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1 歳の差婚約しました

 話はとんとん拍子に進んだ。

 両親も、あちら側の親たちもそれぞれの利害が一致したとかで笑顔だ。

 屋敷の者たちもこの慶事を喜び、今晩の宴の準備のためにおおわらわで、屋敷の中を駆け回っている。

 その空気になじめない当事者の一人たる自分を置き去りにして。

 どうして、こうなった。

 着せられるがままに身にまとった上質な、けれども母の趣味がバリバリ入ったレースだのリボンだのをこれでもかとちりばめたピンクのドレスをにぎりしめて、絵画の描かれた天井を仰いだ。

 これは一体、何のフラグなのか、と。



 『中世ヨーロッパっぽい+魔法』というのが、この世界である。

 その世界に生れ落ちながらもなぜ”フラグ”なんていう言葉を知っているかといえば、”前世の記憶”なるものを有しているからである。

 いわゆる、前世で言うところの”異世界に転生しちゃいました”的な小説だのマンガだのをそのまま体現しているわけだ。

 それだけでも、フラグ持ちなのだ。

 だからきっと、あのころ読んだ小説だのマンガだのの登場人物のように何らかの役割があるのかもしれないと、実は戦々恐々としていた。

 いったい、どんなフラグがいくつ待ち受けているのかもわからない。

 少なくとも、現世の私の名前を前世で見た覚えがないから前世で自分が読んだ小説やマンガの世界ではないということだ。つまり、先が読めない。

 覚えがないだけかもしれないが。

 ……これって、前世の記憶を有していることに意味があるんだろうか。

 そう思ったのは、一回や二回ではない。

 すべての物事に意味があるのかと言われれば、前世の記憶からも、現世の記憶からも、是という答えを断言できるわけではないのだけれど。




「お嬢様、そんなところで何をしておいでです。そろそろ、お時間ですよ」

「ああ、メリッサ。もう、そんな時間なの」

 産まれた時からそばにつかえてくれているメリッサもまた、祝賀モードで屋敷の中を飛び回っている。だから、なんとなく本音を言えない。

 今すぐ逃げ出したい、だなんて。

「アルフォード様も、先ほどおつきになりましたし、控えの間に移動してくださいませ」

「そう」

 着いちゃったの。

 逃げ出せないことなんてわかっている。身分あるものが、決定してしまった事項を覆せないことなんて、幼い自分にもわかる。

 でも、だからって。

「……アルフォード様って、女好きだって聞いたけど」

 ロリコンの気もあったのかしら。

 ガラスに映った自分の容姿は、間違いなく年齢通りの10歳の少女そのものだ。そして、本日そんな自分と婚約披露をするアルフォードという人物は。

「こんなところでどうした?」

「……庭を見ておりました。ごきげんよう、アルフォード様」

 後ろから歩いてきたのは、甘いマスクで次から次へと女性を渡り歩くという噂の、どう見たって20歳の青年であったりするのだ。

 絶対に、何か間違っている。

 なんでこの人は、10歳の少女に求婚なんかしたんだ。

 確かにうちは侯爵家で権力を持ってはいるが、それならば、姉たちでもよかったはず。よりにもよって末っ子を選ぶとか、どういうことなんだろう。

 このアルフォードを慕う女性は星の数といわれているものの、さすがに10歳の子供に嫉妬心を向けることをためらったのか、この婚約の話が出てからの嫌がらせの数は片手で足りる程度だ。本気にしなかった人も多いだろう。

 実際、自分だって親から聞かされて本当にこの日を迎えるまで、みんなでドッキリでもやる気なのかと本気にしていなかった。

「ごきげんよう、か。機嫌は悪そうだな」

「悪くはありません」

 良くもないけど。

 その甘いマスクは、恋に夢見る年頃である同年代の茶会仲間にも絶大な支持がある。だから、この婚約が噂になるとかなり羨ましがられたりもした。

 前世の記憶なんてものがなければ、自分も驚喜しただろう話だ。それは、前世の10歳ごろのことを思い出せばわかる。恋に恋していた時代だ。

「でも、緊張しているのかもしれません」

「ふうん、そうか。緊張、ねぇ」

 この、全てわかっていますという言動が好きになれない。

 本当なら、年齢相応の態度を演じればよかったのだろうけれど、ある時、逢引中を目撃してしまい、思わず「これは、失礼を」と言って機尾を返したのがいけなかった。濃厚なキスシーン、しかも相手の女性のドレスは乱れていた、なんて場面を見た8歳の少女なら、驚いて気絶するなり叫ぶなりする場面だったというのに。

