表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

地味王太子の成婚

作者: mimico.syosetu

我がアストロ王国の王太子殿下が、成人を迎える。それはすなわち、王太子妃の選定が始まるということを意味していた。


「クリスティア、来週のお茶会の招待客名簿にお前の名が載る予定だ」


父の執務室に呼ばれて最初に言われたのは、王妃主催のお茶会についてだった。誰も明言はしないが、それが「妃選びの場」であることは、貴族社会では暗黙の了解となっている。そして、それはルモンド伯爵家にも無関係ではない。


「よく励むように」


それだけを言い残し、父は手を払った。退室を促され、私は「かしこまりました」と頭を下げ、自室へ戻る。


だが正直なところ、実感はまるで湧かない。


(王太子妃の候補、かあ……)


私以外に、五名の令嬢が招かれると聞いている。


勉学に秀で、多くの宰相を輩出してきたウォルト公爵家のリナリア様。

芸術面で名高く、美術品を幾度も王室に献上しているグレイル侯爵家のソフィア様。

発明家を多く輩出し、王国の発展に貢献したナンリ侯爵家のアヤメ様。

武芸に秀で、現当主が騎士団長を務めるマリオット伯爵家のキャサリン様。

そして、農業が盛んなルモンド地方を治める我が家の、私——クリスティア。


特別うれしいわけでも、悲しいわけでもなかった。恋愛小説のように美男子の王子を奪い合うドラマがあるわけでもなく、実際の王太子殿下は——正直言って、「優しそうなお方ね」という形容がぴったりの方だった。


背は高すぎず低すぎず、顔立ちは整っているが特筆すべきほどではなく、学識は確かに素晴らしい。だが、それだけならばウォルト家のリナリア様の方が優れているだろう。


王族というのはなぜか、どんなに煌びやかな親を持っていても、「優しげな顔立ち」で生まれてくることが多い。それは、王の血統の力かもしれない。


私には婚約者もいないし、好いた相手もいない。断る理由もなく、他に王太子妃に相応しい方々が揃っているのだから、気負うこともない。


(これも社会勉強の一環ね)


そんな気軽な気持ちで、お茶会に出席したのだが——


(……これは、想像もしてなかったわ)


お茶会は、王太子妃選定という明言はなされず、あくまで次代を担う若き貴族たちとの親睦を深める場という体裁だった。だが、それが「表向き」であることは、皆が理解しているはずだった。


けれど——誰ひとりとして、王太子殿下に対して積極的なアピールをしなかったのだ。


(いやいや……それはそれで、おかしいでしょうよ)


親睦の場としても、自領の将来を語る絶好の機会のはず。にもかかわらず、誰も踏み込んだ話をしない。王太子殿下はにこやかに場を和ませていたが、私は思い切って、殿下に話しかけることにした。


「先ほどご挨拶申し上げた、ルモンド伯爵家の長女、クリスティアでございます」


従者と話していた殿下は、ぱちくりと目を見開いた。深緑の瞳が光を宿し、一瞬だけ見せた驚きの表情の後、穏やかな笑みで向き直られた。


(……あれ?)


その瞬間、私は目を疑った。確かに「普通」だったはずの王太子が、どこか輝いて見えたのだ。整ったアーモンド型の瞳、通った鼻筋、上品な微笑み。


(もしかして、この方……すごく、美しい?)


我に返り、本来の目的——ルモンド領の農業についての提案を伝える。話は思いのほか弾み、王太子は備蓄の問題や虫害対策、新たな肥料開発の共同計画にまで話を深めてくださった。


殿下はすべての分野で平均以上の知識を持ち、それぞれの分野の話を適切に受け止めて意見を交わしてくださる。ひとつの分野を極めるのではなく、全体を理解する王としての姿勢に、私は心から敬意を抱いた。


他の令嬢たちは、自領の特産物を紹介する程度に留めていた。それが「越権」にならぬよう、控えめにしていたのだろう。私は少しだけ浮いていたのかもしれない。けれど、それでも後悔はなかった。


