表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

一番槍の馬鹿、開拓する天才、発展させる秀才、享受する一般人

作者: Sn

 世界には限界があり、目の前の人間にしか意志を伝えることは出来ない。ましてや死して散りゆく意志、霊魂に意志を届けるすべもなかった。


 ある日、結の元に親友の蛍の訃報が届けられた。

 遺言を覚えていた兵がいたらしく、結に届けられている。感謝と無念に包まれたそれに結は答えたかった。

 しかし、蛍は既に帰らぬ身となっている。死因が死因なので死体と会う事さえ出来ない。ましてや返答することなど出来る訳がない。

 結はそんなあたりまえを疑った。どうして意志を届けることが出来ないのか、消滅していることを信じたくなかった。

 齢十八、国立大学に進学した結は一つの絵を描く。肉体や機械を介することなく意志を届ける方法。突拍子もない絵を胸に仕舞い脇目も振らずに研究に没頭した。

 数年後、世界が恐慌に包まれ、国全体が新型兵器の開発を急いでいた。そんな中、一人だけ足並みを揃えずに馬鹿なことをやっている。しかし結は最低限の仕事だけはこなしている。だから誰も文句が言えなかった。

 そんな時事件が起きる。遂に聖戦が始まろうとしている時、初めて結が仕事を提出しなかった。研究内容は蛍の死因に密接に関わっている。だから研究を進めたくないという強い思いだった。しかし、事情を知らない研究者にとっては極上の餌だった。その影響で結は追放されて流浪することになる。

 どれだけの歳月が流れただろうか。とある田舎に結は住んでいた。空襲を知らせるサイレンが鳴り響く。しかし、結は一人外で座っていた。

 空は青く、澄み切っている。ぼんやりと眺めていた時、ふと底知れない後悔に襲われた。なんでこんな簡単なことに気が付かなかったのか、生まれて初めての後悔であった。ほとんど動かない四肢を意地で動かす。目的地は防空壕ではなく自宅の地下、何としてでも記しておきたかった。

 いつの間にかサイレンは通り過ぎていた。目の前にはほぼ完成の論文。しかし、結の体に限界が近づいていた。一文字書こうとしても手が震える。視界がくらみ、平仮名一つを書くのにも苦労していた。

 最後の一文字を書こうとして鉛筆が机に落ちる。もう拾う気力も残っていないのだろうか、それとも気がついていないのだろうか、虚空に文字を描いていた。満足したのか、持ってもいない鉛筆を置くと眠りにつく。

 享年四十二歳。誰にも看取られることなく、地下室で息を引き取った。



 それから、数十年の時が過ぎる。時代は変わり、光によって世界中をつなぐことが出来るようになっていた。携帯可能の端末も数多く登場し、遠くの相手とあたりまえの様に会話している。運のいいことに、当時は意志についての研究も盛んに行われていたのである。

「あのさ、香菜の将来の夢って何?」

 とあるカフェに二人の女性は座っていた。香菜は紅茶を飲みながら端末を操作しており、優希はコーヒーとケーキを交互に味わっている。

「そういう優希はどうなのさ」

 高校は違ったが大学は同じになった。これが男女だったら運命の出会いとでも呼んだのだろうか。その後、院に入っても関係は続いていた。

「僕は、意志について研究しようと思う。どうして歩に意志を届けられないのか、それを知りたい」

「優希、薬学専攻だったよね。どうしたの、いきなり。頭でもぶつけた?」

 軽快に動いていた手が止まる。真意がつかめないのか優希の顔をのぞきこむ。

「だからさ、協力してほしいのだけど」

 香菜は精神医学を専攻していた。協力相手としては申し分ない存在だろう。

 優希の眼は真剣であった。どうやらいつもの冗談では済まないらしい。 

「……分かったよ。それで何をすればいい?」

嘆息混じりに返答する。想定外の答えだったからなのか、むしろ優希の方が驚いていた。

数多くのプロセスを経て、二人は研究を始める。薬学の世界では名が知られている優希も、精神医学の世界では素人である。最初は香菜の助けを得て、やっとの思いでデータを読み解いていた。

 数年後、二人は一つの文献を見つけた。埋もれていた『意志から直接意志を伝える方法』と題された書物を手に取る。当初は参考程度に覗いていた。経験の回数を減らす程度の価値にしか思っていなかった。

 彼女は生まれてくる時代を間違えた、優希の率直な感想であった。現代の最先端から見たとしてもオーバーテクノロジーの塊。香菜もただ書き写すことしか出来ていなかった。

 それから、その文献をもとに研究を続ける。数十年前の書物だ、観測の精度に問題があってそれを訂正する毎日。同僚から蔑まれ、孤独な日々であったけど、それはそれで楽しく過ごしていた。

 研究を始めてから約二十年、遂に二人の研究は実を結ぶ。新理論を確立し、研究者に向けて発表する。同僚が掌を返すまでにそれ程時間はかからなかった。地位を与えられたが、二人はそれを活用することはなかった。