 それ以来、顔を合わせるたびに絡んできた。あの時の冷静な態度で逆に、興味をもたれてしまったようなのだ。

 いや、まぁ幼い子供の反応ではなかったのは確かだし、興味をもたれたしまったのはしょうがないとして。

 それが、なぜ婚約なんて話になった。

 やっぱりよくわからない。

「この俺の婚約者になるんだから、緊張もするわなぁ」

「……。そうですね」

 この婚約を本気にしていなかった方々も、さすがに家をあげての婚約披露なんてものをしたら、本当なんだと認識するだろう。

 そしたら、どうなるのか。

 嫌がらせが増えるんだろうなぁ。

 下手をすれば、命にかかわるような物騒な事態にもなるかもしれない。

 それほどまでに、このアルフォードという人物も、その立場も魅力があるのだ。

 緊張しないわけにいかない。

「何度もお聞きしますが、なぜ私なのでしょうか」

「うん? お望みなら何度も答えるが、それはお前さんが『フェルスローズ・フォルガード』だからさ」

 わけわからん。

 フェルスローズ・フォルガード。フォルガード侯爵家の末っ子。現在10歳。ありがたいことに美形の両親を持ったために、顔だちは整っていて将来美人間違いなしというのが周りの評価だ。兄や姉たちには特に溺愛されている。自意識過剰ではない。

 だが、その程度だ。

 何かが秀でているわけではない。

 むしろ、姉たちのほうが美人だし、社交界での評価も高い。

 自分は、いまだにデビュタントを迎えていない子供。

 そのフェルスローズ・フォルガードだから婚約した、なんていうセリフをどのように解釈すればいいのやら皆目見当もつかない。

「『フェルスローズ』だから、それが理由だ。それ以上でも、それ以下でもない。ま、気楽に考えろや」

 そんなもの、理由になっていない。

 興味をもたれて気に入られた、それはわかる。けれど、それがイコール婚約になるという図式に納得ができない。

 納得ができる理由があろうとも、この現状が覆るわけではないのだけれども。

「ま、今日から晴れて婚約者だ。よろしくな」

「……よろしくお願いします、アルフォード様」

 よろしくしたくない、という本音を言えるわけもなく、せめてもと厭味ったらしく深々と頭を下げた。けれど、頭上で押し殺すような笑いが漏れたのを聞いて、速攻で後悔することになった。

 きっとこの人はわかっている。

 だから、嫌いなのに。





 婚約披露といっても、それにかこつけた宴会のようなものだ。

 主役という立場を与えられていたから、最初こそ何人もの人にあいさつと祝辞を受けたが、そのあとはいつもの夜会と変わらない。情報収集と、政治の場所となる。子供の出る幕はない。

 だが、主役という立場上、会場から抜け出すわけにもいかずに、夜が更けて友人たちが一人、また一人を帰るのを見送った。

 正直言ってつまらない。

 少しはこちらに配慮して「途中で部屋へ戻ってかまいませんよ」と侍女が言ってくれるのではないかと期待したが、誰もかれも忙しく動いていてこちらに注意を向ける者がいない。たぶん、これは期待するだけ無駄だろう。

