16話『クレイジー・ラクシャ』
学院の空気は、まるで先日の冒険が嘘だったかのように平凡だった。
普段と変わらない笑みを浮かべ、普段と変わらない声を交わす生徒たち。一昨日は昼に学院を早退し、先日は丸一日休んだ俺だが、目の前に広がる光景は以前と何ら変哲もなく、とうに見飽きたものばかりだった。
「シオン、どっか飯食いにいかねぇ? どうせ暇だろ?」
放課後。寮に戻る準備をしていた俺に、テッドが声を掛けてきた。
「お前が授業をサボった件についても、色々聞きたいしな」
テッドの後ろから、ケイルも声を掛けてくる。
教科書を全部、机の中に仕舞った俺は、片手を顔の前に出し、軽く謝罪した。
「悪い。今日は用事があるんだ」
「用事? 何かあんのかよ」
「まあな」
今晩は冒険者ギルドで、再びキースたちと打ち合わせを行う予定である。
先日の打ち合わせは、火龍を倒すために仲間を増やさねばならない、という方針を定めたところで終了した。仲間についてはキースに心当たりがあるらしく、うまく行けば今日中にでも顔合わせができるとのことだ。
「む。おい、シオン。なんだ、そのニヤけ面は」
ケイルの訝しむような視線が突き刺さる。無意識のうちに笑っていたらしい。
だが仕方ないことだ。これから冒険が始まるというのだから、つい気持ちが弾んでしまう。
あの火龍が守っているものとは何なのだろうか。実は気になってあまり眠れなかった。
「シオン君」
その時。後方から声を掛けられた。
振り返らなくとも分かる。この落ち着きと威圧感が同居する絶妙な声音は、ラクシャのものだ。
「ひっ」
「何その反応」
普段から人当たりの良い彼女だが、多分、今日は人に避けられ続けたのではないだろうか。ラクシャは如何にも不機嫌そうな、ピリピリとした雰囲気を醸し出していた。
「ごめんね。今日はシオン君、私が独占するから」
独占って……その言い方は色々と誤解を生みそうだ。
案の定、悪友の二人は目を見開いた後、鬼の形相でこちらを睨んだ。
「シオォォォォオォォン! てめぇぇえぇえぇぇぇえええぇ――ッッ!」
「ラクシャさんとは何も無いって、言ってたじゃないかぁぁあぁぁぁ――ッッ!」
どうしてこの二人は、俺が真剣になって欲しい時に巫山戯て、俺が巫山戯て欲しい時に真剣になるのだろう。
「い、いや、だから何もないって」
「ざっけんな! 妙にニヤニヤしてると思ったら、そういうことか!」
「違う! それは違う!」
悪友二人に誤解されるならともかく、ラクシャにまで誤解されると取り返しのつかない事態まで発展してしまそうなので、全力で否定する。
「貴様! 落ちこぼれ三人衆の決まりを言ってみろォ!」
「え、えーっと……」
ケイルの命令に対し、言い淀む。
業を煮やしたテッドが、妙なポージングと共に叫んだ。
「我等ァ! 落ちこぼれ三人衆!」
「抜け駆け禁止! 努力も禁止ィ!」
テッドに続き、ケイルも吠える。
直後、テッドが涙を流しながら、俺の襟首を掴んできた。
「抜け駆け禁止だコラァッ!」
汚い唾が飛んできた。
ラクシャと俺の間に、彼らが邪推しているような関係はない。
どうにか誤解を解かなくては。そう思った刹那――テッドが白目を剥いて倒れた。
「うちのシオン君は、落ちこぼれなんかじゃ無いんだけど」
倒れたテッドの向こうで、手刀を振り下ろしたばかりのラクシャが言った。
「全く。寝言は寝て言いなよ。不愉快だから」
「……いや、もう寝てるから、聞こえてないんじゃ」
「シオン君も寝る?」
「寝ない。寝ません。起きてます」
今のラクシャは刺激してはいけない。
「じゃあシオン君、貰ってくね」
呆然としたケイルを一瞥して、ラクシャは俺の襟元を掴み、教室の外へと引き摺っていった。教室に残っていた生徒たちが、出荷される家畜を見るような目で俺を見る。哀れみの視線の一身に受け、俺は一条の涙を垂らした。
◆
ラクシャが俺を引き摺った先は、レイゼンベルグ王立魔術学院の女子寮だった。初等部から高等部まで、大勢の女子生徒が住んでいるこの寮だが、基本的に日中は男女ともに自由に出入りできる。しかし、女子に引き摺られながら入った生徒は、後にも先にも俺だけだろう。
「今日はずっと私の部屋にいて」
連行された先はラクシャの部屋だった。
扉を閉め、厳重に鍵を掛けたラクシャが言う。
「いや、ずっとって……いつまでもって訳にはいかないだろ。門限はあるし」
「泊まって」
「は?」
「ここに泊まって」
いよいよラクシャの頭がおかしくなってきた。
少し罪悪感を覚える。前々から俺に対しては、暴走気味の心配性を見せてきたが、遂に末期に入ってしまったのかもしれない。彼女をこんな風にしてしまったのは俺なのだろう。胸が苦しい。
幼馴染みとは言え、頻繁に互いの部屋を行き来するわけではない。久々に訪れたラクシャの部屋は、思ったよりも普通で、特筆すべき点はなかった。机には開いたままの教材など勉強した跡が残っており、ベッドのシーツなどはちゃんと小綺麗に纏められている。
この部屋に、俺が泊まるのか?
