□お酒の所為にしてしまえば、ってことで。
夕方にようやく手が届きそうな時間帯だが、
冬の夕方はもう空の色を黒く染めていた。
幸か不幸か、結婚式はホテルで行われていたので、
エレベーターで最上階に上がればバーラウンジがある。
黒い夜空に映えるビル群の明かりは、純粋に綺麗だった。
静かな音楽が流れるホテルのバーは、
まだ早い時間帯という事もあり、客の入りはまばらだ。
皆少しずつの間隔を空け、静かに座っている。
先ほど着込んだコートは、再びボタンを外し、
結局はさっきと同じワンピース一枚で、
名前も知らない男と一緒に座っている。
その状況に慣れず、美和の頼んだお酒は、強いものだった。
「いやぁ、それにしても、結婚式抜け出して別の所でお酒飲むのって初めてだよ」
名前の知らない男は、運ばれてきた水割りをおいしそうに口にしている。
言われてみれば確かにそうだ。
未だかつて披露宴を抜け出したことなどない。
というよりも、抜け出したいと思ったことがなかったから。
「手馴れてるから、新手のナンパかと思ったけど」
美和はグラスの底からふつふつと登っていく気泡を見つめながら、
少し皮肉を込めて男に言った。
「付いて来たくせに」
「…そりゃそうだけど…」
「だけど、うちの会社から参加してる男どもが残念がってるよ。
あんたの事キレイだって騒いでたから。皆二次会楽しみにしてたっぽい」
「…それはどうも」
悪い気はしないが、そう言われてしまうと、
やはりこの男の軽さが気になる。
「藤村さんは、何?新郎の部下になるの?」
「え?何で私の名前知って…」
「あ、ゴメン。席次表でチェックしてた」
「……あ、そっか…そうだった…」
男は胸の内ポケットに仕舞い込んでいた席次表を美和に差出した。
【新郎の同僚 藤村 美和】
確かにそう書かれている。
ぼんやりと「同僚」という文字を見ていると、やるせない思いというか、
やはり自分はただの同僚でしかなかったのだと、思い知らされてしまう。
「ごめんなさい、今さらだけど、名前聞いていいですか?」
美和は新婦側の席次表欄に視線を移し、男に聞いた。
男はこれ、と指差す。
【新婦の上司 坂下 斗真】
「それにしても、あいつ綺麗だったよな~。
やっぱり、こういう晴れ舞台の日となると、輝いて見えるっていうか。
ウチの課の男どもでも残念がってたもんな~」
「まぁ、そうでしょうね。確かに綺麗でした」
美和はあまり同調したくない思いで、
グラスに残っているお酒を一気に飲み干した。
披露宴の時よりも、少しはきつめのお酒。
同じものをオーダーすると、坂下が心配そうにちらりと美和の方を見る。
炭酸がまるで溶けるかのように、すっと胃になじんでいくのが分かった。
「もしかして、坂下さんも残念がってた?」
思い切って、美和は問うてみた。
「…うーん…ちょっとね…」
ふふふ、と笑うかのように、坂下も残りのお酒を飲み干し、
同じものを、とすぐにオーダーしていた。
「うーん、正確には違うよ。俺の場合は過去形だから」
「…もしかして、元彼女ってこと?」
坂下は答えず、バーテンダーから新しいグラスを受け取っている。
濃そうな水割りだと思う。
美和は琥珀色の液体を眺めながら、居心地の悪さと、
何とも言えないイラつきのようなものを感じ、
再度運ばれてすぐのカクテルを、半分ほど一気に喉に流した。
「強いねぇ、お酒」
坂下は感心するかのように美和に言ったが、
美和はそれには答えずに、坂下の方に視線を投げた。
頬杖をついたまま、目線だけで坂下を捉えている。
結んだ唇は解かれようとしない。
少し酔って、潤んだような瞳。
その瞳に、少しどきりとしてしまった坂下だったが、
改めて見ると、やっぱりキレイな女だと、思っていた。
「…何?そんなに見られても困るんだけど」
目線を逸らそうともしない美和に苦笑してしまう。
坂下はそんな美和の視線を遊ぶかのように、同じ様にじっと見つめた。
「困るのはこっちなんですけど」
美和からの思ってもいなかった言葉に苦笑する。
「は?ちょっと酔ってる?」
「酔ってません」
美和はむっとした表情になり、坂下をにらむんだが、
逆効果か、その表情がまた可愛いと思ってしまった。
「何で私を誘ってるんですか。誘う相手、間違ってるんじゃないですか」
「ん?嫌だった?」
「違う…もぅ…いいです…」
急にしゅんとしたような表情になり、美和は肩を落とした。
正面に規則正しく並べられた瓶の数々が、
窓の奥の夜景と相まって、綺麗だった。
帰ろうと思い、美和は背面に置いたクラッチバッグを手に取った。
だが、立ち上がった瞬間、視界がぐるりと回ったかのように、
回転を始めて美和の足元をふらつかせた。
ヤバいと思ったのと、坂下に向かって倒れこんだのはほぼ同時だった。
床に倒れないように支えてくれている坂下の腕の温もりが、
妙に熱く感じていたが、やがてそれも記憶の彼方に追いやられていた。