時と共に
窓際のテーブル、その上のティーカップとケーキ。
隣り合わせに座っているデルフェ婦人とフロース。
薄いカーテンを通して入ってくる陽の光は、二人の髪をこがね色に染めている。
二人は驚いたようにフィニアスを見た。
フィニアスも、フロースがいたのに驚く。
その光景が、あまりにも自然だったので、
フロースはどこにも行かず、ずっとここにいたのだと思ってしまった。
彼女がデルフェ婦人を訪問すると言っていたのを思い出す。
フィニアスは、笑顔で当たり障りの無い挨拶をし、忘れ物を取りに来たと言った。
そして他愛の無い会話をしながら、
時計の秒を刻む針が、ゆっくりと動いているような時を過ごす。
フロースとデルフェ婦人が、思い出を語りながら屋敷の中を回り始め、
フィニアスは、何をするでもなく彼女らの後に付いて行く。
そして、フロースが使っていた部屋に入り、
デルフェ婦人が、厚手のカーテンに手を掛け、それを開く。
明るい陽の光が、さっと、開いた窓から入ってきた。
この部屋には強い日差しが入るので、
家具を日焼けから守るため、厚手のカーテンが掛けられている。
そのおかげで病気で伏せていたフロースは、昼間でもゆっくり休み、
回復するに従って、カーテンは開かれていったのだ。
フィニアスは、軽くベッドに腰掛けた。
二人は光の中に立ち、
その声は、曲のように流れるだけで意味をなさない。
彼は、時間が止まったような錯覚に陥った。
召し使いがデルフェ婦人を呼んだので、
婦人は「すぐ戻る」と言って部屋を出ていった。
それも遠い世界のようで、フィニアスの意識をすり抜けて行く。
フロースは、そのまま窓際に立ち、外を眺めていた。
彼女の髪は優しい風に吹かれ、時々、その美しい曲線の顎と首筋が見え隠れする。
それはまるで幻のようだ。
フィニアスは、全てを捨てて彼女を奪ってしまいたいと思った。
衝動が、彼の心の壁を崩していく。
それを止めたのは、二ノンだった。
ニノンの手が、フィニアスに触れたのだ。
父親が戻ったのを知り、彼を追ってきたらしい。
その小さな手は、彼の手をそっと握り、不安そうな顔をして見上げる。
フィニアスは微笑み、優しくニノンを抱き寄せた。
この小さな娘を失いたくない。
「ママ! モーリスが来てって!」
突然、ノイが部屋に入ってきた。
「プリンセス・グエノラビの名前が家系図にあるんですって!
複製を手に入れたから見に来いって!」
フロースは、ノイは何を言っているのだろうと思った。
「ノイ、落ち着いて、どういうことなの?」
「ああ、ママ! モーリスが電話で待っているの。
ねえ、行きましょうよ。
デルフェ婦人も一緒にって、いいでしょう?」
フィニアスが、
「モーリスは、ダカンレギオン族のことを調べていたからな」
と言った。
「彼の祖父とは別の部族に、その名前を付けられた姫たちが何人かいたらしい」
フロースは驚き、どうしてフィニアスがそのことを知っているのだろうと思う。
「わたしは、今、公爵家に係わっているんだ」
「あなたが?」
「そう、なぜかモーリスに気に入れられてしまってね。
ノイが言わなかったのか?」
「ノイが?」
「ママ! モーリスが待っているの!」
「分かったわ。とにかく、行きましょう」
「デルフェ婦人が花束を持って行きましょうって」
「花束?」
「ええ、婦人が着替えてる間に、お花を選んでおいてって。
温室の花よ」
「温室の花?」
「ああ、それは・・・」
とフィニアスが説明する。
「公爵が亡くなられた時、デルフェ婦人が花を贈ったんだが、
公爵家の方々に気に入られてね。
デルフェ婦人の自慢の温室には、珍しい植物がいっぱいあるんだ。
モーリスの喜びそうなものを選べばいい」
「ママ、手伝って! ニノン、行くわよ」
とノイは言いながら、ニノンの手を引いて部屋を出て行った。
嵐のようなノイが去った後、部屋はまた静かになる。
フロースはあっけにとられ、フィニアスを見る。
二人は笑い出した。
「あなたは、二人のことを知っていたのね」
「いや、ノイが、あんたに言っているものとばかり思ってたんだ」
「これから、あの二人をどうするつもり?」
「いいじゃないか。
二人ともまだ若いんだし」
フロースは、やれやれとでも言うような顔をしてドアに向かって歩き出す。
そして何かを感じ、振り向いた。
フィニアスも彼女を見る。
二人の目が合う。
フィニアスは、おもむろに口を開いた。
「フロース、あんたは、いつ、わたしへの恋心を捨てたんだ?」
一瞬、フロースは息を止め、それから微笑んだ。
「時と共に、いつのまにか・・・かしら・・・」
そよ風が流れてきた。
それは心地よく、ここであったことが過去のものだと教えてくれる。
ふとフィニアスは、泣きたい気持ちになった。
自分が少年の頃、全てを失った時、声をあげて泣いたことがある。
あの後、自分は強くなった。
今度も、泣けばいいのだろうか。
「ママ! 早くして!」
ノイの声がした。
フロースは向きを変え、
ふわりとその髪をなびかせ、
部屋を出て行った。