ラクシャはどうする。どうせ監視と言って俺の傍から離れないだろう。なら二人とも、この部屋で一夜を明かすのか? それは色んな意味で危惧するべきことだ。主に俺の心労が不安である。
その時。部屋の扉を、誰かがノックした。
ラクシャが扉を開くと、外から赤髪の同級生が入ってくる。
「うわ、マジでやってんのかよ」
赤髪隻腕の幼馴染み、グレンが、部屋の中央に座り込む俺を見てそう発言した。
「あ、グレン君。頼んだもの、持ってきてくれた?」
「まあ一応な」
そう言って、グレンは右手の紙袋を掲げた。
「ほら、シオンの着替え」
「待て」
あまりにも自然に告げるグレンに、俺は慌てて声を発した。
紙袋の端から僅かに中身が見えている。間違いない。本当に俺の部屋着だ。
「それ、俺の部屋にあったやつだろ。なんでお前が持ってるんだよ」
「ラクシャに鍵借りて、態々お前の部屋から取ってきたんだよ」
「……いや。待て。ほんとに待て。じゃあなんでラクシャが俺の部屋の鍵を持ってるんだよ」
恐る恐るラクシャに訊く。
ラクシャは暫し考えた後、首を傾げた。
「さぁ?」
「さぁ? じゃねぇよ!!」
俺の知らない、俺に関わる情報が急に暴露された。
部屋の鍵は、後で寮母に付け替えて貰うよう頼もう。
「……おい、グレン」
「あん?」
俺は小声でグレンを傍に招き、耳打ちした。
「お前、なんであれをラクシャに見せたんだよ」
「あれって、ああ、遺書のことか。仕方ねぇだろ。夜までに帰らなかったら、開けていいって言ったじゃねぇか。丁度近くにラクシャがいたんだよ」
ラクシャには見せないようにと注意書きでもしておけば良かった。
「何二人でコソコソしてるの?」
二人で話していると、ラクシャが訊いてくる。
「グレン君、私、グレン君にも怒ってるんだよ? シオン君を止めなかった責任は、グレン君にあるよね?」
「用事を思い出したぜ。じゃあな二人とも。達者でやれよ」
「グレン! 待て! グレンッ!!」
脇目も振らず、グレンは速やかに部屋を出た。
危機察知能力の高い男だ。羨ましい。
――どうしよう。
またラクシャと二人きりになってしまった。
ラクシャとは幼馴染みだが、それでも異性だ。この狭い空間で、ずっと一緒というのは居心地が悪い。それに、女子寮に一晩中、男子が泊まっていたという事実が発覚すれば、俺は学院中の生徒から変態呼ばわりされるだろう。
何より問題なのは、俺には今晩、予定がある。
どうにかして此処を抜け出し、冒険者ギルドに向かわねばならない。
「あの、ラクシャさん。そう言えば夕食とかは……」
「私がここで作るよ」
「いや、でも俺、今日は外で食べたい気分というか」
「私の方がシオン君の好きな味付け知ってるよ」
多分知っているんだろうけれど、そういう問題ではない。
眉間に皺を寄せ、次の策を練る俺に、ラクシャは思い出したかのように口を開いた。
「夜はそのベッドで寝てね。私は床でいいから」
「そこは普通逆なんじゃ……」
もしかしてラクシャは俺のことを、物凄く繊細な壊れ物のように思っているのではないだろうか。だとすれば心外極まりないが、口に出すのは藪蛇になりそうなので黙っておく。
そのまま、小一時間が経過した。
「ラクシャは、なんでそんなに冒険者を嫌うんだ?」
時計の針の音だけが響く中、俺はラクシャに問いかける。
「誰にも認められないからだよ」
ラクシャは、神妙な面持ちで答えた。
「王都の、冒険者に対する評価って本当に酷いんだよ。いつもギルドで昼間からお酒ばかり飲んでるし。仕事も殆どが土木作業の雑用だし。折角、ローネイル王国は優秀な騎士がいることで有名な国なのに、粗野な冒険者たちのせいで、イメージが悪くなってるって噂されてる」
「それは流石に言い過ぎだろ。騎士だって誰もが礼儀正しいわけじゃない」
「そう言われてること自体が問題なの」
ラクシャが、一息入れた後、続けて言う。
「たとえ実態は違っても、周りにどう思われているかが重要だよ。現にシオン君は薄人だからという理由で、落ちこぼれだって馬鹿にされてるじゃん」
