最後のダンス
「フィニアス!」
フロースは、群集の中にいる彼を見つけると大声で呼んだ。
そして人を掻き分け、ほっとしながら彼の前に立つ。
「間に合わないかと心配したのよ」
フィニアスは、結婚式の朝、現れることにしていた。
彼はスパイスのことでウィリディス王国と難しい関係になったことがあり、
昔の話とはいえこの国が苦手なのだ。
フィニアスは、黒地に金のボタンと金の縁取りのある礼服を着ている。
「黒の男爵」と呼ばれるほど、黒は彼の色だった。
その漆黒の髪はシルバー色に変わっているのに、今でも黒は良く似合う。
「間に合わないはず無いじゃないか」
フィニアスは、「くだらない心配だ」とでも言う風に答える。
フロースは、それを無視して彼の腕を引っ張り、
主だった人々の元へ連れて行って紹介し、
夫、イベリスにも会わせた。
フィニアスは、アクィラ王に会ったことはあるのだけれど、
イベリスに会うのは初めてだ。
二人は、素っ気無い挨拶をする。
「ニノンはどこかな」
フィニアスが、ぽつりと聞くので、
「ブライズメイドだから、こんな所にいるはず無いじゃないの」
フロースは呆れたような顔をする。
「そうか」
フィニアスの言い方は少し不安げで、そのままフロースに促された席に着く。
そして、フロースが去ろうとすると、
「ニノンを、ちゃんと返してくれるんだろうな」
と言った。
フロースは振り返り、
「あたりまえでしょう。
ニノンまでいなくなったら、わたしは両親に顔向けできないわ。
それに、あの二人はニノンを残して帰ったりするもんですか」
笑い顔でそう言うと、忙しそうに去っていった。
ニノンは、祖父母や親族と一緒にやってきている。
アデールも来る予定だったけれど、末の息子がはしかに罹ったので来れないでいた。
結婚式の後、彼らは、アクィラ王の招待で、
ウィリディスの保養地でのバケーションを楽しむことにしている。
それにノイとモーリスも加わる予定だ。
二人は、フィールドワークやリサーチのために旅行ばかりしているので、
今更ハネムーンに行く気などしない。
というのは表向きで、親族のための「ウィリディス保養地、好き放題滞在」の方が、
ハネムーンより魅力的だったのだ。
ここの保養地の費用は、一泊でも自分たちの数ヶ月分の生活費に相当する。
この期を逃したら、いつまた招待されるか分からない。
ノイの兄は、アクィラ王の第一姫と結婚しているので、
「いつでも招待しますよ」と言うのだけれど、
分不相応のバケーションへ行くには勇気がいる。
なんだかんだ言いながら、この二人は慎ましい生活をしていた。
挙式は終わり、披露宴に移り、
ターコイズブルーのドレスに着替えたノイは、モーリスとダンスを始める。
二曲目になり、ノイとモーリスに加わるため、
イベリスは、新郎の母を、
そしてフィニアスは、新婦の母のフロースに手を差し伸べ、ダンスに誘う。
フロースのドレスの色は、シルバーブルーだ。
フロースはフィニアスと踊りながら、ふふふっと笑った。
「こうして、あなたとダンスをするのは始めてね」
フィニアスは意外だという風にフロースを見る。
「そうだったかな」
「たくさんの女性たちと踊ったから覚えてないんでしょう。
あなたがわたしの手を取ったのは、
ナイフの使い方と、護身術を教えてくれた時だけだったわ」
「もっと他にも教えただろう?」
フィニアスは、思わずそう言ってしまったのだけれど、
その後は何も言わなかった。
今はただ、黙ったまま曲に合わせ、彼女に触れている時を楽しみたい。
この笑顔を感じていたいのだ。
恐らく、これが最初で、最後のダンスなのだから。
曲が終わり、
フィニアスは彼女をイベリスの元へ連れて行き、彼に渡し、挨拶して、
「ホテルに戻る」と告げた。
「明日の朝、早く発つのでね」
そう言ったフィニアスに、フロースは笑みを見せる。
フィニアスがここへ来た理由は、モーリスとノイの結婚式に出ることだけだ。
他に用はない。
少しのざわめきがあり、
三曲目が始まると、
ノイが父親にダンスを誘い、
モーリスは自分の母親と踊り、
それに人々が加わっていく。
月の王宮の大広間で、人々はくるくると回り、
フロースは、去っていくフィニアスの後ろ姿を見つめる。
急に、彼を呼び止めたい気持ちに駆られるのだけれど、それを押さえた。
熱い何かが込み上げてくる。
黒の礼服が、踊っている人々の向こうで、
優雅に、見え隠れしながら、小さくなっていく。
それはまるで指の間からこぼれ落ちる砂を見ているかのようだ。
誰かがフロースに話しかけた。
それに答える。
そして振り返ると、あの黒い礼服は消えていた。
フィニアスの姿は、どこにもなかったのだ。
「あの人らしいわ」
フロースは、口の中で小さく言った。
それから踊っている娘と夫の方を向き、微笑んだ。
END




