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10話『火龍戦線①』

 真っ直ぐ階段を降りるフレデリカの背中を、黙って見つめていた。

 動揺している素振りはない。階段を叩く足音は規則正しく鳴り響き、体幹も不要に揺れてはいなかった。しかし、今までの探索では、その都度腰の帯に仕舞っていた杖を、今は常に構えている。それは、緊張こそしていないが、警戒している証だろう。


「別の道を探した方が、いいんじゃないか?」


 何度目かになる打診をする。

 だがフレデリカは、振り返ることなく答えた。


「いいえ、このまま進みますわ」

「けど、相手は龍だ。……役に立たない俺が言うのもなんだが、勝ち目は薄いだろ」

「勝てなくても、逃げ切ることくらいなら出来ますわ」


 フレデリカが言う。


「七層は迷路型の構造でしたから、別の道を探すとなると、少なくない時間を費やすことになります。……ガーベラは、十層に到達した冒険者を全員、仲間に入れるとは言っておりませんでした。もしかしたら、先着の数人程度が採用されるのかもしれません」

「……まあ、確かに」


 急ぐ価値はある。

 フレデリカの考えに、短く同意を示した。


「それに貴方も、少なからず興味があるように見えますわ」


 足を止め、こちらに振り返りつつ告げたフレデリカに、俺は言葉を詰まらせた。

 バレバレか――。気まずくなり、視線を逸らしながら言い訳する。


「いや、その……実は、今まで龍を見たことがなくて」

「成る程。だから見てみたいと」

「……はい」

「気にする必要はありませんわ。冒険者なら、そういう方も多いでしょうし」


 好奇心旺盛なのは冒険者の特徴だ。だからと言って、危険な場に踏み込むのは無謀である。

 馬鹿な判断だとは想っていながら、俺は自身の好奇心を抑えることは出来なかった。


 ――龍。


 それは魔物の中でも、特に強い種族のことを指す。

 全体は蜥蜴に翼が生えたような形だが、その巨体はオークの比ではない。爪や牙の脅威はさることながら、全身を覆う鱗は鎧の如く攻撃を弾き、太く重量のある尾は巨大な鞭と化して迫る敵を殲滅する。何より厄介なのはその飛行能力であり、一度空に逃げられると追撃は厳しくなるし、逆にこちらが何処へ逃げようが、その両の翼で何処までも追ってくる。


 数ある魔物の中でも、特に、敵対するべきではない種類。

 だが、それ故に――龍とは英雄譚の象徴でもある。


 困難で、乗り越えるためには勇ましい心が求められるその龍は、しばしば試練の題材として使われやすい。叙事詩に謡われる英雄は、いつだって龍のような魔物と対峙し、そして乗り越えることで栄光を手にしてきた。

 浪漫のある魔物だ。一目見たいと思うのも、自然な感情だろう。


「漸く、ガーベラの試練らしくなってきましたわね。――そろそろ着きますわよ」


 フレデリカの言葉に気を引き締める。

 ワーニマの迷宮、第八層。階段を降りて、辿り着いたそこは――広大な草原だった。


「なんだ、これ? 迷宮の中なのに……草原? 空もある……」


 これまでの迷路型の構造とはまるで違う。自然豊かな緑の地面と、抜けるような青空が何処までも広がっていた。


「偽物の空ですわね。雲が動いていませんわ」

「あ……本当だ」


 フレデリカに言われて気づく。確かに、空に浮かぶ雲は全く動いていない。風が無いのだ。足下の草もそよぐことはない。太陽だと思っていた輝きも、恐らくは照明か何かなのだろう。

 仮にこの光景の全てが作り物だとしても――驚くべき再現度だ。


「しかし、こんな景色、どうやったら生み出せるんだ」

「少なくとも、わたくしたちの知る技術では実現できませんわね」

「…………神が生み出したもの、か」


 迷宮は、神が生み出したと言い伝えられている。

 だが――これに懐疑的な者は少なくはない。

 仮にこの迷宮を神が生み出したのだとしたら、何故、そこに人々を脅かす魔物が存在する。

 魔物の素材は資源として大いに役立っている。だがそれは結果論だ。人々は、魔物がいなくても自然界の動植物だけで生きていける。今の世にとっては魔物も必要かもしれないが、かつての人類にとって、魔物という存在は不要だったのだ。

 神は完全である。そして人類を愛している。故に人や世界にとって無意味なことはしない。

 神が迷宮を生み出したという説は、神の在り方と矛盾するのではないか。


「迷宮は神が生み出した……という説は有名ですが、他にも様々な考察があります。例えば、迷宮の本体は、異世界にあるという説です」


 俺の心情を見透かしてか、フレデリカが語った。


「わたくしたちの世界にある迷宮の扉は、実は高度な技術を持つ異世界の、特定の構造物と繋がっているだけではないかという説ですの。……そして、その異世界こそが、サイハテではないかという説も、一時期はありました」


