人間と亜種
お屋敷を出て、豪邸や民家など様々な家々が並ぶ道を歩く。
西園寺幸助様と結婚……あまりに突然の話に私の頭は追いついていない。
(結婚するということはあのお屋敷から出て、西園寺家で暮らさなければならないんだわ……)
あの時、父様に大丈夫だと、茜に後悔はないと答えたが本当は不安で不安で仕方がない。
私が通っていた中央女学校でも西園寺家の悪い噂は流れていた。女学校を卒業した後も交流がある友人の藤原寧々さんが、西園寺家の次男幸國様と何度かお会いしたことがあるそう。寧々さん曰く、顔は整っているが、口を開けば西園寺家の自慢、人と話す時の態度の悪さ、自分の思い通りにならなければ癇癪を起す。あまり関わりたくない人物だと愚痴をこぼしていた。
私は足を止め、雲一つない青空を見上げる。いつもなら長い時間空を眺めることが出来るのに、今日は空を見ていると心が苦しくなる。わたしは視線を落とし、道と屋敷の垣根に生える雑草に目をやった。なぜだか、雑草を見ている方が心穏やかになる。
「あら? そこにいるのは光ちゃん?」
優しいクリーム色の長い髪に翡翠色の瞳を持つ女性がこちらへやってくる。
「寧々さん⁉」
私は雑草から視線を寧々さんに移し、急いで立ち上がる。
「光ちゃん、お久しぶり! 会うのは一月ほど前かしら?」
「寧々さんのお屋敷でお茶をしたのが最後だから…そうね。一月ぶりよ」
私たちはお互いの手を取って興奮気味に会話をする。
「ねぇ、もし時間があればお茶していかない?」
おすすめのカフェがあるのだと寧々さんは言う。
私は手ぶらで来てしまったからお財布を持っていなかった。私は申し訳なさそうに寧々さんのお誘いを断ろうとすると、寧々さんはお金のことは気にしなくていいからと私に迫る。
おごってもらうのはあまり気が進まないが、せっかく一か月ぶりに会う友人のお誘いを断るのはおごってもらう行為よりも気が引けると私はぎこちなく頭を縦に振った。
「良かった! 断られたらどうしようと思ってしまったわ。さ、行きましょ。ここから近くの場所なのよ」
寧々さんは私の手を引っ張りおすすめのカフェへ案内してくれた。
「そういえば光ちゃん。今朝の新聞はお読みになった?」
私は首を振る。
「昨日、甘露寺家に強盗未遂が起きたそうよ」
「それは大変ですね……」
「それだけじゃないのよ! なんとその強盗未遂をした人が狸の亜種らしくてね。死刑になるそうよ」
気の毒よねえ。と寧々さんは言う。
寧々さんが気の毒だと言っている相手は、多分、強盗に入られた甘露寺家の方に対するものだ。
「亜種」とは、私たち純粋な人と人の子ではなく、古来から存在する身体に動物の特徴を持つ者のことを指し、一度でも亜種と交われば少なからず子孫に動物の特徴が現れてしまう。亜種の人口は日本人のおよそ一割程度らしく、亜種を見かけるのはそう珍しい事でも無かった。
亜種は純粋な人とは違う見た目をしているため、昔から差別の対象となり人々から忌避されてきた。特に貴族社会級の人は普通の人より亜種を嫌う傾向が強く、寧々さんのように亜種が死刑になろうと可哀そうにと思うことはない。
私たち烏丸家は、江戸時代亜種の方から命を助けてもらったことがあるため「亜種の人々を人としてみるように」と教育されてきたため、寧々さんの発言に少し思う所があった。しかし、私たちのような考えを持つ人は少数派で、亜種の人たちに肩を持つような発言をすれば、同族と見なされ人の子であったとしても差別される可能性がある。だから、私は寧々さんの発言に頷くしかなかった。
「光ちゃん気を付けるのよ? 光ちゃんは優しいし、可愛いから亜種に騙されて食べられちゃうかもしれない」
「そんな大げさな。亜種と言っても人よ? 人を食べることは無いと思うわ……」
「例え話よ。でも、本当に気をつけてね。最近は物騒な世の中だから」
うん。と私は頷く。
話しながら歩いていると、いつの間にか寧々さんが気に入っているカフェへ着いていた。
外観はレンガ造りの洋風な建物で真新しかった。最近できたカフェだろう。
寧々さんはカフェの扉を開く。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
「はい」
「こちらへどうぞ」
黒のワンピースを着た店員さんが窓際の席へ案内する。
私たちは案内された席に腰を掛け、店員さんがメニューをテーブルに置き、「お決まりになりましたらお声がけお願いいたします」と軽く礼をして持ち場へ戻っていく。
「ここのねクリームソーダが美味しいのよ」
寧々さんがメニューに指を指して勧める。私は寧々さんが指す所に目をやると「クリームソーダ 二千円」と値段の高さに驚いた。異国からやってきた料理は珍しさや使う食材が高価なことから良い価格だとは知っていたが、これほどまでに高いとは……とメニューをまじまじと眺める。
