23話『火龍戦線③』
重い足音が響く中、ガーベラのメンバーは仮面越しに視線を交錯させた。
脳内の警鐘が鳴り響く。こちらへ確実に歩み寄っているその存在は、紛れもない化物だ。
「各位、作戦通りに動け。……相手は特殊な個体である可能性が高い。気をつけろ」
指示を出した後、キースが振り返って俺の方を見た。
「『翡翠』、お前の役割は囮だ。無茶すんなよ」
「ああ、分かってる」
昨日の作戦会議で、ガーベラのメンバーは、火龍と戦う際の、各々の役割を定めた。
俺の役割は囮だ。今の俺は龍に通用する力を持っていないため、陽動くらいでしか役立たない。
分相応の役目である。なればこそ、全うしたいという意志も芽生える。
「足、引っ張んないでよ」
隣のサリーが、小さく警告しながら、背中の杖を手に取った。
サリーはフレデリカと同じく、杖を用いて、主に遠距離から戦うスタイルだ。しかしサリーの杖はフレデリカのものよりも更に大きく、その長さは自分の背丈より僅かに短い程度のものだった。浅葱色の透き通るような杖は、まるで削り取った氷柱のように冷気を発していた。
「来るぞッ!」
キースの声とほぼ同時に、目の前の木々が掻き分けられた。
樹木の間から鎌首を覗かせたのは、真紅の鱗を纏う、巨大な魔物――火龍。
キース、ヴァン、フレデリカにとっては二度目の対峙。俺にとっては三度目の対峙となった。
火龍が吠える。耳を劈く轟音に、草木が大きく揺れた。
火龍は鋭い双眸で、俺たち七人を一瞥した。それから、俺の方を真っ直ぐ見据える。
思わず背中を向けて、逃げ出しそうになった。だが、まだ駄目だ。
もう少し、もう一歩。あとほんの少しだけ、引きつけられれば――。
「『翡翠』ッ!」
火龍が俺目掛けて突進すると同時に、キースが叫ぶ。
合図なんて無くとも自分のやるべきことは理解している。標的に定められた俺は、潔く逃走を開始した。
「よし、狙い通り!」
すれ違いざま、ヴァンが言う。
エミリィもまた、不敵な笑みを浮かべて頷いた。
「『黄土』が言ってた通りだね。なんでかは分からないけど、あの龍は『翡翠』を狙っている」
「原因不明の現象に頼り続けるのは、些か不安だがな」
ジンが小さな声で告げた。
その通りだ。龍が俺以外に敵愾心を抱き始めたら、俺の囮という役割は瓦解する。
だから――狙うは短期決戦。
「『漆黒』ッ!」
キースの呼びかけに、ヴァンは両手を広げ、掌を龍の足元に向けた。
「掌握――《仇縄》」
真っ黒な縄が、蛇のように龍の足を絡め取った。縄は墨汁に浸された直後のように濡れており、龍の動きに合わせて黒い飛沫を飛び散らせる。
拘束から逃れようと暴れ回る龍に、ヴァンが苦しそうに呻いた。
「くっ……思ったより、馬力があるな」
「わたくしが補助します」
そう言って、フレデリカが前に出る。
彼女の構える杖を中心に、陽炎が現われた。
「精霊術――《煉獄の炎餓兵》!」
炎の骸骨が現われ、更にその骸骨が甲冑を纏い、武器を手に取る。
まるで地獄から這い上がってきたかのような不気味な戦士たちは、フレデリカの指示に忠実に従った。フレデリカの杖の動きに呼応し、兵たちは龍を取り囲んでヴァンの足止めを補助する。
「助かる。いいね、その術。汎用性が高い」
「ガーベラにそう言って頂けると、光栄ですわ。しかし長くは保ちませんわよ」
「そうだね。……『銀灰』!」
ヴァンがジンを呼ぶ。
ジンは身動きの取れていない龍に対し、掌を向ける。そして、手首を捻った。
「掌握――《風斬》」
ジンの魔術は、ガーベラの中でも特に静かで、読みにくい。魔力の色……いや、魔力そのものを隠すことに長けているため、発動の兆候は愚か、顕現した魔術すら肉眼で捉えることが困難である。
