マヨネーズ親子丼
親子丼がなんで親子丼かというと、鶏肉を鶏の卵でとじるからだ。つまり親である鶏と子供である卵が丼の白いご飯上で、感動か、もしくは悲しみか、はたまた哀愁か、とにもかくにも涙なくしては語れない再会を果たすわけなのだけれど、サワキはそこにマヨネーズまでぶっかけるというのだから、もう何が何だか分からない。親子水入らずに水を差すどころの騒ぎではない。ラブラブぶっちゅーな彼氏と彼女の間に委員長が割り込んでくるのみならず、その委員長が実は彼女の腹違いの姉妹な上に、彼氏の父親と委員長の母親は現在不倫関係なんです、ってレベルで訳が分からない。ラーブ・トラーイエンゴーでは済まない。まぁそんなことはどうでも良くて、サワキは親子水入らずに構わずマヨネーズを差す。
「ねぇ、それやめてよ。見てるこっちがオエッてなるから」
「いいじゃないですか、別に君が食べるわけじゃないんだし」
そうお願いする私にも構わず、うにゅるるるるるるるっとパステルイエローの液体が丼を埋め尽くす。そしてぐにゅる、ぐにゅる、ぐちゃ、ぐちゃ、ちゃく、ちゃく、ちゃく、と着々と丼内の平均化に精を出すサワキ。
「あーもう嫌。ほんと嫌。なんかもう音がグロいもん。だめだめ、ありえない」
正面に座るサワキの方をなるべく視界に入れないようにして、自分のとんかつ茶漬けと対峙する。急須をしずしずと持ち上げて、白いご飯の上に乗ったとんかつの上に供給する。急須の先から注がれるお茶が、お米ととんかつを蒸らしていく様子は、意図せずして口の中に唾液が溜まるというもの。んーおいしそう。
「君のそれのほうが私には信じられないですねぇ。サクサクの衣とジューシィな肉のハーモニー、そしてその重たさをやわらかに受け止める白いご飯!その素晴らしいバランスに水を差すなんで考えられないです。君が差してるのはお茶だけどもね」
蛇足で会話に水を差したことには目をつぶるとして、親子丼にマヨネーズを差す輩に言われたくない。自分のことを飄々と棚に上げる厚顔ぶりに反旗を翻さずにはいられようか。いや、いられまい。などと反語表現でこの憤りを反芻している場合じゃない。
「あなたに言われたくないん、で、す、け、ど」
お茶を吸収してしっとりし始めた元サクサク衣を、一口サイズに切り分けながら応酬する。
「まぁまぁそう語気を強めずとも、言いたいことは分かりますよ。そりゃ他人には私が余計な水を差しているように見えるでしょう。あ、私が差してるのはマヨネーズなんだけども」
「そーいうのいらないんで」
「総じてそういう反応ですよね、私に対して。ま、いいや。親子丼は醤油ベースの味付けでしょう。甘辛い。で、思い出してください。醤油マヨ。おいしいですよね。おいしいものとおいしいものを組み合わせたらどうなるか?もっとおいしくなるんですよ!」
味を確かめるどころか視線でとらえるのすら憚られる、グロテスクな親子丼だったらしい物体を頬張りながら、サワキは熱く語っている。一方で、私はだんだんと食欲がなくなってきている。目の前には吐き気を誘発する親子丼。会話内容はその親子丼。話しているのは、その親子丼であるかすらあやしいものをおいしそうに食べる奴。私の食欲に逃げ場はない。八方ふさがりとはこのことだ。
「食欲なくなってきた」
「やっぱりとんかつはお茶漬けにするべきじゃなかったんですよ」
「あんたの親子丼のせいだっつの」
「自分のミスを棚に上げて、人のせいにするのは君の良くないところだなぁ」
1/3ほど食べ進めていたとんかつ茶漬けとお別れして、私はそっとお箸を置いた。
「なんで食欲がわかないか分かったわ」
むしゃむしゃもぐもぐごっくん。むしゃむしゃもぐもぐごっくん。むしゃむしゃ…を絶えず続けながら「なぜです?」とサワキが先を促す。
「あんたと食べてるから」
「それは由々しき問題ですね、私たちにとって。何しろ私たちはこれでもお付き合いしているわけですし。まぁ、お突き合いとも言いますけども」
私はサワキの下卑た笑い方から、下衆と言わざるを得ない当て字を読みとり、更に吐き気が増してくる。オエッ。
「私、いますっごく惨めな気分。あんたのせいで。あんたという存在が私のこれまでの色んな努力とか成果とかをプラマイゼロにしてるような気がする」
「人生に水を差すってね。あ、これはちょっと無理があるかな」
あーむかつく。何かと面倒だし、全然空気読めないし、本当に何でこんな奴と私はここで食事をしてるんだろう。あーもう嫌。ほんと嫌。今すぐこの急須のお茶をサワキに向かってぶっかけて、蒸らして、ふにゃふにゃにしてやりたい。もう我慢できない!
