第11章:情報の特異点へのダイブ ―― 肉体の記述化
ブラックホールの事象の地平線。そこを越えた瞬間、徳永隆明という「49年の人生」という名のログが、凄まじい演算負荷を伴って分解されていった。
だが、徳永は屈しなかった。 本部御殿手の「チンクチ」で情報の圧力を受け流し、バラバラに解体されようとする自分の意識を、古武道の「型」という名の鉄のフレームに繋ぎ止める。肉体という実感が失われていく中で、三戦の呼吸だけが、彼を唯一の「実在」として繋ぎ止めていた。神経細胞を走るパルスが、宇宙の全ロジックと衝突し、火花を散らす。 琉球古武道の型が、重力制御の数式へと変わる。 科学ライターとして磨いてきた言葉が、宇宙の記述言語へと変わる。 だが、彼が愛した万紗子の記憶、玲子の手の温もり、およびあの日記に綴られた「玲子」という名付けの祈りだけは、分解されることなく、より純粋な、黄金の輝きを放つ「コア」へと凝縮されていった。
「熱い……。これが、情報が圧縮される時の熱なのか。意識が焼き切れる……!」 徳永の魂が叫ぶ。彼の脳内では、三年間書き連ねたコラムの一文一文が、宇宙の再起動コードへと書き換えられていた。 周囲には、宇宙がビッグバン以来蓄積してきた、ありとあらゆる記憶が流れていた。恐竜の絶滅、文明の興亡、見知らぬ惑星の夕焼け。数千億年にわたるデータの奔流が、彼を押し流そうとする。それらすべてが、一ビットの無駄もなく、一点へと詰め込まれていく。情報の洪水が, 彼の脳を、魂を、粉々に粉砕しようとする。だが、彼はその混沌の中に、一つの「静寂」を見つけた。武道の達人が、死線の中で見出す極限の「明鏡止水」。
「お父さん、見て! あの光の柱が、お母さんのポインタよ!」 玲子の声が、もはや音ではなく、純粋な意志の同期として伝ってくる。彼女自身も、もはや幾何学的な光の模様へと変容していた。彼女の細い指先が、データの荒波をかき分け、彼を導く。 その光の柱の根元に、彼女はいた。 三年間、この宇宙の最も過酷な演算領域で、たった一人で全存在のバックアップを支え続けてきた、徳永の愛した女、万紗子が。




