妬心
フロースは、立ち鏡を覗いた。
新しいドレス姿のノイが写っている。
帝国のドレスは窮屈だと言っていたのに、嬉しそうな顔が微笑ましい。
ノイの、オリーブ色の肌に似合うドレスは、上品で、
祖母の子爵婦人が選んでくれたものだった。
子爵婦人は、フロースのドレスも選んでいる。
そして、孫の肌は健康的で美しいと褒めたのに、
娘には、日焼けし過ぎと文句を言った。
ラーウスの自然の中で生活する彼女らの肌は濃く、
帝国人の紳士淑女のとは違う。
とはいえフロースの心配は、自分の日焼けではなく、
ノイの恋心だった。
ノイは、今日の『花のお茶会』でモーリスに会えると、心をときめかしている。
ところがモーリスの方は、「ノイに関心はない」と言ったのだ。
フロースは、そんなことなど知らない娘に、複雑な心境になる。
フロースは、モーリスがノイの目の色に興味を持っただけだと思っていた。
公爵になろうとする青年が、
ラーウスなど、聞いたことも無い、辺境の山の中で育ったような娘に関心を持つはずは無い。
「それにしても、何て美しいのだろう」とフロースは、自分の娘を誇らしく思う。
恋心は、こうも人を美しくするのだ。
今日は、三百人を越える客が来るのだし、
モーリスは、紳士的にノイに接してくれるだろう。
十六歳のノイには、それで十分だ。
フロースは、この日を、ノイの良い思い出の日にしてあげたいと思った。
『花のお茶会』はフロースの母が始めたものだった。
元々は、親しい友人たちを招き、咲き誇る花を楽しむ小さなものだったけれど、
宮廷内で勢力のあるディフォーレスト子爵の交友関係を表し、
招待されるかどうかは、社交界でも話題になる。
それを手伝うアデールも、
祖父や父と共に、人脈やチャンスを広げるのに利用していた。
モーリスも、この機会を利用しない手はない。
『花のお茶会』が始まり、
フロースは、ノイから少し離れた所で見守りながら、
ノイがモーリスに付かず離れずしながら楽しんでいるのを見て、ほっとしていた。
「あんたは娘の方が大事で、この機会を利用するのには関心なさそうだな」
フロースの後ろから、フィニアスの声がした。
フロースは振り向く。
彼は彼女を観察していたのだ。
「わたしは父のようではないわ。
あなたに散々馬鹿にされて、
自分にはその能力が無いって悟ったのよ」
彼女は、冗談交じりに答える。
フィニアスは笑った。
「わたしは、そんなことも言ったのか。
まあ、確かに、あんたはアデールの様ではないな。
似ているが、やはり違う人間だ」
「当然でしょう。
わたしに似合うのは主婦の仕事よ。
それだって大変なのよ。
料理に子育て、家の管理もあるし、人脈だの何だのって、わたしには無理よ。
あなたにも騙され、利用されてしまったし。
そういえば、何だか知らないけれど、夫から分厚い封筒を預かって父に渡したわね。
今回も、訳の分からないことで使われているみたいよ」
「確かに、あんたにはそれくらいが似合っている」
「まあ、褒めたつもり? 貶しているみたいだわ」
そうして、二人は笑った。
いつもなら、客の接待で忙しいフィニアスなのに、
今日は、フロースとの会話を楽しんでいる。
フィニアスは、フロースといると、時がゆったりと流れていくような気がしていた。
自分を素に戻してくれるような心地よさがある。
ところがアデールは、そんな夫の様子を見て、
自分の気持ちが押し上げられていくのを感じた。
彼女の心の内に留められていた思いは募り、その箍をはずしたのはノイだった。
モーリスと会話していたアデールは、横にいるノイを邪魔に思ったのだ。
ノイは、会話に入って来る訳ではないのだけれど、
モーリスに恋心を抱いているその雰囲気が、アデールをイライラさせる。
そして、自分の夫と親しそうに話すフロースと、
公爵になろうとしている青年に関心を持つ彼女の娘が、どうにも癪に障って仕方が無い。
アデールは、皆にも聞こえるように言った。
「叔母のフロースが久しぶりに里帰りすると聞いた時、皆で喜んだのですよ。
わたしは、叔母に似ていると言われていましたし、
再会できるのを楽しみにしていました。
ところが会ってみて、とても驚いたのです。
以前の叔母は、洗練されて美しかったのに、田舎での生活は人を変えるものですね。
ラーウスなんて、辺境の地にお嫁に行かれて、
夫のイベリスとやらに、苦労させられているのではないかと心配です。
お気の毒ですわ」
それを聞いたノイは、自分の両親が馬鹿にされたと思った。
ノイにとって、アデールの言い方は挑戦したことになり、受けて立たねばならない。
それはラーウスのどこにでもある子供染みた騒動で、大人はそんな挑戦には乗らない。
ノイは、まだ子供だった。
アデールの言葉はフロースにも聞こえていたのだけれど、時はすでに遅い。
ノイは、アデールの前にあったお茶や菓子の乗ったテーブルをひっくり返した。