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09話『ガーベラの噂』

「妙ですわね」


 フレデリカが顎に指を添えそう呟いたのは、ワーニマの迷宮、第七層に到達した直後だった。

 騎士が定期的に迷宮内の魔物を掃討するのは、迷宮全体の内、手前から五分の一までの層である。ワーニマの迷宮は全三十層あるため、騎士は六層までの魔物しか駆除していない。七層以降は、魔物が跳梁跋扈していると思っていたが――。


「魔物が、想像以上に弱いですわ」


 魔物の数は明らかに浅い層と比べて増えている。

 しかし、まだ脅威に感じる程ではなかった。――フレデリカにとっては。


「いや、それは……フレデリカさんが、想像以上に強いだけでは」

「そんなことありませんわ。後、急にさん付けは止めて下さいまし」

「いえ、そのぉ。お荷物の僕がフレデリカさんのことを呼び捨てなんて……へへ、へへへっ」


 初層、二層の魔物なら辛うじて対処できたものの、七層にもなると流石に厳しい。三層以降、俺はフレデリカの斜め後ろで、ただ揉み手をするだけの置物と化していた。本当にずっと、掌を擦り合わせているだけである。いやぁ、両手の皺が磨り減っちゃうなぁ、へへへっ。


「不愉快ですから、止めてくださいます?」

「…………はい」

「手を擦り合わせるのも止めてくださいまし」

「……すみません、癖になってました」


 どうやら両掌の皺は絶滅を免れたらしい。


「しかし、実際、魔物はそんなに弱くないと思うぞ? さっき倒した魔物はオークだよな?」

「ええ。確かにオークは格別に弱い魔物ではありません。しかし、ガーベラの試練にしては、明らかに難易度が低い」

「……言われてみれば」


 薄人である俺にとっては、大抵の魔物は脅威であるため考えていなかったが、確かにあの伝説の冒険者集団、チームガーベラが用意した試練にしては、難易度が低いかもしれない。


「噂は、本当かもしれませんわね」

「噂?」

「ガーベラが、リーダーを失ったという話ですわ」


 それは、聞いたことがなかった。

 フレデリカは説明を続ける。


「チームガーベラは三年前、突如として現われ、そして瞬く間に名を上げた冒険者集団ですわ。しかし、ガーベラは一年前から活動を休止していますの。その理由が、リーダーの脱退ではないかと、冒険者界隈では噂されていますわ」

「……だから、ガーベラは仲間を募集しているのか?」

「ええ。一年間、活動を休止し続けたということは、その間に求める人材が現われなかったということ。今や、手当たり次第、仲間と成り得る冒険者を探しているのかもしれませんわね」


 ガーベラは冒険の過程で世界各国との太いパイプを持っている。密な人脈を有するならば、態々、各地の冒険者ギルドに赴いてまで仲間を募集する必要はない。


「あまり気を悪くしないで頂きたいのですが……今回の試練には、貴方のような薄人にも声が掛かっています。ガーベラは、何か特殊な人材を探しているのかもしれません。少なくとも、ただ冒険者として優秀なだけでは駄目なのでしょう」


 フレデリカが思考に没頭する。

 先程の会話もあってか。気を抜いてしまったのだろう。

 だから、俺が魔物の存在に気づいた時、まだ彼女は無防備なままだった。


「フレデリカ、左だ!」

「――っ!?」


 声を掛けると同時に、フレデリカは即座に対応する。

 瞬時に杖を構えた彼女は、迫る魔物――二匹のオークに向けて、魔術を放った。


「《炎波(フレイム・ウェーブ)》ッ!」


 解放位階の魔術、《炎波》だ。魔力を掌握し、制御する余裕が無かったのだろう。

 炎が波状になって二匹のオークを襲う。巨大な体躯に醜悪な豚の面。膨れ上がった筋肉による膂力と、全身に蓄えた脂肪による耐久性に優れたその魔物は、フレデリカの放つ炎によって足を止める。だが、その内の一匹が炎の範囲から逃れ、大股でこちらに接近してきた。

