□運が味方するときもあるわけで。
週の始まり、爽やかな月曜日だというのに、
猛烈な睡魔と闘いながら、坂下は飛行機に乗り込んだ。
飛行機に乗ってしまえば、少なくとも1時間くらいは眠れそうだ。
ゆっくり眠りたいがために取ったプレミアムシートにもたれこむ。
ちょうど、自分の関係している仕事の関係で、
国内ばかりではあるが出張が続き、プライベートな時間も取れずじまい。
自分の仕事のためとはいえ、さすがにちょっと疲れ気味だ。
北海道と東京は近いが、わずかな睡眠でもしっかり取りたかった。
今回は北海道への出張だった。
大体どの土地も、旅行で行く分には良いのだが、
仕事となると折角の観光地も掠れて見えるから不思議だ。
坂下は空港で飛行機の搭乗を待つ間、
会社用にと、定番のお土産をいくつか選んだ。
そしてその後物凄く悩んで、小さめのチョコレートの箱を選び、
会社用とは別に、自分の鞄にしまい込んでいた。
自己摂生の得意そうなあの女に、いつか無理やり渡してやれと、
半ば自嘲気味に買っていた。
思えば、先週の日曜日。
腹の立つことに、連絡先も告げずに美和は消えていた。
自分は自分で、その前の勤務が残業続きだったこともあり、
不覚にも爆睡してしまっており、目が覚めたときには一人だった。
しかも、2万円が置かれていた。
それが余計に腹が立つ。
ラッキーなことに、今まで女性に不自由したことはない。
まともに付き合った女性は少ないほうかもしれないけれど、
一晩限りや、適当に遊ぶ女は山ほどいた。
それゆえに、お金を置いていかれたことや、
連絡先さえよこさない美和に、妙にイライラさせられたのは事実だ。
とりあえず、2万円を返したいと思っていた。
もしかしたら、返したいのはただの口実で、
ただ純粋にもう一度会いたいと思っている自分もいる。
別に会社が分かるから、会おうと思えば会えるだろうし、
部署こそ分からないが、呼び出しをすれば可能だろうと考えていた。
少し前に一度だけ、近くの商社に出向く用事があり、
会社の前を通ったのだが、坂下は声をかけるのをやめておいた。
自分らしくない、と坂下はため息をつく。
自分らしくない行動を取るのが、嫌だった。
完全に眠っていたようだが、着陸のアナウンスで起こされる。
好きではない休日出勤もこなしたのだから、
今日くらいは早く帰っても、許されるだろう。
飛行機から降り、預けていた荷物を受け取る。
時計を見ると、時間は19時過ぎだった。
思っていたよりも早く帰宅できるかもしれない。
あくびを噛み殺しながら、出口へと向かった。
今日は一旦帰社した後は、週末にある会議資料を簡単に作成し、
それからマンションに戻るつもりだった。
上手くいけば、今日はゆっくりと眠れそうだ。
スーツケースを転がしながら足早に歩いていると、
少し離れたところに、美和らしき人物の姿が目に入った。
坂下は思わず方向転換して、人物の確認に何度も視線を行き来させる。
何というタイミングだと、思わず眠気も飛んでしまっていた。
スーツではなく、割とカジュアルな服装で、
ゆったりと髪の毛をまとめていたが、間違いなく美和だった。
一言、先日の文句でも言ってやろうという気持ちが逸っていたが、
何歩か踏み出したところで、連れの姿がすぐに見て取れた。
高岡だ。
美和は笑顔で高岡と一緒に資料に見入ったり、
時折手帳を開いていろいろ書き込んでいるようだった。
高岡も同じくスーツではなく、私服のようだった。
出張だろうとは思っていたが、違うのかもしれない。
しばらくどうすべきか考えていたが、
またUターンして、出口方面へと向かうことにした。
別に遠慮をしなくてはならない道理はないのだが。
妙にイライラとする気持ちばかりが坂下を困らせる。
空港を出てタクシーを拾おうとすると、坂下の携帯が鳴った。
「はい、坂下」
【お疲れ様、今大丈夫?】
明るい声が聞こえる。
同期の男からの電話だった。
「あぁ、今羽田だから、もうすぐ戻るよ」
【あ、そしたら戻ったら話すよ。急ぐ話題じゃないし】
「いや、いいよ。どうせタクシーに乗る予定」
タクシーのトランクにスーツケースを載せ込み、座席に座りこんだ。
車はやがて発信し、北海道の街中の景色から、
慣れ親しんだ街の景色が目に飛び込む。
【坂下、今週の金曜の夜って空いてるか?】
「…ちょっと…すぐ確認する…」
手帳をめくり、今週の金曜日の予定を見たが、夜は何もなさそうだ。
「あぁ、空いてるよ。何?」
【ほら、こないだの璃子の結婚式でさ、
旦那側の会社の出席者でカワイイ子結構いたじゃん】
「…あぁ…」
【ツテが出来て、合コン出来ることになったんだけど、来ない?】
「……」
【っていうか、坂下!頼むからお前来てくれよ~。
お前のご指名も入ってるんだよ~】
そうなっているのではないかと薄々感じていたのだったが、
坂下の予感は的中していた。
自分をダシに合コンの開催を企画される事は、今までも多々あった。
それについては別に悪い気はしないのだが、
女性が自分のタイプでも何でもなければ、ただ面倒なだけだ。
ふと、美和が来るのかどうか気になった。
彼女の場合は、呼んでも来そうにない感じだが…。
ただ、おもしろそうなので、試してみるかという気がしてきた。
「わかった、いいよ。でも注文つけといて」
【何なに?】
「背の高い女の子いただろ。そいつが来るなら行ってもいいよ」
【あぁ、藤村って子?
お前と一緒で、あの子結婚式の途中で帰ったんだよな。
その子来るなら、俺も楽しみだわ。OK、向こうの幹事に伝えておくよ】
他の同僚まで、名前をチェックしていたとは。
坂下は笑いをこらえながら、電話を切った。
2万円を返すいいチャンスが出来た。