だが、それらを知らずとも、人は一定の幸福を享受できる。そんな時代が訪れた。
冒険者の地位は失墜した。
人々はもう、未知の領域から、必要十分のリターンを得たのだ。冒険者の活動資金は決して安くはない。かつては多くの研究機関や、治安維持を担う組織が冒険者たちに投資していたが、今や彼らも未知の領域からは手を引きつつある。
この時代。人々は、冒険者の存在意義について懐疑的だった。
そして、冒険者もまた、己の存在意義を見失っていた。
意義を見失った現代の冒険者は、今、どのような活動をしているのか。俺は勿論、その答えを知っているが――あまりに情けないので語りたくない。
「レイゼンベルグ王立魔術学院は、騎士を志す生徒を応援する!」
一限目。魔術実習の授業にて。
女教師のセシリアは、大きな声でそう宣言した。
豊満な胸を除けば無駄な脂肪が一切無いその体つきが、丈の短い運動着によって輪郭を露わにしていた。おかげで男子生徒の視線はセシリア先生に釘付けである。俺も見ている。そして女子生徒の、男子生徒に対する視線はこれ以上ないほど凍り付いていた。
「名誉ある魔術学院の門を叩いた諸君には、少なからず大志があるのだろう! その対象は何だっていい。技術職、生産職、文官、武官、なんであれ人の役に立つだろう。だが騎士に関しては、その中でも特に人々の役に立つことを保障する!」
ここローネイル王国において、騎士とは自警団や衛兵に代わって街の治安維持を行う者たちのことだ。その活躍は今も昔も華々しい。しかし、それにしてもセシリア先生の騎士に対する情熱は、生徒にはついて行けないほど暑苦しい。
先生は騎士トークはまだまだ続く。
「国のため、人のため、治安維持に力を注ぐ騎士は、まさに花型の職業と言えるだろう。街に出没した魔物の討伐から、犯罪者の取り締まりなど、その仕事はお世辞にも安全とは言い難いが、いつの時代も必ず誰かがやらなくてはならない仕事だ。騎士の中には、王族の護衛にあたる近衛騎士など、名誉ある仕事も多々ある。初回の授業で伝えた筈だが、私もかつては近衛騎士として一人の姫君をお守りしていた身だ。だからこそ、次代を担う子供たちは、心の底から応援する」
そう言って、元女騎士のセシリア様は、右腕を軽く持ち上げた。
開いた掌の上に、小さな火の玉を顕現させる。
――魔術。
人間が持つ、特別な力のことだ。
それはかつて、冒険者が未知の領域から持ち帰った神秘の一つでもある……という言い伝えもあるが、それを気に留めている者は誰もいない。
レイゼンベルグ王立魔術学院とは、文字通り、この魔術を学ぶための教育機関である。
「魔術を用いた戦闘技術は、本来なら護身のために覚えるものだが、ここは魔術学院の中でも特に名門だ。諸君には、できれば自分の身だけでなく、大切な誰かを守るための技術も身につけて欲しい。――――と、言うわけで。今日もまずは模擬戦と行こうか」
かつては女騎士として活躍していたセシリア先生だが、教鞭を振るうその姿は、学校の優しい先生と言うよりは、軍の上官に近いものがあった。教育方針もやや過激である。何処からか、クラスメイトの「またかぁ」という残念そうな声が聞こえた。
魔術の使い方は千差万別だ。
小さな火の玉を浮かせて着火剤のように使用することもできれば、その炎を更に強くして、人や、魔物という恐ろしい化物と戦うための武器にもできる。
魔術を使った技術は、今の世の中で大いに役立っており、人々の生活水準を大きく向上させる要因となっている。魔術は戦闘にばかり活きるものではない。だが、それでも多くの者は、魔術を使った戦闘技術を身につけたいと思っていた。それは護身のためだけでない。魔術を用いた戦いは生身の戦闘と比べると遙かに苛烈だが、その分、華々しく、護身や護衛のみならず見世物としての価値も備わっているのだ。故に惹かれる者も多かった。
戦いの術を身につけた彼らは何と戦うのか。その答えは大抵、人か魔物だ。
そして、そんな彼らの目的を叶えてくれる職業こそが、騎士だった。
冒険者の地位が失墜する一方で、騎士の地位は格段に向上した。
国の外で活躍する冒険者が不要になった分、国の内側を守るための組織が重用され始めたのだ。街道の整備や、魔物の討伐などは、元々冒険者の仕事だったが、今ではその殆どが騎士の仕事となっている。――冒険者は、騎士に仕事を奪われたと言っても過言ではない。
「シオン」
鬱屈とした気分で対戦相手を探す俺に、セシリア先生が声を掛けた。
「今日はどうする? 見学するか?」
気を遣ったような、らしくない潜めた声音で先生が訊いた。
だがそのやり取りは、この実習では恒例のものであり、声が聞こえなくとも周囲の生徒たちは、俺と先生の会話内容を理解していた。彼らが見下した目を俺に向ける。唇で弧を描き、堂々と俺を嘲笑う。
「……いえ、参加します」
そう答えると、セシリア先生は一瞬、困った顔をしたが、すぐにそれを隠して「分かった」と笑みを浮かべた。