会場の菓子は絶品だった。美食家として有名なヴィシュワ男爵家のシェフやパティシエが監修したと聞く。だがその家の令嬢、アマリエ様は招かれていなかった。


(何か、選定の基準があるのね)


そう考えると、胸が高鳴った。また王太子殿下と話す機会があるかもしれない。その可能性だけで、未来への希望が生まれた。


それが、自分の“初恋”だと、私はまだ気づいていなかった。


***


半年が経ったが、二度目のお茶会はなかった。肥料開発の企画も父主導となり、私の手からは離れた。婚活を急かされているわけではないが、適齢期は近づいている。けれど考えれば考えるほど、王太子のあの瞳が思い出されるのだ。


(……結局、選定だったのかどうかも曖昧なまま、終わってしまったわね)


その後も王家主催の夜会は何度かあったが、王太子殿下の姿はなかった。


そして、ちょうど一年後——


「アストロ王国王太子殿下主催、親睦舞踏会開催のご案内」


その招待状には、はっきりと王太子・マリウスの名が記されていた。宛名に自分の名を見つけた瞬間、私は思わず手紙を握りしめた。


(——また、お会いできる)


***


舞踏会当日。


王城の大広間は無数の灯りに照らされ、優雅な音楽と衣擦れの音が響いていた。私は、家の染め工房で仕立てた若草色のドレスをまとい、胸の高鳴りを必死で押さえながら会場を見渡した。


そして——


「クリスティア様。ようこそ、お越しくださいました」


その声は、記憶よりも柔らかく、けれど確かな力を宿していた。振り返ると、そこには一年前よりもさらに美しい微笑みを浮かべたマリウス殿下がいた。


(……やっぱり、あのとき幻覚を見ていたわけじゃなかった)


周囲が「普通」と評する彼の姿は、私には誰よりも気品に満ち、美しく映っていた。


「殿下……っ、ご無沙汰しております」


声が震えた。だが、殿下はそっと手を差し出し、言った。


「踊っていただけますか、クリスティア様。今日という日を、一年待っていました」


「……はい。喜んで」


音楽が流れ、私たちは踊りの輪に溶け込んでいった。だが、私の世界には彼しかいなかった。


「クリスティア様。あの日、あなたが私を真っ直ぐに見てくれたとき、私は初めてこの魔法の意味を理解したのです」


「魔法……?」


「はい。王家に代々かけられている古の魔法——“運命の相手にしか本当の姿が見えない”という呪いのような加護です。あなたが私に向けてくれた視線で、世界が変わったのです」


そして殿下は、照れくさそうに笑いながら言った。


「あなたのような方と共に生きたい。——私の妃となっていただけませんか?」


世界が静止したかのようなその瞬間、私は、唇を結んで頷いた。


「……はい。喜んで」


会場が再び動き出し、微かなざわめきが起こった。けれど、私はただ微笑んで、それを受け入れた。


***


「この魔法が、解けなければいい」


それは、初めて“本当に”恋をした夜、マリウスの胸の奥でこぼれた願いだった。


マリウスにかけられていた魔法——それは孤独でもあった。誰にも本当の自分を見せられないという運命。だが、彼のもとに現れた一人の少女——クリスティアは、確かに彼を“見ていた”。


誰よりも真っ直ぐに、誠実に。


彼女の瞳に映る自分こそが、本当の自分だった。


一年の沈黙ののち、自らの意思で彼は選んだ。


そして、彼女は応えてくれた。


***


婚礼の夜、ふたりきりの時間。


クリスティアはふと微笑んで言った。


「マリウス様。あなたにかけられた“魔法”、私以外にあなたの魅力が伝わらないなんて、すごく嬉しい。私だけが、あなたの素敵さを知っていられるのですもの」


マリウスは微笑み、そっと彼女の手を取った。


「ええ。永遠に——この魔法が解けませんように」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