第3話|異世界転生
光が、ゆっくりと引いていった。
眩しさが薄れ、まぶたの裏に残っていた白が消える。
次に戻ってきたのは――感覚だった。
冷たい。
背中に、ひんやりとした何かが触れている。
「……っ」
思わず息を吸い込むと、肺に空気が流れ込んだ。
重い。
はっきりと重力がある。
身体が、確かに“そこにある”。
「……生きてる?」
いや、違う。
そんな簡単な話じゃない。
ゆっくりと目を開く。
視界いっぱいに広がったのは、夜の草原だった。
背の低い草が風に揺れ、月明かりを反射して銀色に輝いている。
鼻を突く青臭い匂い。
湿った土の感触。
遠くで鳴く、聞いたことのない虫の声。
あまりにも――現実的だった。
「……夢にしては、出来すぎだろ」
身体を起こす。
関節がきしむ感覚も、筋肉の張りもある。
触覚も、痛覚も、全部そろっている。
立ち上がって、まず自分の手を見た。
若い。
「……二十歳前後ってとこか」
神の言葉を思い出す。
“年齢は死亡時と同じ”。
嘘じゃなかったらしい。
服装も違っていた。
知らない素材のシャツとズボン。
スニーカーではなく、軽い革のブーツ。
どこをどう見ても、日本の路上ではない。
そして、顔を上げた瞬間。
理解した。
空に、月が二つ浮かんでいた。
一つは白。
もう一つは、淡く青い。
どちらも雲に隠れることなく、並んで夜を照らしている。
「……ああ」
乾いた笑いが漏れた。
「これはもう、言い逃れできねえな」
異世界。
そうとしか言いようがなかった。
死んで、暗闇に落ちて、神と名乗る存在と話して。
その結果が、この場所だ。
否定する理由が、どこにもない。
深呼吸する。
空気は少し冷たいが、澄んでいる。
排気ガスの匂いも、コンクリートの熱もない。
耳を澄ませば、風と草の音だけ。
「……戻れない、んだよな」
独り言が、夜に溶ける。
不思議と、泣きたい気分にはならなかった。
良くも悪くも、“今ある状況”がすべてだ。
立ち尽くしていても、何も始まらない。
「……まずは、状況確認だ」
そう呟いた瞬間、視界の端が淡く光った。
半透明のウィンドウが浮かび上がる。
名前:ユウト・クロセ
年齢:22
職業:なし
スキル:神観測ストリーム(未起動)
「……ちゃんと引き継がれてるらしい」
神との会話が、夢じゃなかった証拠だ。
他の欄は、ほとんど空白だった。
称号なし。
加護なし。
「初期ステータス、ひどくね?」
思わず笑ってしまう。
チートも祝福もない。
放り出された一般人。
ある意味、前世と大差なかった。
ウィンドウを閉じ、周囲を見渡す。
どこまでも続く草原。
遠くに黒い影――森だろうか――が見えるだけで、人の気配はない。
街らしき灯りは、どこにもない。
完全な野外。
完全な一人きり。
「……詰んでないか、これ」
そう口にした直後。
風に混じって、低い音が聞こえた。
――グルル。
背筋が、ぞわりと粟立つ。
もう一度、同じ音。
今度は、少し近い。
「……冗談だろ」
音のする方角へ視線を向ける。
草が揺れ、闇の中に二つの赤い光が浮かんだ。
獣。
いや、犬や狼とは違う。
異様に大きく、目だけが不自然に赤い。
本能が理解する。
あれは、この世界の“普通の生き物”じゃない。
「……魔物、ってやつかよ」
武器はない。
知識もない。
逃げ場も分からない。
距離は、そう遠くない。
一歩でも背中を向ければ、飛びかかってくるだろう。
心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。
さっきまで死んでいたはずなのに、
こうしてもう一度、生きることが怖い。
そのとき、頭をよぎった。
――スキル。
神観測ストリーム
あれを起動すれば、神に見られる。
コメントが流れ、投げ銭が発生するかもしれない。
だが同時に、思い出す。
神は言っていた。
ONにしなければ、見られない。
つまり――今の俺は、誰にも見られていない。
完全な孤独。
異世界で、ひとり。
魔物が、じり、と距離を詰める。
喉が鳴る。
逃げるか。
戦うか。
配信するか。
選択肢は、三つ。
視界の隅に浮かぶ“起動スイッチ”を、じっと見つめる。
これを押せば、観測が始まる。
神に見られる。
配信が、始まる。
夜の草原で、赤い目の魔物と向かい合いながら。
俺はようやく理解した。
この世界では――
生きること自体が、配信になると。
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