 一瞬、俺は喜びに舞い上がりそうになった。

 それは俺の知らない情報だった。サイハテに辿り着く貴重な情報である可能性も否定できない。

 しかし――。


一時期・・・、か。……今は無いのか?」

「ええ。この説は間違いであると判明しました。何故なら、八大迷宮のひとつ、"天帝宮殿"が、わたくしたちの知る世界の遙か上空にあると発覚したからです。迷宮はちゃんと、わたくしたちの世界にあるものですわ」

「……そうか」


 できるだけ感情を表に出さないよう注力する。

 当然、落胆した。だが納得もしている。当たり前だ。名のある冒険者たちが次々と挑み続け、一向に辿り着けなかった場所なのだから。この程度でその在処に辿り着けるほど、簡単ではない。


「先へ進みましょう。これだけ見晴らしがよければ、奇襲の心配はありませんわ」


 フレデリカの指示に了解の意を返す。

 今のところ、龍は見つからない。このまま龍と出会うことなく、九層へ降りる階段を見つけることが出来れば、被害なく探索を進めることができる。


「ん?」


 草原を歩く最中、自身の前髪が、ふわりと静かに持ち上がった。


「どうかしましたの?」

「いや、なんか風が吹いたような……」

「風なんてありえませんわ。ここは室内ですのよ?」


 その筈だ。俺も、気のせいだろうと考えた。

 だが、違和感を覚え、周囲を見渡す。

 足下の草原が、一斉に、ざわざわとそよいでいた。


「……嘘だろ」


 確かに風が吹いていた。その出所は背後。踵を返し、振り返った俺は目を見開く。

 いつからそこにいた? いつから俺たちを見ていた?

 全く分からない。その巨体が音もなく現われる筈がないのに――。


「火龍……っ!」


 フレデリカの零した声が、俺の見るものは幻覚ではないと告げる。

 火龍かりゅう。文字通り火を司る龍だ。全身が真っ赤に染まったその龍を目の当たりにして、俺たちは威圧された。


「そんな馬鹿な……こ、こんな急に出てくるなんて……!?」

「言ってる場合じゃありませんわ!」


 二人して退こうとした時、龍の双翼が揺れた。微かに動くだけで放たれる熱風は、足元の草を根元から揺らし、俺の冷や汗を吹き飛ばした。八層へ降りる階段前で出会った、三人の冒険者のことを思い出す。火に焼かれ重傷だったその男。次は、自分の番かもしれない。


「掌握――」


 龍に威圧され、鼻白んでいた俺の傍で、フレデリカが瞬時に対応した。


「――《紅炎砲プロミネンス・キャノン》ッ!」


 真紅の砲撃が放たれる。

 初層でコボルトを殲滅した、高威力の魔術だ。砲撃は龍の胴に直撃し、大きな爆発を生んだ。

 だが、龍は怯みすらしない。その双眸を一層鋭くして、こちらを睨んだ。


「効いてない……!」


 龍が吠えた。大気を振動させるその咆哮に、反射的に両耳を塞ぐ。龍の全身から、心臓に響く威圧感が醸し出された。恐怖のあまり、思わず目を閉じてしまいそうになる。


 龍が首を持ち上げ、その口腔を僅かに開いた。

 牙の内側から、火の粉が漏れる。その熱は徐々に増していった。


「シオン、避けなさい!」


 フレデリカの言葉を聞くと同時、俺は大きく横に飛び退いた。

 直後、龍の口腔から炎の光線が放たれる。その威力は、フレデリカが放った魔術《紅炎砲》の、数倍に及ぶ。草と土を跡形もなく焼き尽くし、ワーニマの迷宮、第八層の端にまで届いたその熱線は、壁に衝突し、豪快に炎を撒き散らした。


「次元が、違う……」


 あのような攻撃、人間には不可能な芸当だろう。

 人智を超えた存在だ。――適う筈もない。


「距離を取ります! こちらへ!」

「わ、分かった!」


 フレデリカの案内に従い、龍の死角へ回り込むよう移動する。龍にとって、俺たち二人は取るに足らない羽虫のようなものなのだろう。俺たちが移動しても、龍は悠々とした所作で、俺たちを目で追うだけだった。


「マズいですわね……」


 フレデリカが、深刻な表情を浮かべた。


「お、おい! 逃げ切れるんじゃないのか!」

「お黙りなさい! それは先手を取られない前提ですわ!」


 焦燥に駆られたフレデレカの声音が、余計に動揺を生み出した。試練が始まる前から、常に堂々としていた彼女が、今は自分と同じように取り乱している。


「……動きを、止めることさえできれば」


 逃走しながら、フレデリカの小声が聞こえてきた。

 苦し紛れの言い訳ではないだろう。元々、彼女は先手を取られさえしなければ、逃げ延びる手段はあると言っていたのだ。つまり、こちらの行動が確実に成功するのであれば、逃げられる。