不可視の斬撃が龍の鎌首目掛けて放たれる。
鱗に覆われた龍の首に、亀裂が走った。
「やはり切断は無理だな。なら――」
ジンが、己の魔術では火龍を仕留めきれないと悟る。
鼠色の外套を静かに揺らし、ジンは人差し指を龍の双眸に向けた。指を、くいっ、と折り曲げると、龍の双眸から血飛沫が舞う。
「今度は目潰し……器用ですわね」
「公爵家の令嬢に褒めて頂けるとは光栄だな」
だが龍はまだ健在だ。事前に予想していた通り、この火龍は通常の龍よりも耐久力が高い。掌握位階の魔術を放っても足止めにしかならず、一見追い詰めているような状況だが、一撃で趨勢を覆される恐れがある。
「息吹が来るよっ!」
後方で冷静に戦況を見守っていたエミリィが、全員に告げる。
見れば龍が僅かに口腔を広げ、牙の合間から炎を漏らしていた。キースがその炎を見て、後方のサリーに視線を注ぐ。
「『群青』! 撃てるかッ!?」
「後もう少し!」
「よし! なら防御は俺がする!」
杖を地面に突き立て、魔術の準備をするサリーに、キースが言った。
火龍の口腔から零れる輝きが、徐々に膨張する。対し、キースは右腕を持ち上げ、勢い良く地面に叩きつけた。
「掌握――――《土錬壁》ッ!!」
解放位階の魔術《土壁》の、上位互換となる魔術が展開される。地面から現われたのは、硬質な砂を練り上げ、更に何重にも重ねられた堅固な壁だった。壁は龍の巨躯を隠しきるほど大きい。
「衝撃に備えろッ!」
キースの合図に、各々屈む。
次の瞬間、壁から膨大な炎が溢れ出した。あまりの熱量に視界を閉ざす。直視すれば眼球が沸騰してしまいそうだ。
龍という魔物の最大の脅威は、息吹と呼ばれる攻撃手段だ。開いた顎から放たれる攻撃は、龍によって異なる。たとえば火龍なら炎が放たれるし、水龍なら水が放たれる。息吹はいずれも強力で、生半可な防御手段では防げない。防御ではなく回避を前提としている俺の装備では、掠るだけでも致命傷を受けるだろう。
「熱……っ!?」
「耐えろ! 息吹を吐いている間は、奴も動けない筈だ!」
あまりの熱さに苦悶の声を漏らす中、キースが士気を上げる。
とても長く感じた炎の放射が、漸く終わった。同時に、キースが用意した壁が瓦解する。
「『翡翠』、行ったぞ!」
「了解!」
すぐに名を呼ばれ、俺は気を引き締めた。
ガーベラたちやフレデリカの攻撃を受けてなお、火龍は俺に敵愾心を抱き続けている。理由は不明だが、それならこちらも作戦通りに動けばいいだけのこと。俺は踵を返し、龍に背中を向けながら逃走した。
向かう先で、サリーが杖を構えている。
「『群青』、頼む!」
「ええ、よく見てなさい」
仮面の向こうで、サリーが不敵な笑みを浮かべていた。
彼女は杖を地面から離し、その先端を龍に向ける。浅葱色の魔力が杖に収束し、一際大きな輝きを灯した直後、俺はサリーが放つ魔術の射程から逃れるべく、滑り込むように地面へと跳んだ。
「掌握――――――《大渦激浪》ッ!」
刹那。俺は、サリーが攻撃役を任されている理由を知った。
杖の先端に灯る輝きから、膨大な水が――それこそ、周囲の森を根刮ぎ洗い流すかの如く、大きな激浪が放たれる。俺を追っていた龍は激浪に直撃し、無抵抗かと思えるくらい、あっさりと流されていった。龍の巨躯を、水流はモノともせずに遠くまで運ぶ。周囲の木々や足元の地面を巻き込み、龍は全身に傷を負いながら地面を転がった。