 というか、仮にもこの家の令嬢なのだ。普通なら、何かあったら大変だと気付かれないように護衛なりがいてもいいはずなのに、その気配すらない。

 そんなにこの家は、人手不足だったのだろうか。

「……つまらないわ」

 主役が壁の花とか、笑えない。

 大人たちに交じることもできず、結果壁に張り付いて出されている料理を細々と食べるしかできることがない。

 ……仮にも婚約したんだから、少しはこっちに気を向けなさいよ、アルフォード・デュラン! 婚約者が困ってるんだからっ

 睨みつけてみても、歓談中の婚約者は視線を向けもしない。

 でも、きっとわかっていて無視している。そんな気がする。

 父も母も兄も歓談中で、こちらに注意を向けていない。

 姉たちは酔ったと言って早々に部屋に引き上げてしまったが、未成年で飲酒が禁じられているフェルスローズには使えない手だ。

 正攻法でここを抜け出すより、無断で消えたほうが楽かもしれない。

 後で両親からお小言をもらうかもしれないが、それで済むならこんな退屈な時間を過ごすよりよっぽどいい。

 うん、そうしよう。

 決断すれば早い。

 誰も自分を注目していない今こそが、逃げだすチャンス。

 注意深く周りを見回して、こちらの様子をうかがっている視線がないかを確認する。

 うん、大丈夫。

 持っていた料理の皿を通りすがりの給仕に渡し、少しずつ会場の出入り口へ移動した。

 誰もが立ち止って歓談している中、会場に背を向けて出入り口へ向かえば目立ってしまう。

 誰の注意も引かず、空気のように。

 本当に、そうっとそうっと移動していた、はずだったのに。

「……フェルスローズ嬢」

「……っ!」

 ここからかなり離れた距離にいたはずの人物の声に、背後から声をかけられるという心境がわかるだろうか。

 視界は確かに会場をとらえていて、一メートル背後には壁があるというのに、まったく気づかなかったなんて。

「なっ なぜ……っ」

 すわお化けかという恐怖は、こういうことを言うのだろう。

 心臓が止まるかと思った。

 おかげで心拍が通常に戻らずに、耳に煩い。

「どちらへ、わが婚約者殿?」

「ど、どちらでもよろしいでしょう?!」

 っていうか帰りたいんだから、邪魔しないでよ!

 驚きのあまり震えてしまった手も、なかなかいうことを聞いてくれずに、両手を握りしめる。

「顔色が悪いようですね、大変だ」

 本当に大変などと思っていない平坦な口調と、笑いをこらえた目がこの状況を面白がっている。やな奴に見つかった。

 目立たないようにしていたというのに。

「フェルスローズ嬢は人に酔われたようだ。フォルガート侯爵、部屋へお連れしても?」

 フェルスローズの背後に伺いを立てるのに驚いて振り返ると、お父様が近づいてきていた。

 ううっ お父様も逃亡しようとしていたのに気が付いていたの?

 目立たないようにしていたのに、それが逆に目立ってしまったのだろうか。それとも、主役だからこそ自分が気づかなかっただけで注目されていたのだろうか。

 ああ、失態。

「確かに顔色がよくないな。無理をさせすぎたか。デュラン殿、よろしく頼む」

「はい」

 ……いや、ちょっと待って。

 顔色がよくないのは突然このアルフォードに驚かされたせいだし、そもそも10歳とはいえ淑女の端くれだというのに、部屋まで送らせるって何考えてるの?! そういうのは、侍女か侍従に言ってよっ

 だが、周りからは、ほほえましげな視線を向けられているのに気付いて、がくりとする。

 うん、そうだよね。これは完ぺきな子ども扱いよね。

 そうでなければ、いくら婚約者とはいえ夫でもない男性に部屋まで送らせるなんて真似させるわけがない。結婚前に間違いがあってはいけないのだ、この貴族社会は。

 もっとも、表向きの話だけれど。

 それを思考に入れられていないということは、間違いなんて起きるはずがないと思われていること。

 いや、それは私も同意見なんだけどね。

「参りましょうか」

 アルフォードのにこやかな笑みに、力の抜けた笑みを返す。

 それがよけいに、具合が悪いのだと周囲に思わせたようだ。

 口々に、大丈夫だろいうかというような気遣うような発言が耳に入った。

 ……この状況でなければ、ね。

 内心で毒づきながら、こうなればこの状況を利用してしまおうと退席の失礼を言葉少なに謝り、集まっている人々に頭を下げた。

 毒食らわば皿まで……この使い方で合ってたっけ、なんて思いながら明日は具合悪いふりをして一日部屋に籠城しようかと思う。

 明日は、今日いらしているおじい様やおばあ様方とアルフォードを交えての会食が予定されている。お父様たちはこの貴族社会には珍しく恋愛結婚だったため、お母様を溺愛して育てられたおじい様はお父様のことを今でも快く思っていない。会食に、主役の一人である自分が欠席すれば大なり小なりの顰蹙を買うのは必至。