 オークが向かう先は、俺の方だ。


「マズい――シオン! 逃げなさい!」


 いや、駄目だ。この距離とタイミングじゃあ逃げ切れない。

 心の何処かで、またフレデリカが一人で対処してくれると思っていたのか。そんな浅慮が憎い。


「――いや」


 落ちつけ。激しい鼓動に釣られるな。

 鞘から剣を引き抜き、オークと対峙した。


 相手は巨体。力は強いが動きは鈍い。攻撃を避けられる恐れはない。

 それに、何より――敵は魔物だ。決して、人ではない。


 体内で大量の魔力を練り上げる。

 模擬戦の時とは違うのだ。今回は、加減をしなくてもいい。


 ――魔力解放。


 最初の位階。人間であれば、誰であろうと例外なく到達できる解放の階梯。

 ただ単に、己の内側に宿す魔力を体外に放出できるという、誰にも自慢できない、誰でも可能な技術を――膨大な質量を以て実現する。


 莫大な魔力が剣に乗る。

 翡翠色に輝き出した刀身を、勢い良くオークに叩き付けた。


「おおおぉおおぉお――ッッ!!」


 振り下ろした剣は、轟音と共に、オークの巨体を弾き飛ばした。

 皮膚が分厚いオークに、剣による斬撃の効果は薄い。だからすぐに、フレデリカに視線を注ぐ。


「フレデリカ、とどめを!」

「え、あ――ファ、《炎弾(ファイア)》ッ!」


 一瞬、困惑していたフレデリカが、すぐに我に返り魔術を放つ。

 解放位階の中でも特に簡単な魔術《炎弾》。一発の威力は低い魔術だが、フレデリカはそれを連射することで、二体目のオークを倒した。


「……今のは、ちょっと焦ったな」


 周囲を見渡し、これ以上の魔物がいないことを確認した後、剣を鞘に収める。

 安堵の息を零した俺に、フレデリカは訝しむような目を向けてきた。


「……貴方、掌握の位階にはまだ達していませんのよね?」

「ああ。俺はまだ、解放位階だ」

「出鱈目ですわね。魔力の解放だけで、あれほどの威力を出すなんて」


 多分、褒めてくれているのだろう。それ自体は素直に嬉しい。

 ただ何も、利点ばかりではない。


「加減ができないから人相手には使えないんだ。掌握ができれば、その心配もないんだが……」

「……解放位階で、加減の心配をするような方、普通はいませんわよ」


 苦笑する俺に、フレデリカはますます、眉間に皺を寄せて言った。


「大体、解放位階で魔力に色をつけられるなんて、聞いたことがありませんわ」


 フレデリカが言う。

 魔力は密度を濃くすることで、その色を明らかにすることができる。

 色は個人によって微妙に異なり、似たような色はあっても全く同じ色を持つ者は存在しない。例えば俺は翡翠色で、そしてフレデリカは鮮やかな赤色だ。魔力の密度を濃くして色を出すのは、本来なら掌握位階から可能なことである。しかし……どうやら俺は例外らしい。


「きっと、元の魔力が膨大なのですね……というか、妙な感じがしますわ。貴方の場合、単に魔力が多いというよりは、何かが混じっているような……」


 フレデリカが俺の胸辺りに視線を向けながら言う。その目は何かを見透かしているようで、実際に俺の姿を見ているわけではなさそうだった。


「貴方、薄人で良かったかもしれませんわね」

「は?」


 これまでの人生で、一度も言われたことのない称賛の言葉だった。

 意味が分からず、疑問の声を発す。


「掌握位階を会得するには、解放位階を極めなくてはなりません。故に、掌握位階を会得するのは困難とされていますが……薄人だけは恐らく例外です。何故なら、薄人には属性がない。属性がない分、薄人は他の者よりも比較的簡単に、解放位階を極められる筈ですわ」

「成る程……それは、考えたこともなかった」

「まあ貴方の場合、代わりに魔力の総量が多いみたいですから、そのせいで解放位階の扱いが難しいのかもしれません。だとしたら結局は損も得もしませんわね」


 相槌を打ちながら、俺はフレデリカの分析能力に舌を巻いていた。

 元々、薄人に対して差別意識の低い人物だとは思っていたが、それどころか薄人の長所と短所まで導き出した。特に、薄人ならば掌握位階を比較的、簡単に会得できるかもしれないという可能性については俺ですら考えていなかった。

 自身の無力感を知っているからか、自身にとって都合の良い考えは中々浮かばない。

 まさか、薄人に利点があるなんて――微塵も想像していなかった。


「掌握位階には《強靱レイジング》という魔術があります。あれは無属性の魔術ですから、薄人である貴方にも使える筈ですわ。貴方はまず、掌握位階に到達することを目標に掲げるべきですわね」