やがて水の本流が止まる。火龍の息吹とは比べ物にならないほど、水は長く放たれていた。後に残ったのは……いや、後には何も残っていない。鬱蒼と茂っていた森は、完膚なきまでに更地と化していた。
「……か、環境破壊」
きっと俺は動揺していたのだろう。
だから、サリーが隣にいるにも関わらず、つい呟いてしまった。サリーが眦鋭くこちらを睨んでくる。
「失礼ね! これは必要な破壊よ!」
「い、いや、でも……これは、流石にちょっと」
「大丈夫よ。ほら、見なさい。あっちの方は無事だから」
サリーが指さした方角には、確かにまだ、緑豊かな自然が残っていた。だが今の一撃で、大部分が削られたのは間違い無い。
「いい? 覚えときなさい。環境は破壊されるためにあるのよ」
無い胸を張って、俺よりも二回り小さい少女が言った。
正気か? ――呟きそうになった一言を、喉元で押さえ込む。
ガーベラの皆は、正気なのか? こんな破壊神に攻撃役を任せていたら、いつか必ず貴重な文化財を破壊する。
「……落ち着いたら、抗議しよう」
サリーには聞こえないよう小さく呟いた。
今まで、自分がガーベラの一員でいいのだろうかと思っていたが、こればかりは譲れない。俺をガーベラの一員と認めてくれているなら、ガーベラの方針に口だしする権利も認めてくれる筈だ。サリーには加減というものを学んで貰おう。
サリーのせいで水浸しとなってしまった森を歩く。龍は巨大であるため、すぐに見つかった。地面に強く打ち付けられた龍は、小さく呻き声を上げながら立ち上がろうとするも、うまく起き上がれないでいる。
「思ったより、呆気ないですわね」
「――いや」
戦いは終えたと判断するフレデリカに、キースが否定の声を発す。
「何か、おかしい。……何を待っている?」
すぐにキースが何を見ているのかを察した。目だ。龍の目は、まだ死んでいない。死期を悟ったわけでもなく、我武者羅に立ち上がろうとしているわけでもない。その双眸は鋭く、理知を含み、起死回生の一手を狙う策士のようであった。
俺には、あまり理解できなかった。だが濃密な経験を持つガーベラのメンバーたちは、龍の様子に違和感を覚える。
直後、異変が起きた。
俺たちが目指している門の向こうから、光の粒子が溢れ出した。
「な、なんだ?」
狼狽の声を漏らす。誰もが警戒心を露わにした。
光の粒子は俺たちを素通りし、龍の全身に纏わり付いた。その粒子は、龍の傷に密集する。淡く優しい光が輝き続ける内に、龍の傷は、みるみる癒えていった。
「傷が、癒えて……」
「それだけじゃないね……」
キースとヴァンが、不可思議な現象を前にして一歩後退る。
光に覆われた龍は、傷が癒えるのみならず、その見た目を変化させていた。手足も胴も、頭部も尾も、全てが膨張する。全身を覆っている真紅の鱗もより厚みと鋭さを増した。爪や牙も長く、太くなった。
能力が強化されている。
ただでさえ凶悪な龍が――より恐ろしく変貌した。
「息吹だッ!」
鎌首を持ち上げる龍に、キースが言う。
ジンが龍に掌を向け、《風斬》を放った。しかし龍の動きは止まらない。
「おいおい、この熱量……やばくねぇか?」
「これは……防げないね」
キースとヴァンが、防御という選択肢の放棄を決意する。
ならば――。
「体勢を崩します! ――《紅炎砲》ッ!」
フレデリカが龍の右翼に、炎の砲撃をあてる。
龍の体躯が微かに揺らめいた。だが体勢を崩すには至っていない。
「加勢する! ――《仇縄》ッ!」
ヴァンが魔術を発動する。漆黒の縄が龍の右足を絡め取った。
縄が力強く足を引っ張る。龍が、僅かに体勢を崩した。
「『黄土』ッ!」
「任せろ!!」
顎で炎を膨らませる龍へ、キースは疾駆する。