 

 更に時は経過する。

『今日のおすすめ商品はこれです』テレビの向こうの人間が手をかざす。

 その瞬間、多くの人に変化が生じたのだろう。コンピュータが興味を示している人を選別し、データを意志に直接送信する操作であった。以前のCMよりかはるかに効率はいいのだが、意識情報の漏洩被害が相次いでいた。

「調整はこんなところでいいですかね?」

 数台のコンピュータを見つめていた青年がこちらを向く。

「……俺は別にいいと思うぞ」

 後ろに立っていた男性が、画面をちらりと見ただけで判別する。

「また投げやりな――」

「俺は奏のことを信頼している」 

肥大化し過ぎたコンピュータを制御することは、死活問題であった。このままでは直にコンピュータに意志が芽生えてしまうだろう。ほぼ全人類が意識を繋げている現代、彼らが圧政を敷くのは容易である。

「全く、どうしてこんなことになったのかね」

 男性は一冊の本を握っていた。『伝達技術の発展と未来への懸念』という、旧時代の素材で作られた古びた本である。執筆者は火神優希と坂本香菜、この業界が発展した元凶であった。こいつらが書いた本を誰が読むか、多くの図書館では取り扱っていなかった。

「先輩もそれを読んでいましたか。興味深いですよね、これ」

 薬学の世界で名を挙げ、精神の分野で大成した二人が没年に残した手記。純粋な意志で開拓した二人の懸念は、残念ながら当たっていた。偉大な研究者とされていたものが、人間によって元凶へと変化することも予測の範疇であった。

「やはり奏は分かってくれるか。彼奴らはゴミの様に扱うからな」

 男性は嬉しそうであった。それまでに相当な扱いを受けていたらしい。

「知らないから仕方ないですよ」

「『大衆は信頼してはならない。彼らは人質であり、侵略者にとって最高の矛となる』か。昔読んだときはさっぱり分からなかったが今では理解できる文章だよ」

二人は未来をどこまで知っていたのだろうか、故人となった今となっては調べる術はない。

手記の最後にはこう綴られていた。

――新時代の若人よ。あたりまえを疑ってみてほしい。常識を過信しないでくれ――

それを見ずに上に従った結果が現在の世界である。少年時代にふと手に取ったあの本が奏を変えた。感動して、読書感想文に書いたら担任に叱られたのはいい思い出である。

「『生まれてくる時代を間違えた』と言った本人に、言い返してやりたいです気分ですよ。先輩、未来はどうなりますかね」

「『未来はどうなりますかね』じゃない。『未来をどうしますかね』だ」

「確かにそうですね。先ずはこのプログラムを点検してくれませんか」

「堂々巡りにする気か!?」

二人は笑いあう。例え未来が絶望であったとしても、彼らにとっては関係なかった。


 

 世界はいつの間にか変容していた。前時代にはCMという非合理的なものがあったらしい。学問を直接データ化できるようになり、学校は形骸化していた。

「……なんで学校ってあるのだろう」

 授業も実質道徳しか機能していないのに、教員は教えるという自慰行為をただ続けていた。CMよりもよっぽど非合理的であると思う。

「凌空もそう思うか。いまではこいつに信号を送るだけで簡単に覚えられるからな」

 薫は米神を指さす。知識だけをひたすらに覚えた結果、根源をモノ扱いしていた。

「……そうだね」

 そんなあたりまえのことを凌空は嫌悪していた。


 学校にある図書館は閑散としていた。この季節にこんなところにやってくるのは余程の物好きである。簡単に本の文字全てを送信することで勝手に覚える、大多数には形に残ってなくとも問題なかった。

「また今日も来たの?」

背後から声をかけられる。学校で最も暇な教師になってしまった司書である。

「やっぱりこっちの方が楽しいからさ」

 そう言って、一冊の本を棚から取り出す。長年読まれていないのに対し、きれいな状態で残っていた。

「わたしも本が好きだからね」

「なら、どうして学校の司書になったの。今でも物好きの為に図書館は残っているのに」

 司書はかがんで、凌空に視線を合わせる。柔らかく、温かい眼差しだった。

「わたしが子供の頃にはまだ本は読まれていた。一日一冊を掲げている親友も、おすすめの本を薦めてくれる親友もいた。だから、本を読む楽しさも知っていたし、それを伝えたいと思った。その結果がこんなだけどね。……凌空君はどうして本を読むの?」

 最初に本を手に取った時に何を思ったのだろうか。別に周囲に反抗したいわけではなかった。少数派がかっこいい訳でもなかった。

 あの感覚が好きだからだ、凌空はしばらく沈黙し、そして自信をもって答えた。


「最初から答えを知りたくないから!」

「そっか」

 回答に満足したのか、司書は今年一番の笑顔で応えてくれた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 難しいテーマですが 自分は好きですね こういう話 パテントタンクで実現出来ないものかと期待してしまいます。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