「……そうだな」


 フレデリカの考えを、一字一句記憶に刻み込む。

 貴重なアドバイスである。学院で、俺を見下している同級生や、冒険者をひたすら馬鹿にし続ける教師の言葉とは違う。冒険者であることを真剣に考えている、一人の人間からの大切な意見だ。


「フレデリカって、あれだな」

「何ですの?」

「凄くいい奴だ」

「んなっ!?」


 思い浮かんだ感想を述べると、フレデリカは大いに驚いた。


「あ、貴方……その、もう少し言い方を選んだ方がいいですわよ。あんまり直球で言われると、流石に少し、照れてしまいますわ」


 髪を指で巻きながらフレデリカが言う。

 そう言えば、探索が始まってすぐの時も似たような応酬をした。

 対人関係の狭さが生む、コミュニケーション力の低さが恨まれる。


「八層への階段は……あれですわね」


 七層の探索も難なく終え、八層への階段を発見する。


「そう言えば、あまり他の冒険者と鉢合わせないな」

「二層からこの層まで、全て迷路型の構造でしたからね。殆どの人が上の層で迷っているのか……或いは、鉢合わせていないだけで、既に先へ進んでいる人ばかりなのか。いずれにせよ、わたくしたちのペースは、それほど遅くはありませんわ」

「なら安心だ」


 フレデリカの言葉に安心する。

 そこで、ふと、疑問が湧いた。


「ガーベラは、どのくらい仲間を増やすつもりなんだろう」


 俺が口にした疑問に、フレデリカが階段へ向かう足を止める。


「と、言いますと?」

「多分だけど。十層に到達した冒険者の、全員を仲間に入れるわけじゃないよな?」

「……何故、そう思うんですの?」

「チームガーベラは少数精鋭だろ? だからこそ、正体を隠し続けることも可能なんだろうし。それに冒険で重要なのは、メンバーの実力が均等であることだ。大勢の仲間を引き入れるということは、その均衡を取ることが難しくなるというリスクが生じる」


 冒険に挑む際、メンバーの選定は最も重要な課題だ。誰か一人が突出すると、他のメンバーにとっては無謀な冒険が行われることもあるし、その人物に負担が集中しやすくなる。逆に誰か一人が劣っていると、残りのメンバーはその人物を気遣わなくてはならないため、本来のパフォーマンスを発揮できない。


「そうでしょうね。恐らく、ガーベラはあまり多くの冒険者を迎え入れるつもりではない。そしてそれは、他の冒険者の方も、薄々感づいている筈ですわ。――ですから、手を打つ人も現われるでしょう」

「手を打つ? それって、もしかして、他の冒険者の妨害とかか?」

「妨害行為は禁止されていますわ。証拠を残さなければ良いと考える者もいるかもしれませんが……あのガーベラが態々、禁止と言ったのですから、実行するには少々リスクが大きいでしょう」

「なら、どうやって……」


 少なくとも俺の頭では、その答えを導くことが出来なかった。

 目の前で、フレデリカが薄らと笑みを浮かべる。


「さあ? どうするんでしょうね?」


 それはどこか、冷淡な笑みに見えた。

 何か思い当たることでもあるのか。問い質そうと口を開いたところで、慌ただしい足音が聞こえる。


 八層へ向かう階段から、二人の冒険者が現われた。どちらも体格に恵まれた男だったが、焦燥に駆られたその様子からは一切、余裕が窺えない。全身傷だらけの男たちは、階段の下から、更に一人の男を強引に引き摺っていた。

 引き摺られている男は頭から血を垂らしており、か細い呻き声を発している。

 ただ事ではない。


「お、おい! そこの二人! すまねぇが、回復系の魔術は使えねぇか!?」


 男の言葉に、俺はフレデリカに視線を向ける。

 フレデリカは首を横に振った。それから男たちに歩み寄った。


「魔術ではありませんが、痛み止めならあります」

「そ、それで十分だ! 頼む!」


 腰のポーチから痛み止めの入った容器を取り出し、フレデリカは男に渡した。

 男はすぐにそれを重傷の仲間に飲ませる。


「この傷……火傷ですわね。下に、何がいたんですの?」


 フレデリカの言葉に、男は頭を抱え、答えた。


「龍だ。……龍がいる」



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