高く跳躍し、拳を引き絞ったキースは、魔術とは別の神秘を顕現した。
「精霊術――《双々たる塔》ッ!!」
岩石の籠手が、龍の胴に炸裂する。
龍は大きくよろめき、体勢を崩したが――倒れる寸前、その頭をこちらに向けた。
「避けろおぉぉぉおぉぉお――ッ!!」
キースに言われるまでもなく、各々が一秒先の死を直感し、行動していた。
俺も例外ではなく、少しでも射線から遠ざかろうとする。
直後、息吹が放たれた。サリーの魔術にも劣らない、辺り一帯を焦土と化す炎が視界を埋め尽くす。
炎に触れずともその猛威は恐ろしい。荒れ狂う爆風に、俺は勢い良く吹き飛ばされた。
岩に背中から叩き付けられ、一瞬、気を失いかける。
霞んだ視界の中、俺は、俺以外にも複数の人影が倒れていることに気づいた。龍の傍にいたキースは、射線から逃れることに成功したらしい。だがヴァン、ジン、サリー、そしてフレデリカの四人は、俺と同じように少なくない怪我を負っていた。
――マズい。全滅する。
チームガーベラと言えど、この状況は甘く捉えられない。
全体の指揮を執るキースも、焦燥に駆られた様子で叫ぶ。
「『牡丹』ッ! すぐに回復を!」
「分かってる!」
エミリィが倒れる四人の中心に立ち、瞼を閉じて集中する。
「掌握――――《蘇火》」
エミリィを中心に、黄金に輝く火の粉が舞った。
その火の粉は鳥の羽のような見た目で、柔らかに宙を滑り、やがて俺の身体に触れる。瞬間、全身に活力が湧いた。身体中の傷が緩やかに回復し、痛みも引く。
暖かな光が心地よい。しかし、龍もただ黙っているわけではない。
火龍の双眸が、エミリィを鋭く見据える。
エミリィは龍の威圧感に負けることなく、睨み返した。
「まだ回復には時間が掛かる――『黄土』! 時間稼ぎを!」
「了解ッ!」
唸り声を発す龍に、キースは真正面から向かい合った。
龍がキースを睨む。大きな足で地面を揺らし、突進した。
「力比べなら、負けねぇぞ!!」
龍が身体を捻り、胴をぶつけてくる直前、キースは自ら龍の方へと迫り、その頭を右拳で殴った。大気が揺れ、衝撃波が飛び散る。
「もう一発ッ!」
キースは更に左拳を龍の頭に打ち付ける。
龍が呻き声を発し、身体を反らした。だが直後、その口腔から炎が漏れる。
「やべっ!?」
キースが慌てて離脱を試みたが、それよりも龍は早く息吹を放った。
先程の息吹と違って、溜めが殆どない。だから炎は一瞬で霧散したが、その一瞬が致命的だった。両腕を盾のように重ねたキースだが、炎の威力に負け、吹き飛んでしまう。
刹那。火龍は――今度こそ俺に接近した。
「しま――っ!?」
キースが目を見開いてこちらに手を伸ばす。
丁度、エミリィの回復魔術によって身体が動かせるようになった、そのタイミングで――龍は、巨大な腕で俺を鷲掴みにした。
「がッ!?」
龍が俺を掴みながら、双翼を羽ばたかせる。
俺は龍によって持ち上げられた。
「あの野郎! 『翡翠』を俺たちから引き離すのが狙いだッ!」
「誰か、龍を止めて!」
キースとエミリィが、連れ去られる俺を見て言う。
「兵よッ!」
その時。エミリィの魔術によって傷を癒やしたフレデリカが、骸骨の兵を龍に仕向けた。門から漏れ出した不可思議な力によって強化された龍は、フレデリカの精霊術をものともしない。だが、飛び立つまでの僅かな隙が生まれる。
一瞬の隙をフレデリカは逃さなかった。
フレデリカが群がる骸骨兵たちを足場にして、羽ばたく龍の尾に飛び乗る。
「よくやった、フレデリカ!」
「貸し一つ、ですわよ!」
龍の足が地面から離れる。
