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世界を救ったお姫様のお話

作者: 絹ごし春雨

 私の使命は、勇者を愛し、勇者を殺すこと。


今日も彼は、何も知らず笑っている。


私はカトリーヌ。由緒正しき王国の姫だ。胸には短剣。これが王国の鍵を握る。


「カトリーヌ」


勇者エヴァンが、こちらを見て手を振った。


まだ幼さの少し残る精悍な顔。

普通の村で生きてきた、善良な少年。


「勇者様、おかえりなさいませ」


はにかむように笑う彼が好きだ。

どこか子犬のような可愛さがある。

身体は大きいが。


「花を摘んできたんだ。花畑があって、綺麗だったから。……でもお姫様には地味だったかな」


しゅんとなって頭を掻く彼から、花束を受け取った。お日さまの匂いがする。

温かい。


「いえ、ありがとうございます」


この日が、続けばいいのに。




 勇者さまの部屋で、水差しが割れた。


壁に叩きつけられた跡。

彼は、呆然としていたらしい。


カウントダウンが、進んだ。



勇者を愛しなさい。それが崩壊を留めるのです。世界が救われるまで、留めて置くのが、あなたの指名です。





「勇者様、お茶にしませんか?」


私は木のカップを持って微笑んだ。


彼に馴染みがあるだろう素朴なカップ。


私も使うのに慣れてきた。


お茶菓子はメイドに焼いてもらった。彼は、手作り感があった方が、美味しそうに食べるから。


ほろほろとクッキーが溶けていく。

私の心も咀嚼されていく。


「美味しいですね」


彼が笑った。





 彼が訓練人形相手に剣を振っている。初めは、軽く。


いつものように眺めていた私は、見てしまった。


彼が振り下ろす。振り下ろす。振り下ろす。


ザスッ、ザスッ、ザスッ、ザスッ、ザスッ、ザスッ、ザスッ、ザスッ。


滅多刺しだ。彼は取り憑かれたように剣を振っている。


「勇者様!」


彼の首がぐりんとこちらを捉えた。


爛々とした目、半開きの口。


「……ひっ」


彼はぱちぱちとまばたきをした。


「どうしたの? カトリーヌ」


ふわっとした笑顔。

私は泣いた。


違和感を悟らせてはいけません。

あなたが、殺すのです。


「カトリーヌ、もうすぐ魔王を倒せるよ」


不意に勇者が言った。


「王国に必ず希望を戻してみせる。待ってて」


私は、突き落とされた。





 夜。


彼はもう寝ているだろうか。


私は窓辺で短剣を抜いた。

月明かりに照らされたそれは、冷たく美しかった。


ずしり、とした重み。


「……こんなに、重かったかしら」



愛しなさい。

殺しなさい。


言い聞かされた言葉が浮かんでは消える。


「愛してる。……だから彼を……」


言葉は震えて形にならなかった。

彼は災厄になろうとしている。


あんなに、優しいのに。


一粒涙がこぼれた。


私は短剣を布に包んだ。





「おはよう、カトリーヌ」


彼は微笑んだ。

いつもの温かい空気に涙が出そうになる。私はぐっと奥歯を噛んだ。


「おはようございます。勇者様」


勤めて穏やかに。

けれど。


「魔王の場所がわかったんだ。行ってくるよ」


彼が言うから。カトラリーが落ちた。


カラン、カラン。


「そう……ですか。……お気をつけて」


どんな顔をしたらいい?

思わず頬に手を当てた。


「カトリーヌ? 怖い夢でも見た?」


そう言うから。


「……ええ。そうなんです」


彼の袖をそっと引いた。


彼の胸は温かくて、私は泣いた。





 私は城で知らせを待っている。

世界に希望が戻る時、私の絶望は始まる。


涙が止まらない。


魔王は混沌だ。

汚染された勇者は、いずれ狂う。

もう兆候は出ている。



止まれないのだ。


私に出来ることは、なんでもない顔をすること。


なんでもない顔で、

また明日と笑って、

彼を、

殺すのだ。




「カトリーヌ」


彼は、穏やかに笑っていた。

魔物の血に染まって。


私は、初めて、もう戻れないと、わかった。


「……勇者様」


彼が首を傾げる。


カラン、と剣が地に落ちた。


「魔王討伐、立派でした。よく……ご無事で」


彼は血みどろのまま、無邪気な顔をしている。


「世界は救われたの?」


「……ええ」


彼のすぐそばに立つ。


「抱きしめてもらってもいいですか」


いいよ、と彼が腕を広げる。


私は短剣を抜き彼の胸を貫いた。


彼の腕が私を抱きしめる。

こんな時なのに、優しくて、力の抜けていく大きな手が、私の頭を撫でていった。


「……ごめんな」


それが最後の言葉で、私は、崩れ落ちた。





 昔、昔、街外れの塔には、世界を救ったお姫様が住んでいたそうな。


大層な美人だったのに、独身だったんだって。

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