草原へ
「ノートン城よ!」
ニノンが、車の窓から身を乗り出して叫ぶ。
「ニノン! 危ないから座ってろ!」
ネイサンが、大人のように窘める。
ニノンはふくれっ面をしながら座席に座り、ネイサンはそれを見て満足そうな顔をする。
この八歳の兄は、両親から、小さな妹の世話を任されていた。
フロースは、くすっと笑いたいのを我慢し、自分の娘を見る。
草原を見つめるノイは、いつになく静かだ。
血がそうさせているのだろうか。
ノイの中に流れている血、カシアから受け継いだ目の色・・・
倒されても、滅ぼされているわけではなかった。
プリオベール男爵家のノートン城では、留守を守っている者たちが、
子供たちの帰りを楽しみにしていた。
すぐに乗馬ができるように準備もされていて、ノイの練習も始まり、
セスが、「初めてとは思えない」と白い歯を見せながら褒めてくれる。
フロースは、娘を誇らしく思うのだけれど、
自分の練習では緊張したのか、体がこわばってしまった。
今更だが、フロースは乗馬が得意ではない。
馬に乗ったのも、ノイの歳ぐらいが最後で、ニノンとさほど変わらない。
馬の上は高く感じて怖いし、広い背中に両足を広げて乗るのも苦手だ。
第一、お尻を突き上げられるような感覚が好きではない。
というより、歩く方が好きなのだ。
自分が走る以上のスピードは、理解を超えるので、
馬とは関係ないが、車の運転もしない。
「なんでママの馬は、前に進まないの?」
とノイが言った。
フロースは、「そんなの分からない」と答えようとして言葉を飲み込んだ。
理由は分かっている。
自分と馬の気持ちが合ってない、つまり、馬になめられているのだ。
そんなことを娘に説明するのも恥ずかしい気がする。
とにかく、気持ちを切り替え、セスに助けてもらって馬を歩かせる。
その日は中庭で練習するというので、
自分は少しだけ練習して、部屋に引き上げることにした。
フィニアスが言ったように、セスに任せておけば安心だし、
ノイも大人しく練習しているので大丈夫だろう。
というより、ノイは、乗馬のへたな母親が消えた方がいいに決まっている。
案内されたのは、二階の風通しの良い部屋だった。
大きな窓があり、空が広く感じられ、乗馬の緊張から解かれ、心が開放されていく。
フロースは、思わず、「ああ~」と声を出した。
ラーウスにある自分の家も、エルナトの湖を見渡せる高台にあるのだけれど、
それとはまた違った美しさがあり、いくら見ていても飽きない。
時々、そよ風に乗って、馬と子供たちの声が聞こえてくる。
それらは遠くから聞こえてくる様に感じ、平和で、心地よい。
プリオベール家の領地。
フィニアスが言ったように、なだらかな起伏の草原が広がっている。
所々に、小さな林のような木々の集まりがあり、
秋になれば、
その木々の葉は色付き、美しいだろう。
そして、ノートン城。
フィニアスは、ノイぐらいの年頃の時、父親が破産で自殺してしまい、
ここから持ち出せる限りの物を盗って逃げたのだ。
その後フィニアスは、
想像もつかないような葛藤や努力の末に、領地を買い戻したのだけれど、
今は、そんな過去など無かったとでも言う風に、静かな佇まいを見せている。
さて、次の日、ノイの上達が早いので、草原に出ることになった。
フロースと三人の子供たちに、セスと厩務員のロイが同行して、六人は出発する。
草原とはいえ、どこでも走っていいのではない。
馬が、プレーリードッグの巣穴に足を取られないように気を付けなければならないので、
ロイが先頭に立つ。
もちろん、巣穴を壊すつもりもない。
プレーリードッグは草原を健康に保ってくれるので、土地の者たちは大切にしている。
次第に、フロースとニノンは遅れがちになった。
ネイサンはつまらなそうにするし、
急がされるニノンも不機嫌になり、言い争いが始まる。
それでフロースは、セスにネイサンとノイを頼み、
自分とニノンは城へ戻ることにした。
ニノンは不服だったけれど、馬とポニーの差は歴然としている。
フロースは、ノイと馬が一体となり、すべるように走って行くのを見て胸が熱くなり、
込み上げてくるものを感じた。
とても乗馬が二日目とは思えない。
子供を馬の背中で育てるというダカンレギオン族の娘だったカシアも、
幼い頃から、このように馬を走らせていたはずだ。
カシアが馬に乗ったと言う話は聞いたことがない。
もしかしたら、故郷を離れた後、一度も乗らなかったのかもしれない。
馬も、草原もないラーウス。
彼女は、そこに安らぎを見出したのだろうか。
そしてフロースは、遠くを走る馬の一団を見かけた。
馬は十頭ほどおり、誰かが集団で乗馬をしているらしい。
その雄々しい光景を見ていると、馬が苦手な自分でも、ぞくぞくするものを感じる。
ダカンレギオン族も、こんな風だったのかもしれないと思いながら、
フロースは、ノートン城へ戻った。