 意趣返しにはちょうどいい。

 顔には出さずにほくそえみながら、アルフォードの手が背中に添えられ促されるように一歩踏み出そうとした途端、視界が回転した。

「……っ」

 あり得るはずのない至近距離にアルフォードの横顔があることから、何が起きたか一瞬で悟る。

 ここに人目がなかったら、怒鳴りつけているところだ。

 空気を飲むように必死で言葉を飲み込む。

「では、皆様」

 誰もを魅了するという笑みをつくり、フェルスローズを横抱きにしたまま会場を颯爽と後にする。

 会場からは、ため息のような感嘆のようなものが聞こえた気がした。

 ……さすがは、女たらし。





「私を利用しましたね」

 私室の扉が閉まった途端、自分を横抱きにしている婚約者の腕から飛び降り、睨みつけた。

 アルフォードもフェルスローズ同様飽きていたのか、はたまた別の理由なのかはわからないが、会場から抜け出す口実が欲しかったのは事実だろう。

 肩をすくめたしぐさが、むかつく。

「フェルスローズ嬢だって、抜け出したがってただろ」

「当然でしょ。あんな場所にいさせられたって、つまらないだけよ。どっかの夫人が浮気しただの、どっかの貴族が没落しそうだのって、くだらない噂話ばっかり」

 情報という意味では有用なものだというのは理解できるが、だからなんだ。

 その情報を有効に使えるだけの人脈があるわけでも権力があるわけでもない。面倒事にかかわるのもごめんだ。

「アルフォード様こそ、夜会は情報の宝庫なのだから途中退席していいんですか」

「つまらない噂話に耳を傾けるより、婚約者と親交を深めることを優先したのさ」

「嘘くさいです」

 バッサリと切る。

 何が親交だ。

 もともとアルフォードはお父様をたずねてときどき屋敷を訪れていたし、だからこそ顔見知りではあったのだが、年が離れているということもあってあいさつ程度しか言葉を交わしたことがなかった。しかし、8歳の時の事件を契機に、屋敷に来るたびにご機嫌伺いと称してからんできていた。この二年ずっとだ。庭を散歩していればいつの間にか隣にいたし、お茶をしていれば強引に同じ席に着いた。

