□結局は自分からになるわけで。
合コン後に会おうと坂下が指定したカフェは、
イタリアンレストランから、歩いてすぐの所のようだった。
美和は携帯で場所を確認しながら、ゆっくりと歩いていく。
坂下は大通りでタクシーを拾うと言って、早々に引き上げていた。
美和は帰る際、何人かと連絡先を交換した後、
同じように大通りの方へと向かった。
歩いて5分位のようだったが、わざと遠回りして、カフェに着く。
別に行く必要はないのだが、
どうして言われるがままに来てしまったのだろう。
やはり帰ろうかとも思ったが、外を歩く美和の姿に気づいたのか、
坂下は嬉しそうな笑顔で手を挙げ、美和を呼ぶ仕草をした。
通り沿いのそのカフェは、こじんまりとしていたが、
外の通りから中がガラス越しに見えるようになっており、
外から見ても、坂下の姿は目立っていた。
ビールのグラスも一緒に見える。
「私って、バカだよね」
コートを脱ぎ、席に着くなり、美和はそう言った。
ついでに、店員にグラスワインを一杯注文する。
「拒否権発動してもいいんだろうけど、何でわざわざ来たんだろ」
「カモがネギ背負ってきた感じかな」
「……どういう事よ。」
向かいの席で、坂下はにこにこと人のいい笑顔を向けながら、美和を見る。
美和はワインを片手に、イラッとした表情で坂下を見ていた。
「今日、あなたが横に座るから全然話に集中出来なかったし」
「あ、そぉ」
「本っ当に、外面良いよね」
「まぁな。それも仕事だろ。っていうか、人の話を盗み聞きするなよ」
「真隣でセクハラされる身になってよ」
「あれくらいで文句言われると思わなかったけど」
「…逆隣でもやってたわけ?」
「あ、気になる?」
「ぜんっぜん、ごめんね」
坂下は笑いながら、ビールを飲んでいる。
美和は仕返しとばかりに、ヒールで坂下の足を蹴っていた。
「今回来たのは、お菓子のお礼」
「別に礼言われるほどじゃないよ。空港でちょっと時間あったから」
「だけど、あなたに借り作るほど怖いものないしね」
「それはあるな」
もう一杯いい?と坂下は確認を取り、美和がうなずいた後、
グラスに残っていたビールを全部飲み干していた。
「外面良いのは認めるよ。
だけど、あんたに会いたかったのは本当だから」
「……だったらお金返して」
「言ってる事辻褄合ってないぞ」
二人は大笑いしながら、その後も何杯かのお酒を飲み続け、
結局24時の閉店間際まで話し続けていた。
ふと我に返ると、不覚にも楽しんでしまっていた。
美和は居心地が悪そうに坂下の少し後ろにゆっくり続き、店を後にした。
「あ、寒いと思ったら」
坂下の声で、頬に当たる冷たい雪に気が付いた。
少しだが、雪がちらついている。
「…帰る?」
坂下は寒そうに、ダウンジャケットのポケットに手を突っ込んだ。
美和はうなずき、じゃあね、と別れようとする。
「いいよ、タクシー捕まえるまで、一緒に」
「…ありがと」
つくづく自分勝手な女だと思う。
会いたくなかった反面、会えばこんなにも楽しんでしまうなんて。
もう少し、一緒にいたいと思うなんて。
ずるい女だよな、と罪悪感に似た感情がざらりと心を揺さぶる。
坂下の何歩か後ろをゆっくりと歩きながら、広い背中をぼんやりと眺めた。
雪の冷たさで少しずつ酔いが醒めそうだった。
「そういえば、空港で見たよ。あんたと高岡さん」
坂下は、美和が少し後ろにいるを分かった上で、声を出した。
「…え?」
「最初あんたを見つけて、声掛けようかと思ったけど、やめた」
「…なんで?」
「好きですオーラを振りまいてたからだよ。
……飛んでたぞ、ピンク色のが」
先日の四国への出張の件だと思われた。
見られていたことが恥ずかしいわけではないが、
どうも説明し難い複雑な気持ちに覆われる。
そんなオーラを振りまいていたのだろうか。
「どこ行ってたの?」
「香川に2泊。部長に無理やり行かされたの」
「あんたからのお土産はないわけ?うどんとかさ」
「買ってない」
「……」
「……」
「……」
「やっぱり、いい。自分で帰れるから、大丈夫」
「……何?」
「今日は、ありがとう。お土産も」
「ごめん、気に障ったなら謝る」
違う、と美和が否定しても、坂下は納得してくれそうにない。
「じゃあ、オレが帰りたくない、って言ったらどうする?」
少し温まった手で、坂下は美和の手を取る。
美和の手は冷たく、冷え切っていたが、
坂下の手を振り払おうとはしなかった。
「じゃあ、って何よ……私は帰るよ。どっかで適当に飲んで帰れば」
「冷たいヤツだな」
「冷たいよ。うどんも買ってこないしね」
坂下が声を上げて笑ったが、美和は笑わない。
「だって、一緒にいたら、甘えてしまいそうだから嫌なの。
私はあなたみたいに器用じゃないから」
「…甘えてもいいよ。それは前に言ったと思うけど」
「……そうじゃなくて…」
「何?急に」
「…楽しかったから、何か急に…何て言うか…ごめんなさい…」
美和の指が、するりと坂下の指から抜けた。
ポケットに手をしまい、手をつなぐのは終了という合図。
「もしかしたら、高岡課長としたかった事を、
今あなたで実践してるのかな」
「ほぉ、それはまた大胆な」
「違うから、ド変態。ちょっとそれは忘れて…」
美和は苦笑し、坂下のお腹を軽くグーで殴る真似をする。
その手を、坂下は再び握り締めた。
「課長といると、楽しくて、幸せで、でもとても緊張するの。
だけどね、あなたといると、ただのんびり、時間が過ぎていくの。
利用して、課長の事を忘れるためにというよりは、
私普通に楽しんでいる気がして…」
「……」
「私はどうしたいのかなぁ…。あなたといるのが、居心地が良すぎて、
私は自分が何だかすっごい適当な、嫌な女に思えてくるのよ」
何を説明し、どう言えば自分の気持ちを伝えられるのか、
美和はそれがうまく行かない事がもどかしそうに、額を掻いた。
「やっぱりあなたといると、ずるずる深みに嵌りそう」
「2万円使っていい?」
「は!?」
「…ここはそういう流れだろ?」
意地悪く坂下は微笑む。
美和を軽く抱き寄せ、そっと腰に手をやった。
ぞくりとした感触が、美和を襲う。
「…だったら、ウチ来る?タクシーで10分だから」
美和がとんでもない提案をしてしまったと後悔するのは、
自宅に向かうタクシーの中であった。