「ま、まあ……」
「私は、シオン君が本当は優しくて、強くて、格好良くて、紳士的な人だって知ってるけど、でも皆にとってそれは関係ないんだよ」
「いや、あの……これ、真剣な話、なんだよな?」
急に直球で褒められたので、思わず視線をラクシャから逸らした。
顔が熱い。調子が狂う。しかしラクシャは気にすることなく語り続けた。
「全てを理解している少数より、何も知らない多数の方が、尊重される。私は……本当は、シオン君が薄人だからって馬鹿にされることも、止めたかった。でも、私やグレンだけじゃどうしても止められなかった。だから……せめて、止められるものは、止めたい」
そう言って、ラクシャは真っ直ぐ、俺を見据えた。
「大人になろうよ。冒険者なんか……サイハテなんか目指していると、ずっと馬鹿にされるよ」
ラクシャの本心を理解して、俺は、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。
薄人は――生まれつきの特徴だ。その事実を否定することは出来ない。だが、俺の、冒険者になるという気持ちならば……サイハテに行くという夢ならば、止められるかもしれない。だからラクシャは、こうも執拗に夢を諦めて欲しいと説得し続ける。
――無理だ。
今までも、そしてこれからも。
特に、これから先、俺がその志しを捨てることは有り得ない。
一日遅かったのだ。ただでさえ、これだけは失いたくないと思っていたものが、先日、更に燃え上がった。もうこの火は消えることがないだろう。俺は死ぬまで夢を見続けるだろう。
「少し、考えさせてくれ」
そう言って、この会話を終わらせる。
頭が冷えた。かつて大口叩きと呼ばれ、馬鹿にされた時から、俺は学院の生徒とは生涯分かり合えないことを覚悟していた。しかし心の片隅で、幼馴染みの二人だけは別だと都合良く考えていた。――その幻想はもう捨てる。グレンもラクシャも例外ではない。俺はもう、彼女たちと袂を分かったのだ。
――逃げよう。
説得は無理だ。ラクシャが俺を、説得できないように。
時計の針が進む。外も暗くなってきた。それまでの間、ラクシャと色々な雑談を交わしたような気もするが、いずれも記憶に残っていない。
「夕食作ってくるね」
そう言って、ラクシャがキッチンの方へ向かった。
「ラクシャ。少しだけ寝てもいいか?」
「え? ああ、いいよ。できたら起こすから」
「ありがとう」
礼を言ってベッドに向かうと、ラクシャは何か考えるような素振りをした。
「いっそ、このまま一緒に暮らそっか」
「……は?」
「別に寮で暮らさなくちゃいけないという規則は無いんだし。王都で少し広めの家を借りれば、これからも二人で、一緒に暮らせるよ」
「いや、確かに暮らせるかもしれないが……」
「シオン君、放っておいたらまた何処かに行くかもしれないし。……うん、それがいいよ」
ラクシャの精神は深刻である。
時間が解決すると願おう。いざという時は……グレンが何とかすると信じている。
「それもまあ、悪くないかもな」
「ほんとっ!? じゃ、じゃあ真剣に考えてもいい!?」
「程々にな」
適当に返事をする。
嬉々として夕食を作り始めたラクシャを他所に、俺は布団を捲り上げ、その中にある毛布を丸めた。丸めた毛布を縦に置き、その上に布団を掛ける。これで端から見れば、布団の中で人が寝ているような形となった。
音を立てないよう、ゆっくりと窓を開ける。
外は暗いが、上下左右の部屋から漏れる照明の光が、辛うじて手前の一本の木に届いていた。窓から身体を乗り出し、その木の太い枝へと腕を伸ばす。全身を外に出した後、窓を閉じ、俺は急いで枝と幹を伝って地面に降りた。
「騒がれる前に、さっさと逃げるか」
門限はまだ訪れていないが、夜も近いこの時間帯に、女子寮の裏手に男子が一人いるという状況は些か怪しい。
俺はすぐに冒険者ギルドへと移動した。
シオン君、冒険以外で死にそう。




