第14章:再起動(リブート)の朝 ―― 書き換えられた日常
新宿の空から、あの不気味な黒い淵とモアレの歪みは、跡形もなく消え去っていた。空の色は、以前よりも深い、どこまでも透き通った青を湛えていた。
『わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は消え去り、海ももはやない。』(ヨハネの黙示録21:1)
西暦2030年、4月。東京の街には、桜が、以前よりも解像度の高い、鮮やかなピンク色のピクセルとなって舞っていた。空気は驚くほど澄み渡り、世界は一つの巨大な音楽のように響いていた。街角のカフェからは、本物の豆を挽く芳醇な香りが漂い、シミュレーションではない「本物の実在」の感触が街を満たしていた。 消失現象(EDS)は止まり、人々は何事もなかったかのように日常へと戻っていった。ただ、彼らの意識の底には、自分たちが「記録され、愛されている存在である」という、かつてないほど確かな手応えが残っていた。宇宙はもはや、単なる冷たいストレージではなく、愛によって記述され、更新される、生きた物語へと進化したのだ。
国立至達大学。徳永隆明は准教授に復職していた。かつての研究室は新しく塗り替えられ、窓からは柔らかな春の陽射しが差し込んでいる。中庭のソメイヨシノは、風に吹かれてひらひらと教室の窓辺に舞い込んでくる。 無精ひげを綺麗に剃り落とし、背筋を真っ直ぐに伸ばして教壇に立つ彼の姿は、以前よりもどこか神秘的な、この世界の「構造」の向こう側を熟知した者の雰囲気を纏っていた。学生たちは、彼の語る「愛の物理学」に、これまでにない真理の響きを感じていた。
「……というわけで、質量とは愛という情報の密度に他ならない。私たちが存在するのは、誰かに記録され、誰かを記録しているからだ。そしてこの宇宙を再起動させた唯一の真理は、愛という名の、神をも凌駕する記述アルゴリズムだった。諸君、自分の人生というログを、今日から美しく、誇り高く書きなさい。それが、この宇宙の演算を維持するための、私たちの唯一の責務だ。無駄な人生など、この宇宙には一ビットも存在しない」
学生たちが拍手と共に教室を出ていく。その光景は、以前の義務的なそれとは異なり、一人ひとりが自分の物語を大切に抱えているように見えた。