この後、先生には迷惑を掛けることになるだろう。
心の中で先生に謝罪をした俺に、下卑た笑みを浮かべる生徒が歩み寄った。
「よぉ、俺とやろうぜ」
「……分かった」
顔も名も知らない、クラスメイトかすら分からない男子の誘いに、俺は乗った。
その様子を見ていた悪友の二人が、慌ててこちらに歩み寄る。
「お、おいシオン。いいのかよ、お前」
テッドが不安気に訊く。
「ああ。ずっと見学じゃ成績が怖いしな。今日は参加する」
「しかし、あまり無茶をするものではないぞ。見ろ、奴の目を。あれはどう考えても、シオンを虐めたいだけだ」
ケイルが声量を落として言う。
確かに、俺を誘った男子生徒は、あからさまにこちらを見下していた。少なくとも真面目に模擬戦をする気ではないのだろう。そもそも、友人でも何でもない相手を模擬戦に誘う時点で、その目的は腕試しは、嫌らしい思惑のどちらかだ。
「ぶっ倒れたら、保健室まで運んでくれ」
悪友二人にそう言って、演習場に向かう。
対戦相手の男は、既に準備万端だった。
「こっちはいつでもいいぜ。さあ、何処からでも来いよ」
男が言う。
腰に吊した鞘から剣を引き抜いた。学院が販売している訓練用の剣だ。刃は潰されており、殺傷能力は無い。だが、金属の塊には違いないので、強く打ち付ければ大きな傷を作ることも出来る。しかし、男は相変わらずヘラヘラと笑みを浮かべ、丸腰の状態で俺を挑発し続けた。
「さっさと来いよ、落ちこぼれ」
「そうだそうだ、早く行け!」
「剣なんか持ったところで、ろくに使えねぇだろ!」
「ぶっ倒されろ!」
対戦相手の罵倒に混じって、演習場の周囲にいる野次馬たちからも声が掛かる。
彼らの声は纏めて無視して――俺は床を蹴った。
「――《風弾》」
男が魔術の名を告げる。
魔術とは、術者の体内に眠る魔力と呼ばれるエネルギーを糧にすることで生じる、様々な現象だ。男が唱えたのは風の魔術。その掌に、旋風を凝縮したような弾丸が顕現した。
弾丸が放たれる。俺は即座に方向転換し、横合いに飛び退いた。
続いて、同じ魔術が二つ連続で放たれる。
「そらそら、どうした!? 避けるばっかりかよ!?」
挑発と分かっていても腹が立つ。
だが、こちらの心情を悟られると相手は更に調子に乗るだろう。それは余計に腹が立つので、感情は表に出さない。
「そっちこそ、遠くからチマチマ攻撃してばっかりだな。ビビってんのか?」
「――言うじゃねぇか、落ちこぼれ」
そう何度も落ちこぼれと言うなよ。自覚してるんだからさ――。
男の全身が、薄緑色に淡く光った。前兆からして、使用する魔術は先程と同じものだろう。但し、威力が違う。
「くたばれッ!」
先程の数倍の大きさはある風の弾丸が、飛来した。
威力が高い。直撃すれば戦闘続行は不可能だろう。
だが俺だって、腐っても彼と同じ学園の生徒だ。ただではやられない。
体内で練り上げた魔力を――斬撃と共に、解き放つ。
「くたばって、たまるかッ!」
風の弾丸を、真っ二つに断ち切った。
「なっ!?」
男が驚愕の声を発す。その面目掛けて、俺は一閃を放った。
男の鼻っ面を、叩き割る勢いで振るった剣は――直撃する寸前、不可視の衝撃に弾き飛ばされた。
衝撃は剣だけでなく俺自身にも届く。まるで、高所から硬い地面に落下したかのように、全身を満遍なく、強い衝撃が打ち付けた。一瞬、気を失いそうになるが、辛うじて意識を保つ。だが体勢を整えた俺の手に、剣は無かった。
目の前で、男が俺の剣を踏みつけていた。
「は、は……ははははっ!」
男が笑う。
まだ、先程の驚愕と焦燥が抜けきっていないのだろう。男は額から脂汗を垂らしながら口を開く。
「いやぁ、驚いたぜ。まさか魔力を解放するだけで、俺の魔術を防ぐとは。……ははっ、褒めてやるよ。今のは予想外だった。魔術を使えない人間ならではの、戦い方ってやつか。……けど、それが限界みたいだな」
冷静に分析を終えた男が、こちらに掌を向け、風の弾丸を放つ。
剣を失い、気を失うほどの強烈な攻撃を受けた俺に、それを防ぐ術はなかった。
「があああぁあッ!?」
腹を穿つように、風の弾丸が炸裂した。
蹲り、呻き声を上げる俺に、男は歩み寄って嘲笑する。
「結局、お前はその程度だ。……不便だなぁ、属性が無いってのはよ」
男が、路傍のゴミを見るような目で、俺を見下していた。
「薄人の分際で、いつまで学園にいるんだか」
降り注ぐその言葉を聞いて、俺は苛立ちよりも、虚しさを感じた。
同世代の人間に、手も足も出ず、こうもあっさりと負けるなんて、生き恥に等しい。
テッドとケイルの顔が過ぎる。
落ちこぼれ三人衆――情けない肩書きだが、その中でも特に落ちこぼれているのが俺だ。
朦朧とした意識の中、目を見開いて焦燥する二人の姿を捉える。
ごめん、運んでくれ。心の中でそう告げる。
『また負けたのー?』
うるせぇな――。
偶に聞こえる幻聴に顔を顰めて、俺は意識を失った。