プロローグ
きっと、壮大な物語が始まるのだと、期待していた――。
◆
「お父さん! あれ! あれは何っ!?」
父の背に乗せられた俺は、その肩越しに目の前の物体を指さしていた。
巨大な歯車が規則正しく回転する。複雑怪奇な構造を晒すその機械が何であるのか、俺にはさっぱり分からなかったが、その機構が俺たちにとって――いや、この世界に生きる者にとって、とても重要であることだけは漠然と理解していた。
かみ合う歯車の中心には、蒼白い結晶が佇む。それは宝石の如く、美しさと神秘性を兼ね揃えていた。
「あれは……なんだっけな。ええと、確か……万象時計だ」
「ばんしょうどけい?」
「簡単に言うと、この世界の時間を管理する時計のことさ。あれを使うと、時間の流れを早くも遅くもできるし、世界を過去に巻き戻すことも、未来に進めることもできる。昔はあれを取り合って、色んな人たちが戦争をしたらしいよ」
「んー? ……よくわかんないや」
「まあ、そうだよなぁ。じゃあ、あれはどうだい?」
そう言って、父は身体を翻し、俺に別の景色を見せた。
そこには巨大な樹木が生えていた。その木は雲を突き破り、天を穿つ。どれだけ仰ぎ見ても、視界に樹木の頂上が映ることはない。
「おっきい、木……?」
「あれは世界樹って言うんだ。この世界を守ってくれる、有り難い存在さ。頂上には、かつて神様が住んでいたらしいよ」
「へぇー。……神様は、もう住んでないの?」
「さぁ? 今はもういないと聞いたけど、実際に見てないから分からないな。……今度、確かめてみるよ」
父が言う。
父の説明は殆ど理解できなかった。だが俺は不満ではなかった。父は淡々とした口調を心掛けているかもしれないが、その語気は明らかに弾んでいた。俺はそんな父の、楽しそうな声音を聞くことが好きだった。
何より、俺もまた、父の見せてくれる光景に圧倒されていた。
こんな、こんなにも美しく、壮大な景色が存在するなんて――。
「あ、鳥だ」
全身青色の鳥が、父の足下に寄ってきた。
背の低い芝生の上を、青い鳥たちは小枝のような脚で、踊るように跳ねる。
「青碧鳥だね。幸せを呼ぶとされている、貴重な鳥だよ」
「じゃあ持って帰ったら、僕も幸せになれるの?」
「シオンは今、幸せじゃないのかい?」
「……別に、そういうわけじゃないけれど」
「なら持って帰る必要はないね。それに、この鳥はここに住んでいるんだ。持って帰ったら可哀想だよ」
諭すように告げる父に、ふと、疑問が湧いた。
「お父さんは、どうして世界中を冒険しているの?」
父が世界中を冒険していることは昔から知っていた。
だが、その父が冒険した先で、こんなにも素晴らしい景色を眺めているとは知らなかった。
故に疑問が湧いたのだ。父はこれまで一度たりとも、冒険の末、何かを持ち帰ってきたことがなかった。それは何故? これだけ広大な世界に辿り着き、これだけ貴重な財宝に囲まれているならば、どうして父は、その一端すら持ち帰らないのだろう。
何も手に入れないくせに、父はどうして冒険をしているのか。
その答えが、無性に気になった。
「うーん、そうだなぁ。何だろうね」
父は言った。
「見たことも聞いたこともない何か。感じたことも味わったこともない何か。少なくとも、今の自分が持っていない何か。……そういうのが、欲しいからかな」
「よくわかんない」
「はははっ、実は僕もよく分からない。僕は一体、何を求めているんだろうね。……もしかしたら、その答えを探しているのかも」
どこか、自分と対話するかのように、父は言う。
「でも、絶対にあるんだよ。何かは分からないけれど。きっと、冒険者でしか手に入らないものがあるんだ。僕はそれを求めている」
真っ直ぐな父の言葉は、妙に自信に満ちていた。
「それって、何処にあるの?」
自分が一体、何を求めているのか。
その答えの在処を問う。
すると、父は……ここではない、遙か遠くを眺めるような瞳で、言った。
「サイハテ。……この世界の果て。そこに行けば、答えはある」
父は、何か熱く滾ったものを、その瞳に宿していた。
それは息子である俺よりも、子供らしく、そして純粋で、真っ直ぐな信念のように思えた。
父が何を見ているのか、気になった。
だから、決めた。
「じゃあ僕も、サイハテに行く!」
父が目を丸める。
「僕も、冒険者になって、サイハテに行く!」
目の前には美しい景色が広がっていた。きっと、その中には金銀財宝と呼べるような、価値ある物もあるのだろう。だが父はそれらに一切目を向けなかった。そして何処までも、一途に、ここには存在しない何かを見据えていた。
――サイハテに行く。
その夢はきっと、金銀財宝が路傍の石に見えるほど、価値あるものなのだ。
それは父にとって、如何なる事柄よりも美しいものなのだ。
俺もまた、その夢の美しさに惹かれた。
「……そうか。でも、サイハテに行くには仲間が必要だよ?」
「大丈夫だよ! グレンもいるし、ラクシャもいる! 皆、いつか冒険者になりたいって言ってるんだ! だから、二人とも絶対に仲間になってくれる!」
頭に浮かべる、二人の幼馴染み。
彼らならば、必ず志しを共にしてくれると、俺は確信していた。
「シオン」
だが父は、微かに寂寥感を漂わせた横顔で、呟くように言った。
「お父さんは、シオンがどんな選択をしたとしても、構わないからね」
それはまるで。
俺が、冒険者にならない道を選ぶのだと、予言しているようだった。
◆
詩神歴47年。
文明が生まれ、技術が確立され、生きることに不便でなくなったこの時代。
未知の領域に踏み込まずとも、子孫繁栄が叶うこの時代。
冒険者と呼ばれる人種は、冷遇の只中にあった。