双翼が生む暴風の中、キースが俺に向かって叫んだ。
「『翡翠』ッ! とにかく生き残れ! お前は俺たちの、道標だ! だから――こんなところで失うわけには、いかねえんだッ!!」
キースの声を聞き届けた直後。
俺とフレデリカは、火龍によって上空へ連れ去られた。
◆
大地が遠ざかる様を、見開いた目で眺める。焦燥に駆られた様子でこちらに手を伸ばすキースたちが、火龍の翼が発す暴風によって吹き飛ばされる。瞬間、身体が大きく揺さぶられた。火龍が上空で旋回したらしい。
「くそ、離せッ!」
火龍の腕に締め付けられながら、俺は辛うじて動く右手で剣を抜いた。だが鷲掴みにされているこの状態では、力を込めて火龍に斬りつけることも出来ない。
藻掻いている内に、火龍は更に高い位置まで上った。
眼下の光景に、背筋が凍る。ここから落ちれば即死だ。火龍の拘束を解けば、死んでしまう。
「そこの! 『翡翠』と言いましたわね!」
火龍の尾にしがみつくフレデリカが、大きな声を発した。
「なんだ!?」
「着地はお任せ下さい! だから貴方は、その拘束を解いて――」
言葉を紡ぐ最中、火龍が頭をフレデリカの方へ向ける。
刹那、火龍の口腔から炎が放たれた。炎は龍の尾ごと、フレデリカに直撃する。
「じ、自分の、身体ごと……っ」
咄嗟に魔術で炎の壁を顕現したフレデリカは、龍の息吹を逸らすことには成功したが、尻尾から手を離してしまった。少女の身体が上空に投げ出される。
「フレデリカッ!」
風に流され落下するフレデリカが、強い目力でこちらを見たような気がした。――大丈夫だ。「着地は任せろ」と告げていたのだから、恐らく飛行する術はなくとも着地する術はあるのだろう。
フレデリカに着地を任せてもいいのであれば、俺はとにかく、龍の手から離れさえすればいい。
だがどうすればいい? 掌握位階の《強靱》が使えれば力押しも可能だったかもしれないが、俺はまだ解放位階の魔術しか使えない。
唯一。俺が人よりも優れているモノと言えば――。
「魔力――解、放ッ!」
身体の奥底から、魔力を一気に引き出す。
翡翠の輝きが周囲を照らした。直後、龍が大きな唸り声を上げる。
薄々予想はしていたが、やはり龍は俺の魔力に並々ならぬ警戒心を抱いているらしい。明らかに動揺した龍に、好機と悟った俺は、魔力の解放を継続した。
「さっさと、離せ……ッ!」
龍が俺を握り殺そうとするが、魔力の解放で抵抗する。
激しく視界が揺れ動く中、龍の口腔に炎が蓄積されているのが見えた。息吹だ。それも溜めが長い。フレデリカを落とした時よりも、更に長い時間を掛けて炎を練り上げている。
――やばい。
あの息吹は防げない。
死に物狂いで魔力を解放する。この瞬間、魔力を完全に使い切るつもりで、俺は翡翠の輝きを全身から発した。
だが、その時。
龍は唐突に、俺の拘束を解いた。
「――っ」
龍の腕から逃れ、荒れ狂う風に流される。そして――落下する。
強烈な風に目を細めながら、俺は真下を見た。ガーベラのメンバーと、フレデリカが上空にいる俺と龍を仰ぎ見ている。どうにか龍から離れることには成功した。着地はフレデリカに任せ、再び体勢を立て直すしかない。
刹那。悪寒が走った。
遙か上空から落下する俺に対し、龍が、顎を開いていた。
――息吹だ。
龍は最初から、この瞬間に俺を殺そうと考えていたのだ。だから、ギリギリまで俺を拘束しながら、いつでも息吹を放つことができるよう準備していた。
終わった。
空中では逃げ場がない。
龍は、俺が――いや、俺たちが思っている以上に老獪だった。
――嫌だ。
こんなところで死ぬのは嫌だ。