 そう思えば、親交など今さらだろう。

「とにかく、会場を出られたんですからもう私の傍にいる必要はないでしょう? もう、眠いんですが」

 本来なら、とっくに眠っている時間だ。

 少し前に鳴った時計の鐘は夜の11時を教えていた。

 子供が起きている時間ではない。

「添い寝でもするか?」

「バカにしていますね?」

 添い寝が必要な年はとっくに終わっているし、何より前世の記憶持ちということから、早々に親離れ(乳母離れ)をしている。

 誰かにいてもらわなければ眠れないなんて何年前の話か。

 むしろ、誰かがそばにいたら眠れない。だから、侍女たちにも就寝時は傍にいないように言い含めてあるくらいだ。

「そのうち夫婦としてベッドを共にするんだ。少し早まるだけだろ?」

「一体何年後の話をしているんですか。大体、10歳の子供と添い寝するより妙齢の女性が隣にいたほうが、アルフォード様は嬉しいでしょう?」

「あったかそうなんだけどなぁ」

「……子供体温ですからね」

 眠くなると手足が温かくなる。

 前世は、大人になっても眠くなると手足が温かくなって、布団に入れば冷えるということを知らなかった。

 正確には、子供だから温かいというわけではない。

 特異体質なのかもしれないが。

「真冬ではないのですから、子供のひと肌で温まる必要はないでしょう。そこまで寒いというのなら、温石を用意させたらどうですか」

「ひと肌がいいんじゃないか」

「だったら、妙齢の女性をベッドに連れ込んでください。婚約者だからといって、束縛する気は一切ありませんから」

 娼館通いをしていようが、そんなこと知ったことではない。

 アルフォードなら実際通っていそうだし、女のほうがほおっておかないだろう。

 だから、安眠妨害反対。

 喜んで隣にいてくれる人のもとへ行ってください。

 婚約者とはいえ恋愛感情を持っているわけではないから、ほかの女性といても不快に思うこともないだろう。

「つれないな」

「年端もいかない子供をからかうからです」

「実際年齢は確かに子供なんだろうが、中身は、どうだろうな」

 何かを探るようなその視線に、眉を寄せる。

 心当たりがあるがゆえに、内心はびくびくだが正直に話しても信じてもらえない内容だ。前世の年齢と現世の年齢を足せば、アルフォードの年齢など軽く超えるなんて。

 負けるものかと睨み返せば、一瞬だけアルフォードの目が鋭く光ったような気がした。

 ばれているとは思えない。

 だが、秘密を抱えているのは気づいているのかもしれない。こんなのでも、皇太子の片腕といわれている人物だ。

 無言の攻防が続くかと思われた沈黙は、そう長くは続かなかった。

 アルフォードがついと視線を逸らせたのだ。

 何を見つけたのか、吸い寄せられるように歩いていく。

 人の部屋で勝手しないでほしいんだけどと思いつつも、何に興味を惹かれたのか気になってその行動を観察した。

 目的の場所は本棚だったらしい。

「へぇ……」

「なんです?」

 本を手に取るわけではない。

 背表紙を読んでいるようだ。

「ずいぶん多岐にわたる分野の勉強をしているんだな。まるで学者の本棚だ」

「少しでも興味が引かれたものは一通りあります。「貴族の令嬢の本棚」とはほど遠いから、気になったのですか」

 今どきの同年代なら、巷で人気の恋愛小説が並ぶところだろう。

 フェルスローズも読んではいるが、文庫はすべて寝室の本棚にある。寝物語の代わりにしているためだ。

「そうだな、歴史学に、宗教学、農学、経営学まである……独立でもする気だったのか?」

 ため息をついた。

 とうに潰えた未来だ。話したところどうにかなるものでもない。

 それに、アルフォードに秘密にすることでもない。

「私は侯爵家の娘とはいえ、末っ子です。政略結婚には価値がありますが、それだけです。私には、それしか価値がない。だから、デビュタントを迎える前に出奔して、身分も何もかも捨てて平民として生きるつもりでした」

「だが、俺が求婚したために自体が変わった」

「ええ。中央の有力者と婚約することになるなんて、思いもしていませんでした。権力のために、年齢の離れた年配の方にでも嫁ぐのが関の山だと」

 思っていたのだ。

 侯爵家とはいえ、末っ子の扱いなどそんなものだ。

 家族に溺愛されている自覚はあるが、権力欲がない父ではない。いざとなれば、娘を駒とすることもいとわないだろう。

「達観しすぎだろう」

「そうですね。同年代の令嬢なら、恋愛に夢を見ている頃でしょう。でも、私は昔からこうだったので」

 だから、アルフォード様も興味を持ったのでしょう?

 年齢に似合わない妙な思考回路をしているから。

 仕方がない。

 精神年齢は、10歳ではないのだ。

「ふうん?」

「なんです?」

 何がおかしいのか、こちらを見て笑った。

「ますます面白い。まるで大人のような言動をしてみたり、子供のようだったり。まるでびっくり箱だ」

 びっくり箱とはあれですか、箱を開けると変な顔をしたピエロだの蛇のおもちゃだのが飛び出す、子供だましなのに大人でもやられると心臓に悪い、あれですか。

 そこまで変人だという意識はなかったのだけれど。

「だが、わかったことがある。男には不慣れだろ」

「なっ」

 前世では実年齢イコール彼氏いない歴だったことを思い出し、羞恥に赤くなる。

 嫌なことを思い出してしまった。周りが、片思いだの彼氏ができたのだのと色づくのを、興味があるものの恋愛対象になるような人物がいなかったために、傍観せざるおえなかった学生時代は、疎外感の塊だった。

 いや、忘れよう。

 そもそも、フェルスローズの秘密をアルフォードは知らないのだ。

 前世云々ではなく、現世の情報しかないアルフォードは現在のフェルスローズの話をしているのであって。

 って、おかしいでしょ?! それに、なんでそんな話になったの?!