私の堪忍袋がぶくぶくと膨張して、もう駄目ですこれ以上持ちません限界値突破しますと訴えかけてくるので、机に手を突き、堪忍袋の破裂と同時に声を出すために、大きく息を吸った。
「お冷のおかわりはいかがですか?」
ふしゅるるるるるるるるるー。
堪忍袋の空気が抜ける音を聞いた。ような気がする。
「あ…お願いします」
上品そうなウエイトレスの女性が、私とサワキのコップにお水を注ぎ足してくれる。ごゆっくりどうぞ、とつけたして去っていく後ろ姿を見送りながら、はずしてしまったタイミングをどう取り戻すべきか思案していたら、
「ごちそうさまでした」
とサワキが手を合わせていた。丼の中のグロテスクな物体は、いつの間にやら胃の中らしい。
「いらないなら私に下さい」
「え?なにを?」
「とんかつ茶漬けに決まってるでしょう」
私が唖然としているうちにサワキはさっさと丼を取って、残り2/3のとんかつ茶漬けを処理し始めてしまう。むしゃむしゃもぐもぐごっくん。むしゃむしゃずるるっごっくん。
「あ、とんかつ茶漬けおいしいですね!」むしゃむしゃ。
「とんかつもお茶漬けもおいしいもんなー」もぐもぐ。
「そりゃ二つあわせたらおいしいに決まってますよね」ずるるるるるっ。
「やっぱりおいしいもの同士は合わせると更においしい理論は成立するんですね!」ごっくん。
はずしたタイミングを取り戻せないまま固まっていた私は、そのあまりにも自由で自分勝手な行動にあきれてしまって、相変わらず言葉がでない。そんな私に気づいているのかいないのかサワキは、とんかつ茶漬けを食べ進め、あっと言う間に、というよりは言えぬ間に、食べきってしまった。
「あーお腹いっぱいだー、満足満足。さて、そろそろ出ましょうか。映画はじまっちゃいますよ」
「え…もうそんな時間だっけ」
「そうですよ、ちょっと急ぎましょう。君、前から楽しみにしてたでしょう。遅れるわけにはいきません」
そうだった。私の大好きなオダギリジョーが出ている映画が後に控えているのだ。急がなくちゃ。すっかり怒るタイミングを逃してしまったけれど、今怒ったらきっと映画に遅れてしまう。
荷物をまとめている私を置いて、身軽なサワキはさっさとレジに向かって会計を済ませている。映画館で待つオダギリジョーに思いを馳せつつも、私は急いで出口へと向かう。出口ではサワキが扉を抑えている。
「早くしないと先に行っちゃいますよー」
と言うサワキを無視して、小走りになりかけた足を止め、ゆっくりと歩く。せめてもの抵抗だ。
「なんでヒールなんか履いてくるんですか、もう。機能美というものを知る必要がありますね」
ヒールを履いている女性の足首っていいですよね、と先週言っていたのはどこのどいつだ。と言いたくなるのをグッとこらえて、レストランを出て外の空気を肺いっぱいに吸い込んで、心を落ち着かせる。そんなことよりいま大事なのはオダギリジョー、と自分に言い聞かせる。私の背後でレストランの扉を閉めていたはずのサワキは、深呼吸している間にまたしても私を置いて、先を歩き始めている。
いちいちむかつくな。まぁいい。どうせサワキはすぐに私を怒らせるのだから、いつでも怒れる。タイミングは常にある。とりあえず今はオダギリジョー。
目の前にマヨネーズがありました。
おはちのとんかつ茶漬けはなくなってしまったんでしょうか。
好きだったのに。