寧々さんはクスリと笑い、
「光ちゃん、もしかしてクリームソーダは初めて?」
「ええ、まぁ……なかなか機会がなくて……」
「じゃあこれを頼みましょう! すみませーん!」
寧々さんが店員さんに声をかける。
私は慌てて寧々さんに「こんな高価なものをおごってもらうのは」とメニューを手に取って他の飲み物を頼もうとすると、寧々さんは気を遣わなくていいと言って、店員さんに「クリームソーダを二つ」と言って注文してしまった。
「光ちゃん遠慮はいらないわ。ここへ誘ったのは私なんだから、私の突然なお願いに付き合ってくれたお礼だと思って受け取って頂戴ね」
お金を気にする私に配慮して寧々さんは言った。
「ねぇ光ちゃん。あれから縁談話はあった?」
私はびくりと体を飛び上がらせる。
寧々さんはニヤリと笑い、「その反応……何かあったということね」と嬉しそうに聞いてきた。
「まぁ……縁談というか、婚約者ができたというか……」
歯切れ悪く私は答えると、寧々さんは首を傾げた。
「……もしかして、あまり聞いてはいけない話だった?」
私の様子を伺うように寧々さんはこちらを見ていたので、「そういうわけではないけど」と、今朝父様から聞かされた話をかいつまんで話す。すると寧々さんは、
「え……⁉ それは本当なの⁉」
目を丸くして私に質問をしたので、そうだと頷く。
寧々さんは私になんて声をかけていいものかと悩んでいるように見えた。
「お待たせいたしました。クリームソーダです」
タイミングよくクリームソーダがやってきた。
私たちの前に青の炭酸ジュースとその上にバニラの丸いアイス、サクランボを一つ乗せた可愛らしいクリームソーダが置かれ、店員さんは「ごゆっくり」と軽く会釈をして去っていった。
私はたちはとりあえず、クリームソーダと一緒に運ばれてきた長い銀のスプーンを取り、アイスとジュースの部分を一緒に掬って口に運ぶ。
炭酸がぱちぱちと音をたて、アイスの優しい甘さとマッチして思わず「美味しい」と言葉を溢す。
「ふふ。気に入ってもらえたようで嬉しいわ……それで、先程の話だけれど」
気まずそうに寧々さんは話し始めた。
「光ちゃんは西園寺家へ嫁ぐの……?」
「ええ。幸助様が私を気に入ってくださったそうで……嬉しいことだわ」
自信がないせいか、段々声が小さくなっていく。
「……おめでたいこと、よね。光ちゃんは幸助様ともうお会いに?」
「一週間後お会いする機会を設けて下さったの。だから……まだ」
「そう……」
気まずい空気が流れる。
私は咄嗟に「噂は噂ですから、会わずして嫌うのは良くないことよね」と無理に笑いながら寧々さんに話す。寧々さんもその通りだと頷いてくれたが、表情は曇っていた。
「これから会える機会が益々減ってしまうわね。寂しいわ」
残念そうに寧々さんは呟く。
「嫁ぐと言っても、自由がないわけではないでしょうし……またすぐに会えるわ」
「じゃあ、西園寺家へ嫁いだらすぐに手紙をよこしてくださいね。私すぐにお返事を書くわ」
「ええ。必ず」
私たちはクリームソーダを食しながらこれからの話に花を咲かせる。
「看板に亜種お断りと書いてありましたよね⁉」
店の扉で店員さんが中に入ろうとする親子と何かあったようだ。
私は体を横にずらして、外にいる親子を見る。母親らしき人と十歳くらいの少女だが、頭のてっぺんにピンと立った白いウサギのような耳が生えている。
「あら揉め事?」
寧々さんも店の扉の方へ目をやると、嫌そうに顔を歪ませる。
「嫌ね。ウサギの亜種だわ。今朝新聞であんな記事が書かれていたというのに、この店へ入ろうとするなんて大したものね」
寧々さんはため息をつきながらストローでクリームソーダを飲む。
私はウサギ耳の親子と店員さんのやりとりが気になり、彼女らの会話に耳を澄ませる。
「そんなこと、どこにも書いてありません!」
「よく見てください、ここに亜種お断りと書いてあるでしょう」
「文字が小さすぎて分からない様になっているではありませんか!」
「よく見ないあなた達が悪いでしょう。ここはあなた達のような者が来るところではないのでお引き取り願います」
「ママ、クリームソーダ食べられないの?」
「……ごめんね。せっかくの誕生日だというのに怖い思いをさせてしまって」
店の扉が閉まる音が聞こえた。
どうやら、ウサギ耳の親子は諦めて帰ってしまったようだ。
「漸く静かになったわ。せっかく光ちゃんと会えて嬉しい気分だったのに、残念だわ」
「そう……だね」
私は視線を窓の外へ向け、残念そうに帰っていくウサギ耳親子を目で追った。