「10歳の小娘に何をおっしゃっているんですかっ」

「そのくらいの年齢なら初恋くらいしてるだろ。キスを済ませている奴だっていたし」

「初恋の話は納得できますが、キ、キスだなんて!」

 そりゃ、進んでいる子は進んでいるんでしょうけどねっ

 なにせ、ここは貴族社会。生まれた時から結婚が決まっていたとか、同年代ですでに結婚している子だっていないことはないのが決して珍しいことではない社会だ。

 が。

 幸か不幸か、その実体験者とは知り合いではない。身近な話ではあったものの、実感はなかった。茶会で話題に上るのだって、せいぜい『あの人かっこいいよね』程度のものだったのだ。

 だというのに、アルフォードが言うとなんだか生々しい。

「まだだろ? 今からするか? 俺なら構わないぞ」

「まだですよっ っていうか、今から初恋だの、その、キ、キスだのって、政略とはいえ婚約発表したばかりの相手に言うセリフですかっ」

 婚約者がいる身でほかにうつつを抜かしたら、この貴族社会ではいい醜聞だ。

 となれば、初恋もキスも、必然的に。

「初恋も、キスの相手も、俺だったら問題ないだろ」

「何言っちゃってるんですかっ どこまで自信過剰なんですかっ 私10歳ですよ!?」

「とりあえず、経験してみるか。キス」

「は? へ? え?」

 ち、ちょっと待ってっ お願い待ってっ どうして待ってっ

 本棚から距離はあったはずなのに、いつの間にか間合いは縮んでいた。一体いつの間に移動したのか。

 じりじりと後退しながら、その目から目が離せなかった。

 三日月のように笑いながらも、深い闇の中に突き落とされるのではと錯覚するような光がある。

 まるで、それに魅入られてしまいそうで、けれど、すぐ後ろに合った扉に背中がぶつかり我に返る。

 これがいわゆる、獲物を狙う目というやつなのか。いや。

 違う。

 少なくても、この人は本気でフェルスローズを獲物として見ていない。当たり前だ、10歳の少女なのだから。

「あ、あの、アルフォード様? ふざけるのは」

「ふざけているように見えるか?」

 見えません。でも、たぶん演技なんだろうと思われます。どっかの劇団にでも入ったらどうでしょう。きっと人気役者です。

 囲い込まれるように顔の横に両手をつかれると、フェルスローズの体は完全にアルフォードの影に入る。それだけに顔が近い。

 真剣なまなざしが近づいてくる。

 好きな相手ではないとはいえ、国でも10本の指に入る美形だ。近づかれて、心臓が高鳴らないはずがない。

 固まってしまった体は、もうそれ以上動かない。

 目を見開いたまま、息を止めた。

 そして、吐息がふれた瞬間。

「ぶっ」

 綺麗なほど整った美形の顔が崩れるのを間近で見た。

 …………って、ことは。

「からかいましたね!」

「いや、悪い悪い。だが、本当に初心だな。そういうところは、年相応だ」

「やかましいですよ、アルフォード様!」

 笑いながら一、二歩離れたアルフォードにフェルスローズは睨み付けるが、相手はどこ吹く風。まったく堪えた様子はない。

 女性をとっかえひっかえしている百戦錬磨に勝てる分野ではないとわかっていても、やはり悔しいものがある。

 それに、年相応だといわれると、ちょっとへこむ。

 確かに恋愛経験値はほぼゼロに近い。前世から通算してもファーストキスもまだだったりするのだ。

 こんな形で、初めてのキスの瞬間を迎えなくてよかったと思うけれど。

 精神年齢は上のはずなのにっ

「からかうにしても、悪質ですっ」

「悪い、悪い」

「本当に悪いなんて思っていたら、そんなにニヤけるわけないでしょう!」

 今にも爆笑しそうなその表情がむかつくのに、先ほどの罠にまんまと引っかかったのが恥ずかしくて仕方ない。

「いやぁ、本当にキスもまだだったんだなぁ」

「初恋もまだなのに、経験があるわけないじゃないですか! というより、10歳の小娘相手にしている自覚があるんですかっ」

 先ほどのキスにしてもそうだ。

 少し考えれば、いくら求婚してきたとはいえ、自分自身に求婚したというよりは家の権力が目当てと考えるほうが自然だ。ならば、10歳の小娘にキスを仕掛けること自体があり得ない。

 ああ、本当に穴があったら入りたい。

 なまじ中身が年相応じゃないから、その事実にすぐに気付かなかったなんて。

「10歳とはいえ、俺の婚約者であることは間違いないだろ。そこんとこは知っておかないとな」

「知ってどうするんですかっ」

「俺に惚れとけ」

「は?」

 いや、確かにその方が周りに迷惑をかけるわけでもないし、都合がいいのかもしれないが。

 ……何を唐突に。いったい何を考えているの?