「何か手があるなら、囮になるぞ」


 俺の意見に、フレデリカが目を丸めた。


「貴方に、龍の気を引くことが出来ると?」

「多分、一瞬だけなら」


 見栄を張る余裕はない。真っ直ぐ、フレデリカの目を見て言う。

 フレデリカは訝しむような目つきを抑え、神妙な面持ちで頷いた。


「いいでしょう。貴方に賭けます」


 フレデリカが首を縦に振ると同時、俺たちは別方向へ走る。フレデリカはそのまま、龍の後ろへ。そして俺は、敢えて龍の視界に入るよう、正面へと向かった。


「火龍ッ!」


 相手は魔物。名など無いし、呼んだところで応じるとも限らない。だが火龍は、俺の叫びに首を動かした。まるで寝起きのように鈍い反応だ。完全に、俺たちを見下している。――油断しているその面を、吠え面に変えたくなった。


 ――魔力解放。


 剣を引き抜き、身体の底から魔力を放出する。

 掌握位階に到達しているフレデリカですら認めた魔力量だ。少しは自信を持っていいのだろう。薄人であることが原因で、俺は今まで、自分に対して自信を持つことがなかった。だからこそ、今の俺は、かつてないほどの危機に瀕していると同時に、かつてないほど高揚している。


 ――もっとだ。

 ――もっと、奥底から力を引き出せ。


 まだある筈だ。まだいける筈だ。

 自信を持て。俺は薄人だが、取り敢えず魔力の量だけは多いらしい。


『手伝おうかー?』


 集中力を限界まで研ぎ澄ました時、また妙な幻聴が聞こえた。

 幼い少女の、屈託のない声音だった。


 ――黙れ。今、忙しいんだ。


 子供の頃からの宿痾である。この声は、精神的に追い詰められた時によく現われる。

 今、幻聴に構っている暇はない。

 内心で悪態をつくと同時、俺は、練り上げた魔力を一気に解放した。


「蜥蜴野郎――こっちを見ろ」


 一瞬。膨大な翡翠の魔力が、視界を埋めた。

 色のついたその力は光輝く粒子と化す。それはまるで俺を中心に燃え盛る炎の如く、辺りを照らした。翡翠の輝きは、龍の巨体を更に上回る大きさで顕現する。――正直なところ、自分でもこれほど強い魔力を出せるとは思わなかったため、少なからず驚いた。その感情も、今は押し殺す。


 明らかに龍の様子が変化した。寝起きのように鈍かったその巨躯は獣の如く跳び上がり、こちらを見下していたその双眸は、警戒心を宿す。火龍の、俺に対する認識が変わったのだ。


 ――どうだ。あんまり人間を舐めるなよ。


 不敵な笑みを浮かべ、心の中で龍に啖呵を切る。

 だが俺の役目はそこまでだ。

 ここからは、フレデリカに任せる。


羅刹炎山らせつえんざんの精霊、羅灼らしゃくよ。契約に応じ、力の一端を示したまえ――」


 フレデリカが何か、詠唱を唱えていた。

 それは俺の知る魔術とは、間違い無く別種の力だ。杖を握り目を閉じる少女は、自身の持つ力ではなく、この場にいない別の存在に拝んでいるようにも見える。


 杖の先端に灯った真紅の輝きが、周囲に広がり、陽炎を生む。

 陽炎が赤く光り、灼熱を帯びた。


精霊術アニムス――《煉獄の炎餓兵プルガトリウム・ラルウァ・ベラトール》」


 灼熱を帯びた火炎が、明確な輪郭を持ち始めた。それぞれは二足歩行の人型――否、頭頂部から二本の角を生やした、鬼の形を取る。甲冑を纏い、剣や槍を武装した陽炎の兵たちは、一斉に火龍へと襲い掛かった。


「な、なんだ、これ……」


 これは、魔術なのか?

 違う――絶対に、魔術ではない。

 ただの魔術にしては規模が大きすぎる。少なくとも掌握位階の魔術ではない。陽炎の兵はざっと見ただけでも二十体以上いる。その一体一体が、大きな熱量を持った炎なのだ。人間の魔力で、あれほどの力は生み出せない。俺の魔力でも当然無理だ。


 まさか、昇華の魔術か。

 そんな疑念を抱いた直後、龍が大きく吠えた。


 龍が翼を動かした。爆風が生まれ、炎の兵たちが押し戻される。

 龍は、陽炎の兵たちを一瞥した後、そのまま宙に浮いた。

 熱風が少しずつ遠くなり、俺は滑空する龍の後ろ姿を見た。

 その巨躯が――唐突に、消えた。


「……龍が、消えた?」


 あれだけの巨体が、一瞬で消えたことに、絶句する。

 少し離れた位置にいるフレデリカを見た。彼女もまた、龍が消えた場所を胡乱な目で見ている。フレデリカが視線をこちらに向けた。互いに顔を見合わせた後、首を縦に振る。まだ安心はできない。俺たちはゆっくりと、龍が姿を消した場所へ近づいた。


「これは……」


 火龍が消えた場所に辿り着いたところで、俺は思わず声を漏らす。

 一見、そこには何もない。だが足元で生い茂る草や、仰ぎ見た先にある空には、違和感があった。

 目の前の空間を境に、景色が僅かにズレている。草も、雲も、まるで水を挟んでいるかのように屈折していた。


「隠し扉、ですわね」


 フレデリカの導いた結論に、俺は頷いた。


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