冒険に出る前は、必ず死ぬ覚悟を抱く。特に薄人である俺は、常人が軽々と対処する危険にすら、死の覚悟を抱くことがある。
だが、覚悟と許容は別物だ。
死ぬかもしれないとは思った。けれど、死を受け入れたいとは思わない。
嫌だ。――嫌だ、嫌だ、絶対に嫌だ。
漸く始まるかもしれないんだ。長年燻り続けていた夢が、漸く一歩を踏み出したんだ。想いを共有できる仲間も出来た。彼らと共に歩む未来も見据えた。その矢先に俺は死ぬのか? そんなの――嫌に決まっている。
「俺は……」
龍に連れ去られる直前。
キースは俺に叫んだ。――失ってたまるかと。
それは俺も同じだ。漸く掴み取った希望を、こんなところで手放したくない。
「俺は――サイハテに行くんだッ!!」
限界だと思っていた魔力の解放。その出力を更に向上させる。
我武者羅に力を放出した。全身が脱力する。命と魂が磨り減るような感覚だ。
解決の糸口は見えない。ただ意味もなく、だがせめてもの抵抗として、俺は魔力を解放しながら、顎を広げる龍を睨んだ。だが、龍は退かない。その双眸には、怯えよりも覚悟の方が色濃く滲み出ていた。
諦めない。絶対に立ち止まらない。
サイハテへ行くんだ。そこに辿り着くまで、俺は絶対に足を止めない。
こんなところで死ぬわけにはいかない。――龍如きに、殺されるわけにはいかない!
『手伝おうかー?』
炎が吐き出される直前。この状況に似つかわしくない、暢気な幻聴が聞こえた。
今までと同じ、明るくて屈託のない幼い少女の声だ。
五月蠅い幻聴だと無視してきた。
だが、これが最後となると、ささくれ立つ心も落ち着く。
――手伝えるものなら、手伝ってみろよ。
所詮、幻。
何も出来ない癖に――そう思った、刹那。
『分かったー!』
幻聴が、返事をした。
「……は?」
疑問の声を発す、と、同時。
あまりに明るい――目も開けられないくらいの、真っ白な光が、俺の身体から溢れ出た。
世界から音が遠ざかる。青い空も、赤い龍も、何もかもが視界から掻き消え、一面が白色に染まった。世界から音が遠ざかり、今が死の間際であることが嘘のような光景の中、俺の傍に、一人の少女が現われる。
白く、幼く、そして太陽のように明るい少女だった。
長い髪も、身に纏う衣服も、肌も、全てが初雪のように白い。瞼を閉じて、すぐ傍に現われた少女は、ゆっくりと目を開き、そのまん丸とした瞳に驚愕した俺を映しながら、満面の笑みを浮かべた。
『久しぶりーっ!』
「ひ、久しぶりって……」
俺はこの少女を知らない。彼女とは初対面の筈だ。
だが少女は、狼狽する俺を他所に、細い両腕を俺の肩に乗せた。
『唱えてっ!』
少女が明るい声音で告げる。
白い光が引き、青い空と赤い龍が再び目の前に現われる。
瞬間――頭の中に、心当たりのない言葉が浮かぶ。
俺は、この少女の正体を理解すると同時に、浮かんだ言葉を紡いだ。
「天帝宮殿の精霊、陽之姫よ。契約に応じ――その全霊を示せッ!」
宙で身を翻し、迫る火龍を睨みながら剣を構える。
刀身を、俺自身の翡翠色の魔力と、少女の真っ白な力が覆った。
「精霊術――」
『精霊術――』
背中に乗る少女と共に、力の名を唱える。
湧き上がる力の全てが剣に募る。刀身の強烈な輝きは、空を翡翠と純白に染め上げた。
「――《天地頒つ暁光の刃》ッ!」
『――《天地頒つ暁光の刃》っ!』
夜明けの光が刃と化したかのように、剣から輝く波濤が放たれた。
斬撃は信じがたいことに、火龍の巨躯を、口腔に蓄えられていた炎ごと切断する。真っ白な光と、溢れ出した龍の炎が混じり合い、空一面に激しい光が溢れた。