 この人の気持ちが自分にあるわけじゃないのは、間違えようもなく事実だ。つまり、小説なんかではこういうセリフの裏にある独占欲とは全くの無関係な言葉ということになる。

 なのに、「俺に惚れとけ」てどういう意味?

「……こういうことを言われたら、喜ぶ場面だろ」

「貴方の意図がわかりません」

 喜ばせたいんなら、素直に喜べるようなセリフを選んでほしい。

 わけわからない。

「本当に、大人びてるな。子供っぽくふるまってみたらどうだ」

「あなた以外には、年相応に見えていると思いますよ。この本性を知っているのは、あなただけですから」

 家族にも侍女たちにも子供っぽい言動としぐさを見せるように努力している。他と違うということは、それだけで心配させてしまう種なのだと理解しているつもりだ。

 どうしても子供のようにはしゃぎまわれないときもあるから、少し大人しいかもしれない、くらいは思われているかもしれないが、侯爵令嬢としてはマイナスにならないだろう。

「ま、そうかもな。婚約者に、『あなたは特別』といわれるのも悪くない」

「寝言は寝ている時に言ってくださいね」

 特別という言い方をすれば、確かにそうなのかもしれないが、好きだからとか、婚約者だからだとかという意味ではない。

 本性がばれてしまったから、だ。

「そうだな、そろそろ夢を見る時間だ」

「……そうですね。アルフォード様のおかげで眠気が飛んでしまいましたが」

 欠伸も出やしない。

 一度眠気のピークを越えてしまうと、眠りにつくのはかなり難しい。

 どうしてくれよう。

「やっぱり添い寝が」

「いりませんからねっ」

 余計に眠れなくなってしまう。

 お願いだから、一人にしてほしい。明日籠城することを決めたとはいえ、ベッドで丸くなっている気はないのだ。せっかくなのだから読みかけの本を読んでしまおうと思ったのに、これでは本当にベッドで一日を過ごすことになりかねない。

「ま、そのうちな」

「いりませんからっ」

 押し売りお断りです。

 あの手この手で女性を落としているその言動の一部なんだろうが、残念ながらフェルスローズにはトキメク要素が足りなかった。

 というよりむしろ、どうしてほかの女性がトキメクのかが理解できない。

 ……経験の差なのかしら。

 それとも、自分が恋愛することにあまり興味がないからだろうか。

 恋は、落ちるものだというけれど。

「ま、末永くよろしく頼んだぜ、フェルスローズ」

「……一応言っておきます。こちらこそ」

 初めて呼び捨てにされてどきりとしたのもかき消すようなアルフォードの態度に、ため息をついた。

 何を考えているのかさっぱりわからない。

 きっと、これからだってわからないだろうけれど。

 とりあえず今は、帰ってほしい。会場でも自宅でもいいから、ここから消えてほしい。疲れた。

「お休み、ハニー」

「……っ」

 油断した。

 部屋を出る間際に額にキスを落としていった。

 親がよくやるような、親愛のキス。

 もちろん、家族以外にやられたのは初めてだ。こんなに恥ずかしいものだとは。

「やっぱり、眠れないじゃない」

 安眠妨害だ。

 今度こんな場面に遭遇したらダーリンとでも呼んでやれば、少しは嫌がらせになるだろうか。

 いや……。

 笑われるだけね。

 がくりと、体中の空気を吐き出すようなため息を吐き出して、のろのろとドレスを脱いだ。ネグリジェに着替える気にもなれない。

 髪飾りを無造作にむしりとると、そのままベッドにもぐりこんだ。


 やっぱり、すぐには眠れなかったけれど。


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