32.身動きが取れない状況はどうしても嫌になる。
「アレイシア様、こちらをどうぞ」
にこにこと笑って、恭しく告げる神官が目の前にいる。アレイシアは、差し出された食事を見ながら、複雑な思いを抱えていた。アレイシアは普段の動きやすい服装ではなく、煌びやかな巫女服を着せられている。
一般の神官とは別格とも示すその豪華な衣装、そして特別な食事。神官たちは、アレイシアをキラキラした目で見ている。
アレイシアは困ったような顔をしている。
正直こんな場所に居たくないというのが、アレイシアの感想である。そもそも特別視される、与えられるだけの場所で満足するような少女であれば、アレイシアは生まれ育った森から飛び出す事もなかった。あの『アウグスヌスの森』での生活はどこまでも穏やかで、そこで命が尽きるまで過ごすことも何も求めなければ普通に出来た。
アレイシアは両親が好きだし、精霊達も好きだし、あの生まれ育った場所が嫌いだったわけではない。寧ろとても好きな場所であった。散々、母親に飛び出す事を反対されて、外の危険性も、大変なことも教わって。だけれども、それでも、外の世界を見てみたい。そういう思いがあったからこそ、外に飛び出した。
だからこそ、この神殿での生活に満足できるようなアレイシアであれば、そもそも森から飛び出したりなんて決してしなかった。
わざわざ、平穏で、何も不安もない、両親に守られた生活から飛び出したアレイシアが、今の安全で全てを与えられた生活を好むか否か、考えればすぐにわかることだ。
アレイシアは、『森の賢者』の娘だ。アレイシアは魔術の腕が一般よりも高い。魔術を使えば、この場から逃げ出す事など簡単に出来る。神官たちの命を奪う事も、簡単に出来る。
でも、アレイシアはベストを殺すといわれている。またアレイシアに人質が通じるとわかれば、エルフたちだって人質にされる可能性もある。アレイシアはこの場を打破する事は出来る。でもその結果、親しくしている誰かが死ぬ事になることが恐ろしいと思った。
アレイシアはここに押し込められてからベストに会えていない。ハイエルフを崇拝しているエルフたちにだって会えていない。森を飛び出して、ずっと一緒に過ごしてきたイチとだって。
イチはどうしているだろうか。
精霊が入れないようになっていた。そしてイチと離れた。どこで何をしているのだろう、そうアレイシアは思考する。
にこにこと笑っている神官たちは、アレイシアに特別な存在としてみている。ハイエルフという絶対的な神は、確かにこの世に存在しているけれども、決してセイアーツ教の前には姿を現す事はなく、だからこそ、アレイシアを象徴としようとしている。ハイエルフに変わる存在として。
アレイシアは本当はハイエルフだけれども、アレイシアの見た目を変える魔法は解けておらず、彼らはアレイシアをちょっと特別なエルフとしか認識していない。どちらにせよ、アレイシアは宗教は本当に面倒なものだと思う。
散々、母親に言われていた。ちゃんとそれを覚えている。だけど、本当の意味でそれをちゃんと理解は出来ていなかったのだとアレイシアは思う。何だかんだで、外の世界に飛び出して、このように切羽詰まる事はなかった。人とかかわる事で、人質に取られる可能性も……真剣に考え切れていなかった。
だから、現在の結果は、心配する親の声を聞きながらも飛び出した。
「……はぁ。どうしよう」
思わず小さくつぶやく。
神殿の奥、豪華な部屋。そこで一人いる。恭しくアレイシアの側に侍っていた神官たちは部屋から出ていくようにいった。とはいえ、魔術でこの部屋が監視されている恐れもある。
アレイシアはどう動けばいいのか、分からない。
――お母さんならどうにかできるだろうと、アレイシアは考える。
『森の賢者』と呼ばれたアレイシアの母親ならば、こういう状況になったならば、いや、こういう状況にさえきっとならないと言えるだろう。
このまま飛び出すのが正解なのか、おとなしくとらわれるのが正解なのか。アレイシアは折角作った弟子が死ぬのはやっぱり嫌で、自分に優しくしてくれるエルフたちの事も大切にしていて。だから動けない。でも『森の賢者』は決して他人を気にしない。我が道を行く人だから決して誰が人質にとられようとも動揺はしない。
お母さんのように、もっと魔術に長けていたら———。
そんな思考に陥って、アレイシアははぁと溜息を吐いた。
そしてそんな風にアレイシアが困っている中、ある場所で声が響いた。
「………ああ、そうなの? ふぅん? そうねぇ……正直放っておいてもいいけど」
「いや、放っておいたら駄目だよ」
「ある意味あの子の責任だけど……、まぁいいわ。ちょっと行くわ」
「あ、じゃあ俺も……」
「いえ、私だけで行くわ」
そういってその人は立ち上がる。扉を開けたその人の、銀色の髪が風になびいていた。




